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第千五十四話 死に場所の在処(前)

 夜を見ている。

 夜の空に瞬く星々と、膨大な月の光が、視界を照らしている。遠い。なにもかも、遠い。世界そのものから隔絶されてしまったような感覚さえ、ある。きっと気のせいだ。そんなこと、あるはずもない。世界はいつだって冷静に、酷薄に、皮肉げに、こちらを見ている。距離感など、変わるはずもない。

 ぼんやりと、そんなことを考える。

 戦いは、終わった。

 決着こそついていないものの、まず間違いなく、終戦したといっていい。

 あの状況で戦いを続けようと思うものは、いまい。

 少なくとも、アバード軍は抵抗する気力も失ったことだろう。王都が壊滅しただけでなく、王宮そのものが崩壊したというのだ。戦意喪失して当然といっていいだろう。むしろ、そのような状況でまだ戦う気概を失わずにいられるとすれば、たいしたものだ。本陣が落ちた以上の衝撃が、アバード軍に走っているはずだ。

 さらには巨大な九尾の狐との戦いがあり、その正体がシーラだったことも、アバード軍の戦意喪失に一役も二役も買っている。九尾との戦いは、敵対していたはずの全軍が協力せざるを得ない状況に陥り、手に手を取り合って戦い抜いたのだ。あのような戦いを経験すれば、すぐさま再戦しようという気にもなるまい。ましてや、シーラが王都を破壊した九尾の狐の正体であったという事実には、とてつもない破壊力があった。

 しかも、シーラの九尾の狐化は、ガンディアの勝利のためでもなんでもないということがわかりきっている。九尾の狐は、バンドールを壊滅させ、アバード・ベノアガルド軍に攻撃を加えただけでなく、シャルルム、ガンディアの軍勢さえも蹂躙した。その圧倒的な巨体と力で、並み居る兵士をなぎ倒し、地形が変わるほどの破壊を引き起こした。

 それでも、死者一人出ていないというのだから、驚くよりほかない。

 しかし、九尾の狐の正体がシーラだとわかれば、死者がひとりとして出ていないことにも納得ができるというものだ。シーラならば、殺すまい。理由なく、意味もなく殺戮を行うほど、落ちぶれてはいないのだ。

 彼女は、気高く美しい。

 獣姫とは、そういう人物だった。

 だからなのかどうか。

「結局、死ねなかったなあ……」

 エスク=ソーマは、月の光の眩しさに目を細めながら、ひとり、つぶやいた。

 死地を求めて、死に場所を求めて、彼は部下とともに巨大獣に突っ込んでいった。勝てる算段などはない。戦いになるとさえ、思っていない。ただ、殺されるために。ただ、死ぬために向かっていったのだ。

 戦いは、一方的なものだった。一方的に蹂躙され、一方的に蹴散らされた。馬鹿馬鹿しいくらいに圧倒的な力を感じた。そのまま死ぬのも悪くなかった。いや、死ぬことが目的なのだから、殺されるべきだ。殺されなくてはならない。

 自分が撒いた種だ。

 彼女を追い詰めたのは、自分だ。

『きらい』

 どこからともなく現れた少女の幻影がつぶやいた言葉が、いまも耳に残っている。

 嫌われて当然だ。彼女と知り合ってからというもの、好かれるようなことはなにひとつしていない。好かれる必要がないからだ。むしろ、怒りを駆り立て、憎しみを増幅させ、絶望を膨れ上がらせたかった。そうやって、彼女の心をずたずたに引き裂き、少しでも溜飲を下げようとした。そうすることでしか復讐できない己の小ささを、いまさらのように実感する。

「なっさけねえなあ」

「エスク……」

 レミルの不安そうな声は、彼の身を案じてのものだろう。

 死んではいないが、全身に白狐の尾を叩きつけられて、動くこともままならない状態だった。だから、死ぬに、死ねない。みずから命を絶つこともできない。

 レミルに殺してもらおうとも考えたが、それではレミルがあまりにも哀れすぎて、やめた。死ぬのならば、自分の意志で、自分の手で行わなくてはならない。他人の手を汚してまで絶たなければならないような、高潔な魂でもあるまい。

 とはいえ、負傷しているのは、レミルも同じだ。頼んだところで、できなかったかもしれない。エスクより軽傷ではあるようだが。

「本当、なっさけねえよ」

「団長代理……」

「わかってたんだよ、俺ァ。わかってたのさ」

 空気を求めてあえぐように、吐き捨てる。

「全部……わかってたよ」

 なにがわかってたのかは、いわない。レミルやドーリンに理由を話したところで、言い訳にしかならない。いや、言い訳にすらならないかもしれない。恥の上塗りなど、したくはなかった。いまさらどうこうすることもないのだが。

 不意に周囲の傭兵たちが動くのが気配でわかった。空気が緊張する。おそらく、ガンディア軍だろう。ようやく居場所を突き止め、兵を差し向けてきた、というところだろう。

(おせえよ)

 胸中でぼやく。

 死に場所にしてはあまりに物足りないが、構いはしないだろう。残る力を振り絞れば、ひとりやふたりは殺せるかもしれない。そのあと、殺されればいい。そう、思った。

 だが。

 魔晶灯の光が、エスクの視界を青白く染め上げた。

「よお、“剣魔”」

 声は、ここ最近、耳に馴染んでいた男のものだった。ニーウェ=ディアブラス。セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。

「黒き矛の大将じゃあ、ないですか」

 彼は、自分の声が上ずっていることに気づいて、多少、気恥ずかしさを覚えた。なにを緊張しているのか自分でもよくわからない。身悶えする。彼に緊張することなどない。ないはずなのだが。

 いや、と、彼は胸中で首を横に振った。そうではない。そういうことではない。わかっている。わかりきっている。

 彼は、死だ。

「やってくれたらしいな」

 頭をもたげると、携行用の魔晶灯を手にした若い女の姿が見え、その後ろに彼が立っていることがわかった。戦闘が終わったからだろう。鎧を脱いだ彼の姿は、ごく普通の少年のように見えなくもない。光源の後ろにいるため、全体像がよく見えないことも影響しているのだろうが。

 いずれにしても、実態を伴った死の姿には、見えない。

 だが、黒き矛を手にしている以上、彼が動けば、エスクの死は絶対となる。彼がみずからここに出向いてきたとなれば、それ以外にはないだろう。死。絶対の死。別段、不服はない。むしろ、死に場所としては文句ない相手だ。黒き矛のセツナ。ガンディアの英雄。“剣魔”が殺されたとしても、だれも不思議に思ったりはすまい。

「おう、やったぜ。やってやった、ははっ、ざまあみろってんだ」

 エスクは、わざと大きな声を出した。セツナが微妙な表情をしたのが、わかる。呆れたような、それでいて、同情するかのような表情。情けをかけられる覚えはない。

「ああ、ざまあみろ、って感じだな」

「あん?」

「おまえらの裏切りなんざ、うちの天才軍師様にはお見通しなのさ。なあ?」

 セツナが、女士官に同意を求める。女士官は確か、今回の戦いで軍師を務めたエイン=ラジャールなる少年の部下だったはずだ。それくらいは、覚えている。女が、威勢よく肯定する。

「はい! なにもかもエイン室長の思惑通りでした!」

「はっ……」

 笑う。どうぜ、強がりだ。

 セツナもまた、薄く笑う。エスクの考えを見ぬいて言うとでもいいだけだ。

「強がりだと思うか?」

「まさか……」

「部隊の配置も、おまえらを自由にさせたのも、全部、策のためだったんだよ。俺とシーラが王都に辿り着くための、な」

「……はっ……はははっ……まじかよ」

「まじだよ」

 平然と、セツナ。その表情や口調からは嘘や偽りを感じることはできない。エスクを言い負かせるための出任せなどではないらしい。だからこそ、衝撃が強い。

「なっさけねええええええええ」

 エスクは、自分でもあきれるほどの大声を発しながら体を起こした。全身が悲鳴を上げる。だが、そうでもしなければやっていられなかった。自分がしてきたことがなにもかも否定されてしまった。シーラへのくだらない復讐どころか、ガンディア軍に痛撃を食らわせることさえできなかったのだ。ガンディア軍のおった傷など、すべて織り込み済みの事だった、ということだ。

「なんだよそれ! 冗談じゃねえ! ふざけんなってんだ!」

「ふざけてんのはどっちだよ」

「……は。そうかもな。そうだな……そうだ。俺か」

 冷ややかに、認める。

 ふざけているとしか思えないかも、しれない。

「ああ」

 セツナが、静かに肯定する。その肯定の言葉の静かさは、戦いが終わったことを示しているかのようだ。もう戦う必要はない。だから、気を張る理由もない。そんな声音。穏やかで、大人しい。

 戦いは終わったのだ。

 なにもかも、終わったのだ。

 死に場所は失われた。

「ふざけてんのは、俺だったか」

 エスクは、嘆息とともに周囲を見回した。首を動かすだけで体中の節々が痛み、悲鳴を上げたが、黙殺する。耐えられない痛みではない。ここに至るまでの人生、もっとひどい目にあったこともある。死にそうな目にあったこともある。それを思えば、全身を強く打ち付けられたことくらい、なんということもない。戦うに戦えないからだではあるが、問題は、ない。

 どうせ、死ぬことしか考えられないのだ。

 周囲。

 女士官が手にした魔晶灯の光が、照らしだしてくれている。戦場の片隅。巨大獣によって蹂躙され、地形が激変した大地の片隅。シドニア傭兵団の生き残りが二十五名ほど、屯している。生き残り。生き残ってしまった、というべきかもしれない。皆、死ぬために最後の戦いに挑み、敗れた。死ねなかったということは、敗北といっていい。敗北といわざるをえない。死ねた二十五人は、エスクからすれば勝者というほかない。勝ち逃げだ。これ以上ない死に場所で見事に死ねたのだから、勝ち以外のなにものでもないだろう。幸運だったのだ。

 生き残り、無残な姿を晒さなければならなくなった自分たちこそ、不運であり、不幸だ。レミル=フォークレイ、ドーリン=ノーグ、ふたりの部下の傭兵たち。皆、疲れ果てている。疲労と消耗、全身を殴打された痛みが、そうさせる。立ち上がる気力もないのだろう。

(俺のせいか)

 エスクは、ぼんやりと、考える。自分がこの状況を生んだ。自分が、彼らをここまで連れて来てしまった。皆、居場所を失い、死にたがっていたとはいえ、ほかに生きる道はあったかもしれない。そんなことを、思う。結局、死ぬしかないと判断してしまったのは自分自身であり、その思い込みが、それ以外の可能性を閉ざしてしまったのだ。それで良かったと言い切れないのは、死ねず、生き延びてしまっているからにほかならない。

 嘆息する。

 と。

「……なにもかもうちの軍師様の思い通りになり、おまえらシドニア傭兵団の動きも、ガンディア軍の勝利に貢献してくれた」

 セツナが、なにやらいってきていた。視線をそちらに向ける。黒き矛を手にした少年の目には、自分はどのように写っているのだろう。情けない敗残兵としか写っていないのかもしれない。当然だと思う。それ以外、どう見るというのか。考え、胸中で苦笑する。どう見られたいというのか。

「……なにがいいたいんだ?」

「武器を捨て、降るのなら、安全は保証しよう」

「保証……保証か」

「なにがおかしい?」

「そりゃあおかしいさ」

 エスクが皮肉に笑う。いつものように。

「姫様のためを謳いながら、実質、ガンディアの領土を広げるための侵攻だったじゃねえかよ。あんたの国のなにを信用しろってんだ」

「そうだな」

 セツナが、自嘲気味に、笑う。彼にも実感があるのかもしれない。

「ま、俺はなにも、ガンディアを信用しろとなんざ、いってねえけどな」

「は?」

「俺が保証するっていってんだよ」

「あんたを信用しろって?」

「できないか?」

「……そうだな」

 考えるまでもなく、答えは出ている。セツナならば、信用に値する。それは、わかる。シーラのために身を砕き、骨を折ってきた彼の行動を振り返れば振り返るほど、信用するに値するだけの人物であることがわかる。明確に、だ。彼は、どんなときも、シーラのことを第一に考えていた。それは、ガンディアの思惑を超えたなにか別のもののように思えたし、実際、セツナはガンディア軍がアバードに侵攻してくることを知らなかったようだ、というのは彼の言動からも窺い知れた。セツナ本人は、シーラを利用するつもりもなかった、ということだ。

 そして、セツナは、巨大獣の中からシーラを救い出している。巨大獣と化し、暴走した獣姫を見事に助けだし、戦いを終焉へと導いている。普通ならば、倒すだろう。巨大獣を斃し、シーラを殺しただろう。だが、彼はそうしなかった。そうすることができるだけの力を有しながら、シーラを救った。シーラとの約束を守ったのだ。

「あんたは……大将なら、信じられる」

「良かった」

「けど、な」

 エスクは、腰の帯にぶら下げていた短杖を手に取った。柄を握ると、力を吸われるような感覚とともに視野が広がり、周囲の情景が脳裏に投影された。星明かりだけでも十分な光量となって、視界が安定する。セツナとの間合い、周囲の団員たちの位置まではっきりとわかる。レミルの悲痛な表情も、ドーリンの険しい顔つきも、よくわかる。なぜふたりがそのような顔をしているのかは、わからないが。

「エスク!」

「団長代理……!」

「それとこれとは、話が別なんだよな」

 短杖に力を込めると、またしても力が吸い取られるような感覚があり、短杖の先端から光が噴き出した。淡い光は急速に収斂し、長い刀身を構築する。光の刃。理不尽なまでの切れ味を誇る剣は、白狐にも通用している。もっとも、白狐の尾を浅く裂いたところで、すぐさま修復されてしまったのだが。そして、吹き飛ばされた。さらに尾を叩きつけられ、動くに動けなくなった。終戦まで、だ。死に場所を求め、逸った結果がそれだ。笑えない。

「そうかい」

「俺には俺の人生がある。意地もある。ここまで来たんだ。いまさらあんたに命乞いをしようだなんざ、思っちゃいねえっての」

「くだらん意地だな」

 とはいったものの、セツナは、エスクを馬鹿にしている風でもなかった。むしろ、理解しているという表情だ。それが、気に食わない。理解できるはずがない。わかるはずがない。居場所の用意された英雄になど、死に場所さえも奪われた傭兵の心情など、わかるはずもない。

「下がっていろ」

「はい!」

 女士官の威勢のいい返事は、耳障りというほかなかったが、気に喰わないのは、そこではない。セツナのことを一切心配せず、唯々諾々と後ろに下がる女士官の反応こそ、気に食わない。セツナが負傷し、殺されるということを万が一にも考えていないのだ。

(当然か)

 胸中で苦笑する。

 九尾の狐に打ちのめされた傭兵と、九尾の狐を解体してみせた英雄では、相手にならない。そう考えたとしてもおかしくはないし、それ以前の問題かもしれない。女士官は、エスクのことについてなにも知らないだろうが、セツナについては知りすぎるくらいに知っているはずだ。女士官はガンディアの軍人であり、セツナはガンディアの英雄なのだ。

 信頼するのも当然だ。

 黒き矛を構えた少年の姿を真正面から捉えたとき、エスクは、全身が震えるのを認めた。全身が泡立ち、総毛立った。緊張感が凄まじかった。

(これが……死か)

 エスクのこれまでの人生で、もっとも死を体現している男だった。

 そして、地を蹴った。

 ようやく、死ねる。


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