第千三十話 深謀
戦況は、一進一退といってよかった。
兵力では圧倒していて、戦力的にも圧倒的にガンディア軍のほうに分があると思われたのだが、実際、戦ってみると一切そういうことはないということがわかった。
ベノアガルドの騎士団は、兵士のひとりひとりが勇猛であり、精強だったのだ。それこそ、精兵で知られるログナー人の屈強な戦士たちが押され、遅れを取るくらいには手強く、騎士団兵士ひとりに対し、ふたりから三人で当たらなければならないほどだった。
前線を任されたログナー方面軍第四軍団の軍団長であり、陣頭指揮を取るドルカ=フォームは、注意するべきだという事前情報通りの騎士団兵士の強さに舌を巻く想いだった。そして、敵に対して有効打が与えられないのならば、戦線を維持することこそ優先するべきだと判断し、即座に命令を下した。最前線の防壁を強固にし、騎士団の圧力に押し負けないように手配したのだ。
幸い、ガンディア軍には、騎士団兵士などゴミのように切り捨てる戦闘集団がいて、彼らが敵兵をある程度蹴散らしてくれるため、戦線を維持するだけで、戦力差を優位に保つことができるだろう。
ドルカの目論見は、当たった。
セツナ率いる《獅子の尾》とレム=マーロウが獅子奮迅の戦いぶりを見せたのだ。ログナー人ですら手こずるほどに強いはずの騎士団兵士をたやすく蹴散らし、戦線の維持を容易いものとした。戦線の維持が容易くなれば、押し負けることはない。そして、《獅子の尾》が活躍を続ける限り、そもそも、負けるということはありえない。
いや、黒き矛のセツナひとりいる限り、ガンディアが負けることはない。これまでだってそうだったのだ。彼と軍師という両輪は、ガンディアに数多の勝利をもたらしている。
その軍師は今回お休みで、後継者候補であるエイン=ラジャールが軍師の役割を担っているが、彼もまた、ガンディアに勝利をもたらしてきた人物であり、ドルカにとってはナーレスよりも信頼のおける人物だった。そして彼こそが、ドルカ率いる第四軍団をこの戦争に投じてくれた張本人だ。ドルカに少しでも戦功を稼がせようというエインの想いには、なんとしても応えなくてはならない。
ドルカは戦線を押し上げるべく前進を命じながら、戦況の変化にも対応した。
戦況の変化。つまるところ、右翼に展開していたミルディ軍がシャルルムへの攻撃(どうやらミルディ軍ではなく、ミルディ軍と行動をともにしていたシドニア傭兵団によるものらしいが)したことによる、シャルルム軍の全軍突撃に合わせて、ドルカ軍もまた全軍でもって突撃した。シャルルムの軍勢は、ガンディア軍に応戦しただけでなく、騎士団の側面にもおよそ半数の軍勢を突っ込ませている。その側面からの衝撃が消え去る前に、正面からも全力をぶつけることで、騎士団に致命的な打撃を食らわせることができるのではないか。
ドルカの用兵は当たり、騎士団の前線部隊は半壊した。それでも半壊程度に押し留まっているのだから、厄介な事この上ない。
「それにしても、手強い連中だなあ」
「これが北の騎士王率いる騎士団の強さ……ですか」
「ベノアガルドなんて、我らがガンディアに比べたら小国も小国なのに。嫌になるねえ」
ドルカは、馬上、自軍団と騎士団の攻防を見遣りながら、目を細めた。状況は、必ずしも良くはない。押しているように見えるが、巻き返される可能性は秘められている。騎士団兵士ひとりひとりの実力がログナー戦士ふたり分はあるということを考えると、前線を半壊させた程度では有利は取れないのだ。頼みの綱の《獅子の尾》も、騎士団騎士に気を取られていて、騎士団兵士の掃討に力を割いてくれていないのだ。
いまも、レムとミリュウが巨漢の騎士と激しい戦闘を繰り広げているのが、視界の端に映り込んでいる。激しい戦い。それこそ、人間技の応酬などではない。レムの“死神”とミリュウの召喚武装による変幻自在の攻撃に対し、巨漢の騎士は平然と対応し、強烈な攻撃を地面に叩きつけた。衝撃が地面を走り、砂柱が上がる。
凄まじい戦いだった。ドルカたちが付け入る隙などあろうはずもなく、騎士団の兵士たちですら、三人の戦いに関わろうとはしなかった。関われば、死ぬだけだ。
(つまり、これでいいのか)
セツナが危険視した騎士団騎士を野放しにすれば、ガンディア軍への被害はいかほどのものになるのか。それを考えたとき、いまの状況のほうがよほどましだと思えて、彼は苦い顔をした。
ベノアガルドなる北の小国がなぜこれほどの戦力を有しているのか。なぜ、これほどの戦力を有しながら、国土を広げようともしないのか。黒き矛のセツナとある程度渡り合える騎士が何人もいるというのなら、周辺諸国を飲み込むことなど容易いのではないか。少なくとも、ガンディアと同程度の版図を持ったとしても不思議ではないし、小国に留まっていることのほうが不思議だ。
そんな国が、いまになって野心を持って行動を起こしだしたのだとしたら、その事自体には不自然さを感じることはなかった。
力があるのだ。
野心を抱いたとしてもおかしくはない。
「さて」
ドルカは、馬上刀を抜くと、後方の兵士たちにも見えるように掲げた。蒼穹に向かって掲げた刀身に陽光が反射し、きらめく。
「ドルカ軍のみなさ~ん、もういっちょ気張ろうか!」
ドルカは、そんな言葉を号令とした。
喚声とともに怒涛のような突撃が始まる。
「戦況はどうなの? ここからじゃちっとも見えないわ」
といったのは、ウルだ。
バンダールの丘に築かれた本陣は、戦闘が始まって以来、敵襲もなければ、矢が飛んで来るようなこともなく、至って平和だった。平穏無事に時が流れていくだけなのだ。それはそれでいいことなのだろうし、本陣とはそうあるべきものだ。本陣が攻撃に曝されるということは、戦況が悪化しているという以外にないのだから。そして、本陣が落とされれば、大抵の場合、負ける。本陣の陥落は、総大将の命に関わることだからだ。いや、総大将が生きていたとしても、本陣が落ちれば敗北同然だろう。戦意は失われ、戦いを継続することも難しくなる。
そういう意味では、本陣が平和なのは願ったりかなったりではあった。
しかし、前方では激しい戦いが繰り広げられており、敵味方に多数の死傷者が出ていることは疑いようもない。それを指を咥えて見ている、というのは、心臓に悪い。戦場にいて、生き死にをともにしているのならばまだましかもしれない。自分も死ぬ可能性があるという状況なら、兵士たちを死地に走らせることに対しても言い訳が立つ。
(言い訳か)
だれに対しての言い訳なのか。
きっと、自分自身の弱い心に対しての言い訳に違いない。
「こちらが押しているように見える」
「それだけ?」
「ああ」
「……本当、あなたって喋りが下手ね」
「悪かったな」
とはいったものの、カインはまったく悪びれた様子もない。
ウルが肩を竦めるのがなんとはなしにわかった。そして、こちらに話題をふるのだろう。。
「将来の軍師様におかれましては、どうご覧になさっておりますの?」
「そうですね。カインさんのいうとおり、こちらが押しているように見えます。いまのところ、こちらが負けそうな雰囲気はありません」
遠眼鏡で見渡した戦場は、ガンディア軍が圧倒しているように見える。北から迫り来る騎士団に対し、ガンディアは、南と南西、南東から部隊を押し上げるように展開しており、南と西の軍団が騎士団を包み込むほどの勢いを見せている。東の軍団は、シャルルムの南進部隊と衝突し、小競り合いを繰り広げていたが、かといって、騎士団が東に流れ出すということはなかった。騎士団の東には、シャルルムの軍団が当たっている。シドニア傭兵団がシャルルム軍に攻撃したことが功を奏したのだ。シャルルムは、ガンディアに攻撃されたことで応戦した。応戦せざるを得なくなった。ガンディアと敵対したからといって、アバード・ベノアガルドと手を組むことなどできるはずもない。自然、騎士団への攻勢も強めなければならず、戦場の混乱は加速した。
だが、それもこれも、シャルルムの軍師の存在が大きかった。
(ルヴ=シーズエルなら、そうするはずだ)
エインが立てた戦術は、いくつもの要素が複雑に絡み合っている。
そのひとつがルヴ=シーズエルだ。
シャルルムの軍師ルヴ=シーズエルの人物像については、シーゼルについてからというもの、ナーレスから耳にタコができるほど聞かされていた。シャルルムにルヴ=シーズエルなる軍師がいるということは知っていたが、まさかナーレスと交流があり、ナーレスがルヴのことをなにもかも知っているとは思いも寄らなかったし、彼のことを事細かに教えられるとは考えてもいなかった。しかし、知る必要があったのだと、いまになって理解できる。
ルヴのひととなりを知っているからこそ、このようなむちゃくちゃな戦術を立てることができたのだ。もちろん、シャルルム軍にルヴがいなければいないで別の戦術を立てただろうし、シャルルム軍の関与がなければ、それ相応の戦い方を考えただろう。
利用できるものを利用するのが、軍師なのだ。
「アバード・ベノアガルドが勝利するには、シーラ姫を殺害することです。そうすることで我々の大義を失わせること。それ以外にはないといっていいでしょうね」
「だが、そのシーラ姫もいまや戦場にはいない」
「やはり、そうですか」
「ああ。セツナ伯とともに戦場から消えた。おそらくは王都だろう」
「ふふ。さすがはセツナ様だ。俺の想像以上のことをしてくださる」
「これで王都が落ちれば、ガンディアの勝利ということか」
「ええ、そうなります」
「わたくしにも理解できるよう、お話して下さいます?」
「あ、ええ、そうですね……」
どこから説明するべきかと思案し始めた頃だった。エインは、シャルルム軍の動きに急激な変化が生まれたことを認めた。
「あれは……」
「なにかあったな」
「なんですの?」
遠眼鏡もなしに遙か先まで見渡すことのできるカインと、常人程度の視力しかないウルの声を聞きながら、エインは、シャルルム軍のいままでにない陣形の展開を見ていた。激しい変動は、軍の指揮官が変わったことを示すかのようだった。
(やはり、やったか)
エインは、遠眼鏡を掴む手に力がはいるのを認めた。




