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第百三話 宴の夜に

 ガンディア軍がログナーを制圧し、戦後の処理に目処がつくと、ほどなくしてレオンガンド王率いるガンディア軍は王都ガンディオンに凱旋した。主力部隊がログナーから離れることを危ぶむ声もあったが、既に反逆の牙は抜かれていた。

 ログナー王家は、ガンディオンに居住することになっていたのだ。旧ログナーの国民に対する人質といってもいい。いや、アスタル=ラナディースへの牽制とでもいうべきか。飛翔将軍アスタルは、ログナー王家に痛々しいまでの忠誠を誓い、同時にログナーの人心を掌握してもいた。飛翔将軍を抑えるということは、すなわち、ログナーを制するのと同じなのだ。

 そして、アスタル元将軍も、レオンガンド王の帰還に同行していた。当面の間はログナーに反乱の心配はないだろう、というのが大方の予想だった。

 反乱したとして、規模が小さければ黒き矛に叩き潰される――そんな風聞も流れていた。その頃になると、レコンダールに立て籠もったアーレス・レウス=ログナーの悲惨な最期は、ログナー全土に知れ渡っていたのだ。黒き矛の名は、ログナーの人々にとってますます憎悪の対象となっていっただろう。

 王の帰還とともに王都を席巻したバルサー要塞奪還後以上の熱狂は、ガンディオン市民だけで起こされたものではなかった。王の帰還を知った人々が、ガンディアの各地から集まっていたのだ。王都の人口は一時的に数倍に膨れ上がり、むせ返るような熱気が王都を包みこんだ。

 レオンガンドらを迎える人々の反応は、狂乱といってもよかった。感激のあまり泣き出すもの、声が枯れるまで叫ぶもの、地鳴りのような歓喜の声が、まさに王都を震撼させるようだった。

 その場で熱狂していた人々は皆、レオンガンド王に夢を見たのだろう。王を“うつけ”と謗る声は既になく、先王シウスクラウドの血を色濃く受け継いでいるだの、先王以上に英明な王だの、無責任な評価が相次いで上がっていた。

 熱狂は、三日三晩続いた。

 そんな狂乱の渦の中に《蒼き風》もあった。

 レオンガンド王の計らいだった。先のバルサー要塞奪還後の祭りに参加できなかったことを気にしていたらしい。傭兵団としてはログナーに残留することで小遣い稼ぎをするという手もあったのだが、団長は団員たちに久々の休暇を与えるという名目で、レオンガンドの帰還に随行することにした。

 王都に逆巻く熱狂の中、団長以下三名が王宮主宰の晩餐会に呼ばれたのも、あのときの埋め合わせのつもりだったのかもしれない。

「気にするこたぁねえのにな」

 傭兵にそこまで気を使う必要もあるまい、というのがシグルド=フォリアーの考えだった。副長のジン=クレールも、ルクスも、それに異論はない。金銭だけで結ばれた縁だ。契約が切れればそれでおしまい。さらにいえば、旗色が悪くなれば契約を無視してでも逃散するだろう。たとえ卑怯者だと誹られようと、死んでしまえば反論もできない。生きてこそ、意味がある。

 そして、傭兵の価値を決めるのは実力だけだ。人格など二の次であり、実力さえあれば雇い主はいくらでも出てくる。

 そんな連中に気を使われても、居心地が悪いだけだ。


 とはいえ、せっかくの招待だ。断りを入れる道理もなかった。

 当日の夜、《蒼き風》の三人は、多少の緊張感に包まれながら獅子王宮に足を運んだ。

 無論、正装である。筋骨隆々の肉体には似合いもしないスーツ姿であり、互いに指を指して笑いあったものだ。もちろん、ルクスが笑うとふたりから拳が飛んできたが、彼には掠りもしなかった。無論、じゃれ合っただけのことだ。本気で殴られたら、避けきれるかどうか。

 王宮晩餐会の会場は、王宮大広間だった。半球形の広大な空間には、無数のテーブルが置かれ、テーブルの上にはそれこそ多種多様な料理が整然と並んでいた。スープ、サラダ、魚肉や獣肉のソテーやステーキ、デザートも目移りするほどで、酒も何種類も用意されていた。会場に入った途端、舌なめずりする団長が副長に叱責されたほどだった。

 招待客の多くは当然のようにガンディアの貴族たちであり、高官がそれに次ぐ。貴族たちの気品あふれる立ち居振る舞いは、小国といえども歴史ある国の面目躍如といえるのかもしれない。同盟国ルシオンとミオンからの一団もいたし、旧ログナーの貴族や将軍らも姿を見せていた。旧ログナー王家のひとびとは、ルシオンの王子らと同様、賓客の如くもてなされている。

 つい先日まで敵であったログナーの人々をも晩餐会に招いたのは、レオンガンド王の考え方を示すものなのだろう。

 いまやログナーはガンディアの一部となった。支配ではなく、同一の国となったのだ。そこに住む貴族であれ軍人であれ市民であれ、もはやガンディアの国民なのだ。ログナーの上にガンディアがあるのではない、ザルワーンとは違うのだ、とでもいいたいのかもしれない。

 もっとも、ルクスの興味はそこにはない。テーブルに並べられた料理の数々こそ、王の挨拶などよりも重要なものであり、その点の正直さはシグルドからの影響なのかもしれないと思わないでもなかった。

「かたっくるしいったらないな」

「まったくです」

 などといいながら眼光鋭く獲物を狙うジン=クレールは、まるで狩人そのものだ。

 それに対し、シグルドは手当たり次第に口に運び、酒で胃に流し込むかのような食べ方で、周囲の視線を集めていた。もっとも、傭兵団はガンディアの将校らが占める一角の、それも片隅に追いやられるようなテーブルを充てがわれていた。貴族たちの好奇の視線からは逃れられる、ちょうどいい位置だ。とはいえ、大男どもが子供のようにはしゃぎながら料理にむさぼりつく有り様は、控えめに見ても、場違い極まりなかったが。

「うめえうめえ」

「団長はしゃぎ過ぎ」

「うるへー!」

「酔ってやがる」

 ほろ酔い気分なのはルクスも同じだったが、顔色からはわからないだろう。まるで夢心地だった。王宮主催という話が来たときは、もっと小難しいものかと思ったものだが、いまやただの食事会と化している。だれもかれもが、王宮の料理人が運んでくる料理に舌鼓を打ち、酒に飲まれ、言葉に酔い、夢と現の間を行き来しているかのような表情をしている。

 ふらっと、隣のテーブルの少年が席を離れるのが見えた。《蒼き風》の隣には、ログナー制圧において大活躍した武装召喚師らのテーブルが有り、席を立ったのはセツナ=カミヤだろう。あれほどの戦功を上げたセツナのテーブルが傭兵団と同じような場所なのは、彼が望んだからだという。

 レオンガンド王が彼の要望を認めたのは、彼の機嫌を損ねたくないというのもあるかもしれないし、旧ログナーの人々の心中を慮ってのこともあるかもしれない。彼は、ログナーの人間を殺しすぎた。無論、戦争の中での話だ。だれも彼を責めることはできないし、責められる謂れもない。彼は、やれることをやっただけだ。勝つために手を尽くそうとしただけだ。その結果、敵兵をひとより多く殺しただけのことなのだ。そこに善も悪もない。

 が、たとえ頭ではわかっていても、心が理解を拒絶することもある。

 人間とは面倒な生き物なのだ。

 武装召喚師のテーブルでひとり果実酒を飲んでいる女性に声をかけてみる。ファリア=ベルファリアだったか。

「彼、どうしたの?」

「酔ったらしくて、夜風に当ってくるって」

 ルクスは、彼女が頬をほんのりと色づかせていることに気づいた。多少、酔っているように見える。その隣の席では、ルウファ=バルガザールとかいう男が突っ伏していた。彼は酒豪で有名なバルガザール将軍の次男だったはずだが、酒への強さは受け継いでいなかったらしい。宴はまだ、始まったばかりだ。酔い潰れるとすれば、酒に弱い以外には考えられない。

「飲ませたの?」

「まさか」

 女は、けらけらと笑った。笑い上戸なのかもしれない。

「ひとに、よ」

「へー……戦場なんて、こんなもんじゃないだろうに」

「戦場じゃ気が昂ってるでしょ。平時とは違うわ」

「ま、戦場では別人なのは確かだけど」

 ルクスは、黒き矛を手に戦場を縦横無尽に飛び回る少年の本当の姿を思い出した。戦禍逆巻く戦場では鬼となる少年も、人前では、おどおどした子犬のように見えたものだ。

 会話はそこで打ち切られた。

 ルクスは、ファリアそのひとには興味はなかったし、セツナのことを聞いたのも、少し気になったからというだけに過ぎない。それ以上追求しようとは思わないし、セツナを追いかけてテラスに行こうとも考えなかった。どうでもいいことだ。彼がなにをしようと、なにを思おうと他人なのだ。彼と関わる可能性があるのは、戦場くらいのものだが、それも今後はどうなるものか。

 セツナの立場は、大きく変わるだろう。それは、今回の活躍を見ればだれもが想像できることだ。そうなれば、一介の傭兵風情と行軍することもなくなるかもしれない。

 レオンガンド王が親衛隊の設立に動いているという噂があった。その噂の中でも、候補の筆頭に上げられるのがセツナという人物だった。そんな少年のことをあれこれ考えても仕方がない。無闇に腹が減るだけだ。

 

「セツナ様はどちらに行かれたのでしょうか?」

 しばらくして、給仕の女がルクスに訊ねてきたのは、武装召喚師のテーブルには酔い潰れたルウファの姿しかなかったからだろう。そのころファリアは、別のテーブルで談笑していた。

「風に当たってくるっていってたらしいし、テラスじゃないかな」

 獲物と見定めていた鶏肉の照り焼きに伸びてきたシグルドの魔の手をフォークで牽制しながら、ルクスは給仕を一瞥した。若い女のように見えた。

「そうでしたか。ありがとうございます」

 一礼してテーブルを離れていった女の顔が判然とせず、小首を傾げる。しっかりと見たはずなのだが、目鼻立ちが思い浮かばない。

「もらった!」

「あっ!」

「ふははっ、隙を見せたな」

「ひでえ」

 大物の鶏肉を確保して喜びを隠せない団長に対し、ルクスは肩を落とした。獲物を奪われた哀しみは、狩人にしかわかるまい。

「あんたら子供か」

 ジンの一言はもっともだったが。

 ルクスは、ジンの視線を逃れるように酒を口にした。果実酒の芳醇な香りが鼻腔を満たす。酔いはまだ、回りきってはいない。意識は鮮明だし、五感も正確に働いている。これなら戦場に出ても不覚は取らないだろう。存分に戦える。

 では、先の不確かさはなんなのだろう。

 ルクスは、隣の団長を見た。

「団長、いまの女」

「あ? 女がどうした?」

 シグルドが確保した肉を器用に切り分ける姿は、普段の豪快さからは想像もつかない繊細さがあった。シグルドにはそういうところがある。

「いまさっきの給仕ですよ」

「給仕? そんなの来たか?」

 唖然とするルクスを後目に、ジンもかぶりを振った。

「わたしの記憶にはありませんが」

「だってよ。酔って幻でも見たんじゃねぇのか?」

「そんなはずはないんだけどな」

 酩酊してもいないふたりに告げられて、ルクスは、自分が見たものに自信が持てなくなった。確かに見たはずだ。給仕の格好をした女。しかし、いま考えれば、夢だったのかもしれないとも思う。思い出せないのは顔立ちだけではない。背格好も、頭の中から抜け落ちていた。

(酔っているのか……?)

 酒に強いというわけではないが、それほど飲んだつもりもない。軽い果実酒をたしなむ程度に口にしただけだ。こんなもので酔うはずがない、とは思うのだが。

 不意に、閃光が大広間に走った。稲光ではない。雷鳴は聞こえなかった。

「テラスからだ!」

 誰かが叫んだ。

 テラスを見やると、なにかが窓を突き破って飛び込んできたところだった。だれかが悲鳴を上げた。窓辺にガラスが飛び散る中、飛び込んできた影は、近場のテーブルに着地する。皿が割れ、グラスが落ちて音を立てる。

 セツナ=カミヤ。

 黒き矛と真新しいスーツは、あまりに不釣り合いだった。


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