第千三十二話 愚者の祭典(一)
「死ねよ、さっさと死ね」
エスク=ソーマは、手にした短杖を振り回しながら、ただひたすらに敵を倒していた。
戦場は、激しく変転している。ガンディア、シャルルム、アバード、そしてベノアガルド。四つの国が織りなすひとつの戦いは、色とりどりにその表情を変えた。ガンディアが優勢かと思いきや、騎士団がその底知れぬ実力を見せつけ、そうかと思えばシャルルムが苛烈に攻め立てた。アバードは後方にあって沈黙しているが、状況次第では、アバード軍こそもっとも厄介な存在となるかもしれない。そんなことを考えさせるほどにアバード軍の沈黙する様が不愉快だった。
戦場の変化に次ぐ変化のきっかけを作ったのは、ほかならぬエスク=ソーマだった。エスク率いるシドニア傭兵団が、ガンディアの思惑を無視してシャルルム軍に攻撃を仕掛けたことが、この混沌とした戦場を生み出す一因となったのだ。
エスクが団長代理を務めるシドニア傭兵団は、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドの支配下にあった。この度の戦いにおけるガンディア軍総大将支配下ということで、前線に投入されている。前線への投入は、信頼への証などではなく、むしろ、まったく信用できていないからであろう。もっとも激戦の可能性が高い前線に投入するということは、シドニア傭兵団の傭兵たちがそれだけ傷つき、死のうとも構わないということである。ガンディア兵を失うより、現地調達した傭兵を失うほうが板では少ないというのは、合理的な考えであり、そのことに関してエスクがガンディア軍に何らかの感情を抱くということは、ない。エスクがガンディア軍の戦術家ならば、同じように手配しただろう。
しかし、ガンディア軍の戦術家、軍師を任されたエイン=ラジャールとかいう男の愚かなところは、エスクらシドニア傭兵団を監視下に置かなかったというところだ。信用出来ないというのなら監視下に置くべきであり、セツナの供回りにでもしておけばよかったのだ。
だから、このような惨状になる。
もっとも、それができなかったのは、セツナの初期配置が本陣だったということもあるのだが。
とはいえ、セツナは開戦直前には前線に出ていたようであり、そのことを考えると、シドニア傭兵団を正しく扱うならば、本隊の前線に配置しておけばよかったということになる。
(やはり、馬鹿だな)
エスクは、シャルルム兵を短杖の一撃でのしながら、胸中で吐き捨てた。軍師が聞いて呆れる。そもそも、幼さの残る少年が軍師などを務められるはずもないのだ。軍師ナーレス=ラグナホルンが、人選を見誤ったということであり、ガンディアの勝利に貢献してきた軍師の底が知れるというものだった。
エスクたちシドニア傭兵団のシャルルム軍への攻撃が、この状況を生み出す原因となった。シドニア傭兵団を本隊前面に配置していれば、このようなことにはならなかった。少なくとも、シャルルムとガンディアが敵対するまで時間がかかった(シャルルムが騎士団側面に到達し、エスクたちがシャルルムに攻撃するまでに手間がかかったはずだ)ことだろうし、ガンディア、シャルルム、騎士団が入り乱れ、血で血洗うような戦場にはならなかっただろう。
エスクは、脳裏に描き出される戦場の風景に目を細めた。目を細めながら、短杖を振り回して雑兵を蹴散らす。短杖は、召喚武装だ。シャルルムの武装召喚師が召喚したものであり、武装召喚師が死んだため、その亡骸から奪い取ったのだ。召喚武装というのは扱いが難しく、素人が触れるべきものではないということは知っている。しかし、ベノアガルドの騎士と対峙するに当たってはなりふり構っていられなかった。エスクがシャルルム軍との戦いに身を投じた時、シド・ザン=ルーファウスが、たったひとりでシャルルム軍と戦っていたところだったのだ。そんなところに飛び込んだ以上、シドと戦うことになると判断するのも当然のことだ。エスクはすかさず召喚武装を拾い、シドとの戦いに備えたものの、シドは、エスクとの問答のあと、雷光のような速度で消えてしまった。シドが向かったのは主戦場であり、どうやら、セツナとシーラの行動を阻止するために動いたようだった。
召喚武装を手にしたときに生まれた違和感のせいで、彼は、シドが飛び去るのを見届けるほかなかった。五感が肥大し、見える景色が変わった。耳に飛び込んでくる数多の音が意識をかき乱し、嘔吐感に苛まれた。視界がゆがむような、世界そのものが激しく揺れるような感覚があった。それが召喚武装を手にしたことに弊害だと気づいたときには、彼は何人かのシャルルム兵を手にかけていた。無意識が短杖を振り回させていたのだ。
そして、酔いが覚めるかのような感覚があって、彼は、肥大した五感を我がものとした。感覚の拡大、身体能力の強化は、彼の戦闘能力を飛躍的に高めてくれる。ちょっと力を込めて殴るだけで敵兵が死んだ。驚くべきことだ。それだけではない。召喚武装は、特異な能力を秘めている。その能力を使いこなすことさえできれば、エスクに敵はいなくなるのではないか。あの黒き矛さえ殺せるのではないか。そんなことを考えたが、すぐさま頭を振って否定する。召喚武装を手にしたことで、彼は、黒き矛のセツナの実力を思い知ったのだ。
主戦場、騎士団本隊の真っ只中を黒馬に乗って突き進む黒き矛の少年は、短杖を手にしたエスクですら唖然とするほどの戦いぶりを見せていた。追いぬくことはおろか、追いつくことも難しいのではないか。もちろん、それは武装召喚師としての実力の話であり、純粋な戦闘者としての話ではないのだが。
ともかくも、戦場に激しい混乱を生むためにエスクたちが起こした行動は、実を結んだ。戦場は混沌に包まれ、どこもかしこも血で血を洗うような戦いが繰り広げられていた。
(どいつもこいつも死んでしまえ)
胸の内で呪いの言葉を吐きながら、短杖で殴りつけ、剣で切りつける。短杖と剣の二刀流は、極めて奇異な姿に見えただろう。が、召喚武装を手にしていることで、片手で振り回す剣の切れも、いつも以上に鋭く、シャルルム兵の首が数多に天を舞った。
(死ね、死ね……!)
慟哭が、彼の意識を包み込んでいる。
王宮内部を駆け抜ける。
当然のように手配されていた守備兵との戦闘をできるだけ避けながら、シーラの案内するままに疾駆する。避けられない戦いもあったが、シーラに迷いはなかった。裏手の出入り口を塞いでいた兵士たちをのしたように、ハートオブビーストの石突きで殴り倒していく。当たりどころによっては致命傷となる一撃の数々。通常の兵士では、ひとたまりもなく沈黙する。セツナは、手を出さなかった。いや、出せなかった、というべきだろう。シーラがセツナに手を出させなかったのだ。すべて、自分で処理するとでもいいたげに斧槍を振り回し、守備兵を圧倒した。セツナが手を出せば、死人が出る可能性がある。もちろん、手加減はするつもりだが、黒き矛の手加減など、手加減になるものかどうか。セツナが黒き矛の強さを厄介に感じたのは、これが初めてだったかもしれない。通常、黒き矛を手にしていて手加減する必要がないからだ。ただ敵を倒すこと、殺すことが黒き矛とセツナの役割だ。対象を殺さないよう手加減する戦い方など、慣れているはずもない。しかも、黒き矛は、以前にもまして強くなっている。手加減しているつもりが、実はまったく手加減になっていないという可能性だって、大いにあった。
だから、アバード兵との戦いはシーラに一任しておくべきなのだろう。シーラがアバード兵を殺したくないというのなら、それがいい。
そんな風にして、王宮内を駆け抜け続け、ようやくシーラが足を止めたのは、王宮二階にある広い通路の中だった。通路の先には大きな扉があり、扉の前に何人もの兵士たちが盾を構え、剣を手にしている。シーラが足を止めたのは、その兵士たちに見覚えがあったからなのかもしれない。
「我ら天翼隊、何人足りとも玉座の間への立ち入りは許しませぬぞ!」
「許しを得ようとも思わねえよ」
シーラは、告げるなり、床を蹴って飛び出した。目にも留まらぬ速度で天翼隊兵士たちに接近し、瞬く間に四人をのし、残る十数人をあっという間に打ちのめした。おそるべき早業であり、セツナは、シーラが獣姫と呼ばれる所以の一端を垣間見た気がした。
「この先にいるかどうかはわからねえが……守りを固めていたんだ。だれかはいるだろ」
「いなかったとしても、そのだれかに聞けばいいってことか」
「そういうことだ」
シーラは、そういいながら天翼隊兵士たちを乗り越えると、玉座の間へと通じるという大きな扉の前に立った。立って、数秒の逡巡ののち、扉を押し開く。扉が開かれた先には、広い空間がある。玉座の間というに相応しい荘厳な空間だった。そして、その空間の奥まったところにふたりの人物が立っていることに、セツナは真っ先に気づいた。
老人と女性。
どちらも白髪で青い目をしていた。アバード王家の血筋。そして、老人の顔は、センティアの闘技場内部で見たことがあった。あのときあの場にいた人物は、この玉座の間にいる人物の影武者だったが、そう考えると、本当によく似ていた。瓜二つ。双子の兄弟か何かなのではないかというほどにそっくりで、セツナは、単純に驚いた。が、驚いている場合でもない。
シーラが立ち竦んでいた。きっと、玉座付近に立つふたりの姿を目の当たりにしたからだろう。ひとりはリセルグ・レイ=アバードで間違いあるまい。ここで影武者が出てくるとは、思えない。とすれば、もうひとりはセリス・レア=アバードだろうか。王都並び立つ女性など、ほかに考えつかない。
「父上……母上!」
シーラが、叫びながら玉座の間に駆け込んだ。セツナもあとに続きながら、ラグナに彼女を追わせた。ラグナはあっという間にシーラに追いつくと、彼女の肩に乗った。シーラは気づいたのかどうか。気づいていないかもしれない。彼女は前方に意識を奪われていた。
「シーラ……」
「ああ、シーラ……」
リセルグが感慨深げにつぶやけば、セリスがシーラへと歩み寄る。リセルグの顔に刻まれた深いしわは、シーラとの再会を喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。対して、セリスの表情は、喜びに満ちている。愛しい娘との再会を、心から喜んでいるような、そんな表情。美しい女性だった。目元がシーラによく似ている。シーラが、よく似ているのだろう。年を経れば、シーラもセリスのような女性になるのかもしれない。挙措動作の優雅な女性であり、シーラとは対極に位置するような、そんな女性。
シーラは、セリスが名を呼んだことにぎょっとしたようだった。驚いたのは、その声音の優しさに、であろうか。シドたちの話によれば、シーラの死を望んだのはセリス・レア=アバードであり、この再会を喜ぶはずがない、とシーラは思っていたに違いない。扉を開く際の逡巡もそこにあるはずだ。扉の先にセリスがいたとして、大声で拒絶された場合、シーラはきっと、絶望するしかない。ただでさえ存在そのものを否定されているというのに、目の前で拒絶されれば、そうならざるを得ない。
覚悟が必要だった。
その覚悟の果て、彼女は扉を開き、父と母との再会を果たしたのだ。