第千六十九話 セツナの風景
「それにしても、長い名前だ」
レオンガンドが唐突にそんなことをいってきたのは、セツナが帰還の挨拶を終え、レオンガンドが反応を示して、しばらくしてからのことだった。セツナは、緊張のあまり、生返事を浮かべるよりほかなかった。
「は」
「……緊張しているのか?」
「は」
「はは……らしくないな。まあ、わからなくもない。なにせ、こうして君と話すのも、数カ月ぶりのことだ」
レオンガンドが、遠い目をした。獅子の鬣を思わせるような黄金色の頭髪と、蒼穹のように澄んだ青い瞳。片方には眼帯をしていて、それが彼の美しい容貌に妙な厳つさを与えている。レオンガンドは片目を失って以来、威厳が増したのではないかという評判であり、それは彼に対峙するたびに実感として理解できた。少なくとも、カランの街で逢った人物とは同一人物とは思えないほどの威圧感が、いまのレオンガンドにはあった。
王として積み重ねてきたものがあるのだろう。
経験が、ひとを変えていく。
レオンガンドには特にそれが顕著だ。
「長い数ヶ月だったな」
「……はい」
肯定する。
長い、本当に長く感じる日々だった。
特にアバードでの日々ほど長く感じたものはない。シーラが直面した問題の重苦しさが、余計に時間を長く感じさせたのかもしれない。重く、苦しく、呼吸することさえ困難な日々だった。無関係なセツナでさえそうなのだ。シーラは、もっと大変だっただろう。
「長期休暇が台無しになったそうじゃないか」
「……色々、ありましたから」
「聞いたよ。大活躍だったそうだな」
「いえ……」
セツナは、小さく頭を振った。
大活躍、などと胸を張っていえるようなことはなにひとつしていない。セツナがしたことといえば、アバードの混乱を加速させただけのことであり、それ以外、ろくなことをしていなかった。シーラを救ったことなど、取るに足りないことだ。当然の、ごく当たり前のことでしかない。セツナは、そう想っている。
レオンガンドが、目を細めた。柔らかな表情だった。つい、セツナも表情を緩めてしまう。
「君は謙遜するからな。それが周りのものへの嫌味や皮肉にならなければいいが」
「そんなつもりは……」
「まあ、活躍したとふんぞり返るよりはいくらかましなのかな」
「どちらも、行き過ぎれば敵を作るだけでしょう」
と、口を挟んできたのは、レオンガンドの側近衆とともに控えている男だった。金髪碧眼と秀麗な顔立ちから見るに貴族のひとりなのだろう。知らない顔だが、そんな人物がひとりやふたりいたところでなにもおかしくはない。約一年、セツナはレオンガンドに仕えているものの、ガンディアの貴族全員と顔見知りになっているわけではない。
「ふむ。ジルのいうとおりだ」
レオンガンドは、口を挟まれたことにも不快感を示さず、むしろ納得したような顔をした。
「セツナ、これからは活躍に相応しい態度で臨みたまえ」
「はい?」
セツナがつい聞き返したのは、活躍に相応しい態度というものがよくわからなかったからだが。
それが、レオンガンドには上手く伝わらなかったのだろう。彼は、別のことをいってきた。
「あー、紹介がまだだったな。彼はジルヴェール。しばらく前からわたしの相談役をしてくれている」
「陛下からご紹介に預かりました、ジルヴェール=ケルンノールにございます。どうかお見知りおきの程を」
レオンガンドの紹介を受けて、その男が名乗ってきた。ジルヴェール=ケルンノール。どこかで聞いたことがあるような名前だった。レオンガンドが重用するような人物ならば、いつかどこかで名前を聞いていたとしても、なんら不思議ではない。覚えてないないことも含めて、だ。
「は、はい、セツナです。よろしくお願いします」
「緊張しなくていい。彼は、王族だが、君のほうが立場としては上だ」
「お、王族?」
「彼の父上はジゼルコート伯なのだよ」
「そうだったんですか」
「彼が王宮にいるのは、領地に戻ったジセルコート伯の代わりでもあるのだ」
セツナは、レオンガンドの説明を聞きながら、ジルヴェールが意味ありげに微笑してくることが気になって仕方がなかった。
「さて」
レオンガンドが話題を改めるようにしたのは、彼が人払いをしてからのことだった。
謁見の間に残ったのは、レオンガンドとその四友、そしてジルヴェールとエリウスだった。どうやらエリウス=ログナーとジルヴェール=ケルンノールも四友と同列の側近に加えられているらしい。
エリウスといえば、セツナ暗殺未遂事件の責任を取って父親の首を差し出したことで、知っている。元ログナー王家の人間で、ログナー最後の国王でもあった。ガンディアへの降伏を決定したのは、彼の意志であり、彼が降伏を決意しなければ、ログナーとガンディアは泥沼の戦いを続けていただろう。もっとも、それによって多大な損害を被るのはログナーのほうであり、彼の判断は正しかったといわざるをえない。そして、ログナーがあのとき降伏したから、エイン=ラジャールは生き残り、ガンディアの軍師候補として頭角を現したのだ。
運命は、そのように複雑に撚り合わされた糸のように、絡み合っている。
「アバードでの話を聞きたいが、構わないかね?」
「はい」
「……大方の話は、ナーレスから聞いているが、君からも聞いておきたいのだ。セツナ」
「わたくしから……ですか」
「ああ。ナーレスは軍師だ。ナーレスの見ているものと、君の見たものとでは、差異が生じるのは当然のことだ。そして、その差異こそ重要なのではないか、とわたしは想うのだ。君がその目で見、その耳で聞き、その心で感じたことを、聞かせて欲しい」
レオンガンドの言葉は、セツナの胸に響いた。
だからだろう。
セツナは、素直に、アバードで見たこと、聞いたこと、感じたことを伝えた。
セツナがなぜアバードに赴くことになったのか。赴いた先でなにがあったのか。
まずは、龍府でのことを話さなければならなかった。
処刑されたはずのシーラと予期せぬ再会を果たしたのは、新たな領地として賜った龍府に赴き、龍府の人々に挨拶して回った後のことだった。そこでアバードでなにがあり、どうして彼女が生きていたのかを知った。そして、シーラを匿うことに決めた。独断だったが、そのことをいうと、レオンガンドは笑ってうなずいた。セツナならばそれくらいのことは許される、とでもいいたげな表情だった。もちろん、そのあとにナーレスに話を通したということも説明したのだが、レオンガンドは、それについてはナーレスから書簡で知らされたということだった。
さすがはナーレスといったところだろうか。
それが五月の頭のことだ。
それからすぐにファリアの誕生日があり、翌日の五月五日がセツナの誕生日だった。
五月五日、アズマリア=アルテマックスと遭遇し、ドラゴンをけしかけられたということも話した。黒き矛の力によってドラゴンの撃破には成功したものの、そのドラゴンがその場で生まれ変わり、セツナの下僕になったという話には、さすがのレオンガンドも驚きを隠せなかった。無論、ナーレスからドラゴンの話も聞いていたのだろうが、セツナ本人から聞かされるのとでは事情が違うのだろう。
レオンガンドは、セツナの下僕になったドラゴンについて興味津々であり、後で逢ってみたいといっていた。もちろん、断る理由はない。
本題は、それからだ。
アバードでの一連の出来事の始まりから終わりまで、セツナの知りうる限りのことを話した。
龍府でのロズ=メランとの接触から、シーラのアバード行きへの決意と、ナーレスの了承。セツナは、ナーレスの後押しもあってシーラとともにアバードに潜り込んだのだが、そこで様々な出来事があった。国境を越える際はラグナの力を大いに借り、シーゼルではシーラと夫婦を演じたということも話した。そして、シーゼルでシドニア傭兵団の残党と遭遇し、そこで黒仮面の召喚武装を用いたことも話した。
レオンガンドは、黒仮面の召喚武装に興味を持ったらしく、実演して見せて欲しいということで、セツナは黒仮面を召喚した。レムには悪いが、了承を取りに行く暇もなかったのだ。あとで謝らなければならない、などと考えながら、セツナは黒仮面の能力を披露し、レオンガンドや側近たちの感嘆の声に満足した。
そのあとで、黒仮面の召喚武装は、黒き矛よりも性能面で劣るため、あまり使う機会はない、ということも説明した。レムのこともある。今後、あまり使うことはあるまい。
黒仮面の能力によってシドニア傭兵団のエスク=ソーマを下し、シドニア傭兵団の協力を取り付け、彼らの助力によって処刑がセンティアで行われることを知る。センティアに潜り込み、処刑会場への潜入も、シドニア傭兵団の助力合ってこそのものであり、もしシドニア傭兵団の協力がなかったら、もっと強引な方法を取っていたかもしれない。
「強引な方法?」
「王都への突入、とかですね」
セツナがいうと、レオンガンドは、側近たちと顔を見合わせて、苦笑した。
強引にも程があるというのだろう。実際、強引としかいいようがなかったし、そんな方法を取ろうとすればシーラに引き止められただろうが。
無論、ほかに方法がなかったかというとそうでもないのだろうが、いまセツナに思いつく方法といえばそれくらいしかなかった。判断材料があまりに少なすぎる。そもそも、アバードへの潜入自体、行き当たりばったりだったのだ。
潜入そのものが、降って湧いたようなものだ。
ラーンハイル・ラーズ=タウラルとその一族郎党の公開処刑が行われるという報せがなければ、シーラみずからがアバードに舞い戻り、リセルグ王を説得しよう、などという騒動は起き得なかったのだ。シーラは黒獣隊のシーラとしての人生を始めていて、天輪宮での生活にも順応し始めていた。なにもなければ、彼女はアバードとは無縁であろうとしただろう。そうすることがアバードのためになると彼女は判断し、その判断もおそらく間違いではなかった。
だが、事情が変わった。
アバード政府が、シーラ派の残党を根絶するような動きを見せたのだ。このまま放っておけば、シーラ派に関わったすべてのひとびとに累が及ぶのではないか。アバード史上類を見ない大粛清が始まろうとしているのではないか。
シーラがいてもたってもいられなくなったのは、当然だったのだろう。
それが、シーラ・レーウェ=アバードという人間の本質であり、アバード政府(セリス王妃)の依頼をを受けた騎士団騎士たちは、その本質を利用した。
ラーンハイルと一族郎党の公開処刑は、シーラをあぶり出し、おびき寄せるためだけの方便であり、ラーンハイルは、そのときには既に処刑されていたことが、後に明らかになっている。
話が逸れた。
ともかく、セツナは、センティアの闘技場に潜り込み、そこでリセルグ王の影武者と遭遇し、さらにベノアガルドの騎士団と対峙したことも報告した。シド・ザン=ルーファウス、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァス。そして、彼らの口ぶりから、アルベイル=ケルナーが十三騎士のひとり、テリウス・ザン=ケイルーンだという可能性が高いことも、伝えた。
騎士みずからが情報収集を行っていたかもしれないという情報には、レオンガンドも怪訝な顔をした。にわかには信じがたい話であり、セツナも可能性があるということを強くいった。もっとも、アルベイル=ケルナーの正体がテリウス・ザン=ケイルーンだったところで、ガンディアにできることなどなにもない。
憂慮するべきは、アルベイル=ケルナーと繋がりを持っていたジゼルコートが、ベノアガルドとも繋がったという可能性だが、それは、アルベイルの正体とは関係がない。騎士であろうと、ただの諜報員であろうと、繋がりを持つことはできるからだ。
それから、十三騎士が常人とは思えないような戦闘能力の持ち主だったということも報告した。黒仮面では対処しきれず、黒き矛を召喚しなければならなくなるほどの相手であり、それも、全力を出し切っていないことは明らかだった。
「ベノアガルドか。戦うことにならなければよいのだがな……」
レオンガンドの感想には、セツナも同意するしかなかった。
それからセンティアの闘技場を辛くも脱出し、センティア南部の砦に隠れていたこと、隠れている間にガンディアが立ち上がり、アバード領に攻め込んできて驚愕したことを告げた。そして、シーゼルへ向かい、ナーレス率いるガンディア軍と合流、総大将に任命され、受諾し、王都バンドールへの侵攻と続く。
王都侵攻の総大将となったものの、采配を振るったのはエイン=ラジャールであり、戦いに勝利したのは、エインの巧みな戦術のおかげであるとした。
そして、戦いの中で起きたことも伝えた。
騎士団騎士との戦い、王都への転移、王宮での出来事。
アバード王家の問題。
なにもかも話すと、レオンガンドは、難しい顔をして、いった。
「どこの国も問題を抱えているものだな」
彼の発言には、実感が篭っていた。




