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第千三十一話 シャルルムの軍師

「これはいったいどういうことだ」

 ザンルード・ラーズ=ディンウッドは、戦況の変化を目の当たりにしながら、目を細めた。戦況の変化でも、予想のできた変化ならばまだいい。たとえば、ガンディア軍が騎士団を打ち破り、王都まで到達したという程度の変化ならば、なにもいうことはない。軍を退き、タウラルに戻るまでのことだ。だが、ガンディア軍が攻撃してくるとなれば、話は別だ。

 そんなもの、想像もしていなかった。

「なぜ、ガンディアが我々に攻撃してきたのだ」

「理解できかねます。ガンディアとしても、我々に攻撃する道理はなかったはずです。我々に敵対の意図はなかったのですし、なにもいわずとも、それくらいは理解してくれるものと思っていたのですが」

「卿の敬愛するナーレス=ラグナホルンも期待外れだったということか」

「そう……かもしれませんね」

 ルヴ=シーズエルは、少し微妙な表情をした。彼としても期待外れだったのは否めないのかもしれない。彼がガンディアの軍師ナーレス=ラグナホルンと交流を持っているのは、ひとえに、軍師としてのナーレスを尊敬し、信仰しているからだ。ザンルードは、ルヴから、ナーレスの素晴らしさについて耳にこびりつくくらい聞かされてきていた。

 そういう意味では、ナーレスが期待以下の働きしかしないことには、溜飲の下がる想いがした。他国の軍師風情など、彼の見出したルヴ=シーズエルの足元にも及ばないということだ。

 ザンルードは、ルヴの才能を愛している。

「どうされます?」

「もちろん、ガンディア軍には応戦する。構わんな?」

「はい。一方的に攻撃されるのを黙ってみているわけにはいきません。ですが」

「わかっている。騎士団への攻勢も強めなければならんのだろう」

「はい。ガンディアにばかり注力していれば、騎士団側面の戦力に打ち崩される可能性があります。ここは軍を二手に分け、一方をガンディアに、もう一方を騎士団に当てるのが良策かと」

「だが……」

 ザンルードが不安視したのは、ベノアガルドがシャルルムに差し向けてきた戦力のことだった。戦力とはいえ、ただひとり。たったひとりの騎士が、シャルルムの進路を塞いでいた。その騎士は、雷光のような斬撃で、瞬く間に百人あまりの兵士を切り捨て、シャルルムが誇る三人の武装召喚師をも瞬時に殺してしまったという。

 騎士の名はシド・ザン=ルーファウス。“雷光”の二つ名で知られるベノアガルドの騎士であり、騎士団幹部――いわゆる十三騎士のひとりに数えられる高位の騎士である。その二つ名と肩書に恥じぬ強さは、シャルルムの進軍を押し留めるに至っている。

「あの騎士には、包囲陣を敷き、その場に留まってもらいましょう」

「それでどうにかなるのか?」

「少なくとも、我が軍が騎士団の側面に至るまでの時間稼ぎにはなりましょう」

「わかった。卿がそういうのならば、そうしよう。卿の戦術眼こそ頼りなのだからな」

 ザンルードはそういって話を打ち切り、全軍に指示を出した。彼の軍師ルヴ=シーズエルの戦術通り軍をふたつに分け、ひとつを騎士団に、もうひとつをガンディア軍にぶつけた。また、シド・ザン=ルーファウスに対しては、包囲陣を敷き、残りの武装召喚師も当てた。攻勢に出るまでの時間稼ぎが必要だと判断した。

 それは、間違いではなかった。

 包囲陣による時間稼ぎは、シャルルム軍の騎士団特攻の一助となり、ガンディア軍への迎撃の助けにもなった。

 ザンルードは、ガンディア軍迎撃部隊の指揮を取った。騎士団特攻部隊はルヴに任せている。ルヴは軍師ではあるが、前線での指揮に関しても他の追随を許さない実力があった。これまで、何度となく死線をくぐり抜けてきている。彼ほど特攻部隊の指揮官に相応しい人間はいない。


 戦況は、著しく変化した。

 シドの包囲陣は、ガンディア軍の一部隊による突撃によって崩壊の憂き目を見、肝心のシドは包囲陣の中から消えた。包囲陣に参加していた兵士たちは、ガンディア軍の部隊と激突し、激しい戦いを繰り広げた。多数の死傷者がでたらしい。ガンディア軍は、さすがに強いということだ。

 ルヴ率いる騎士団特攻部隊は、見事に騎士団の側面への突撃に成功し、甚大な被害をもたらしたようだ。その後、ルヴの巧みな指揮によって戦線を整え、ガンディア軍への牽制を行いつつも、騎士団との戦闘に集中した。

 一方、ザンルード率いるガンディア軍迎撃部隊もまた、激戦の最中にあった。敵はガンディア軍である。連戦連勝、いままさに乗りに乗っている大国の一軍団とぶつかるのだ。いかに精強を誇るザンルード麾下の軍勢であっても、油断をすれば負けるかもしれない。負けることはなかったとしても、苦戦を強いられるのは間違いない。ザンルードは、ルヴの指示に従って前線にでた。将軍自らが前線にでることで麾下の軍勢の奮起を促したのだ。そして、それは実際に上手くいった。ザンルード配下の兵士たちは、将軍みずからが前線に出、声を上げていることに驚き、同時に感激し、勇奮したのだ。ザンルード軍の攻撃は苛烈を極め、ガンディア軍の陣形を貫いていった。

 戦いは、時間とともに激しさを増す。

 ザンルードは、戦場に満ちた熱狂の中で馬上刀を抜き、迫り来る敵兵を切りつけ、撃退し、それによって部下たちに勢いをつけさせた。ザンルード軍は乗りに乗ってガンディア軍を攻め立てる。飛び交うのは敵味方の怒号であり、悲鳴であり、喚声であり、世界そのものが猛烈な熱気に包まれているのではないかという錯覚さえ抱いた。

 ザンルードは、多少、浮かれたのかもしれない。

 将軍として軍の指揮を取ることは多々あれど、みずから前線に出て、馬上刀を振り回し、敵を斬りつけることなど、久しくなかったのだ。血を見、悲鳴を上げる敵兵の姿を目の当りにすることさえも、久方ぶりのことだった。

 要するに、戦いの熱狂に飲まれたといっていい。

 そして、気が付くと、彼は少数の手勢を率いて、敵陣の中にいた。

(これはいったい……?)

 ザンルードは、周囲に犇めくガンディア兵が身につけた鎧兜の統一感に奇妙なものを感じた。なぜ、奇妙に想ったのかは、わからない。単純にその造形が気に入らなかっただけなのかもしれないし、自分が敵陣の真っ直中にいるという不思議さがおかしかったのかもしれない。

 冷静さを見失ったのだと気がついたときには遅かった。馬首を巡らせようにも、敵兵が周囲を取り囲んでいて思うように動けなかった。いや、動けたところで、どうにかなったとも思えない。

 激痛が左脇腹を貫いていた。斜め後ろからだった。振り向く。彼の供回りのひとりが、長槍を掲げいるのが見えた。まるで天に捧げ物をするかのような静かさが、その姿勢の中にあった。

「貴様……!」

 叫んだが、声になったのかどうか。

 ザンルードは、すかさず馬上刀でその兵士の首を刎ねた。胴体を離れた頭は、こちらを見つめたまま宙を舞う。わっ、とほかの兵士たちが声を上げるが、彼はなにもいえなかった。槍が脇腹に深々と突き刺さったままだった。声が出ない。

(これは……どういう……)

 意識をかき乱すような激痛の中で、ザンルードの脳裏に浮かぶのは、軍師の顔だった。

 ルヴ=シーズエル。

 ザンルードに前線に立つように命じたのは彼であり、そのためにとザンルード麾下の軍勢の中から選りすぐりの兵士を手配したのも、ルヴ=シーズエルだった。

 


「報告! 報告!」

 伝令兵が、戦場の喚声をかき消すほどの大声を上げながら馬を走らせてきたのは、ルヴ=シーズエル率いる部隊が騎士団との激闘に入ってしばらくしてからのことだった。

 シャルルムの軍師であるルヴは、部隊の後方にあり、全体を見ながら指揮を取っており、伝令兵の到着に対して目を細めて応じた。伝令は、南東からきたようだった。南東。つまり、ザンルード・ラーズ=ディンウッド率いるガンディア軍迎撃部隊でなにごとかが起きたということにほかならない。

「なんです? この忙しいときに」

 彼が見た処、伝令兵の顔は蒼白になり、全身、震えが止まらないといった様子だった。何が起こったのか、即座に理解できる。

「将軍閣下が……」

「閣下がどうされたのです?」

 ルヴがつとめて平静に問うと、伝令兵は、ごくりと息を呑んだ。

「将軍閣下が、つい先程、戦死されました……」

「はい?」

「ですから、部隊を率いてガンディア軍にあたっていた将軍閣下が、ガンディア軍の猛攻を受け、戦死されたのです!」

「なにを馬鹿な――」

 ルヴ=シーズエルは、自分でも白けてしまうほどに大袈裟な態度で驚いてみせた。だが、彼の大袈裟な反応が空疎に思えないほど、周囲の人間も愕然とし、驚愕の声を発していた。ルヴの周囲には、彼の身を守るための護衛兵や各部隊に指示をだすための伝令兵が数多く控えている。その兵士たちが、伝令兵の報告に対し、信じられないといった顔になり、天地がひっくり返ったかのような衝撃を受けていた。

「ザンルード将軍閣下ですよ!? あの古今無双と謳われた英雄将軍が!?」

 ルヴは、ことさらにザンルードを讃えながら、狼狽えてみせた。冷静沈着な軍師の仮面を脱ぎ捨てたかのように振る舞うことで、いかにも予定外で、想定外の出来事であるかのように見せつつ、兵士たちの不安を煽った。本来なら、軍師失格といってもいい振る舞いだ。軍師はたとえ戦術が失敗したとしても、それさえも策であるかのような振る舞いをしなければならない。でなければ、将兵は軍師を信用できなくなり、策や戦術に疑念を抱くようになるからだ。実行者に疑念が生じれば、どんな完璧な策であっても綻びが生じ、綻びが失敗を招く。だから、軍師は常に悠然とした態度を取らなければならないのだ。そのために軽薄の謗りを受け、忌み嫌われようともだ。

 だが、いまはあえて、兵士たちの不安を煽るような反応を見せた。ザンルードの死さえも想定の範囲内などという態度を見せれば、ザンルード麾下の兵士たちから反感を買い、ついには殺されてしまうことだってありうる。

 シャルルムの将来を考えれば、いまここで自分が死ぬことは、得策ではない。シャルルムにとって多大な損失となる。

「そんな……馬鹿なことがあっていいはずがない。なにかの間違いでしょう?」

「いえ、わたくしのこの目で、しかと見届けましてございます」

「……そうですか。わかりました。あなたの目を信じましょう。それで、閣下の御遺体は?」

「確保し、後送中です」

「それならば、よろしい。軍のことは、閣下についで、わたしが指揮を取ります。全軍に通達してください」

「はっ」

 伝令兵は一礼し、馬に乗って駈け去っていった。

 それを見届けてから、彼は周囲の伝令兵にも同様の指示を下す。騎士団への攻撃を一旦取りやめ、ガンディア軍迎撃部隊との合流を図るのだ。

 ザンルードの弔い合戦をしなければ、ならない。

(なにもかも上手くいきましたね)

 ザンルード・ラーズ=ディンウッドの戦死。

 それこそが、彼の脳裏に描いた策であり、この戦いの目的だった。

(ナーレス師。あなたのおかげです)

 ルヴ=シーズエルは、ガンディア軍の本陣があるであろう南方の丘を見やりながら、胸中で感謝の言葉を述べた。

 ガンディアの軍師ナーレス=ラグナホルンは、彼の軍師としての心の師匠であるとともに、いずれ超えるべき壁であると認識していた。今回の一件で、少しは彼に近づくことができたのではないかという想いとともに、彼ならば、こうなることさえ見越していたのではないかという恐ろしい考えも浮かんで、ルヴは暗澹たる思いを抱いたりもした。

 壁はあまりに高く、分厚い。

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