第千五十八話 苦さを抱いて(三)
廃墟としか言いようのない光景が広がっている。
王都バンドールの破壊された正門を潜り抜けた先にあったはずの町並みは、完膚なきまでに破壊されていた。破壊したのはシーラであり、彼女は、己が召喚武装の力で蹂躙し尽くした町並みを目の当たりにして、声も失ったようだった。当然だろう。彼女にとっては帰還を望んで止まなかった都市だ。生まれ育った都市でもある。見慣れた光景のほとんどが失われ、もはや取り戻すことさえ叶わなくなってしまった。復興したとしても、元通りとは、いくまい。
大陸暦五百二年六月二十七日午前十一時ごろ、バンドール制圧のために先行していたドルカ軍団を除く、ガンディア軍の全軍団が王都に辿り着いた。
今回の戦いの総大将であるセツナは、先頭集団にいて、隣にはシーラがいた。《獅子の尾》の面々、黒獣隊の面々がふたりを囲むように隊列を組んでいる。王都の門は、当然、セツナが破壊した時のままであり、その修復にも時間がかかるだろうが、もっとも時間がかかるのは、バンドールの復興だ。
城壁付近――つまり、王都の外周付近の建物は無傷で残っているのだが、王宮から正門に至るまでの直線上の建物は根こそぎ倒壊し、破壊し尽くされていた。九尾の狐は、進路上にあったものを踏み潰し、尾で薙ぎ払い、とにかく破壊していったのだ。
そうすることで、恨みを買おうとした。
そうすることで、呪われようとした。
そうすることで、殺さざるをえない存在になろうとした。
心身ともに人外異形の怪物に成り果てれば、セツナも殺さざるを得なくなる――彼女はきっとそう想い、行動したのだ。
だが、セツナは彼女を殺さなかった。生きて、王都まで連れて戻った。死ぬよりも辛い目に合わせているということを、彼女の表情から認識する。
シーラは、馬上、王都の有様を目の当たりにして、ただただ愕然とするばかりだった。
王都の大通りを進んでいると、ガンディア軍、アバード軍、ベノアガルド軍の兵士たちが、それぞれ、被災民のために動き回っている様子が目に入ってくる。炊き出しをしたり、手当をしたり、瓦礫の撤去をしたり、仮説住居となる天幕を張ったり、様々だ。すると、ガンディア軍本体の各軍団からも、兵士たちが飛び出していった。セツナが命令を下すまでもない。軍団長たちがそれぞれに判断し、命じたに違いなかった。
やがて、王宮の跡地に辿り着くと、エイン=ラジャールとドルカ=フォームらによる出迎えを受けた。
「セツナ様、御活躍だったようですね。騎士団の方からうかがいましたよ」
道すがら、エインがそんなことを口にした。意外に思えたのは、騎士団がセツナのことを賞賛するとは考えられなかったからだ。
「騎士団から?」
「ええ」
エインがうなずくと、セツナに笑顔を見せてきた。ドルカもいつになく陽気な表情だ。ドルカは、武功を稼げたことが嬉しいとでもいうのかもしれない。ガンディア軍によるバンドール制圧は、ドルカ軍の手柄ということになっている。
「シドさんがセツナ様を称賛していましたよ。セツナ様には救済者の資質がある、って」
「そんな資質、欲しくもないがな」
「そう仰らなくてもいいじゃないですか」
「まあ……な」
セツナは、なんともいえない顔をした。エインがシドの発言を真に受けていることが少し不思議だったからだ。
「で、どうなんだ?」
「既にご存知のことと思いますが、アバードはガンディアへの降伏を決定、政府は、シーラ様の王位継承権の復活を了承しております」
「馬鹿な」
シーラが、思わず本音を漏らした。彼女としては、王位継承権の復活など望んでもいないことだ。それについては、セツナもよくわかっている。この戦い自体、彼女の望みではない。彼女は、祖国と争うことなど露ほども望んではいなかったし、王都がこのような状況になることなど夢にも想ってはいなかったのだ。
シーラがガンディア軍の大義に利用されることを了承したのは、そうすることで、母セリスに対面し、真実を聞き出す機会が得られると想ったからに他ならない。そして、セリスの言い分に納得ができれば、自決も覚悟していた。だからこそ、売国奴の汚名を被ってでもガンディア軍とともに王都へと侵攻したのだ。
結局、セリス本人からシーラへの殺意の真実を聞き出すことはかなわず、セリスの自害を許すことになったのだが。
シーラは、死ねなかった。
セツナが死なせなかった。
その結果がこの状況を生んだ。シーラには辛いことをしたとは想う。命は救えた。だが、彼女の心を救えるかどうかは、また別の話だ。死ぬよりも辛いことが待っているかもしれない。それを理解した上で、セツナは彼女を助けている。
彼女を支えなければならないということだ。
「シーラ様の王位継承権が復活されるということは、アバードの次期国王は、当然、シーラ様となることでしょう。現在、アバード国王の座は空席ですしね」
「……!」
シーラが、きっ、とエインを睨んだが、彼は涼しい顔だ。その表情にナーレスを思い出す。軍師とは、そのような顔をするものらしい。
「それについてはセイル王子殿下もお認めになっておられますよ。シーラ様こそ、次期国王になられるべきだと、仰られております」
「王子殿下にそういわせただけではないのか?」
「まさか。我々が、そのようなことをするわけがないでしょう?」
「どうだかな」
「信用ありませんねえ」
「あるかよ」
シーラは吐き捨ててそっぽを向いた。そのまま、奥へ向かって歩いて行く。セイルに会うつもりなのかもしれない。
「残念。あ、王子殿下は右手奥におられますよー」
エインの言葉には、シーラは無反応だったが、彼の言うとおり瓦礫を避けながら右手奥に向かっていった。
「なんだか、剣呑だなあ」
ドルカが肩を竦める。エインの策によって王都制圧の立役者となった彼は、セツナたちを出迎えた時から少しばかり機嫌が良さそうだった。戦功を上げることができたのが嬉しいのだろう。
ファリアが、告げる。
「当然ですよ」
「当然なの?」
「そりゃあ、まあ」
「俺にはよくわかんないな。女王になることが目的じゃなかったってんなら、姫様はなんのために戦ったのさ?」
ドルカの疑問も、もっともではあった。シーラの事情を知らない人間からすれば、当然の反応だ。シーラ自身の意志でこのような結果になったと思うものがいても、なんら不思議ではない。
「そもそも、女王になることが目的なら、王宮や王都を破壊したりはしないでしょ」
「……それも、そうか。じゃあ、なんのために?」
「おぬしのおつむにもわかるようにいうとじゃな。己が命を終わらせるため、だったのじゃな」
「死ぬため? なにそれ」
ドルカは、きょとんとした。それから、殊更冷ややかに告げてくる。
「死ぬために戦いを起こされちゃ、たまったもんじゃないな」
「戦いを起こしたのはガンディアで、シーラは巻き込まれただけじゃない」
「それもそっか。じゃあ、悪はガンディアだな」
「そんなこといっていいの?」
「あ、いまのはナシで」
ドルカが慌てていうと、エインがにやりとした。
「聞きましたよ?」
「あ、でたな、悪徳軍師」
「だれが悪徳なんですか」
エインは、ドルカの口の悪さに半眼になった。嘆息とともにこちらを見てくる。
「ねえ?」
「なんで俺に聞くんだよ」
「だって、セツナ様なら、俺の苦悩もわかってくれるでしょ?」
「……あー、どうかな」
とはいったものの、彼の口ぶりから、エインが苦悩の末に策を練っているということがわかって、少しばかりほっとした。彼もまた人間で、なにかを犠牲にしなければならないような策を練るのは、苦心し、考えぬくものなのだろうと想えたからだ。しかも彼はセツナと年の変わらない少年だった。今年、十七歳になるはずだ。外見的にはもっと幼く見えるが。特に不満そうに甘えた表情など、駄々をこねる子供そのものだった。
「えー、そんなのないですよー」
「あっはっは、あたしのセツナがあんたなんかに現を抜かすわけないでしょ」
ミリュウがセツナの首に腕を絡めながら、勝ち誇るようにいった。すると、エインが諦めたような顔をする。めずらしい反応だとおもいきや。
「ま、シーラ様に現を抜かしてましたし、仕方ないですね」
「なんですってー!」
「いやだって、二ヶ月近くもふたりきりだったんですよ。そりゃあ、そうなりますって」
「そういえば、そうだわ……!」
愕然と納得するミリュウに対し、セツナは呆れてものもいえなかった。彼の頭の上でドラゴンが身じろぎする。
「わしもおったぞ?」
「あんたがいようがいまいが関係ないわよ!」
「なんでじゃ!」
「あんたなんてただのちっさいドラゴンじゃない!」
「小さくても頼られたのじゃ! 褒められたのじゃ!」
頭の上で大袈裟に騒ぎ立てる小飛竜と、そんな小飛竜に対抗しようとするミリュウに、セツナは憮然とするほかない。
「あたしだって褒められたいわよ! ほめてくれたっていいじゃない!」
「結局そこに落ち着くんだ……」
ルウファがミリュウの発言に苦笑を浮かべた。ファリアがいってくる。
「たまにはほめてあげなさいよ、セツナ」
「俺かよ」
「君以外にだれがいるのよ」
「そりゃそうだけどさ」
仲間たちのやりとりに妙な懐かしさを感じたのは、二ヶ月近く離れていたという事実があるからだろうし、合流後も、まともに話しあう時間がなかったからだろう。昨夜だって、そうだ。消耗と疲労のせいでまともに言葉をかわすこともできないまま、眠りに落ちている。
夢さえ見ないまま目が醒めたのが数時間前のことだ。
目が覚めれば、現実を直視しなければならなくなる。
シーラはどうするのか。
そのことばかりを考えながら、ここまできた。