第千三十八話 慟哭(二)
「あー……楽しいなあ、おい」
ベイン・ゼルバイル・ザン=ラナコートは、首を鳴らし、笑みさえ浮かべながら、こちらを見ていた。ベインとの戦いが始まって、どれくらいの時間が立ったのだろう。主戦場の真っ直中で始まった二対一、いや三対一の戦いは、主戦場とは大きく離れた場所で行われるようになっていた。
主戦場が移動しているのだ。
王都バンドールへと近づいている。つまり、ガンディア軍が押しているということだ。騎士団の兵数は時間とともに減少しており、同じく減少しつつあるガンディア軍が、それでも押し勝つくらいの兵力差になりつつある。シャルルム軍の攻撃が騎士団に多大な損害をもたらしたという事実も大きい。シャルルム軍は、まるで動きが変わっていた。変幻自在に戦場を蹂躙し、騎士団に大打撃を与えたのだ。それに比べて、シャルルム軍のガンディア軍への攻撃は控えめだったことも、ガンディア軍が騎士団を圧することができた理由だろう。なぜ、シャルルムがガンディアに手を抜いているのかは、ミリュウにはわからない。
ともかく、主戦場は北へ移動した。
王都バンドールの目と鼻の先の戦いは、王都の前方に展開していたアバード軍を巻き込む形になり、そういう意味では敵戦力は増大したが、大きな問題にはならない。こちらも、戦力を前線に送っている。そう、本陣の守りの要であったカイン=ヴィーヴルが前線に投入され、彼の縦横無尽の戦いぶりが、ガンディア軍を勢い付けていた。
「こっちは楽しくもなんともないっつの!」
吐き捨てるようにいうと、レムが同意してきた。
「そうです! さっさとやられてしまってください!」
「そうはいかねえ。そして、それはこっちの台詞だ。さっさとやられてくれよ」
「いやよ!」
「いやです!」
「はっ」
彼は、鼻で笑った。笑って、拳を構えた。両拳に光が灯る。光を帯びた一撃は大地を割り、砂柱を挙げさせるほどの破壊力と衝撃を生み出す。一撃でも喰らえば終わりだ。直撃なら骨も残らず消えてなくなるのではないかと思うほど、ベインの攻撃は強烈だった。とても人間技とは思えない。やはり、召喚武装の能力と考えるのが自然だろう。
ミリュウは、ラヴァーソウルを横に一度振った。鞭のようにしなる無数の刃片が、彼女の意思に応じて虚空に停滞し、さらに輪を描く。ベインが地を蹴った。間合いは一瞬でなくなる。そんなことは、わかりきっている。ミリュウはベインとの接近戦を嫌った。近接戦闘では、勝ち目が見えない。刃片の輪の中に飛び込み、つぎの瞬間、彼女はベインの頭上を飛び越えていた。ラヴァーソウルの磁力を利用した加速機構。着地とともに振り返ると、ベインが目標を見失って立ち止まっていた。勢い余って拳を叩きつけないあたり、冷静だ。そこへ、レムの“死神”が殺到する。巨躯を誇る“死神”は、巨大な棍棒を振りかぶり、ベインの背中に向かって叩きつけようとした。だが、“死神”の攻撃がベインに触れるよりもずっと早く、ベインの拳が“死神”の頭を貫いていた。拳を覆う光が拡散し、“死神”の体が爆散する。闇が散り、ベインのつまらなそうな顔が現れる。
「逃げ続けて体力の消耗でも狙うつもりか?」
「さて、どうかしらね」
ミリュウは、ベインの冷ややかな視線に怖気を感じて、目を細めた。ベインは強い。ミリュウがこれまで相対したどんな敵よりも強いのではないかと思える。実の父にして当代最高峰の武装召喚師オリアス=リヴァイアよりも強いと感じるのは、ベインの底が知れないからだ。オリアスは人間だ。武装召喚師であり、数多の召喚武装を使い分けることのできる実力者だが、人間なのだ。人間ならば限界がある。オリアスには、付け入る隙があった。ミリュウがその気ならば殺せただけの隙はあったのだ。あのときミリュウが殺せなかったのは、ミリュウの実力のせいではなかった。
一方、ベインはというと、そういった隙が一切見えなかった。そして、まだすべての力を明らかにしていないのではないかという予感を抱くが、その恐ろしい考えがあたっているのかどうかは、今のところどうでもよかった。
別にベインを倒す必要はない。
ベインという凶悪極まりない戦力を封殺しておくことこそが重要なのだ。ベインを放置していれば、いまごろガンディア軍は甚大な被害を出していたことだろう。ロウファにしても、そうだった。ロウファ・ザン=セイヴァスは、ルウファとファリアが抑えている。ふたりが彼を抑えていなければ、彼が猛威を振るい、ガンディア軍に多大な損害を出していたことは、想像に難くない。注意するべき騎士はあとひとり――シド・ザン=ルーファウスがいるが、彼は、この戦場にはいないようだった。
王都へ向かったらしい。
セツナとシーラが戦場から消えてすぐのことだ。ふたりはおそらく王都へ辿り着いたのであり、だからシドも後を追ったのだろう。
三人が戦場から消えて、長い時間が経過している。
ミリュウは、レムと彼女の“死神”とともにベインの相手だけをしていた。一撃必殺の攻撃を掻い潜りながら必殺の一撃を叩きこもうとするのだが、大抵の場合、防がれた。直撃したとしても致命傷にはならない。かすり傷を与えることができただけで喜ぶべき相手だった。それほどに強く、戦いにくい。
(三対一だってのに)
数的有利が有利にならない戦いというのは、初めてかもしれない。
ベインの強さは、その怪力だけではない。膂力だけではない。速度、反射、冷静さ、判断力――戦闘に関する能力はすべて、規格外と言ってもいいのではないか。それだけに、ミリュウたちの役割は重大だった。彼を解き放てば、戦況はひっくり返る。
「いつまでもあんたたちと遊んでる暇はないんだがな」
「こっちだって、同じよ」
「そうです!」
「なら、ケリ、つけようか……!」
ベインが両拳を構え、いまにも飛びかかってくる、そんなときだった。
遠方からなにかが聞こえたのだ。
皆、動きを止めた。ミリュウも、レムも、ベインも、戦闘態勢のまま、攻撃に出るのを止め、耳を澄ませた。音。大きな音だった。
「なに?」
「なんだ?」
「鳴き声……?」
レムのいうとおりだった。
聞こえた音は、確かになにか獣の鳴き声のようであり、雄叫びのようであり、絶叫のようでもあり、悲鳴のようなでさえあった。さまざまな感情が複雑に入り乱れた大音声。戦場の遥か北で発生し、戦場の南端であるミリュウたちの居場所にまで届くほどの声。
北を見やる。
土煙が上がる戦場の彼方、王都バンドールが微かに見える。召喚武装の補助のおかげだ。
その王都が突如として白いなにかに飲まれるのが見えた。
瀑布に飲まれたような、そんな風だった。
戦況が変わったのは、いつくらいだろうか。
ルウファが地上を飛びながら考えるのは、そのことだ。空中高く飛翔するのがシルフィードフェザーの能力だが、いま、上空を飛ぶのは得策ではなかった。上空を飛べば、ロウファの光の矢による被害を拡大させる恐れがある。ロウファは光の矢による狙撃だけを得意としているわけではなかった。広範囲に渡る爆撃を行うことができるのだ。それを防ぐ方法は、ロウファの攻撃を地上に集中させるしかない。少なくとも、上空に向けてさえ射たせなければ、被害は最小で済む。そして、ルウファとファリアが地上から攻撃を続けている限り、彼もおいそれと上空に向かって矢を射たり、空中に飛び上がることなどできない。そのためにも、攻撃の手を緩めるわけにもいかず、戦況を把握することは困難を極めた。
セツナとシーラがロウファの光の矢の雨を難なく突破し、この戦場から消えたことは知っている。ファリアも認識しており、だからこそ、余計にロウファから目を離せなくなっていた。ロウファは、戦場からシーラが消えたことで、攻撃対象をシーラ以外のガンディア軍戦闘員へと切り替えたようなのだ。当然だが、だからこそ油断ならない。
急速接近し、右の翼を叩きつける。ひらりとかわされるが、それは予測済みだ。ロウファの移動先に風弾を撃ちこむ。圧縮された空気の塊が、大気の層を貫きながらロウファへと迫る。彼は笑う。地を蹴って、飛んだ。風弾は地面に激突し、土砂を舞い上げる。ロウファは、空中へ至ろうとする。が、ファリアの放った極大の雷光が彼の上昇を阻止した。撃ち落としたのだ。電熱の嵐がロウファの肉体を損壊する――かに思えたが、地に降り立った彼は平然としていた。髪や肌の表面が多少焼け焦げている程度で、致命傷には程遠い。
彼は、弓をファリアに向けた。ファリアを先に処理するべきだと判断したのだろう。確かに、強力な遠距離攻撃能力を持つファリアを真っ先に無力化しなければ、この状況からぬけ出すことはできないだろう。だが、だからといって、ルウファの存在も黙殺できない。だから、彼はこの場から動くこともままならないのだ。
(二対一……それでようやく互角か)
ルウファは、騎士団騎士の実力に舌を巻いた。強力な武装召喚師ふたりを相手に余裕を残しつつ大立ち回りを演じられるのは、簡単なことではない。人間業ではない、というのは、光の弓を見ればわかることだが、身体能力も人間のそれを大きく上回っている。武装召喚師並でさえない。並の武装召喚師では、彼とまともに戦うことさえ困難であろう。ルウファとファリアのふたりでも無力化するのがやっとなのだ。倒しきろうと思えば、全能力を駆使しなければならないだろう。とはいえ、それでもどうにかできるかわからないから、彼はシルフィードフェザー・オーバードライブを使えないのだ。副作用のことを考えれば、そんな賭けに出ることはできない。騎士団騎士を倒すことが勝利に繋がるというのなら駆使するのもやぶさかではないのだが、騎士団騎士の生死は、ガンディア軍の勝利とは関係がない。騎士団騎士がガンディア軍の勝利を邪魔する可能性はあるが、それは、ルウファたちが騎士団騎士を無力化していることで問題なくなっている。
ならば、無理をして、ロウファを倒す必要はない。
(だからといって、気は抜けないけど)
気を抜けば、その瞬間に終わる。
それくらい、ロウファは手強かった。
ファリアが構えたオーロラストームの嘴に雷光が集束する先で、ロウファの奇妙な形状の弓にも光が収斂していく。雷光の矢と光の矢がぶつかり合えば、どちらが勝つのだろう。そんな疑問も、ふたりがほぼ同時に飛んだことで霧散した。ファリアは右へ、ロウファは左へ、円弧を描くように飛び、ほぼ同時に矢を放った。オーロラストームが吼え、雷光が奔流となって吐き出される。その奔流の真っ只中を光の矢が貫いていく、雷光の奔流が光の矢によって打ち砕かれ、爆散していくのを、ルウファは、ロウファの背後から見ていた。両翼を刃にし、続けざまに斬りつける。連続の斬撃は、ロウファの弓によって軽く受け流された。ロウファの冷ややかな笑みは、なにを意味しているのか。
「遅いな」
「速度が売りじゃないんでね」
後ろに飛び退いて、ロウファの蹴撃をかわす。宙返りに翻り、翼を前面に展開した。純白の翼でロウファの姿を包み込むように。一瞬にした翼の間に収束した空気を打ち出す。空気の渦がロウファに襲いかかるが、またしても回避された。今度は、高く飛ばない。ファリアの雷撃を警戒している。小さな竜巻が地面を掘削するのを見つめつつ、ルウファはその場に着地した。着地して、疑問を感じる。ロウファが動きを止めていた。いや、ロウファだけではない。ファリアもロウファへの攻撃を忘れたかのようだった。ルウファがその異変に気づいたのは、その直後だった。
音が、聞こえた。
「なに?」
「これは……?」
ファリアとロウファが疑問に首をひねる中、ルウファは、その音が王都バンドールから発せられていることに気づいた。音。獣の雄叫びのような、音。鳴き声のようでもあり、叫び声のようでもあり、断末魔のようでもあり、慟哭のようでもあった。痛みを伴い、魂を震わせる調べ。
そして、王都バンドールが瀑布に飲まれるのが見えた。