第千六十三話 廻る想い
会談は、ガンディアとベノアガルドがアバードと協力し、バンドールの復興を目指すという結論に至った。
また、シーラの宣言を受け、リセルグ王の死後、空席となった王位にはセイル・レウス=アバードが着くことにもなっており、王位継承は、リセルグ王とセリス王妃の国葬が終わり、喪が開けてからの事になる予定となった。国葬は、数日以内に行われることになっていて、喪が開けるのはそれから一月後のこととなる。
つまり、最短でも八月まではアバード国王の座は空席ということになる。が、特に問題があるわけではない。リセルグ王の死後、一時的に機能不全に陥ったアバード政府だったが、昨日の夜半には、セイル王子を頂点とした新組織として機能し始めていたのだ。それは、有能な大臣たちがだれひとり欠けることなく生きていて、リセルグの死後、すみやかに政府の機能の回復に務めたからだろう。
エインはそんな有能な人物たちでも、時には判断を見失い、アバードの混乱を加速させることを不思議に思ったりもした。
そして、そんな優秀な人物たちがいる限り、セイルが成長するまで安心していられるだろうとも考えた。ガンディアが睨みを効かせている限り、彼らが愚行に走ることは、あるまい。
シーラをアバードの女王に据え、傀儡政権にするという目論見こそ(当初の予定通り)失敗に終わったものの、アバードはガンディアの支配下に入っている。立場としては、ベレルと同じだ。つまり、属国であり、ガンディアとは主従関係にある、ということになる。いまはまだ仮初の約束ではあるものの、セイルが王位を継承した暁には、正式に属国となる予定だった。
二十八日、夜。
エインは、肉体的、精神的な疲労に苛まれながら、夜風に当たるため、廃墟と化した町並みを見ていた。廃墟には、ガンディア、ベノアガルド、アバードの兵士たちが協力して作り上げた被災民の仮住まいともいえる天幕が無数に並んでいる。資材は、シーゼルやヴァルターからつぎつぎと運び込まれており、数日以内には、王都の全市民分の天幕が完成する予定だった。無論、王都から離れるものも少なくない。シーゼルやヴァルターに疎開しようという動きもあった。それでも王都を離れない人々のほうが多く、そういった被災民を救援するのが急務であり、そのためにベノアガルドの騎士団が率先して動くというのは、エインにとっても想定の範囲外の出来事ではあった。
確かにベノアガルドの騎士団は、援軍としてアバードにやってきており、アバードのために行動するというのはわからない話ではないのだが。
そして、シドのいっていたことが騎士団の理念ならば、今後、ガンディアがベノアガルドと敵対する可能性は低いのではないか、とも想えた。騎士団の目的が救済ならば、ガンディアと戦う理由はない。ベノアガルドがガンディアを敵に回すことに意味がないからだ。
そんなことを考えている。
「軍師様がひとりで出歩いて、大丈夫なのか?」
唐突に投げられた問いに、エインは思わず笑顔になってしまった。夜の空の下、初夏の空気は熱を帯び、むしろ暑いといったほうがいい。そんな熱気も吹き飛ばすような感動を抱いたのは、単純に、声の主が現れ、声をかけてくるなど想像していなかったからだ。
「まあ、俺になにかあっても、アレグリアさんがいますから」
「でも、おまえがいなくなれば、悲しむ人間だっているだろ」
「そうですね……セツナ様は、悲しんでくれますか?」
「当たり前だろ」
「……当たり前」
「そりゃあそうさ。おまえは大事な仲間だからな」
「仲間……か」
反芻するだけで胸が熱くなるのは、なぜだろう。初夏の熱気のせいだとは、とても思えない。妙な感覚の中で、天を仰ぐ。頭上には星々が瞬いていて、晴れ渡った夜の空を演出している。夏の夜空。綺麗で、じっと見ていても飽きない。星空を眺めながら戦術を想像するのも、一興だろう。星の一つ一つが駒であり、黒い闇の空こそが戦場だと想定すれば、いくらでも戦術が浮かび上がる。しかし、空想の戦術など、なんの意味も持たないまま立ち消え、記憶からも消えて失せる。机上の空論。砂上の楼閣。なんの意味もない。ただの暇つぶし。時間つぶしにしか、なりえない。
ついくだらないことを考えてしまったのは、彼を直視できないからだ。
振り向けばそこにいる。すぐ後ろに、立っている。たったひとりで、だろう。いつもついているはずの従者もいなければ、愛人と噂される美女もいない。ましてやドラゴンもだ。たったひとりで、背後に立っている。
彼もまた、ひとりになりたかったのかもしれない。
彼も、色々と抱えているのだ。
問う。
「シーラ様を救ったのも、それが理由ですか?」
戦いの最中、王都に現れ、破壊を撒き散らしながら戦場を蹂躙した巨大獣。白毛の九尾の狐。その圧倒的な力を持つ化物を倒すため、敵対していた四つの軍が力を合わせた。エインはその隙にドルカ軍とともにバンドールの制圧を目論見、成功したのだが、それもこれも、セツナならばあのような怪物も倒してくれるだろうという確信があったからだ。巨大で圧倒的とはいえ、ザルワーンの守護龍やクルセルクの巨鬼ほどではなかった。セツナならば倒しきれるだろう。
だが、彼は九尾の狐を倒さなかった。
倒すということは、シーラを殺す事になったからだ――ということは、後から知ったことだが。
「まあ、そうなるかな」
セツナが、静かに認める。少しばかり、照れくさそうに。
「セツナ様らしいですね」
「そうかな」
「はい」
うなずき、考えながら言葉を続ける。セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドという長い名前の人物のことについては、エインは、だれよりも詳しいという自負があった。当人や常に側にいる《獅子の尾》の連中よりも、だ。常にセツナの動向には目を光らせているし、彼の周囲からの情報収集も怠らない。セツナのことを考えない日はなかった。彼のことを考えることこそ、活力源といっても過言ではなかったからだ。
「困っているものを放ってはおけない。手を差し伸べずにはいられない。どんな状況でも決して諦めない――実にセツナ様らしいと想いますよ」
「そんな大袈裟なことじゃないさ」
「そうですかね」
「うん」
セツナが、小さくうなずく。
夜風が頬を撫でる。廃墟と化した町並み。瓦礫の撤去作業は遅々として進んでいない。まずは被災民のための天幕を用意することが先決であり、手当や炊き出しにも人員を割く必要があったからだ。瓦礫の撤去作業が本格化するのは、ヴァルターやシーゼルなど、アバードの各地からの人員が到着して以降のことになるだろう。バンドールの復興は、当分先のことになるということだ。ガンディアからも人員を集める必要があるだろう。
「……たとえば」
つぶやいて、息を吐く。なにをいいたいのだろう。なにを、聞きたいのだろう。言葉にしてから、自問し、困惑する。セツナとふたりきりという感覚が、エインの精神状態に異様なものをもたらしている。妙な熱量を感じる。興奮しているのか、昂揚しているのか、いずれにせよ、常とは違う感覚が、彼の意識を支配していた。
もう一度、口にする。
「たとえば、ですけど」
「なんだ?」
「俺が困っていたら、助けに来てくれますか?」
「は? なにいってんだ?」
セツナの頓狂な声は、あまりにも馬鹿馬鹿しい、とでもいうかのようであり、エインは肩を落としかけたが。
「当たり前だろ」
セツナの言葉が、エインの鼓膜に突き刺さる。
(当たり前……か)
胸中で反芻して、笑ってしまう。確かに、当たり前のことならば、馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのかもしれない。セツナにとっては馬鹿馬鹿しい質問だったのだ。だから、彼はあんな態度を取った。そのあとに言葉が続いていなければ勘違いされるような態度だったが、それもまた、セツナらしいといえば、らしいのかもしれない。
答え自体も、セツナらしいものではあったが。
「……なんていうか、セツナ様って卑怯ですよね」
「なにがだよ?」
セツナは、不服そうにいってきた。。声が頭上から降ってきたのは、彼が空を仰ぎながらいったからだろう。背丈はそれほど変わらない。エインのほうがわずかに低い程度に過ぎない。年齢も近い。違うとすれば立場であり、役割であり、考え方であろう。そしてそれらの違いは、埋めようのないものだ。
「ですから、そういうことをさらっといえるのが、卑怯かなーって」
「あのなあ、俺は聞かれたから答えただけだぞ」
「聞かれなくてもいってそうです」
「……はあ」
セツナが嘆息とともに肩を落としたのが、気配でわかる。
「ですけど、嬉しかったですよ」
「ん? なにが?」
「ふふ……なんでもありませんよ。さて、寝床に戻りましょうかね。部下たちも心配しているでしょうし」
「そうだな……俺も早く戻らないと、レムとラグナにどやされる」
セツナが苦笑気味にいった。きっと、早く戻らないと、レムとラグナだけでなく、ミリュウやファリアにもどやされるに違いない。モテる男は辛いのだ。
「お互い、大変ですね」
振り向くと、セツナが首の後で腕を組んで、こちらを見ていた。やはり、身の丈はそれほど変わらない。いや、セツナはわずかに背が伸びているように見える。気のせいなのか、未だに成長しているのかは、わからない。が、どうでもいいことだ。セツナの身長が伸びようと変わらなかろうと、エインとの関係が変わるわけもない。
「ま、悪くはないさ」
「はい」
にこりと、微笑む。
彼も笑っていた。その笑顔を見れただけでも十分過ぎる。エインはそんな風に想い、彼に頭を下げた。
「では、また……」
「おう、明日な」
威勢のいいセツナの反応が嬉しくて、エインは笑顔になった。
笑顔のまま、帰路につく。
やらなければならないことは数多にあり、そういった物事が意識を埋め尽くす中、セツナとの会話は、彼に力を与えるものだった。久々に、セツナとゆっくり話し合えた気がするのは、気のせいではあるまい。少なくとも、ふたりきりで話し合うことができたのは、本当に久々だった。いつ以来だろう。思い出すのも億劫になるくらい前のような気がした。元よりエインは軍団長で、セツナは王立親衛隊長だった。互いに立場があり、会話するとなれば戦争のとき以外にはなかった。エインが参謀局に入ってからは、ますますそうなった。それでも構わない。エインは、遠くからセツナの活躍を見ているだけでも十分だったからだ。
セツナが黒き矛を用い、敵という敵を打ちのめし、ガンディアに勝利をもたらしていく。ただ、それだけで嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。エインは、黒き矛のセツナが好きなのだ。圧倒的な力を持ち、絶対的な死を告げる怪物。そんなセツナだから惚れたのだし、そんな彼だから、エインは力を尽くそうと想うのだ。
エインが軍師を目指すのは、彼の力になるためでもあった。
ガンディアの将来を背負って立つのは、間違いなくセツナだ。
彼は、いまやガンディアの英雄となった。
ただひとりで戦場を支配する少年は、ガンディアに必要不可欠な存在となり、立場的にも不動のものとなった。王宮召喚師。王立親衛隊《獅子の尾》隊長。エンジュールと龍府という領地を持つ領伯。戦場での役割こそ変わっていないものの、総大将を任せられるほどの立場になったのは、大きい。
このまま戦功を積み重ねていけば、いずれ、軍の頂点に立つことだって、ありうる。大将軍よりも上の位置づけになることだった十分にありうるのだ。そのとき、彼の補佐をするのは、彼の部下たちではなく、軍師であろう。そして、彼の派閥こそ、彼の力になるのだ。
派閥。
セツナは望んでもいないことだろうが。