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第千五十六話 苦さを抱いて(一)

 戦場となった王都バンドール南部の平原は、九尾の狐との戦いを終えたことで、それとともに訪れた休戦の空気に包まれていた。

 敵と味方に分かれ、激しい戦いを繰り広げていた四国の軍勢は、いまや戦いがあったことさえ忘れているのではないかというほどの緊張感のなさの中にあった。ガンディア軍、シャルルム軍、アバード軍、ベノアガルド軍――どの軍勢も、そうだった。

 戦いが翌日に持ち越されることはない。

 だれもが、そう想っている。

 もはや、戦いにはならないだろう。そう認識したところで、間違いではあるまい。

 アバードの王都を巡る戦いは、王都そのものが壊滅してしまったことで、勝者も敗者も存在しないまま終わってしまった。

 いや、厳密には、勝者はいる。

 ガンディアだ。

 ガンディアは、アバード王都バンドールに部隊を差し向け、制圧している。

 明日になれば、全軍、思い知ることになるだろう。ガンディアの悪辣極まるやりかたというものを、はっきりと認識することだろう。だが、認識したときには、もう遅いのだ。

 あらゆる状況を利用するのが軍師の役目だ。

 セツナは、シーナ=サンダーラとともにもはや戦場ともいえなくなった大地を歩きながら、今回の戦いで軍師を務めた人物のことを考えた。エイン=ラジャール。もはや動くことすらままらないというナーレス=ラグナホルンに代わりガンディア軍の指揮を取った彼は、いま、王都バンドールにいるという。九尾の狐が生み出した混乱を即座に利用し、王都に兵を差し向けたというのだから、軍師としての彼の冷酷非情さには恐れ入るというべきだろう。

 全軍、戦場を蹂躙する巨大獣に意識を向けていた。エインの命令によってドルカ軍が戦線を離れ、王都に向かったことなど、ガンディア軍の将兵にすらわからなかったらしい。すべてが明らかになったのは九尾の狐との戦いが終わってからのことであり、ザルワーン方面軍大軍団長ユーラ=リバイエンと参謀局第一作戦室のシーナによる説明があってからのことだった。それまでは、だれも預かり知らぬところであり、他の軍団長たちも驚きの顔を見せるとともに、ガンディアの勝利が確定したことにホッとした様子だった。

 勝利が定まらなければ、明日、再び騎士団やアバードの軍勢と剣を交えなければならなくなる。勝敗が明らかなものとなるまで、戦い続けなければならなくなる。それが、戦争というものだ。もちろん、勝敗が不透明なまま終わる戦いもあるだろうが、今回は、そういうわけにもいかない。

 大義を掲げた以上、ガンディアは、明確な勝利を掴み取るまで、戦い抜かなければならないのだ。

 それは王都の制圧であり、シーラの王位継承である。

(どうなるかな……)

 シーラのことだ。

 ガンディアは、王都を制圧したことで、アバードに対し、シーラの王位継承権の復活を要請するだろう。それこそがアバードの混乱を収束させる唯一の手段だというガンディアの言い分は、アバード政府に受け入れがたいことだろうが、王都が抑えられた以上、勝敗が決した以上、従わざるを得まい。世論の後押しもある。シーゼルの人々の反応を見る限り、シーラの王位継承を認める声も少なくはなかった。潜在的シーラ派は、想像以上に多い。

 シーラ派は、かつて、アバードを二分するほどの勢力だったのだ。彼女が女王となってアバードに君臨することを望む声があるのは、当然だったのかもしれない。

 だが、シーラは、どうするのか。

 シーラは、王位継承など望んではいない。

 ガンディアが勝手にやったことだ。勝手に始め、勝手に彼女を担ぎ上げ、勝手に御旗にしてしまった。ガンディアがシーラという御旗を掲げてシーゼルを落としたことで、彼女は引くに引けなくなった。シーラがなにをいったところで、もう遅い。シーラがガンディアとの繋がりがあることは、セツナと行動をともにしていたことで、明らかになってしまっている。シーラがなにをいったところで、アバード政府やアバードの人々が彼女の言い分を受け入れてくれるはずもない。ガンディアが軍事行動を起こしてしまったのだ。もはやどうすることもできない。

 だから、彼女はガンディア軍と合流し、王都侵攻に参加した。せざるを得なかった。そうするよりほかなかった彼女の胸中を思うと、苦しいばかりだ。

 彼女の望みは、叶った。

 だが、それが彼女の望んだ結末だったかというと、別の話だ。

 少なくとも、シーラはあのような結末を望んでなどいなかったに違いない。

 もちろん、わかってもいただろう。

 幸福な結末など訪れるはずがないということは、理解していたはずだ。

 それでもいかなくてはならなかった。それでも、逢わなくてはならなかった。聞かなくてはならなかった。でなければ、立っていることもできない。息をすることすら、苦しくなる。自分でいることさえ、ままならなくなる。

 だから、彼女は王都侵攻に参加した。参加し、だれよりも先に王都に到達することを望んだ。ガンディア軍によって王都が制圧されるよりも早く。騎士団やアバード軍によって王都が守られるよりもずっと早く。

 セツナは彼女の望みを叶え、彼女は、望み通り、母との再会を果たすことができた。

 そして、すべてを失った。

 彼女が自暴自棄になり、召喚武装にすべてを委ねるのも、無理からぬことだ。

 そんな彼女が明日以降、どのような決断をするのか、気になるところだった。死ぬことは、あるまい。でなければ、セツナが差し出した手を取ったりはしなかったはずだ。生きていてはくれるだろう。セツナとしては、それだけでいい。それ以上望むことはない。ガンディアの思惑通りに行動しなくとも構わない。そしておそらく、それすらも読んでいるのが軍師たちだ。どのような結果になろうとも、それを利用する算段を立てているはずだ。

「それにしても、エスクさんって乱暴者ですね!」

「……ん、ああ」

 シーナの声は、夜の静寂を乱すほどに強いが、不快感はない。彼女の元気さは、むしろ活力を与えてくれており、セツナは少しばかり感謝している。

「そうだな」

「いきなりセツナ様に襲いかかるだなんて!」

「……ま、あいつにも色々あったんだよ。色々な」


 エスクのことも、考える必要があるのだろう。

 エスク=ソーマとシドニア傭兵団。彼らは、エスクがセツナの提案を受け入れたことで、セツナの預かりとなった。ガンディア軍に属しながら、命令を破り、ガンディア軍に損害をもたらしたが、それについてやそのあとのことについては、いくらでも考慮することができるはずだ。なにしろ、彼らがもたらしてくれた混乱は、セツナたちの王都到達に一役も二役も買ってくれている。そういったなにもかもがエインの思惑通りなのだから、やはり、軍師という生き物は恐ろしいと思わざるをえない。

 ともかく、エスクたちの処分は、この戦いが終わり、王都に戻ってからということになるだろうが、セツナはあまり心配していなかった。なにより、エスクは強い。シドニア傭兵団の傭兵たちもだ。戦力の増強、優れた人材の確保を国是としているようなガンディアにとって、必要な人員といえる。彼らには利用価値がある。

 利用価値があるかぎり、無下に殺すことはない。

 そう、想う。

 もし、敵として相対したならば、否応なく殺しただろうが。

 エスクとの最後の戦いを思い出して、セツナは、黒き矛を握る手を少し緩めた。黒き矛を召喚したままなのは、夜の闇が戦場を包み込んでいるからだ。闇の中、迷わず歩くというのは、困難なことだ。たとえ各地の陣で篝火が焚かれ、煌々とした明かりがあるとしても、迷うときは迷うものだ。なにせ、戦場は広く、《獅子の尾》の陣地からエスクたちの居場所までは遠く離れていた。迷わず行って帰ろうとするのなら、黒き矛の召喚は必須といってよかった。

 篝火の炎が、戦場の各所から煙を上げている。

 さすがに敵味方入り乱れて、という状況ではないものの、全軍の間に緊張感はない。夜襲の警戒だけはしているものの、どの軍勢も動かないだろうという安心感のようなものが根底に流れている。九尾の狐によって全軍が蹂躙され、共同戦線を張らざるを得なかったことが功を奏している、とでもいうべきか。命の取り合いをしていた敵味方が、命の守り合いをしたことで多少なりとも打ち解けてしまったらしいのだ。

 騎士団の兵士や騎士に護られたガンディア兵もいれば、ガンディア兵とシャルルム兵が協力してことに当たったりもした。そういった記憶や経験が、全軍の戦意を奪ってしまった、ということだ。

 もちろん、感情と戦いは別物だし、いずれかの軍勢が戦意を明らかにし、戦いを始めようものなら、即座に全軍が敵対し、泥沼の戦闘が始まるのだろうが。

 幸い、そのような兆候は見えなかった。

 少なくとも、ガンディア軍に戦いを続ける理由はなく、ガンディア軍が行動を起こさない限り、騎士団やアバード軍も動かず、シャルルムもまた、動いたりはしないだろう。

 皆、疲れている。

 あのエスクでさえ、動くに動けない状態なのだ。多くの将兵がエスクたちのように打ちのめされ、立ち上がることさえままならないといった状況だった。そんな状況では、戦闘さえままならない。

 だれも戦いを起こそうとは、しないだろう。

 勝敗は決した。

 明日になれば、全軍に衝撃が走るだろう。

 いや、今夜中にも知れ渡ることかもしれない。

 王都は近い。

 王都にガンディアの軍旗が翻っているのを確認できるかもしれないし、王都から伝令が走るかもしれない。

 問題は、そのとき、アバード軍や騎士団がどうするかだ。

 最後まで徹底して抵抗するかもしれない。

 落ちた王都を取り戻すために戦おうとするかもしれない。

(そのときは……)

 戦うしかない。

 が、そうはならないだろうとも、思う。

 まず、騎士団が動くまい。騎士団騎士シド・ザン=ルーファウスは、すべてを見ていた。セリス王妃が自害し、リセルグ王が死亡したことを知っている。ベノアガルドの援軍を要請したのであろう王が死に、シーラの殺害を要請した王妃まで死んでしまったのだ。そして、彼の言動を見れば、彼がもはやシーラを殺す気がないのは一目瞭然だ。

(救い……か) 

 シーラは、救われたのだろうか。

 そんなことを考える。

 前方、盛大に焚かれた篝火が見える。肉の焼ける香ばしいにおいが、嗅覚を刺激した。セツナが陣を離れようとしたときには準備段階だった夕食が、ついに出来上がりを迎えているのかもしれなかった。前方に見えるのは、《獅子の尾》の陣だ。篝火から少し離れたところに隊旗が打ち立てられている。

「やーっと、帰ってきた」

 そういいながら影の中から現れたのは、シーラだった。

「ただいま戻りました!」

「おう、ご苦労さま」

 シーラは、シーナの敬礼に敬礼で答えると、影になった顔に笑みを浮かべた。穏やかな表情。少し前の彼女からは考えられない顔だった。いまでも、考えられない。普通なら、いまでも心中穏やかではいられないように思えるのだが、シーラの態度、言葉からは、彼女が平常心を取り戻しているとしか考えられなかった。

 セツナは、シーナが篝火の元に駆け寄って行くのを見ながら、ぼやくようにいった。

「遠かったんだよ、あいつらの居場所」

 探し回ってもいたが、そのことはいわなくともわかるだろう。だだっ広い戦場。行方知れずの連中を探しだすのに手間取るのは仕方のないことだ。

 シーナが篝火の周りにいた同僚との合流を果たし、喜びの声を上げた。やはり、彼女は元気で、それが周囲に活気をもたらしている。だからエインも彼女を手元に置いているのかもしれない。それだけの価値はあるだろう。

 だれもセツナを出迎えに来ないことが不思議だったが、皆がシーラに気を使っていると思えば、当然かもしれない、とも考える。

「で、どうだったんだ?」

「ああ、なんてことはなかったよ。エスクたちは皆、俺の支配下に入った」

「……そうか」

「どうした?」

「いや、俺も行くべきだったんじゃないか……ってな」

「なんでまた?」

「ん……なんとなくさ、そう思ったんだ」

 シーラは、俯けていた顔を上げた。瞳が光ったように見えたのは、星の光を反射したからだろう。

「だって、さ。あいつらがあんな行動にでたのは、きっと、俺への復讐なんだ」

「……ああ」

 そういうことか、と思った。

 復讐。ラングリード・ザン=シドニアの、だろう。

 エスクの言動の数々を思い起こせば、そう結論付けられなくはなかった。

 ドーリンやレミルの話によれば、ラングリード・ザン=シドニアは、荒くれ者の集まりであるシドニア傭兵団をまとめ上げていた逸材であり、ドーリンたちだけでなく、エスクも深く心服していたという。エンドウィッジの戦いで彼が戦死したことで、エスクたちは大きな喪失感に包まれ、虚脱感さえ覚えたらしい。なにを失うよりも、ラングリードを失うことのほうが辛く、苦しい。

 絶望ですらあったという。

 そんな人物の死に関わりながら、実際は自分ひとり生き延びていたシーラのことを恨んだとしても、なんら不思議ではなかった。逆恨みといえば逆恨みだが、彼らからしてみれば、裏切られたという思いのほうが強いかもしれない。実際、シーラの行動は、エンドウィッジの戦いに参加したシーラ派の将兵からしてみれば、裏切り行為以外のなにものでもない。シーラのための戦いだったのだ。

 もちろん、それは、エスクたちから見れば、の話だ。

 シーラからすれば、知ったことではないだろう。

「俺がもう少ししっかりしていれば、な」

「仕方がなかったんだろ」

「ん……?」

「あのときのおまえには、ほかに選ぶ道なんてなかったんだろ」

「……そうだけどさ。いろいろ、考えちまう」

 彼女は、空を仰ぎながら、いった。闇の中、彼女の表情の変化まではっきりと見えてしまうのは、召喚武装を手にしていることの弊害だろう。弊害。そう感じるのは、きっと、彼女にとって見られたくない表情だと思えたからだ。だから、セツナは黒き矛を送還した。漆黒の矛が光りに包まれたかと思うと、無数の粒子となって散り、虚空に溶けて消える。

 途端に、彼女の表情が判別しづらいものとなる。篝火が逆光となっているからだ。だが、覚えている。

 後悔と苦痛。

 彼女の顔に浮かんでいたのは、そのようなものだった。やはり、心中穏やかではいられないのだ。

 失ったものが多すぎた。

「ほかにもいい選択肢があったんじゃないか、ってさ。そして、その道を進んでいれば、父上と母上を失わずに済んだんじゃないかって……さ」

 シーラが歩き出す。篝火の明かりの範囲外に向かって、一歩一歩、ゆっくりと。セツナは彼女の歩調に合わせて、歩いた。ほかの連中に聞かれたくないのかもしれない。声も、抑えめになっている。

「俺は……死んでもよかった。母上がそれを望むのなら。それで、母上が救われるのなら。俺が死ぬことで、母上が救われ、アバードに安定がもたらされるのなら、俺ひとりの命くらい、どうだってよかった。母上に逢いたかったのは、逢って、話を聞きたかったからだけなんだ。理由を知りたかっただけなんだ」

 シーラの告白に対し、セツナはなにもいわなかった。ある程度、想像していたことではある。彼女が死ぬつもりだったのは、言動から明らかだった。それでも、セツナは彼女を死なせるつもりはなかったし、だからこそ、彼女にラグナをつけた。ラグナならば、彼女を死から護ってくれるだろうという考えがあった。他殺であり、自殺であれ、あらゆる死から守りぬいてくれるだろう。実際、ラグナは彼女を守り抜いてくれたのだ。その結果、いまは力のほとんどを失い、ちょっとした魔法を使うことも困難だということだが。

「理由さえ知ることができれば、殺されよう。殺してくれないのなら、死のう。そう想ってた」

 だが、死ねなかった。

 セリスは、シーラを見るなり殺そうとした。理由を知ったいまにしておもえば、それだけセリスが追い詰められていたということなのだろうが、そのときは、わからなかった。わからないまま、シーラがラグナによって護られたことに安堵した。

「でも、死ねなかった。死ねなかったんだ……」

 シーラは、闇の彼方を見やりながら、いった。彼女の声音からは、彼女を死から護ったラグナを責めるような気配は感じられない。感謝しているという風でもないが。

「俺があのとき死んでいたら、どうなってたんだろうな」

「……ガンディアは大義を失い、戦う理由も失い、軍を引き上げただろうさ」

 そうなれば、アバードはベノアガルドの騎士団とともに領土の回復に務め、タウラルのシャルルム軍も追い散らしただろう。

 シーゼルからガンディア軍が撤退するのも、当然のことだ。シーラという御旗を失えば、そうなる。シーラを女王にすることでアバードに安定をもたらすことこそ、ガンディアの大義だったのだ。シーラが死ねば、アバードに軍を置く理由がなくなる。もちろん、アバードの制圧を強行するという手もなくはなかっただろうが、様々な情勢を考えると、それは考えにくいことだ。アバード侵攻自体、かなり無茶をしている。

 クルセルク戦争の傷も癒えきっておらず、厭戦気分も解消されていない状態で侵攻に踏み切っている。そんな状況下で大義が失われれば、戦いを続けることなどままならなかったはずだ。シーラという大義の象徴がいたからこそ、ガンディアは戦いを続けることができた、ということだ。

「そっちのほうがよかったって思うか?」

「少なくとも……父上と母上は生きておられたんだ。アバードにとっては、そのほうが良かっただろう。きっと……」

「……どうかな」

「……うん」

 シーラが静かにうなずいたのは、セツナの考えがわかったからだろう。

 シーラが死んだとしても、リセルグはともかく、セリスが生きていたかどうかは、わからない。あの状況で自害してしまったほど精神的に追い詰められていたのだ。みずからの手で愛娘を殺したとなれば、その手で己の命を絶っていたとおかしくはなかった。

 だれが悪いわけでもない。だれかを責めればいいという話でもない。

 歯車が狂ってしまったのだ。

 そうなれば、どうしようもない。

 どうしようもないまま時が流れ、歯車の狂いは、時とともに大きくなる。気づいたときには、矯正することさえ叶わなくなり、結果、悲劇が起きた。

「俺は……結局、どうすればよかったんだろうな」

「それはわかんねえよ」

 突き放すつもりはないが、言葉としてはそうとしかいいようがない。

「……だよなあ」

「いつだってそうさ。あとになって考えるんだ。あのときああすればよかった、こうすればよかった、ってな。そのときには手遅れでさ、後悔ばかりが強くなって、苦しむんだ」

「セツナも?」

「そりゃあ……」

 そうだろう。

 セツナは、言葉を飲み込んで、別の言い方で肯定した。

「だれだってそうだろ」

 だれだって、後悔する。

 後悔して別の方法を模索して、また、悔やむのだ。そして、二度と同じ間違いはしないと心に決めて、別の過ちを犯す。そしてまた後悔する。その繰り返しをしながら、前に進む。前進するということは、きっとそういうことなのだ。

 その積み重ねの先に未来がある。けれども、それが必ずしも輝かしいものかどうかは、わからない。

「そっか……そうだよな。うん……」

「その後悔の苦さを抱いて生きていくしかないんだ」

「……そうだな」

 シーラは、静かにうなずいた。静かな、夜の闇のように穏やかな声。そのまま、続ける。

「生きていく……か」

 それから、ぼそりといった。

「おまえがいてくれるなら、生きていけるかもな」

 セツナには、聞き取れないほどの小さな声。聞かれたくなかったからなのか、それとも、聞かせるほどの言葉ではなかったからなのかはわからない。聞き返す。

「ん?」

「い、いや、なんでもない」

 シーラの慌てた様子が気にかかった。顔を背けた彼女の表情を窺うことはできない。

「どうしたんだ?」

「なんでもないって!」

「そっか。それならいいけど」

 問いたださなかったのは、シーラがあまりに強くいってきたからだ。そこでセツナまで強く出るのは、あまりよい結果を生み出す気がしなかった。

 それからしばらく、ふたりの間には沈黙があった。しかし、静寂はない。周辺から様々な話し声が聞こえてきている。ちょうど夕食時だ。そんなときに黙っているものもいないだろう。休戦状態なのだ。騒いだところでだれに迷惑かけるわけでもない。

 と、シーラがセツナの背を叩いた。

「さ、飯だ飯。みんなも待ってるぜ」

「ああ、そうだな。腹減ってんだ」

「だろうな」

 シーラが噴き出したのを見て、セツナも笑った。彼女に促されるまま、仲間たちのいる篝火に向き直る。そのときだった。

「なによー、ふたりして楽しそうにしてさ」

 どこからともなく視界に飛び込んできたミリュウの顔に、セツナはぎょっと後ずさりした。

「そうです。わたくしを差し置いて、御主人様に取り入ろうとするとは、笑止千万にございます」

 今度は、レムだ。彼女は、セツナではなく、シーラに絡んでいる。シーラが困ったような顔をしただろうことはなんとはなしにわかる。

「なんだよその言い方」

「ふたりとも、セツナが中々帰ってこないから膨れてるのよ」

 ファリアだ。彼女はミリュウ、レムと違って、セツナたちと距離を取っていた。

「ファリアだって同じでしょ!」

「わたしがいつ膨れてたのよ、ねえ?」

「なんで俺に振るんですか?」

「そうですよ、ルウファさんは関係ありませんよ!」

「ったくうるさいねえ……少しは静かにしていられないもんかね」

「マリア先生、もう無理していい年じゃないんだから、さ」

「あんたね、そのうち本気で怒るよ」

「いやーん、セツナあ、マリア先生が怒ったあ」

 マリアの怒声に対し、ミリュウは甘い声を発しながらセツナの背後に隠れた。

「あのなあ……」

「ほんに賑やかじゃのう」

「まったく」

 セツナは、ラグナが頭の上に着地するのを認めて、またしても、笑った。笑うしかなかった。そして、それでいいと思う。

 少なくともいまは、笑っていよう。

 朝になれば、そう笑ってもいられなくなるかもしれないが、この夜は、笑顔でいよう。

 戦いが終わったのだ。

 長く苦しかった彼女の戦いが、終わりを迎えようとしているのだ。

 いまくらい、笑っていても許されるだろう。

 そんなことを彼は想い、篝火を囲む輪に加わった。



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