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第千三十九話 慟哭(三)

(なにが……起きたんだ?)

 全身を苛む痛みの中で、セツナは、ぼんやりと目を開いた。

 視界を覆うのは砂埃であり、土煙であり、白い奔流であり、それらは一方に押し流されているようだった。視界。自分がどこを見ているのか、どこにいるのかも定かではない。なにもかもが混乱の中にある。

 意識がはっきりとしないのは、吹き飛ばされたからだ。凄まじい力に吹き飛ばされたのだが、その際の衝撃も然ることながら、壁か床に叩きつけられた際の痛みも強烈だった。それも一度や二度ではない。何度も吹き飛ばされ、何度も叩きつけられた。鎧兜を着込んでいるからといって、激突の衝撃を無力化できるわけではないのだ。痛みは確実に蓄積し、体中を苛んだ。だが、痛みのおかげで意識を取り戻せた、というのはあるだろう。鈍くも波のように押し寄せる痛みに感謝しなければならない。

 そんなことを考えていると、不意に重圧を感じた。強烈な圧力。顔を上げる。立ち込める白煙の向こうから、なにかが見下ろしている気がした。とてつもなく巨大ななにか。頭上を覆い、こちらに視線を注いでいる。それがなんなのかはまったく理解できなかった。思考が明瞭ではない。意識がはっきりとしないのだから、仕方がない。頭を振り、状況の把握に務める。

 まず最初に黒き矛を手放していることに気づく。慌てたものの、慌てる必要さえないことだということに気づく。近くに転がっているはずであり、見失ったとしても送還し、再度召喚すればいいだけのことだ。セツナはそれをした。つまり、黒き矛を一度送還し、再度、武装召喚という言葉を発したのだ。呪文の結尾。術式を完成させる言葉。セツナはただそれだけで武装召喚術を駆使することができる。なぜかはわからない。

 術式の完成とともに召喚が起こる。召喚。力が光となって体から溢れ、異世界と繋がる。異世界から黒き矛が召喚され、手の内に重量を伴って現れる。握る。感覚の鋭敏化。五感が強化され、身体機能も向上する。痛みが薄らいだ感覚は、錯覚ではあるまい。痛みは、感覚的なものだ。

 五感の拡張によって周囲の状況が把握できる。自分が壊れた壁にもたれかかるようにして座っており、周囲には瓦礫が山積みになっている。ついさっきまでバンドールの荘厳な王宮を構築していた柱や壁、天井が瓦礫となったのだろう。なにが起きたのか、それでわかるというものだ。

 なにもかも破壊された。

 そして、破壊したのは、シーラだ。それ以外には考えられない。だが、彼女がどうやって破壊したのか、こればかりは判明していない。彼女の能力を知るよりも早く気を失ったからであり、気を失っている間にすべてが終わったからだ。

(終わった? いや……)

 再び、見上げる。

 流れる白煙の向こう、こちらを見下ろしているなにかの輪郭が朧気ながらにも把握できる。とてつもなく巨大で、圧倒的な質量を誇る四足獣。その巨体の出現が王宮を破壊したのか、それとも別の力が破壊した後、巨体が出現したのか。どちらが先なのかはまったくわからないが、いずれにしてもその巨大な四足獣は、遥か頭上から、セツナを見ているようだった。

「セツナ、セツナよ、どこにおるのじゃ!」

 突然ラグナの叫び声が聞こえてきて、彼は、ゆっくりと立ち上がった。体の節々がいたんだが、耐えられない痛みではない。この程度の痛みで耐えられないなら、自分の身を切って空間転移など行えるはずもない。声のした方向に足を向ける。

 瓦礫を避けながら歩いていると、またしてもラグナの声が聞こえた。

「セツナ、セツナよ、返事をせぬか!」

 緑柱玉のような美しい外皮に覆われた奇妙な生き物を視界に捉える。小さなドラゴン。ラグナシア=エルム・ドラースという名のワイバーン。長い首とまるまるとした胴体、一対の飛膜に足と尾を持つ、化物。だが、その姿はおどろおどろしくはなく、むしろ愛嬌たっぷりといっていい。セツナは彼に歩み寄りながら声をかけた。

「ここだよ」

「おおう、そこにおったか。まったく、どこにおったのじゃ。心配させおって」

 小飛竜はそんなことをいいながら跳躍した。跳躍し、そのまま飛膜を広げる。物理法則をまったく無視したような方法で飛行し、セツナに向かって飛んでくる。全身が淡く発光しているように見えるのは、気のせいではない。彼は体を光らせることができる。

「心配?」

「あやつに踏み潰されたのかと思うたぞ」

 ラグナは、セツナが差し伸べた手のひらに着地すると、おもむろに頭上を仰いだ。セツナも釣られて天を睨む。視界の彼方を埋め尽くす純白が、美しい毛並みなのだということがわかる。綺麗で、あざやかだ。まるでシーラの頭髪のようだったが、しかし、それは彼女の頭髪などではあるまい。巨獣の全身を覆う体毛なのだ。

「ふむ……」

 巨獣。

 その足元からでは、全体像を把握することは難しい。足だけでセツナの身長の数倍の長さを誇るのだ。全長数十メートルはあるだろうか。とてつもない巨躯は、大型皇魔の比ではない。かつてザルワーンに現れた守護龍やクルセルクの巨鬼に比べれば小さいものの、転生前のラグナよりも巨体であることは疑いようがない。

「おぬしはいくら強くとも人の子じゃ。あやつに踏み潰されれば、ひとたまりもあるまい」

 ラグナが、巨獣の足を見やりながらいった。足は、かなり近くにあった。巨大な爪が玉座の間の床を抉っているのを見る限り、その巨体から生み出される破壊力は生半可なものではないことが窺い知れる。もちろん、ラグナのいうとおりだった。踏み潰されればひとたまりもない。肉体も内臓も破壊されて死ぬだけだ。

「踏み潰される以前に死にそうだったんだがな」

 悪態をつくと、ラグナが半眼になった。宝石のような目が可憐に輝く。

「やはり、人の子は人の子。もろく、か弱いものじゃな」

「そりゃ、ドラゴンに比べりゃか弱いさ」

「うむ」

「なんで嬉しそうなんだか」

「ふふん」

「……まあいい」

 なにやら得意気になっているラグナの相手をしているのも疲れて、セツナは話題を巨獣に戻した。なにもかもを破壊したのが白毛の巨獣であるということはわかる。しかし、その正体は、わからない。いったいどこからどうやって出現したのか。その目的が一体何なのか。

「あれはなんだ?」

「わからぬか?」

 ラグナがあきれたようにいってきて、理解する。

 わかっていたことを直視しようとしていなかった自分を認識する。

「いや……」

 巨獣の正体。

 巨獣がいつ現れたのかを考えればすぐにでも辿り着く答えだ。

「シーラだな」

 シーラがハートオブビーストの力を駆使した。それ以外考えられることではない。ハートオブビーストにこれほどの力があるとは想像もしていなかったが、あったとしてもなんら不思議ではない。召喚武装とは異世界の強力な兵器だ。そして、ハートオブビーストの能力は、使用者の肉体に作用する。これまで、猫や兎の耳や尻尾を生やしていたのだ。全身、毛むくじゃらの怪物になったとしてもおかしくはない気がした。だとしても質量が比較にならないのだが、召喚武装という不可思議な存在を考えれば、別段、考えられないことではない。

 ラグナが、セツナの手のひらの上で鷹揚に頷く。

「そうじゃな。シーラだったものじゃ」

「だったもの……っておまえ」

「いまやあれはシーラではない。シーラが召喚したこの世ならざる獣、それがあやつじゃ」

「召喚?」

 セツナは、ラグナのその言い方に引っかかりを覚えた。まるで、シーラが異世界からこの巨獣を召喚したかのような言い回しに思えたからだ。が、ラグナはすぐさま訂正してきた。

「まあ、シーラの召喚武装の能力なのやもしれぬが……いずれにせよ、シーラとしての意識が残っているのかどうかさえわからぬ」

「たしかにな」

 シーラの意識が残っているのなら、バンドール王宮を徹底的に破壊するようなことはなかったのではないか。

 見る限り、何もかもが破壊されてしまっている。玉座の間だけではない。王宮と呼ばれる建造物がこの地上から消滅してしまったのではないかというほどの見事さで破壊されていた。やはり、出現と同時に破壊されただけでなく、出現後にも蹂躙したのだ。なにもかもを破壊し尽くした。天井も、壁も、柱も、床も――玉座さえ消し飛んでしまっている。残るのは瓦礫の山であり、気絶した兵士たちの姿だ。リセルグとセリスの亡骸もある。ふたりの亡骸は、瓦礫に押し潰されたりはしていなかった。周囲には瓦礫が積もっており、まるでふたりの亡骸だけ守られたかのような空間となっている。

 実際、守られたのかもしれない。

(シーラ……)

 シーラは、両親を愛していた。彼女が無意識に両親の亡骸を瓦礫から守ったとしても、なんら不思議ではない。少なくとも彼女は最後まで両親に恨み言をいうことはなかったのだ。父を射ったイセルドにさえ、謝っていた。

 どこまでも自罰的で、どこまでも自傷的だった。

 仰ぐ。

 そこで、巨獣がこちらを見下ろしているという感覚は、間違いではなかったことに気づいた。

 遥か頭上、白煙の彼方から巨獣の双眸がセツナを見下ろしていたのだ。その巨大な頭部は、狐を思わせた。白狐。純白の体毛に覆われた巨大な狐。獣化によって身体能力を引き上げるハートオブビーストの真価が白狐への変化ということなど、想像できるはずもない。

 その白狐の双眸がこちらを見ている。じっと、見つめている。深い睫毛に彩られた双眸には、澄んだ湖面のような碧眼がある。白い毛に青い眼。シーラを連想させた。その白狐のなんともいえない表情もまた、シーラが最後に見せた表情を想像させる。

「あなたも生きていたか」

 声は、後方から聞こえた。振り向く。シドがこちらに向かって歩いてくるところだった。剣は雷光を帯びており、彼はすぐにでもシーラに斬りかかるつもりのようだった。負傷した様子は見えないが、いままでシーラに攻撃していなかったところを見ると、セツナと同じように吹き飛ばされ、意識を失っていた可能性も高い。

「あんたも、な」

「あの程度のことで死ぬほど、やわにはできていませんよ」

「ベノアガルドの騎士様ってのは、よほど頑丈なんだな」

「でなければ、救済の二字を掲げたりはできませんからね」

 彼は、当然のようにいってきた。救済。救い。ベノアガルドの騎士団はそればかりをいってくる。それこそが正義だとでもいうように。それだけが騎士団の行動理念であるとでもいうかのように。いや、実際そう想っているのだろうし、そのことそのものにとやかくいうつもりはない。救済を掲げていようといまいとどうでもいいことだ。

 しかし。

「救済……ねえ」

「ええ。この世を救うためには、力がいる」

「……ひとを殺して、それを救いというなんて、俺には認められねえな」

「二度、いったはずです。死ぬことによってしか救われないものもいる、と」

「話にならねえよな」

 セツナは、シドから目を逸らした。シーラを仰ぐ。白狐は、もはやこちらを見てはいない。遠方を見ている。どこか遠く。あれだけの巨体だ。視力も当然いいのだろう。もしかしたら、遥か彼方の戦場の様子まで見えているかもしれない。見て、どうするのかはわからない。

 シーラがなにを望んでいるのかさえわからないのだ。

 セツナには、どうすることもできない。ただ、見届けるしかない。

(いや……)

 セツナは、脳裏を過ぎったある考えの恐ろしさに目を細めた。そんなこと、考えたくもなかった。

「セリス王妃殿下がそうだった」

 シドが告げてきたのは、先ほどの話の続きだろう。振り向く。

「なんだと……?」

「セリス王妃殿下は、死ぬことによってしか救われない状態でした。精神を病まれていた。たとえ、シーラ姫をセンティアで殺せていたとしても、王妃殿下はみずから命を絶たれていたことでしょう。娘を死に追いやった苦しみに耐え切れず」

「それがわかっていて……!」

「止めようがありません。わたしどもが止めたところで、どうにかなるものでもない。わたしたち以外の力を頼り、同じことをしたでしょう。まさか、あなたになら止められた、とでもいうおつもりですか?」

 問われて、セツナは口ごもった、返す言葉もない。彼の言うとおりだった。止められるわけがない。止めようがない。止めようとしたところで同じことだ。シドのいうように、セリスは、なんとしてでも実行しようとしただろう。それ以外救われる方法がないと信じているのならば、なおさらだ。

「できないでしょう。だれにも、ひとの想いを止めることはできない。動き出してしまったものを止めることなど、そう簡単にできるものではない」

 シドは、それから天を仰いだ。つられて、仰ぐ。純白の体毛に覆われた巨獣が鎮座している。王宮を破壊し、王宮にいたであろうひとびとを打ちのめした怪物。悲鳴ひとつ聞こえなかったのは、なにもかも一瞬だったからだろう。なにもかも一瞬のうちに終わった。

「いま、この状況がまさにそうだ」

「この状況?」

「シーラ姫の暴走を止めるには、姫様の命を終わらせる以外には、ない」

 そのときだった。

 白狐が吼え、跳躍した。

 跳躍の衝撃が波動となって王宮全体を揺るがした。粉塵が爆風の如く吹き荒れ、純白が頭上を覆う。白狐の巨躯が、天を仰いだセツナの視界を塗り潰し、九つの尾が空を撫でた。

(白毛の……九尾!)

 セツナは、空を覆う巨大な獣の姿に戦慄さえ覚えた。衝撃が、来る。破壊的な衝撃波が、王宮を跡形もなく消し飛ばす。その奔流の中で吹き飛ばされずに済んだのは、黒き矛を床に深々と突き刺したからに他ならない。それでも吹き飛ばされそうなほどの衝撃波だった。

 そして、王都を破壊し尽くしただけでは飽き足りないとでもいうように、白毛の九尾の狐は、王都へと降り立った。

 九つの尾が、まるで意思を持つかのように揺らめき、王都を蹂躙した。


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