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第千六十四話 日常への帰還

 戦いは、終わった。

 アバードを巡る大騒動は、壊滅した王都のガンディア軍による制圧という事態によって幕を下ろしたのだ。

 アバードはガンディアに降伏し、属国となった。

 ガンディアは、支配国であるアバードの王都を復興させるため、尽力することを誓い、アバード戦争にアバード側で参加したベノアガルドもまた、王都の復興に助力を惜しまないことを約束した。シャルルムは王都から早急に去り、タウラルに軍を引き上げた。つまりタウラルは依然シャルルムの支配下にあるのだが、それは当然のことだ。どさくさに紛れたとはいえ、シャルルムが独力で制圧したことに違いはない。アバード全土がガンディアの支配下に入ったとしても、タウラル一帯はシャルルム領なのである。

 問題となったのは、アバード国王の座が空席だということだった。

 戦争の最中、アバード国王リセルグ・レイ=アバードが王妃セリス・レア=アバードとともに死亡したことは、戦後、大きな衝撃となってアバード中を駆け抜けた。それも、イセルド=アバードによって殺害されたということで、アバード全土が悲しみに包まれた。

 セイル・レウス=アバードの主導により、国葬が執り行われ、アバード全体が喪に服したのは、七月頭のことだ。

 ガンディアの勝利によってシーラ・レーウェ=アバードの王位継承権が復活される運びとなったはずだったが、シーラ自身がこれを辞退した。王都を破壊したものに国王になる資格はないという辞退理由には、万民が納得し、ガンディアも納得せざるを得なかった。これにより、王位継承権は宙に浮いたかに思えたが、シーラの推薦や政府の意志により、セイル・レウス=アバードが王位を継承することになった。

 イセルドとセリスの子であるというセイル・レウス=アバードの真実は、闇に伏せられた。たとえイセルドの子であろうとも、アバード王家の直系であることに変わりはなく、王となることになんの問題もない、ということもあるだろう。これが王家とは関係のない血筋だったのならば大問題だが、そうではなかった。イセルドはリセルグの実弟であり、アバード王家の直系なのだ。血統こそ重視するのならば、なんの問題も生じ得なかった。もっとも、真実を明かせば大問題となりうる可能性もあったため、秘せられたのだが。

 アバードの混乱の原因のほとんどは、イセルド=アバードに被せられた。

 そうするよう指示したのはエインであり、彼がそれを考えついたのは、イセルド=アバードとリセルグ王の影武者であるシーザー=ガンラーンの口論を目の当たりにしたからであり、イセルドが野心を持っていたことをシーザーの口から明らかにされたからだ。すべての元凶がイセルドであると捏造することで、多くの物事を解決しようとした。そのことには、イセルドの妻子が反論してきた――アバードを愛するイセルドがそのようなことをするはずがない、などといってきたのだ――が、ガンディア軍という無言の圧力の前には沈黙するしかなく、アバードの歴史上最大の悪人として、イセルド=アバードの名が知られることになった。

 そして、イセルド=アバードという贄の存在によって、シーラの罪は帳消しになったといってもいい。

 シーラの売国行為も、アバードをイセルドという大悪人から解放するために仕方なくやったことであり、シーゼルの制圧からバンドールを巡る戦いも、それらの戦いで出した犠牲も、イセルドを打ち倒すためには必要不可欠なものだったということになった。

「なんつーか……大概だな」

 セツナは、エイン主導の戦後処理を目の当たりにして、憮然としたものだった。リセルグとセリスの死を目の当たりにしているセツナからすれば、すべてをイセルドの責任にするのは、なんとも言いがたいものだったのだ。そしてそれが、ガンディアの大義を絶対的なものにするための事実の改竄だから、憮然となる。

 そして、考えるのは、あのときのことだ。玉座の間にいたのは、王と王妃、セツナとシーラだけではない。ほかにもリセルグとセリスの死を見ていたものはいて、リセルグの告白を聞いていたものもいる。彼らが真相を漏らさないとは限らないのだが、エインのことだ。なんらかの手を打っているだろう。そのことを考えると、暗澹たる気分にならざるをえない。

「歴史は勝者が作るものよ」

 ミリュウが嘆息とともに告げてきたのは、彼女の記憶の中の膨大な歴史がそうさせるのかもしれない。何百年にも及ぶ記憶が、彼女の頭の中に封印されている。彼女の言葉の妙な説得力には、そういったものが関係しているのかもしれない。

「そして、時間が勝者の正義を肯定していくわ」

 時間。

 時が流れれば、真相を確かめる手段は失われていく。真実を知るものもいなくなり、やがて、完全に歴史の闇に葬られていく。数十年、数百年後には、アバードの動乱はイセルドが首謀者となり、シーラはアバードを取り戻すために戦った悲劇の姫、となるのかもしれない。

 そして、その偽装された真実はいま、アバード中で受け入れられ始めている。下地はあったのだ。シーラの国民的人気という絶大な下地が。

 その結果、シーラ女王待望論が再燃したのだが、シーラはそういった反応に対してなんの興味も示さなかった。自分はもはや王家の人間ではない、というのが彼女の立場だ。

 王都での宣言により、彼女はアバード王家との関わりを絶っている。シーラは、シーラ・レーウェ=アバードではなく、ただのシーラとなり、セツナ預かりの身分へと、戻った。つまり、黒獣隊長だ。以前とは異なるのは、これからは正体を一切隠す必要が無いということであり、大手を振って、黒獣隊長として振る舞えるということだろう。

 アバード政府もアバード国民もシーラが王家から去るのを悲しみ、残念がったが、シーラ自身は後ろ髪を引かれているという様子もなかった。ただ、王家を去るということは、セイル王子の力になることもできない、ということだけは残念がっていたが。彼女にとってセイル王子は、異父弟だということが明らかになったものの、実の弟であることに変わりはないのだ。

 アバードは今後、ガンディアの属国として、次期国王セイルの元で統治されていくことになる。シーラは、外部から見守ることしかできないが、それでいい、という。

「それが俺の選んだ道だからな。父上と母上には、悪いけどさ」

 喪が開けるまではアバードにいたいという彼女の望みは、セツナの立場もあって叶えられなかった。

 アバードの騒乱が一応片付いたこともあって、セツナはガンディアに呼び戻されたのだ。領伯近衛・黒獣隊の隊長であるシーラは、当然、セツナに同道しなければならない。

「シーラが残りたいというのなら残っても良かったんだけどな」

「ううん。それはいいよ」

 シーラは、目を閉じて首を横に振った。白髪が揺れて、少し眩しかった。

「本当にいいのか?」

「ああ。決めたことだ」

 馬車は、既に動き出していた。王都を発てば、そう簡単には戻れなくなる。

 ガンディア軍のうち、エイン=ラジャールを始め、王都に残る連中と別れを告げ、セツナたちを乗せた馬車は、一路、シーゼルに向かう。そしてシーゼルからは龍府へ行くことになっている。シーゼルでの再会を楽しみにしていたナーレスはいま、龍府にいるらしいという情報が入っているのだが、セツナたちが辿り着くまで龍府に滞在しているかどうかは定かではない。ナーレスがエンジュールでの長期療養に入る予定だということをエインから聞いていた。エインもシーゼルからの報告で知った話らしく、驚いていたが、一方で、安堵もしている様子だった。ナーレスが生きているということがわかったからだ。

 セツナも安心した。

 ナーレスは、ガンディアになくてはならない人物だからだ。

 シーゼルに向かうのは、セツナたちを乗せた馬車だけではない。ガンディア軍ザルワーン方面軍の第一軍団もシーゼルに向かっている。ザルワーン方面から交代の軍団が来るまでの間、シーゼルに駐屯する予定であるらしい。

 そして、シドニア傭兵団の生存者二十六名も、同道している。エスク=ソーマ率いる荒くれ者たちが正式にセツナ配下に加わるのは、この先、正式な契約を交わしてからのことになる。もちろん、傭兵としての契約ではない。シドニア傭兵団は廃業となるが、セツナの私兵部隊のひとつとして、シドニアの名は残ることになる。どのような組織になるのかはエスク次第だが、荒くれ者揃いの傭兵集団だったのだ。武闘派の部隊となることは、間違いない。

 黒勇隊、黒獣隊、それにシドニアの戦闘団。セツナ配下の戦闘部隊は、少しずつではあるが、充実しつつあった。

 そんなことを考えていると、シーラが、思い出した様にいってきた。

「それに、約束しただろ?」

「約束?」

「なんだよ、忘れたのかよ。ひっでえなあ」

 シーラがあからさまに不機嫌な顔になった。すると、ミリュウとレムが急接近してきた。セツナたちは、荷馬車の荷台に乗っている。人数が多い上、荷物も少なくないからだ。ついでに荷物も運んでしまえばいいというセツナの提案にエインたちのほうが恐縮してしまうほどだった。

 荷台にいるのは、《獅子の尾》の面々と、レム、ラグナ、シーラだ。黒獣隊の隊士たちは、別の馬車に分乗せざるを得なかった。ただでさえ息が詰まりそうなほどに乗り込んでいるのだ。そこへさらに五人も追加すれば、馬車そのものが動かないのではないかと思えた。

「約束ってなによ?」

「なんなのでございましょう?」

「てめえらにゃ関係ねえっての!」

 ふたりの追求に対して、シーラはなぜか顔を真赤にした。ミリュウとレムがきょとんとし、顔を見合わせる。

「関係大有りよ、ねえ?」

「はい、もちろんでございます」

「なんでだよ!」

「セツナ主義者のあたしに関係ないことなんてないわよ!」

「セツナ様の従僕であるわたくしに無関係なことなんてございませぬ!」

「だーっ! もうっ、うるせえっ!」

 シーラが怒鳴りちらしてミリュウとレムの追求から逃れようとしたが、そんなことでふたりが退くわけもない。広い荷台の中を移動するシーラを追いかけるふたりを見やりながら、セツナは隣で書類の確認をしているファリアに尋ねた。

「なんでこういうときだけ息が合うんだ?」

「さあ?」

 ファリアは、まるで興味がないとでもいいたげに、書類をひとつひとつ確認している。軍に新式装備に関する報告書を提出しなければならないらしく、彼女とルウファは頭を悩ませている様子だった。《獅子の尾》の事務仕事といえば、副長と隊長補佐の分担ということになっている。ミリュウはただの隊士であり、セツナは読むことはできても、書物は苦手だ。レムは《獅子の尾》と無関係であり、そもそも新式装備を着用してもいない。専属医師であるマリアとエミルは論外だ。論外なのは、人外のラグナも同じことではあるが。

「教えねえよ!」

「なんでよ、教えなさいよ!」

「そうです! 教えて下さいまし!」

「だれが教えるか!」

 しつこいふたりにほとほと困り果てたようなシーラの様子を眺めながら、セツナは、苦笑を浮かべた。シーラが元気を取り戻したのは喜ぶべきことなのだろうが、シーラ本人としては、こんなことで元気になりたくもないだろう。

「いつにもまして元気じゃのう」

 といったのは、ラグナだ。生まれて二ヶ月足らずのドラゴンは、その愛らしい外見とは裏腹に、この場にいるだれよりも老成している。それもそのはず。彼は転生竜というドラゴン(そうみずから名乗っている)であり、何万年もの間、生と死を繰り返してきているのだ。転生のたびに記憶を失うわけではないらしく、蓄積された記憶が、彼の人格を老成したものにしているに違いない。

「そうだな……ようやく、終わったからな」

「これで龍府に戻れるのか?」

「龍府、気に入ってるんだな」

「うむ。特に天輪宮はよいぞ。おぬしの頭の上に次ぐぐらいにはのう」

 などと、ラグナはセツナの頭の上でくつろぎながらいった。くつろいでいるというよりは、ぐったりとしているといったほうが、正しいのかもしれない。ラグナは、アバードの一連の騒動で、転生してからここに至るまで蓄積していた魔力のほとんどを使いきってしまったのだ。それも、シーラを護るためであり、彼がいなければ、セツナもシーラももっと窮地に立たされていたかもしれない。そういう意味でも、セツナは彼に感謝していたし、だからこそ、彼がセツナの精神力を吸って己の魔力としているということも黙認していた。

 セツナの頭の上を定位置としている大きな理由のひとつが、それであるらしい。

「そうか。だったら残念だったな」

「む?」

「龍府は素通りだ」

「なぜじゃ!?」

「王都に向かうからな」

「むう……」

「そしてそのままルシオンへ~」

 ファリアが軽薄そうな声でいった。ファリアもまさか、王都に向かい、そのままルシオンまで行くことになるとは想像もしてなかったらしい。もっとも、エインにとっては想定の範囲内の出来事であるらしく、セツナを含め、《獅子の尾》の忙しさに対して同情の言葉を寄せてくれたりもしている。とはいえ、忙しいのはエインも同じだ。

 エインは、アバードでのガンディアの代表として働き詰めの日々を送っている。レオンガンドからアバードに関する全権を与えられたナーレスによって総大将と任じられたのがセツナであれば、そのナーレスに決戦の軍師に任命されたのがエインだった。セツナが王都に呼び戻された以上、エインがアバードにおける責任者になるのは必然だった。

「長旅だなあ」

「せっかくの長期休暇を台無しにして、さらにつぎの戦い……大変ねえ、領伯様も」

「領伯どうこうじゃねえけどな」

 セツナは、ファリアの妙に軽い言い回しが気に入って、笑ってしまった。きっと、あまり深く考えずに発言しているのだ。書類との睨み合いのほうが大切なのは、当然のことだ。

「ルシオン……か」

「そういえば、セツナはルシオンにいったことなかったのよね」

「ファリアはあるんだ?」

「あるわよ。リノン様にお呼ばれしたことがあってね」

「そっか。ファリアってリノンクレア様と仲が良かったんだったな」

 リノンクレアとは、リノンクレア・レーヴェ=ルシオン。つまり、ルシオンの王子妃のことだ。彼女は、レオンガンド・レイ=ガンディアの実の妹であり、ガンディアとルシオンの紐帯を強くするための政略結婚で、ルシオンの王子ハルベルク・レウス=ルシオンの元に嫁いでいる。リノンクレアがファリアと親しい間柄だということは、セツナがリノンクレアを初めて見たときにわかったことだ。

「仲良くさせていただいているわ。どいういうわけか、ね」

「どういうわけかってなんだよ」

「さあね」

「ファリアさんって昔から王家の方々とつながりがありますよね?」

 ルウファが書類を脇において、身を乗り出してきた。彼は荷台の片隅に小さな机を起き、そこで書類の作成に取り掛かっていた。揺れる荷台で書物をするなど正気の沙汰ではないように思えるのだが、彼には手慣れたことらしい。事務仕事が板についているのだろう。ちなみに、エミルとマリアは別の馬車にいる。それは疲労困憊のマリアの要望であり、エミルはそんなマリアを放ってはおけないから、ということで別の馬車に乗っているのだ。

《獅子の尾》の面々が常ににぎやかなのは、《獅子の尾》専属の軍医である彼女には身を以て理解していることであり、少しでも休みたいときは距離を取るに限ると判断したのも無理からぬことだった。ルウファはエミルと一緒ではないことを嘆き悲しんでいたが、マリアの休息の邪魔をすることもできず、仕方なしにこちらの馬車に乗っている次第だった。だから、仕事に打ち込んでいるといっても過言ではないのかもしれない。

「昔から……っていうほど昔じゃないけど」

 ファリアが書類を膝の上に置いた。その仕草に合わせて、セツナの目線も移動する。

「そうね。それなりに長い付き合いになるわね」

「なんでです?」

「陛下が武装召喚術に興味を抱いておられたからよ」

「陛下が」

 反芻して、納得しかけたルウファに対し、ファリアは付け足すようにいって彼を驚かせる。

「そ、シウスクラウド陛下が、ね」

「ええ!?」

「武装召喚術を用いれば病を克服できるかもしれないでしょ? だから」

「なるほど……」

「結局、わたしではなんのお役にも立つことができなかったけれど……そのときのご縁で、当時王子だったレオンガンド陛下やリノンクレア殿下と知り合いになったってわけ」

「そういうことだったんですね……」

「役に立てなかったって、運命の矢は?」

 セツナは、ファリアの目を見ながら、一年ほど前のことを思い出した。

「あれ、俺を瀕死から救ってくれたよな?」

「運命の矢は、万能じゃないのよ」

 ファリアがため息をつくように、いった。

「生命力を最大限に引き出すために寿命を削るのが、オーロラストームの運命の矢なのよ。当時、陛下は既に高齢で、寿命を削ることなんてできるわけがなかったのよ」

「……そういうことか」

「納得できたかしら」

「ああ」

「ってことは、隊長の寿命、削られてるってことですか」

「そういうこと」

「どれくらいかは、わからないけどね」

 ファリアが少しばかり後ろめたそうにつぶやいたが、セツナは、まったく気にしてもいなかった。

「つまり、わたくしの命もそれだけ短くなった、ということでございますね?」

「死人がなにいってんのよ」

「酷いです」

「仮初めにも蘇ることができたんだから、それで良しとしなさいよね」

「もちろん、そのように考えておりますよ?」

「だったら、いいじゃない」

「はい」

レムがにっこりと笑うと、ミリュウは困ったような顔をした。息の合うときと合わないときとでは、勝手が違うとでもいうような反応だった。

 セツナにはまったく理解できない関係ではあったが。

 馬車は、シーゼルを目指して進んでいく。

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