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第千四十五話 白毛九尾(六)

『きらい』

「はっ……」

 どこからともなく聞こえてきた少女の声に対して、エスクが取った反応は突き放すように笑うことだった。瞬く間に戦場に蔓延した白い靄の中、彼は、ひとりの少女と対面している。白髪碧眼の少女。ハートオブビーストを手にしているところを見ずとも、その少女がシーラ・レーウェ=アバードであることはわかる。

 シーラはシーラでも十代後半――つまり、数年前のシーラであり、いまのシーラではないのだが。

「俺だって嫌いだね」

 エスクは告げて、短杖の柄を握る手に力を込めた。力が吸い取られるような感覚とともに杖の先に刃が形成される。半透明の、実体があるのかないのかよくわからない刀身。だがそれは確かに実在し、なんでも切り裂くことができた。

「嫌いで嫌いで仕方がねえんだよ!」

 踏み込み、振り下ろす。

 過去のシーラは、エスクの斬撃を避けようともしなければ、受け流そうとさえせず、切り裂かれ、白い靄の中に消えた。

 エスクは、短杖を振り抜いた姿勢のまま、拭い切れない不愉快さに眉根を寄せた。

 声は、そこかしこから聞こえてきている。

「なんだってんだ」

 九尾の狐とシーラになんらかの関係があるのだろうか。

 頭を振る。

 シーラと九尾の狐に関係があろうがなかろうが、エスクには関係がない。エスクは、シドニア傭兵団の最期の戦いを挑むだけのことなのだ。

 それだけのことだ。


『きらい』

 白霧の中、突如として聞こえてきた声の主は、探すまでもなく背後にいた。少女だった。白髪碧眼の見目麗しい少女。どことなく勇ましさが窺えるのは、少女の本質が勇猛だからなのかもしれない。どこかで見たことがある気がして、はっとする。シーラ。シーラ・レーウェ=アバード。

「あたしは、別に嫌いじゃないわよ、あんたのこと」

 ミリュウは、なんとはなしにいった。いってから、慌てて付け足す。

「いや、まあ、セツナにべったりなのは気に食わないし、うん、嫌だけど」

 シーラが望んでそうなったわけではないことは、知っている。

 それでも気に食わないことは気に食わないし、納得したくもない。

「嫌いじゃあ、ないわね」

 嫌いにはなれない。

 なんとなくだが、それがミリュウのシーラ評だった。

 だから、だろう。

 ミリュウは、少女の幻影が消えるのを待った。消えるだろうと思った。少女の幻想は、きっと、ただ思いを伝えるためだけに現れたのだから。

「いま、シーラ様にお逢いしませんでした?」

 レムが問いかけてきたのは、少女の幻影が消えて、すぐのことだった。彼女の言葉から、レムもまた、シーラの幻影を見たのだということがわかる。きっと、同じものを見ている。

「逢ったわよ。きっと、過去のシーラにね」

「わたくし、嫌われているようで、残念です」

 レムが心底残念そうな表情をした。常に笑みを湛えている彼女がそのような表情を見せると、真実味がました。実際、残念に想っているのだろう。レムは、シーラをからかっているとき、とてつもなく活き活きとしていた。シーラという新しい仲間が増えたことは、天涯孤独の身である彼女には嬉しい事だったに違いない。

「そうね、あたしもよ」

「まあ、そうでございましたか」

「驚くことかしら」

「確かに、驚きには値しませんが、一応、礼儀として、ですね」

「あんたねえ」

 ミリュウが睨みつけると、レムは涼しい顔で話題を変えてきた。

「それはさておき、どういうことでございましょう?」

「……きっと、シーラなのよ」

「シーラ様?」

「あの狐が、ね」

 白霧の彼方を見やる。濃霧は、巨大獣の姿を霧の中に隠してしまっている。召喚武装によって強化された五感でも掴みきれなくなっていた。いや、五感がまともに働かないというべきか。白霧は、視線を遮り、視野を狭めるだけでなく、聴覚を弱らせ、感覚を狂わせる力があるらしかった。

「シーラ様……」

 レムもまた、白霧の彼方を見やった。心配そうな声は、彼女が心底シーラを気に入っているということの現れだろう。

 不意に、気づく。

「ああ、そういうことか」

「ミリュウ様? どうされました?」

「なんとなく、わかっちゃった」

「なにがですか?」

「シーラがなんでこんなことをしているのか。わかっちゃったな」

 ミリュウは、レムには詳細は話さなかった。感覚的にわかっただけのことだ。わかったと想っているだけのことだ。確定はしていないし、確信があるわけでもない。しかし、それ以外の理由も思いつかない。白狐の蹂躙も、破壊活動も、嫌いという言葉も、すべて、シーラが求めるその結果を導くためのものならば、納得がいく。それ以外には考えられない。

 力が暴走したというのならば話は別だが、九尾の狐の行動から彼女が暴走しているようには、見えない。もっと、理路整然としたものを感じる。

 だから、ミリュウの脳裏には彼の顔が浮かぶのだ。

(セツナ……あなたは、どうするの?)

 ミリュウは、胸に手を当てて、愛しいひとのことを想った。

 この状況を解決することができるとすれば、セツナ以外には、いない。


『きらい』

「あん?」

 ベインは、突如として聞こえてきた声に対し、足を止めた。止めざるを得なかった。視界は白く濃い霧に閉ざされており、白狐の居場所が判然としないのだ。攻撃を叩き込むために近づこうにも、近づけない。そうなれば、立ち止まらざるをえない。

 立ち止まれば、多少なりとも周囲の状況がわかるかもしれないという淡い期待は、瞬時に打ち砕かれたが。それも仕方のないことだ。白い霧は、時間とともに深く濃いものへと変わりつつある。

 おそらく、九尾の狐の能力であり、いまの声も九尾の狐の見せる幻覚かなにかだ。

 そして、声の主の少女も。

「いいぜ、勝手に嫌ってくれ」

 ベインは、白髪碧眼の少女を見つめながら、いった。

「嫌われるのは、なれてる」

 少女が、白い霧の中に溶けるように消えた。

 少女がなにがいいたかったのか、なにがしたかったのか、ベインにはわからない。

 わからないながらも、なんとなく、理解した。

 この状況はだれがなにを望み、創りだしたのか。

「救い……か」

 つぶやいて、拳を握る。

 死ぬことで救われる魂もある。

 そんなことは、わかりきっている。

 そして、やりきれないことも、わかりきっている。



『きらい』

「ええ!?」

 ルウファが愕然としたのは、突如目の前に現れた少女が一方的にそんなことをいってきたからであり、彼は、ただひたすらに驚いた。地上だ。上空からの九尾の狐への接近は、尾の一撃で叩き落とされたことで失敗し、地上に落下した直後、戦場は白霧で包まれてしまった。これでは、再び上空からの接近を試みようにも、白狐の居場所がわからない。仕方なく地上を歩いていたところ、少女が現れ、そんなことを告げてきたのだ。白髪碧眼の少女。見覚えがある気がするが、きっと気のせいだ。アバードに知り合いなどいるはずもない。

 やがて、少女の姿は消えた。まるで霧に溶けるようにだ。霧が見せた幻想なのだろうが、だとすれば、九尾の狐の仕業というほかない。

「なんなの?」

 先を行くファリアが振り返ってきたのは、ルウファの叫び声が大きかったからに違いない。

「見ず知らずの女の子に突然嫌いっていわれたら、驚きますよね?」

「見ず知らず?」

 ファリアが小首を傾げた。その仕草の可憐さは、セツナにこそ見てほしいと思ったのだが、セツナはいま、この戦場にはいない。そんなことを考えていると、ファリアがなにか思い至ったようだ。

「あの子、きっとシーラよ」

「はい?」

 今度はルウファが首を傾げる番だった。しかし、よくよく考えてみると、ファリアの導き出した答えにも納得のいくことではある。白髪碧眼の少女。手には斧槍が握られていたことを思い出す。つまり、ハートオブビーストとシーラだったのだろう。

「シーラ姫? なんで?」

「さあ? そんなこと、わかるわけないでしょ」

「おそらくは、九尾の狐とシーラ姫になんらかの関係があるのだろう」

 といってきたのは、ロウファだ。彼はつかず離れずついてきている。単独で行動するよりは、武装召喚師たちと行動をともにしているほうが効率がいいと考えているらしい。そしてそれは決して間違いではない。ルウファたちにとっても、だ。

「それは、なんとなくわかるけど……」

「ハートオブビーストの能力だったりして」

「だとしたら、とんでもないことよ」

「ええ、とんでもないことですよね」

 ルウファは、ファリアのあきれたような言葉に同意しながらも、ほかに九尾の狐の正体も思いつかないこともあって、自分の推論を信じた。が、九尾の狐がハートオブビーストの能力によって生み出されたものであれば、納得出来ないこともある。

 シーラが、みずからの意思でアバード軍を攻撃したりするだろうか。

 シーラならば、ガンディア軍を攻撃することさえ、不自然に感じる。

 セツナに恩義を感じているシーラが、セツナの想いを踏みにじるようなことをするとは、考えにくい。

 いったい、なにがどうなっているのか。

 ルウファには皆目見当もつかず、白霧の中をさまようような感覚を覚えた。


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