第千六十一話 会談
王都の中心でシーラによる演説が行われているちょうどそのころ、王宮跡地の一角では、四国の代表による会談が持たれていた。
王宮も廃墟と化している。壮麗だったのであろう建造物が跡形もなく破壊され尽くし、様々な瓦礫が山のようにうず高く積み上げられていた。王宮の被害額だけで相当な金額に登りそうであり、王都全体を含めるととんでもないことになるだろう。考えたくもないことだが、いずれ直視しなければならない問題でもある。
まず間違いなく、バンドールの復興にはガンディアから費用を出さなければならなくなるからだ。バンドールはアバードの首都で、破壊したのはシーラだが、シーラを利用したのはガンディアであり、また、アバードは、ガンディアに降伏している。ガンディアの支配下に入ったと言っても過言ではないのだ。アバードがガンディアを頼るのは当然のことだったし、ガンディアが応じるのもまた、当然といってよかった。敗戦国にのみ費用をださせるわけにもいくまい。評判もある。
そもそもが、この戦争自体、周囲の評判を買うために大義を偽り、欺いたものなのだ。ここでバンドールの復興費用をアバードに全額出させるとなると、偽善も偽善だという糾弾を受けなくてはならなくなるかもしれない。
評判は、大切だ。
ガンディアにこそ大義があり、正義があるという評判は、ガンディアの今後の領土拡大に大いに役に立つ。ガンディアと戦うことになったとしても、降伏すれば悪いようにはしないだろうという風潮が生まれれば、降伏もしやすくなる。つまり、戦争が長引かずに済むかもしれなくなるのだ。工作もしやすくなるかもしれない。
ナーレスが評判に拘るのも、いまならばよく理解できた。参謀局第一室長の立ち位置からでは見えなかったことだ。仮初めにも軍師という立場を与えられたからこそ、理解できたと言っても過言ではない。
立場を変えることで、視野が広がることで、見えてくるものもあるということだ。
エイン=ラジャールは、廃墟の一角に設けられた会談の席で、そんなことを考えていた。広い天幕の中、今回の戦争に参加した四国の代表が集まっている。ガンディアからは、総大将のセツナではなく、軍師を務めたエインが、シャルルムからは、総大将であったはずのザンルード・ラーズ=ディンウッドではなく、軍師ルヴ=シーズエルが参加している。ベノアガルドの代表は十三騎士のひとり、シド・ザン=ルーファウスであり、アバードは王子にして次期国王セイル・レウス=アバードが双牙将軍ザイード=ヘインとともに参加していた。
天幕の中に用意された卓と椅子は、王都の外周付近の無事だった家から持ってこさせたものであり、王宮の雰囲気にはそぐわないものだったが、王宮が廃墟と化している以上、どうということはない。それに、天幕そのものが王宮の雰囲気にあってはいない。なんの問題もないということだ。
会談は、戦後処理と、アバードの今後に関するものであり、そのために戦争に関わった四国の代表が招集されたのだ。
会談は、既に終盤に差し掛かっている。
「アバードは今後、ガンディアの傘下に入る、ということでよろしいですね?」
「降伏した以上は、ガンディアのお望み通りに」
「しかし殿下……」
「これでよいのだ。わたくしたちは負けた。負けたのならば、なにをいうことがある。敗者の弁に意味などない。そういったのは、将軍ではないか」
「ですが……」
「殿下のほうが潔いようですね、将軍」
ルヴ=シーズエルがにこやかに告げると、ザイード=ヘインは、その厳しい顔を怒りで蒼白にさせた。しかし、セイルの手前、怒りをぶつけることもできず、黙りこむ。そんなザイード将軍の反応をつまらないものでも見るように見て、ルヴは肩を竦めた。シャルルムの軍師は中々に肝の据わった人物のようだった。
(局長が気に入っているだけはある)
エインは、先程からのルヴの振る舞いに、胸中で苦笑を浮かべた。ナーレス=ラグナホルンが彼と手紙のやり取りをしているという事実を知ったのは最近のことであり、ナーレスが他国人にそれほどまでの興味を持っていることには驚きを禁じ得なかったものだ。しかし、よくよく考えてみると、つねに周辺諸国の情報を集めている軍師にしてみれば、他国の際立った人材に興味を抱き、交流を持ってみるというのもありえない話ではないのかもしれない。
深く交流を持った結果、ルヴを利用し、戦いを思った通りに運ぶことができたのだ。
もっとも、九尾の狐が現れ、王都に壊滅的な被害がもたらされるとは思っても見なかったが。
「まあ、我々としてはアバードがどうされようと構いませんよ。ガンディアには、説明を求めたいところですが」
「説明?」
「我々に攻撃したことに対して、ですよ。我々はガンディアに攻撃する意図はなかった。そのことは、重々承知だったはずです。少なくとも、ナーレス殿ならば、それくらいのこと、見抜いておられるものだと思っておりましたが」
「やはり……」
とつぶやいたのは、ザイード=ヘインだ。アバード軍の指揮を取っていた彼には、シャルルムとガンディアが共同戦線を張っているかのような動きが気にかかっていたのだろう。
「傭兵が勝手にやったことです」
エインは、しれっといった。そして、それが事実だった。シドニア傭兵団なる傭兵組織が、こちらの命令を無視し、シャルルム軍に攻撃を加えたのだ。誇張一切なしの事実であり、そのことについてはことさらに演技をする必要さえなかった。
「ほう……。セツナ伯の命令だという口上を聞いたものがいるのですが?」
「勝手な言い分でしょう。あの傭兵たちがなにを考え命令を無視したのかはわかりかねますが、我々としてもほとほと困り果てましたよ。彼らが貴軍を攻撃したがために、貴軍の攻撃を受けるはめになり、戦わざるを得なくなってしまったのですから」
エインは、微笑すら浮かべて、言い切った。ルヴの追求については想定済みだったし、そういった疑問に対しての答えも用意してきている。そしてそれは、ルヴの想定通りの展開であるはずだ。ルヴはナーレスが見込んだ軍師だ。エインの策を見抜き、利用し、ザンルードの暗殺をやり遂げている。
「それは詭弁でしょう」
「……まったく、なにを聞くのかと思えば、そんなことですか」
シドが口を挟んでくる。
「そのようなことは、この場で話し合うべきことではないでしょう? 我々が顔を突き合わせ、話しあうべきことは、アバードの今後について、バンドールの復興についてのことであるべきです。いまも王都のひとびとは困窮し、救いの手を待ち侘びている。そんな状況で、くだらない言い争いに時間を咲いている暇はないのではありませんか?」
「くだらない言い争いとは、失礼な方だ」
「しかし、事実です。戦争責任についての話し合いも、勿論、重要でしょうし、必要不可欠でしょう。ですが、いまもっとも重要視するべきは、このバンドールの現状を直視し、様々な問題を解決するために、我々がどうするべきか、ということです」
「確かに、そうなのかもしれませんが」
ルヴは、シドを見つめ、それから軽く肩を竦めた。嘆息とともに告げてくる。
「それについて、我が国が口を出すことは、なにひとつありませんよ。王都の惨状に我が国は一切関与していません。話によれば、シーラ王女殿下おひとりで成し遂げられたことというではないですか。アバード内の問題を他国に押し付けられても困ります」
彼の言い分は、至極当然といってもいいものだった。確かに、王都の崩壊に関しては、シャルルムは一切関係がなかった。それをいえば、アバードも、ベノアガルドさえも関係がない。あるとすれば、シーラを王都に向かわせたガンディアだけといっていいのかもしれず、極論をいえば、シーラだけに責任を押し付けることもできた。
破壊したのは、シーラだ。
もちろん、ガンディアは、彼女ひとりに責任を押し付けるつもりはない。そんなことをすれば、評判を失うことになりかねない。評判を失わず責任を回避する方法ならいくらでもあるだろうが、ここは、アバードの王都の復興に尽力することで、世間の評判を買うほうが得策だと、彼は判断した。
「関わりがあるとすれば、内政干渉も甚だしいガンディアと、アバードに救援を要請されながらなにもできなかったあなた方ベノアガルドだけでしょう。よって、わたくしどもシャルルムがこの会談にこれ以上参加する道理はない、ということです」
「まあ、そうなりますよね」
「エイン殿……」
エインがあっさりとうなずくと、ザイードが狼狽えたような顔をした。感情が顔に出すぎるあたり、彼は腹芸の出来無い人物なのだろう。武人としては有能なのだろうが、政治の場には置いておけないようだ。とはいえ、感情をむき出しにする人間は、別段、嫌いではない。
「いいじゃないですか。シャルルムの軍師殿も大変なようですし、ここは我々だけで話しあえば」
「……わかりました。ガンディアの軍師殿がそう仰られるのなら」
「わたくしにも依存はありませんよ」
「では、お先に失礼を」
席を立ったルヴは、セイルに対して深々と礼をすると、エインたちにも一礼した後、天幕を出て行った。
(ルヴ=シーズエル……か)
エインは、風のように去っていたシャルルムの軍師を記憶に留めることにした。切れ者で、常にシャルルムにとっての利害を計算している人物のようだ。ナーレスが評価しているだけのことはある。エインとしては、彼がこの場に留まり、会談に参加してくれる可能性を考慮していたのだが、どうやら、ルヴにとってはこの会議には価値を見いだせないらしかった。
それも、わからなくはない。
シャルルムにとって、バンドールの復興などどうでもいいことだ。なんの旨味もない。ガンディアと繋がりを持ちたいというのであれば話は別だが、どうやらルヴ=シーズエルにそのつもりはないらしかった。
「……さて、話を戻しましょうか」
ルヴが天幕を去ってしばらくしてから、エインが口を開いた。
「我がガンディアが尽力するのは無論当然ですが、ベノアガルドが王都の復興に手を貸してくださるのですか?」
「当然です」
シドは、先程から一切変わらぬ表情で、肯定してみせた。
「我々ベノアガルドの騎士団は、ひとを救うための組織。王都の惨状を見て見ぬふりをするようなものは、ベノアガルドの騎士にはなれませんよ」
「ルーファウス卿……なんと、なんと礼をいえばいいのか」
「殿下。どうか顔をおあげください」
セイルに向けられるシドの声は、優しい。
「我々は当然のことをするだけなのです。人間は、ひとりでは生きられないか弱い生き物です。困ったものには手を差し伸べ、救いの道を示す。当たり前のことです」
ベノアガルドの騎士は、自身の言葉になんの疑いも持っていないようだった。心から信じているからこそ、そこに嘘や偽りがなく、欺瞞も生じない。迷いがないのだ。彼の曇りなき眼を見れば、自分がいかに穢れているのかがわかるようで、エインは、目を逸らしたくなった。打算と計算が軍師のすべてだ。彼のような純粋さは、エインにはない。
そういう風になにかを信じ抜くことができるというのは、少しばかり、羨ましい。