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第千五十一話 後始末(前)

「残念だったな、シド」

 ベインがそんなことをいってきたのは、騎士団陣地への道中だった。

 九尾の狐を包み込んでいた白い結界が崩れ去り、九尾の狐そのものが消滅したのは、つい先程のことだ。九尾の狐との戦いは長かったように思えるが、実際は、それほどでもない。長かったのは、九尾の狐が球状の結界を形成してから崩壊するまでの時間だ。その間、シドたちは、結界を破壊するために力を尽くしたが、破壊しても破壊しても瞬時に再生する結界を越えることは不可能だと判断し、あるときから攻撃の手を止めた。

 最終手段を使えば、不可能ではなかっただろう。だが、許可が下りていない以上、その力を使うことはできない。

 それから、結界を包囲する陣形の構築に協力し、変化が訪れるのを待った。

 結界の中にはセツナがいる。黒き矛のセツナ。彼ならば、竜を殺し、鬼を倒した彼ならば、九尾の狐であろうとも打倒し、すべてに決着をつけてくれるだろう。

 だれもが、期待した。

 ガンディア軍はいわずもがな、シャルルムも、騎士団も、アバードの将兵たちですら、黒き矛のセツナが九尾の狐を斃し、この戦いを終わらせてくれることを望み、願った。

 救いを求める力が一点に収束するのを、見た。

 そして、九尾の狐の結界が崩壊し、九尾の狐そのものもまた、消滅した。

 シーラ姫は、生きていた。

 セツナは、見事、シーラを救出してみせたのだ。失意の底から、絶望の闇から、救い上げてみせたのだ。

 死によって救ったのではない。殺すことによって、絶望を断ち切ったのではないのだ。

 シドは、セツナがシーラ姫を連れているところを見た瞬間、己の敗北を悟った。負けたのだ。明確な敗北。これ以上、なにもいうことはないくらい完璧な敗北だった。だが、そのことでシドがセツナに対してなんらかの複雑な思いを抱くということはない。ただ、同志として迎え入れることができれば最上だと想うだけのことだ。

「なにがだ?」

「勧誘。また失敗した」

 ベインが笑う。彼にしてみれば、シドの勧誘癖が面白くてしかたがないのだろう。

「……ああ、そのことか」

「いくらなんでも、セツナ伯が応じるとは思えませんが」

 ロウファの嘆息も、もっともだ。

「……まあ、人材は多いに越したことはない。特に彼は優秀だ。力だけでなく、ひとを救ってみせた。巨大な化物と化して暴れ回る姫君をな」

 その化物は、ただ、死を望んでいた。

 死を望み、求め、それを救いだと信じて暴走し、蹂躙した。

 そんな怪物を殺すことは、なんら間違いではない。

 むしろ、殺すことこそが正しく、生かし、救うなど、言語道断というべきだ。普通ではない。真似できることではない。少なくとも、シドたちには、不可能だった。たとえ九尾の結界を越えることができたとしても、シーラ姫の命脈を断つ以外の方法はなかっただろう。そしてそれで良かったのだ。それでも、良かったのだ。

 ただ、セツナには、そんな結果は受け入れられなかった。だから、シーラ姫を救ってみせた。どのようにして救ったのかは、わからない。わかる必要もない。救い方などひとそれぞれだ。今後、今回のようなことがあったとして、シーラ姫と同じ方法で救えるとは限らない。そのときこそ、殺すしかないかもしれない。殺すしかなければ、セツナといえど、そうするだろう。

 おそらく。

「おう、さすがの俺も、あれには驚いたぜ」

「さすがの?」

「なんだよ!」

「いや、なんでもない」

 ロウファがすぐさま言葉を引っ込めたのは、疲れているからだろう。疲れてさえいなければ、いつものように口論に発展させ、無意味な勝敗に固執したはずだ。疲労。シドも、感じずにはいられない。所詮は人間だ。力を用いれば消耗し、消費し、疲労せざるを得ない。それが人間だ。そして、人間だからこそ、ここにいる。

 人間でなければならない。

「……なんにせよ、彼には救済者となれるだけの力と素質がある」

「閣下に報告されますか?」

「ああ」

「ケイルーン卿の報告は当てにならん、と一言付け加えて、な」

「そうだな……確かに、当てにはならなかったな」

 シドは、ベインの物言いに笑いながら、小さくうなずいた。テリウス・ザン=ケイルーンは、騎士としては優秀だが、彼の報告には私情が混じりすぎている。セツナの実力を把握していないばかりか、救済者にたるべき人物ではないと断じてさえいた。もっとも、彼の報告が頼りにならないのは、テリウスの能力が足りないというよりも、調査期間の短さが原因なのではないか、と思えるのだが。

 そんなことを考えながら、騎士団陣地に辿り着くと、彼は軍を纏めた。野営の準備を始めさせる。九尾の狐が消え去り、各軍が相争うための障害はなくなった。が、すぐさま戦いを再開できるという状況にはなかった。だれもかれも疲れ果てている。それになにより、九尾を倒すために協力したことで、それぞれに仲間意識のようなものが芽生え始めていた。ついさっきまで殺し合い、憎みあってさえいたのに、だ。

 共通の敵を持ったとき、人間は極めて協力的になる、というのは本当らしい。

 西を見ると、日が沈もうとしていた。長い一日が、終わろうとしている。

 戦いは終わった。

 決着がついたとは言い切れないが、これ以上、アバード側に戦う力は残されてはいないだろう。騎士団が死力を尽くしたところでどうなるものでもあるまい。もはや勝敗は決まったといっていい。王都だけでなく王宮までも壊滅したのだ。リセルグ・レイ=アバードとセリス・レア=アバードが死んだことも、大きい。国の頂点に立つふたりが亡くなられてしまった。セリスは自害で、リセルグは出血と、イセルドの矢によって。

 国王夫妻の死は、おそらく、イセルドによって、シーラが手を下したことになっていることだろう。イセルドならば、そのようにしてもおかしくはない。リセルグが死んだのは、イセルドが手を回していたからにほかならないのだから、当然、そうなる。

 イセルド=アバード。アバード国王リセルグの実弟である彼は、野心家などではなかったはずだ。少なくとも、表向きはそう思えた。リセルグの忠実な臣下であり、有力な政治家に過ぎなかった。しかし、リセルグの告白を聞いたいま、彼が野心を抱いていたとしてもおかしくはないと思えた。王子にして王位継承権を持つセイル・レウス=アバードが、彼の血肉を分けた子だということが判明したのだ。イセルドは、セイルが国王になることを望み、そのために行動を起こしていたとしても、なんら不思議ではなかった。セイルの王位継承の邪魔となるシーラの存在を疎み、シーラを抹消しようとしていたとしても、だ。

(救われないな)

 シドは、そんなふうに思った。

 救われない国だ。

 だれが悪いわけでもあるまい。

 リセルグも、セリスも、イセルドも、シーラも、多くの貴族、軍人たちも、皆、国のためを想い、国のために行動した。

 その結果がこの惨状を招いた。国王と王妃が死に、王宮、王都が崩壊した。

 だれも、このようなことになるなど、想像してもいないだろう。

 だれひとり。

 過ちは、どこにあったのか。

 シーラが生まれたことか。

 シーラを王子として育てたことか。

 王子としてのシーラに苦しみ、新たに子を欲したことか。

 子種がなかったことか。

 王弟との間に子を設けたことか。

 セイルが生まれたことか。

 王女になったはずのシーラが、獣姫として戦場を駆け回るようになったことか。

 シーラが、国民的人気を得たことか。

 シドは、頭を振った。

 考えていても、仕方のないことだ。

 望まれないかぎり、内政干渉はしない。

 それがベノアガルドの考え方だ。望まれないかぎり、救いの手を差し伸べることはない。おせっかいはしない。救いを求める声に答えてこそのベノアガルドであり、神卓騎士団なのだ。アバードの主権を握るであろうイセルドがなにも言ってこないかぎり、ベノアガルドが口をだすこともない。 

 皆、疲れてもいる。

 シドは、騎士団の騎士たちが野営の準備に勤しむのを眺めながら、自分にも手伝えることはないかと考えていた。


 顔を、上げる。

 九尾の狐によって蹂躙されたという王都の町並みが、横たわっている。何もかも破壊され、美しかった町並みは、いまやただの廃墟と化していた。

 廃墟。まさに廃墟だ。王都だけではない。王宮も、跡形もなくなってしまったといっていいほどに破壊され尽くしていた。蹂躙というに相応しい。それが、シーラとハートオブビーストによるものだと聞かされても信じられるわけがなかった。ハートオブビーストにそこまでの力があるとは、思えない。とはいえ、イセルドが嘘をつくとも思えない。

(いや……)

 セイルは、胸中で頭を振る。

 イセルドは、叔父は、嘘を付いている。

 嘘としか思えないことをいっている。

 それをまるで事実のように流布し、王都中に混乱を巻き起こしている。

「殿下。これが、この惨状こそが、姫様の――いえ、あの売国奴のやり方なのです」

「売国奴……?」

「あのものは、自分を護るため、ガンディアに国を売られた。国を売るだけでは足りなかったのでしょうな。実の親である陛下と妃殿下を弑するまでに至った。愚かなことに」

「……うそだ」

「信じられないことかもしれませんが、それが事実。あのものは、みずからの派閥に乗せられ、女王になれると思い込み、行動を起こしたのでしょう。その結果、エンドウィッジの戦いに敗れ、落ち延びた。陛下の温情によって命を救われたにもかかわらず、まさか、ガンディアに我が国を売るとは……いくらなんでもやりすぎでございましょうに」

 恭しさの中に傲慢さが隠れて見えた。尊敬すべき人間であるシーラを暗に馬鹿にし、見下している。いや、彼が真に言葉通りのことを想っているのならば、そういう考えを抱いたとしても、なんら不思議ではない。しかし、それでは、セイルの心を動かすことはできない。少なくとも、セイルは、そうは想っていないのだ。

「姉上がそのようなことをなさるはずがない……」

「殿下。どうか、現実を御覧ください」

 イセルドは、廃墟と化した王都を指し示しながら、いった。夕闇が迫る王都は、巨大獣に蹂躙されたまま、癒えることのない傷痕を抱えたかのように存在している。なにもかも壊れ、だれもが帰るべき場所を失い、途方に暮れている。セイルたちが王都に訪れても、家を失った王都のひとびとは、ただ茫然としていた。中には、セイルやイセルドに急速な復興を直訴しようとして、護衛の兵士たちとの間で一悶着を起こしたものもいるが、ほとんどは静かだった。声さえ失ってしまったかのような沈黙が、廃墟に横たわっている。

 そんな廃墟を無事な姿で見ていられることが不思議でならなかった。王宮の崩壊に巻き込まれたのだ。普通ならば、死んでいる。だが、セイルは死ななかった。運が良かった、などという話ではない。王宮崩壊当時、王宮内にいた人間はひとりとしてしななかったのだ。なにかに護られていたのではないかとしか、思えない。

 それは、王都のひとびとも、同じだ。

 この絶望的な惨状の中で、悲嘆に暮れるものこそいれ、死を嘆くものはいなかった。だれも死んでいないのだ。倒壊した建造物に押し潰されたものも、瓦礫に埋まったものも、だれひとりとして死ななかった。死ぬほどの重傷を負わなかった。怪我をしたものも、皆、軽傷で済んでいる。

 奇跡。

 そんな安易な言葉を信じたくなるほどの状況だった。

 なにもかも破壊されたのだ。王都の住民の中から数多くの死者が出たとしてもなんら不思議ではないし、これだけの惨状を見れば、それくらいの覚悟もしようものだ。だが、死者はでていないという。それが不思議だった。

 不思議で、奇妙だった。

 シーラが父と母を殺害し、なおかつ王宮と王都を破壊し尽くしたというのなら、死者が出て当然であろう。殺すことに躊躇いがないのなら、あのような怪物に変貌できるのなら、死者は出るべくして出たはずだ。だが、死者は出なかった。だれも死ななかった。死んだのは、王宮が崩壊する前に死んだふたりだけだ。国王リセルグ・レイ=アバードと、王妃セリス・レア=アバード。たったふたり。だが、そのふたりがこの国の中心であり、頂点であったのだから、失われたものはあまりにも、大きい。

「これほどまでのことをやってのけたのが、シーラなのです。陛下と妃殿下を弑することくらい、なんの躊躇いがありましょう」

「姉上が……」

 イセルドを見やる。

「姉上が父上と母上に刃を向けることなんて、あるわけがない」

「あったのです。殿下、現実を受け入れなさい。現実を受け入れ、そのうえで、前に進むのです。国王とは、そうあるべきなのですよ」

「国王?」

「陛下亡き後、殿下が王位を継承するのは、当然のこと。シーラは、それが許せなかったようですが」

 息を飲み込む。

 シーラが王位を望み、行動を起こしたという話は、どうしても受け入れられないのだ。本当に、そこにシーラの意志が働いているのだろうか。本当に、シーラが望んだことなのだろうか。シーラが望み、女王になりたがったというのなら、セイルは譲っても良かった。セイルは、自分よりもシーラのほうが国王に向いていると想っていたからだ。もっとも、そんなことをいえば、周囲の人間に反対されるのはわかりきっている。シーラを称賛することさえ憚られたのだ。シーラに王位継承権を譲りたいなどといえば、セイルの立場さえ危うくなるのではないか。

 シーラ派の急成長以来、王宮は異様なまでの緊張に包まれていた。生きた心地がしないほどに。

「……シーラは、愚かなことをした。周囲に乗せられ、女王になることを夢見た。いえ、夢見ることが罪とは申しますまい。女王になりたいと想い願うのは別に構いません。しかし、行動に移すのは、頂けない。アバードの平穏を乱すだけでは飽きたらず、あまつさえ、陛下と妃殿下を亡き者にしてしまった。そんなものを許せますか?」

「姉上が本当に父上と母上を殺害したのならば、許せません」

「なれば……」

「けれど、ぼくには、姉上がそのようなことをするとは思えないのです」

 セイルは、言い切った。家族を愛し、王家を愛し、国を愛し、民を愛したシーラが、そのような行動に出るとは、到底思えない。わかってはいる。ガンディア軍の御旗となり、アバードに敵対したという事実も認識している。衝撃的な話ではあったが、受け入れてはいる。しかし、それでも、シーラがリセルグとセリスを殺すことなどありえないと、断言できる。

 シーラにそんなことができるはずもない。

「何度もいっているでしょう? 殿下。シーラは、いまや殿下の知っているシーラ姫ではないのです。権力の魔性に取り憑かれ、ガンディアに身を売り、国さえ売り渡した外道。それが、シーラなのです」

「……!」

 セイルは、イセルドを睨んだ。夕闇の中、イセルドの表情はよくわからない。離れているわけではないものの、影が、彼の表情を覆い隠している。どのような顔で、こちらを見ているのか。声音は、穏やかだ。いつもと大きく変わらない。それが気に障るといえば、気に障った。この状況で、いつものように振る舞えるものだろうか。

「殿下がシーラを慕うのもよくわかる。しかし、現実を見てください。どうか、あのもののしてきたことを思い返してください。そして、シーラという幻想から離れてください」

「叔父上……しかし……」

「シーラが、あの子が、わたしを殺すはずなどあるまい」

 はっと、する。

 聞き慣れた声が、聞こえたからだ。もはや耳にすることなどないと思われた声。記憶の中に埋没するしかないはずの声。幻聴なのではないかと思った。死んだ人間の声が聞こえるはずもない。あるいは、死んではいなかったのか。

 そんなことを思いながら振り向くと、王宮の方向から、近衛兵に護られて、ひとりの男が近づいてきていた。見事な白髪と蓄えられた髭が、夕闇の中でも輝いて見えた。わずかな光を跳ね返したのだろう。白髪は、アバード王家の血筋の証だが、それ以上に驚いたのは、その人物がリセルグ・レイ=アバード本人だったからだ。容姿背格好なにもかも、リセルグ・レイ=アバードそのひとであり、セイルは、驚きのあまり言葉を飲みこんだ。

「父上……?」

 リセルグは、近衛兵とともにセイルとイセルドを囲う輪の中に入ってきた。ふたりを囲む兵士たちも、驚いたり、唖然とした顔をしている。皆、リセルグが死んだことを知っているからであり、多くが、その亡骸を目の当たりにしたからだ。死んだはずの人間が健康そうな姿を見せれば、だれだって度肝を抜かれる。

「セイル。そなたの考えは間違いではない。シーラが、わたしを殺すことなどあろうか。あの子が、セリスを殺すことなどあろうか。あるはずもない。あの子にそのようなことができるはずもない。セリスはみずから死を選び、わたしは、わたし自身の意志で、死んだのだ」

 リセルグは、厳かにいった。


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