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第千五十話 生きるということ

 九尾によって作られていた異空間が崩れ去ると、視界に飛び込んでくるのは現実世界の風景だ。

 夕日が空を赤く染め、流れる雲も赤々と燃えていた。風は穏やかで、世界は美しい。静寂があった。しかし、その静寂も一瞬にして、消え去る。九尾の狐が消えたからだろう。歓声が上がった。どこからともなく上がった歓声は、戦場全体へと波及し、現実への帰還を果たしたセツナとシーラを拍手喝采で包み込んだ。圧倒的な巨体によって戦場を蹂躙した九尾の狐を撃破したのだ。共同戦線を張り、一丸となって怪物とあたっていた各軍将兵にしてみれば、歓喜するのは当然のことだったのかもしれない。

 遠巻きに自分たちを包囲する兵士たちが上げる歓声を聞きながら、セツナは、そんなことを思った。彼らは、九尾の狐の正体を知っているのかどうか。知っていようと知っていまいと関係ないといえば関係ないが、九尾の狐の中からシーラが現れたということをどうやって説明するべきなのか、セツナは頭を悩ませる。

「なにも悩む必要なんてねえよ」

 シーラの声は、穏やかだ。

 失意と絶望に堕ち、死を望んでいた彼女とは比べ物にならないほど落ち着いている。彼女は自分を取り戻したのだ。そうなれば、なんの心配もない。それに、彼女になにか考えがあるのならば、その考えに任せればいい。どのようなことをしようとも、セツナは彼女を護る、ただそれだけのことだ。

 セツナは、シーラにうなずくと、彼女の手を取り、歩き出した。包囲陣の一方、ファリアやミリュウたちのいる方向へと、向かう。向かわずとも、彼女たちが駆け寄ってくることはわかっていた。真円に近かった包囲陣があっという間に崩れ去ったのも、それが理由だ。真っ先に、ミリュウが飛び出している。セツナは笑ってしまった。

 まもなく、セツナはミリュウたちとの再会を果たした。包囲陣の中心から外側に至る途中。そこで、ミリュウに抱き留められ、ファリア、レム、ルウファの順に対面した。翼を持つルウファが一番遅かったのは、彼なりに気を使ってくれたからかもしれない。

「よかったああああ!」

 抱きついてくるなり、ミリュウが大声でいった。人目も気にしなければ、恥も外聞もない。ミリュウらしいといえばミリュウらしい行動であり、シーゼルでの合流以来、絶えてなかったことだ。ミリュウはこういう女性だったのだと思い出し、笑みを浮かべる。彼女は、本能の赴くままに動く。つまり、シーゼルからここに至るまで、ずっと抑えていたということだ。状況を見て弁えることができるのだから、人間ができているとも言えるのだろう。セツナは、そんなミリュウをいじらしく思い、片手で彼女の髪を撫でた。

「心配、かけたな」

「本当よ」

 と、いってきたのは、ファリアだ。オーロラストームを抱える彼女は、セツナに抱きついているミリュウを一瞥して、それから軽く嘆息した。嘆息は、セツナに対してのものだろう。

「まったく、いつも無茶ばかりするんだから」

「そうでございます。ファリア様なんて心配のあまり倒れそうになってしまわれたのですから、ご主人様も振る舞いにはお気をつけ下さいまし」

 レムがファリアの背後から顔を覗かせた。“死神”も大鎌もないのは、戦闘が終わったからだろう。ファリアやルウファとは違い、レムはいつでも“死神”を呼び出すことができる。警戒して召喚したままにしておく必要がない。

「本当なのか?」

 ファリアを見ると、彼女はあきれたような表情を浮かべた。

「そんなわけないでしょ。心配はしたけど、信頼もしているもの。君が無事に帰ってくることを疑ってなんて居なかったわ」

「そうそう。隊長ならなんとかしてくれるって、信じてましたし」

「そりゃあ、嬉しいねえ」

 ルウファに向かって笑顔を向ける。ルウファはげっそりと痩せているように見えたが、それは召喚武装の使いすぎによる消耗が原因だろう。特にシルフィードフェザーの最大能力オーバードライブは強力なのだが、消耗が激しすぎるのだという。精神力から体力までも消耗し尽くした結果が、いまのルウファなのだろうことは疑いようがない。

 それだけ戦いに力を注いでいたということだ。《獅子の尾》副隊長の肩書に相応しいというべきだろうか。

 ふと見ると、黒獣隊の面々――つまり、シーラの元侍女たちも駆け寄ってきていた。シーラがセツナの手を離し、彼女たちに歩み寄る。

「シーラ様!」

「シーラ様、良かった! 本当に良かった!」

「おまえら……」

「うう、あの狐さんがシーラ様だって聞いたときは、どうなるのかと思ったんですからね!」

「そうですよ、心配ばかりかけて」

「少しは反省……」

 ウェリス=クイード、クロナ=スウェン、ミーシャ=カーレル、アンナ=ミード、リザ=ミード。黒い軍服に新式装備を身に纏った五人は、シーラを取り囲み、泣き叫んだ。シーラは、そんな彼女たちの反応に戸惑い、狼狽えた。が、すぐに受け入れ、うなずく。

「あ、ああ……わかってる。済まなかった。俺のせいで、迷惑かけたな」

「いえ、シーラ様。シーラ様の立場になってみれば、致し方のないことだと存じ上げます」

「ウェリス……」

 シーラは、ウェリスの慈しみに満ちた目を見つめ、なにを考えたのだろうか。

 セツナは、横目にシーラの表情を見て、そんなことを思った。


「と、いうわけだ」

 セツナは、九尾の狐の正体について説明し、また、九尾の狐の破壊活動によって死者が出ていないといったことも話した。そして、シーラがなぜそんなことをしたのかも、かいつまんで説明した。つまり、バンドール王宮でなにがあったのかを、だ。

「そんな……」

「陛下と王妃殿下が……」

「本当のことなんだ。父上も母上も亡くなられてしまった」

 シーラが、静かに告げた。遠く聞こえる歓声が、場違いとしか思えなかったが、といってどうすることもできない。九尾の狐という怪物を力を合わせて退治したのだ。喜びを共有し、皆で歓声を上げるのもしかたのないことなのだろう。

 そして、そのことによって、九尾の狐が倒れたことで、すぐさま戦争が再開するものではないということがわかった。九尾の狐という共通の敵が居たからこその共同戦線であり、敵味方の区別なく一丸となって巨大な敵にぶつかったのだが、その大敵が見事消失したいま、即座に敵味方に分かれられる状態ではないのだろう。一度味方になってしまった。仲間になり、戦ってしまった。瞬時に切り替えられるものでもないのかもしれない。

 それに、時刻が時刻だ。

 夕闇が迫っている。じきに夜になる。昼前に始まった戦いを夜中まで続けることはあるまい。一時休戦状態のまま、一夜を過ごすことになるだろう。戦いが再開するとすれば、明日以降。しかし、王都と王宮が壊滅し、アバードの国王夫妻が亡くなられたいま、アバード軍に戦う意志が残っているのかどうか。ベノアガルドの騎士団に戦う理由があるのかどうか。

 いずれにせよ、明日になればわかることだ。そのころには、バンドールの状況や国王夫妻の死について、アバード・ベノアガルド軍も認知することだろう。

「そんなことがあったのね……」

 ミリュウが、心苦しそうにいった。シーラの心情を慮れば、そうもなるだろう。ミリュウだけではない。ファリアもレムもルウファも、黒獣隊の面々も、沈鬱な表情になっていた。

「ああ」

「だから、助けたかったんだ?」

「だから、ってわけじゃねえけど」

「理由なんてなくても、助けた?」

「そりゃあな」

 うなずいて、ミリュウの目を見る。穏やかなまなざし。彼女がなにを考えているのかは、しかし、わからない。が、セツナは、彼女の願いに対する自分なりの答えを見せつけたつもりだった。シーラは、彼女のように死を望んだ。セツナに殺されることを望み、そのために化物とかして暴れまわった。そうすることでセツナの殺意を引き出そうとしたのだ。だが、セツナはシーラの願いを聞き入れなかった。生かすための方法を考え、悩みぬいた末、なんとか救い出すことに成功した。それでよかった。殺すつもりなどなかったのだ。殺したくなどなかったのだ。ここで彼女を殺すということは、ミリュウも、いつか、殺さなければならなくなる。

 そんなことはできない。

 だから、これが答えなのだ。

「あたしは、ちゃんと殺さなきゃだめよ」

 ミリュウは、セツナにしか聞こえないような声で囁き、体を離した。セツナは茫然とした。想いは、伝わった。セツナがなにを考え、どうしたいのかは、完全に伝えることに成功している。だが、彼女には受け入れられなかった。

 セツナは、ミリュウがレムに話しかけるのを見つめながら、憮然とした。

 そんなこと、できるわけがない。

 叫びたかったが、そのような状況にもなかった。

 騎士が、歩み寄ってきていた。

 シド・ザン=ルーファウス。

 セツナは、彼が剣を鞘に収めている様子を見て、少しばかり安堵した。油断はできないが、おそらく、戦闘になるようなことはあるまい。シドは融通の聞かないわからず屋だが、聞く耳を持たない人間とも、思えない。

 というより、いま、彼がシーラを殺す理由がない。シーラの殺害を依頼した王妃は自害し、その上に君臨する国王も死んでしまった。アバードが今後どうなるかはわからないが、ベノアガルドの騎士団に依頼した張本人たちがいなくなった以上、シドたちが、いま、セツナたちの敵に回る可能性は低く思われた。

 騎士が近づいてくると、セツナの前にいたファリアたちが退き、道を開けた。彼女たちが警戒しながらも道を譲ったところを見ると、彼らに敵対する意図がないと見ているということだ。でなければ、セツナの前で武器を構えるだろう。そこでまたさらに安心する。ファリアたちへの信頼が、そうさせる。

「これが、あなたの答えか」

 シドは、冷ややかな目で、こちらを見据えていた。その背後には、ベインとロウファのふたりが控えている。ベインの巨体が飛び抜けているが、ロウファも長身であり、並んで立っても違和感はなかった。シドもだ。そして、たった三人だというのに異様なまでの圧迫感を感じる。

「セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド」

「ああ。悪いか? シド・ザン=ルーファウス」

「いや……」

 彼は、頭を振った。その後ろで、ベインがにやりとし、ロウファが眉根を寄せた。三人の騎士。それぞれ、考え方が違うということだろうが。

「死もまた救い。だが、それは、生もまた救いだということです。そのことは、我々も知っている。知っていて、それでも殺さなければならないときがある。死でもって救わねばならないときがある」

「それは……わかってるさ」

 セツナは、シドの目を見つめながら、うなずいた。場合によっては、シーラを殺すしかなかったかもしれない。シーラが完全に制御不能に陥り、暴虐の限りを尽くし、だれもかれも殺し尽くしていれば、ほかに手のうちようがなかっただろう。彼女を生かすことができたのは、殺さずに済んだのは、シーラがだれよりもアバードを愛し、国も民も愛していたからにほかならない。そして、シーラが誇り高い王族であったことが最大の理由なのだ。

 自分のためには行動できない。

 それが、シーラだった。

 死を望んだのも、自分のためというよりは、他人のためという観点のほうが強いのではないか、きっと、そうだろう。彼女は、アバードを混乱に陥れた責任をおった。おそらくは、そういうことだ。だから、巨獣となって暴れまわっても、だれひとり殺すことができなかった。

 だから、セツナは彼女を手にかけずに済んだ。そのことには、セツナは心底ほっとしていた。シーラを殺したくなどないというのは、当然のことだ。セツナはシーラを憎んでもいなければ、嫌ってもいない。むしろ、好きだった。護るという約束もある。

 約束は、護らなければならない。

 シドが、口を開く。秀麗な容貌は、貴公子のようだ。実際、貴公子なのかもしれない。騎士なのだ。それなりの家格はあるだろう。

「ですが、今回ばかりは、あなたが正しかった」

「認めるんだな」

「意外ですか?」

「ああ」

「あなたは素直な方だ。しかし、だからこそ、か」

 彼は、少し、笑った。笑うと、その冷たい容貌に日が差したようであり、驚くほど柔らかくなる。その剛柔の変化はあまりにあざやかで、セツナは見とれかけた。

「素直に状況を受け入れ、素直に世界を見ている。その素直さが、シーラ姫を救う力となったのでしょう」

「そうかな? よくわかんねえよ」

「あなたには、救済者としての資格があるのかもしれない」

「そんな資格、欲しくもねえっての」

「そう仰られると、思いましたよ」

 彼はそういって、一礼し、去っていった。ベインとロウファとは、言葉もかわさなかった。ベインは、ミリュウに向かって手を振ったようだが、ミリュウがわざとらしく顔をそらして意思を示すと、苦笑していた。ミリュウとベインの間になにがあったのかわからないが、ミリュウならば、あとで教えてくれることだろう。虚実織り交ぜつつ。

 三騎士が立ち去ると、場に満ちていた緊張感が消え去り、セツナはふらふらになった。思った以上に力を消耗していたことが、いまになってわかる。黒き矛の能力の多用が響いている。仕方のないことだ。半ば諦めながら、その場に座り込む。

「ようやったのう。さすがはわしの主じゃな」

「は……はは……本当、な」

 ラグナの声を聞きながら、セツナはその場に仰向けに転がった。周囲の視線など気にしなかった。いまはただ、酷く疲れている。両足が、いまさらのように痛みを訴えてきていた。空間転移のために切り裂いた腿がひたすらに痛い。早いところ手当するべきなのだろうが、いまは、そんな気にさえなれない。

 赤く燃える空が次第に暗く染まっていくのを見つめながら、セツナは、ゆっくりと息を吐いた。

「お疲れ様」

 ふと、ファリアがいってくれた言葉が、妙に嬉しかった。

 皆、生きている。


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