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第千四十七話 白毛九尾(八)

 地を蹴り、飛ぶ。

 九尾の狐の――シーラの攻撃範囲内へと、勇躍する。

 光の矢や雷光の奔流が数多の矢とともにシーラへと殺到し、尾の防壁によって妨げられるのを見届けながら、“死神”がミリュウとともに地を駆け抜けるのを認識する。一斉攻撃。空中からはルウファが迫り、一本の尾が彼に向かう。九本の尾のいくつかは、それらへの対処に使われた。だが、まだまだ残っている。一本が、地を薙ぎ払う。長大な尾。地をえぐりながら、右から迫ってくる。物凄まじい勢いだったが、構わない。跳躍する。眼下、尾が通過する。

「セツナ!」

 ラグナの叫びで顔を上げた。目の前に純白があった。九尾の狐の尾。矛を叩きつける。衝撃。反動。叩き落とされる。が、落ち切らない。なにかに受け止められた。そして、反発が起き、跳ね上げられる。なにが起きたのかわからない。

「行って!」

(ミリュウ!)

 ミリュウの叫び声によって、セツナの落下を防ぎ、さらに上昇させたのが彼女の召喚武装だと理解する。自在に形状を変える磁力刃。使い方次第では、そんなこともできるということだ。ミリュウの悲鳴が聞こえた。尾に吹き飛ばされたらしい。が、心配している暇もない。

 セツナはいま、荒れ狂う九尾の攻撃範囲を突破し、白狐の顔と対峙していた。中空。ミリュウの召喚武装によって高く打ち上げられていたのも、もうすぐ終わる。落下が始まる。

 白狐の美しい目が、こちらを見ていた。

 落下が止まった。足場。つぎは、ミリュウではない。ファリア。オーロラストーム・クリスタルビット。オーロラストームの結晶体で構築された足場が、セツナの落下を阻止してくれたのだ。そして、足場が、セツナと白狐の対峙を促した。白狐が、大きな口を開いた。咆哮する。大音声。雄叫びというよりは慟哭に近い。悲壮な叫び。

 セツナも負けじと叫んだ。

「シーラアアアアアアアアアアアア!」

 九本の尾が、周囲の敵ではなく、セツナに向かって殺到してくるのが、わかる。凄まじい圧力の接近を肌で感じた。全身が泡立つ。足場を蹴り、飛んだ。前へ。とにかく、前に向かって、飛ぶ。大きく開かれた口の中へ、飛び込む。激突音が聞こえた。九つの尾がぶつかり合ったのだ。クリスタルビットが粉々に破壊されたのがわかる。そして、激突の衝撃が、余波となってセツナを後押しした。口の中へ。暗闇の中へ。

 なぜそんなことをしたのか。

 簡単な理屈だ。ドラゴンを撃破したのと同じ理由。外側がいくら硬くとも、内側は、脆い。倒すつもりならば、それ以外にはない。ラグナを倒したときの力は使えない。あんなものを使えば、巻き添えに多くの人が死ぬことになる。

 だれひとり、シーラによっては殺されていないというのに、だ。

 そしてもうひとつ、理由がある。こちらは、可能性だ。しかし、いまのセツナには、その可能性にすべてを賭けるしかなかった。ほかに、この状況をひっくり返す方法も思いつかない。

 口腔内を通過し、喉の奥へ、落ちていく。

 闇への落下。

 その最中、白い影が目の前に現れて、セツナの視界を塞いだ。霧のように不確かな影は急速に輪郭を帯び、確かな姿を象っていく。しなやかな四肢。ひとの形。少女の姿。両腕がこちらに伸びてくる。長い白髪がセツナの顔を包み込む。落下速度の違いだ。白い少女と、セツナの距離は、急速に縮まっていった。止めようがない。止める必要もない。

 白髪の少女は、セツナを抱きとめるようにした。

 シーラの幻影。

『すき』

 それだけをいって、少女の幻影は掻き消えた。

 いや、掻き消えたのは少女の姿だけではない。

 セツナを包み込んでいた闇そのものが消えてなくなり、九尾の狐の体内を落ちていたという感覚さえ、なくなる。圧迫感が消失したのだ。空間が広がりを見せた。視界に飛び込んでくるのは、白。ただただ白い世界が眼前に広がっている。そして、白で塗り潰された大地へ、吸い込まれるように落下する。重力には逆らえない。激突すれば、黒き矛の使い手といえども一溜まりもない。肉体は砕け散り、絶命するだけだ。だが、セツナは安心しきっていた。

 実際、地上に激突した瞬間、セツナは肉体が砕け散るどころか、衝撃を受けることさえもなかった。

「ここは……いったい」

 体を起こし、周囲を見やる。そこは、なにもかも白く塗り潰された空間だった。地面も、虚空も、頭上までも、なにもかもが純粋な白の中にある。九尾の狐の体内などではないだろう。体内外空間に繋がっていたのなら話は別だし、その可能性も皆無とは言い切れない。事実、ここは白狐の体内とは思えない異空間だ。

 異空間。

 まるで、異世界に迷い込んだかのような感覚がある。

(異世界の中の異世界なんて変な話だが……)

 召喚武装は不思議な力を持っている。なにが起きたとしても不思議ではないし、どのようなことが起こったとしても、受け入れるしかない。そもそも、巨大な九尾の狐の出現自体、普通には考えられないことだ。その九尾の狐の体内が異世界だったとして、おかしなこととは、言い切れない。

(飛躍し過ぎだがな)

「わしがいなかければ、どうするつもりだったのじゃ?」

 ラグナが不服そうな声を上げてきたのは、ここのところ彼の魔法を酷使し続けているからに違いなかった。ラグナの魔法が、セツナを落下の衝撃から守ってくれたのだ。彼が魔法を使うことができると判明してからというもの、頼り切りだった。それほどまでにラグナの防御魔法が強力で、頼り甲斐があるということだが、そのせいでラグナに負担をかけすぎているのであれば、今後は控える必要があるだろう。いざというときに頼れなくなるようなことがあってもいけない。

 なにより、ラグナの消耗が声音から伝わってくるのだ。

「そのときはそのときさ」

「答えになっておらんぞ」

「おまえとの問答は後回しだ」

「むう……」

「いまは、あいつを連れ戻すことのほうが先決だろ」

 セツナは、ラグナの頭を軽く撫でてやってから、この空間の中心に目を向けた。

「なあ、シーラ」

 純白の異世界、その中心に彼女は、浮かんでいた。

 シーラ。

 そして、彼女の九つの尾が、この異世界を包み込んでいた。



「あれで……良かったのよね」

「おそらく、ね」

 ミリュウがつぶやくと、ファリアが自信なさげに肯定した。

 戦場は、混沌とした状況から一転して静寂に包まれつつあった。

 それもこれも、ついさきほどまで戦場を蹂躙していた九尾の狐が、その姿形を変えてしまったからだ。巨大な九つの尾で自身を包み込み、巨大な白い球体を構築したのだ。巨大な白い毛玉のようなそれは、ファリアの雷撃もルウファの風弾も、騎士の光の矢でさえも撃ちぬくことができなかった。効果がないわけではない。雷撃は球体を形成する尾の表面を焼いたし、風弾も表面を抉った。光の矢も同様だ。しかし、それらの攻撃で毛玉に多少の傷をつけたところで、たちどころに復元し、元に戻ってしまうのだ。シドの雷光剣でも、ベインの光拳でも、同じことだ。死神と“死神”の同時攻撃でも、毛玉を傷つけることしかできない。ましてや、全軍の総攻撃などどこ吹く風である。

 そうなれば、攻撃を取りやめ、九尾の狐に変化が訪れるのを待つしかない。それがたとえどのような変化であっても、起きた結果を受け入れることしかできない。

「わたしたちには、ああすることしかできなかったわ。セツナを援護することしか、ね」

「ほかに方法なんてなかったんですし、あれで良かったんですよ」

 ファリアの言葉に便乗するようにいってきたのはルウファだ。彼が疲れきった表情をしているのは、九尾の防壁を破壊するため、シルフィードフェザー・オーバードライブを駆使したためだ。シーゼルの城壁を破壊した力を以ってしても、毛玉を大きくえぐることしかできなかった。しかも、抉られた部分はすぐさま復元されてしまうため、ルウファがどれだけ風力を集め、ぶつけたところで、ほとんど意味をなさなかったのだ。突き破るには、黒き矛並みの攻撃力が必要なのかもしれないし、もしかすると、黒き矛の攻撃力を持ってしても貫き切ることはできないのかもしれない。

「そうでございます。あとは御主人様にお任せすればいいんです」

「あんたって本当気楽よね。セツナを信じていればいいんだもの」

「はい!」

 レムは、元気よくうなずいてきた。その屈託の無さには、げんなりするしかない。

「はあ……」

 げんなりしながらも、レムには一応、感謝してもいる。レムが身を挺してかばってくれたからこそ、ミリュウはかすり傷ひとつ負わず、白狐の尾から逃れることができたのだ。代わりにレムが大打撃を受けたのだが、彼女はご覧のようにぴんぴんしている。怪我ひとつ負っていないように思えるほどだ。

「ま、わたしたちも似たようなものよ。セツナを信じる以外にはないわ」

「信じる……か」

「ん?」

「なにを、信じるというのです? 彼のなにを」

 などと問いかけてきたのは、シド・ザン=ルーファウスだった。騎士団の指揮官らしい騎士は、巨大毛玉の出現後、攻撃が無駄だとわかるとすぐさま騎士団をまとめ、攻撃命令を停止させている。九尾の狐への攻撃命令だけではない。ガンディア、シャルルムへの攻撃もだ。

 それは、ガンディア、シャルルム、アバードも同様だった。九尾の狐という共通の敵が現れてからというもの、四国の軍勢は力を合わせて戦っていたのだ。九尾の狐が毛玉のような状態になって沈黙したからといって即座に戦闘が再開されるわけもなかった。戦闘を再開した途端、九尾の狐の蹂躙が始まったりしたら、目も当てられない。

「あー、口だけの騎士団だー!」

 ミリュウは、シドではなく、彼の後ろに控えている大男のことをいった。ファリアが慌てたように制してくる。

「ちょっと、ミリュウ!」

「なによ、文句あるわけ? 救うだのなんだのいっておきながら、結局はなにもできずにセツナに置いてけぼりを食らった連中じゃない! あたしたちと同じようにここで指を加えて見てるだけしか能のない連中なんだから、なにをいったって――」

「いくらなんでも言い過ぎよ」

 ファリアの困ったような顔は、彼女はそうは想っていないということなのかどうか。なんにしても、ミリュウは自分の意見を引っ込めるつもりはない。救済を謳いながら他国の内情に干渉しようなどという胡散臭い連中に、遠慮する必要はないのだ。

(そんなこといいだしたら、うちらだって相当だけどさ)

 ガンディアのことだ。

 大義を振り翳し、シーラ姫を救援するという名目で侵略行為を行っている。騎士団と同じだ。みずからの戦いを正当化することに余念がない。だが、正当化しなければ、大義を掲げなければ戦争などできるはずもない。ただの侵略行為に命を投げ捨てられるものがどれほどいるのだろう。死んでも構わないと思わせるためには、正義がいる。信じるに足る大義がいる。己を騙し、欺くための義が必要なのだ。

「いや、嬢さんのいうとおりだ」

 大男があっさりと認めてきたことには、ミリュウも驚いた。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート。九尾の狐との戦いの中で、身につけていた鎧をほとんど破壊され尽くしているが、彼自身に負傷らしい負傷は見当たらない。シドやロウファ・ザン=セイヴァスなどは、鎧さえ壊されていないが、戦いかたの違いだろう。ベインは近接戦闘を得意とし、相手の攻撃を避けるのではなく、受けきって反撃を叩き込むという戦い方をしていた。巨大な尾の一撃も受け止め、その上で痛撃を食らわせていた。もっとも、その痛撃も、九尾の狐の表情を変えることさえなかったのだが。

 ロウファが、ベインを睨んだ。

「ベイン、貴様……」

「なんだね、セイヴァス卿。けいには、言い訳でもあるのかね」

 ベインが、胸の前で腕組みしたまま、鷹揚に問いかける。彼とロウファの間に緊張感が膨れ上がるのだが、ミリュウにはどうでもいいこととしか、思えない。騎士団の人間関係になど興味なかったし、彼がミリュウの発言を受け入れようと否定しようとどうだったいいのだ。気にするべきは彼らではない。九尾の狐の中に消えたセツナのことこそ心配だし、不安だった。

 ふと、思う。

 九尾の狐が毛玉のようになったのは、セツナがその口腔内に飛び込む直前だった。あの角度、あの速さなら、セツナは間違いなく口の中に入り込むことができたに違いない。その直前、白狐の九つの尾が、白狐そのものを包み込むように展開し、瞬く間に球体を形成した。それはあたかもセツナを取り込み、だれにも渡さないようにしたかのようでもあった。

 シーラが、セツナを自分のものにしようとしているのではないか。

 そんなことを考えてしまい、彼女は、静かに頭を振った。

「彼女のいうとおりだろう。俺たちは、救済を掲げた。大義として掲げた以上、実行できなければ意味がない。実行されない正義になんの意味がある。なんの価値がある」

「ベイン。今日の君はいささか饒舌だな」

「ま、俺にだって思うところがあるってだけの話さ。あんたやそこのガキの考えを否定するつもりはねえよ」

 ベインは、ぶっきらぼうに、いう。

 それに対して、ロウファは怒りの眼差しを向けていたし、シドは涼しい顔をしていた。ないにゃら頼もしげな目線は、シドが彼を信頼していることの証だろう。一方、ロウファとベインは馬があっていないらしい。どうでもいいことだが。

「まあ、いい」

「良くはありませんが……」

「いや、ラナコート卿の発言は、道理だ。正義を実行できず、成り行きを見守ることしかできない我々など、救済者失格だろう」

「ですが……」

「わかっている。わたしたちは救済者たらねばならぬ。そのことは、重々承知しているよ」

 シドの声には実感がこもっている。軽くはないし、浮ついているわけでもない、言葉通り、救済者たらんとしているのであろうことは、よくわかる。だからといって彼らを支持しようとも思わないし、敵とあれば戦うしかない。とくにベノアガルドはセツナのことを調べていたらしいのだ。セツナのことを調べ上げ、どうするつもりだったのかは分からないにせよ、ろくなことは考えてはいないだろう。

「だが、それとは別に、こういう考えもある」

 彼は、仲間ではなく、九尾の狐の方に目をやった。

 青空の下、だだっ広い平原に君臨する巨大な毛玉。その中でなにが起きているのかは、外部からはまったくわからない。激しい戦いが起きているのかもしれなければ、なにも起こってなどいないのかもしれない。想像することしかできないのだが、その想像の無意味さたるや、馬鹿馬鹿しくなるほどだ。

 先も言ったように、セツナを信じて待つしかないのだ。

 セツナならば、どのような状況でも諦めないだろう。

 彼は、そういう人間だった。

 強く、眩しい。

 光。

「セツナ伯もまた、救済者の資格を持っているのではないか、とな」

「まさか」

「救済は、必ずしも騎士団の手で行わなければならないことではない。それは騎士団の基本理念であり、団長閣下のお考えでもあるのだ」

 シドが告げると、ロウファは黙りこんだ。彼としては認めがたいことなのだろうが、シドには口答えできないらしい。

「セツナが救済者……ねえ」

 シドの言葉を受けて、だろう。ファリアは、そんなことをつぶやいた。つぶやき、静かに続ける。

「まあ、そういうところもあるかもね」

「わたくしは御主人様に救われましてございます」

「あたしも、そうなるのかな」

 ミリュウは、レムに負けじと告げて、胸に手を当てた。

 胸が高鳴るのは、彼のことを考えるからだ。

 彼のことを想い、彼の無事を祈る。

 それだけで、胸は高鳴り、心は震える。

(どのような結果になっても)

 構わない。

 受け入れて、認めるだけのことだ。

 たとえシーラを殺すしかなかったとしても。

 たとえ、それ以外に方法がなかったとしても。

 九尾の毛玉は、いまだに沈黙を保っていた。


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