第千二十八話 光の中へ
「あんた、まさかわざと!」
「そうさ。なにもかも計算づくさ」
ロウファが落ちながら笑ってきた。笑いながら、弓を構えてくる。指先に光が収束し、矢が形成された。弦を引く。
「攻撃が当たらないからといって頭に血が上るほど、戦闘そのものには執着がないんだ」
冷ややかな声は、それがロウファ・ザン=セイヴァスという人間の本質なのだろうと思わせた。ルウファは、即座に右に流れた。ロウファの射線も、右に流れる。落下までのわずかの時間。彼は、躊躇なかった。躊躇なく、矢を放った。光の矢は、弓から放たれた瞬間、爆発的に膨れ上がり、奔流となった。光芒。ルウファの視界を白く染め上げながら殺到する。が、ルウファには、当たらない。下方へと加速したからだ。急速前進。ロウファが目を細めながら着地し、すぐさま飛び退くのが見えた。雷撃が、着地点に炸裂する。ファリアが着地の瞬間を狙ったのだが、少し遅れた。一秒にも見たない遅れ。その誤差が命取りになるほどの戦い。
(強い……!)
ルウファは、舌を巻く想いで、ロウファなる騎士を見ていた。敵陣の真っ只中。周囲の騎士団兵たちは、まるでロウファの戦いの邪魔にならないためにとでもいうように空間を構築している。三人だけの戦闘空間。いつのまにそんなものが形成されたのかはわからないが、それが利点となるのは、ロウファだけだった。ルウファもファリアも、ロウファと同時に敵兵を攻撃できる状況は、苦にもならなかった。無論、騎士団兵はただの兵士ではない。少なくとも、雑兵などではなく、油断をすれば手痛い攻撃を食らうことになるだろうが、しかし、武装召喚師の敵ではないということもまた、事実だった。
「俺たちの勝ちだ」
ロウファが勝ち誇ってきたのは、ルウファが回避した光線に秘められた意図のことをいっているのだ。あらぬ方向に飛んでいった光芒は、戦場北部を走るシーラを狙ったものであることは、いまになってみれば明白だ。とはいえ、避ける以外の手段がルウファになかったのは間違いなく、止めることはできなかった。止めるとすれば、ロウファが撃つ前にやめさせるしかない。
それは、できなかった。
だが、ルウファは悲観してはいない。なにせ、シーラはひとりではないのだ。
「うちの隊長を甘く見ないことさ」
ルウファは、ロウファが先に放った光芒の行く末を一瞥して、告げた。光の先にセツナがいるのは間違いない。セツナは、シーラを護っている。彼がいる限り、シーラが殺されることなど、有り得る話ではない。
「目的のためなら手段を選ばないんだぜ、あのひと」
「そうね」
ファリアが、オーロラストームを構えながら同意してきた。オーロラストームの結晶体が激しい光を帯びている。高威力の雷撃でも放つつもりなのかもしれない。
「特に自分の身を犠牲にすることに関しては、隊長の右に出るものはいないわ」
ファリアが告げ、オーロラストームが吼えた。
「なっ!?」
シーラが疑問の声を上げた瞬間には、セツナは彼女を抱え、馬から飛び降りていた。一瞬の判断。反射。だが、光の雨が降り注ぐのは広範囲だ。馬から飛び降りたところで避けきれるわけもない。食らう。ラグナの魔法壁で防ぎきれるものなのかわかったものではないし、そんな賭けに出られるはずもない。自分が傷つくだけならばまだしも、シーラを負傷させることはできない。負傷は、命取りになる。シドがいる。シドが待っている。シーラに止めを刺す機会を待ち望んでいる。そこでやっと、セツナはシドが攻撃の手をやめた理由を認識した。追撃をやめたのは、光の雨の範囲があまりに広すぎるからだ。巻き込まれる可能性があり、巻き込まれれば、シドとてただでは済まないことがわかっている。破壊の雨。セツナは、馬の頭に乗っていたラグナがシーラの体に飛びつくのを見てから、右手の黒き矛を振り下ろした。手応えというほどのものさえない。漆黒の矛の穂先が黒馬の鞍を破壊し、胴体を両断した。馬は、悲鳴を上げたのかどうか。真っ二つになった胴体から噴き出した血液が、媒介となる。血の中に景色が浮かんだかと思うと、世界が歪んだ。空間転移が起こる。視界が真っ暗になり、無重力を感じる。そして重力の復活。つぎの瞬間、まったく別の景色が目の前に広がっていた。いや、さきほど、黒馬の血の中に見た景色だ。
巨大な城門が眼前に聳え立っている。
遠方から見ていたものと同じ城門。つまり、王都バンドールの城門以外のなにものでもない。
騎士団とアバード軍の中間地点から王都の目前まで瞬間的に移動したということだ。
(すまねえ)
セツナが胸中謝ったのは、黒馬に対してだ。あそこまで酷使してきた黒馬を斬ったのだ。仕方がなかったとはいえ、多少なりとも罪悪感が覚える。が、たとえセツナが殺さずとも、黒馬が生き残っていた保証はない。むしろ、光の雨にさんざん打ちのめされ、凄まじい苦痛の中で息絶えた可能性のほうが高い。とすれば、一瞬の痛みで済んだだけましだったのか、どうか。
「な。なんだよ!? なにが起こったんだ?」
「さすがはわしの主よな。空間を歪め、なおかつ長距離を一瞬にして移動するとはな」
セツナの腕の中で取り乱すシーラとは対照的に、ラグナの反応は極めて冷静だった。冷静に状況を把握し、なにが起こったのかを分析してさえいる。さすがに何万年も生きてきたドラゴンだけはあり、知識も経験も豊富そうだった。空間転移を体験すれば、シーラのようになるのが普通だ。が、ラグナの反応からは、彼がこれまでの人生で空間転移を経験したことがあるかのように思えた。それくらい、冷静だったのだ。
「ラグナのいうとおりさ」
セツナは、シーラを左腕から開放すると、後方に目を向けた。遥か彼方、いままさに光の雨が降り注いでいるのが見えた。破壊的な雨だった。セツナたちが疾駆していた周囲一帯を徹底的に破壊する雨であり、その威力は筆舌に尽くし難かった。召喚武装の能力だとしても、凄まじいものといっていい。
「ラグナの?」
「空間転移だよ」
「あ、ああ……そういえば、あったな、そんな能力」
「馬には可哀想なことをしたがの」
「仕方がなかっただろ」
「うむ。おぬしの判断に間違いはないぞ。わしの魔法壁では耐え切れたものかどうかわからぬ」
「やっぱりか」
「最初のあれで力を使いすぎてのう」
「それも、仕方がないさ。おまえはよくやったよ。おかげで、シーラをここまで連れてくることができた」
セツナは、シーラの背中から彼の左肩に飛び移ってきた小飛竜の頭を軽く撫でてやった。ラグナは少しばかり気持ちよさそうに目を閉じ、セツナが手を離すと、彼の頭の上に移動した。魔法の力がほとんど残っていないということは、もはやあまり当てに出来無いということだ。シーラは、セツナが守らなくてはならない。
「ここまで……」
シーラが、息を止めた。
彼女は、王都バンドールの城門を目の当たりにして、立ち尽くしていた。感慨深いものがあるのかもしれない。
すべては、ここから始まった。
ここからだ。
ここで、シーラの帰還が受け入れてもらえていれば、こうはならなかっただろう。シーラは王宮での生活に戻り、幸せな日々を送れたかもしれない。シーラ派の増長があり、国民的人気が暴走したかもしれないが、いずれにしても、このような事態には発展しなかったのではないか。少なくとも、王宮に戻ったシーラが、シーラ派や国民の言葉に翻弄されるはずもない。アバード王家こそ第一に考えていたのが彼女だ。セイル王子の王位継承に尽力し、なにもかも丸く収まったのではないか。
(いや……)
セツナは、胸中で頭を振った。そんなものはただの空想でしかない。シーラが王宮に帰れたからといって、なにもかも丸く収まるはずもない。状況はさらに悪化し、泥沼の状況を作り上げたかもしれない。遅かれ早かれ、王子派とシーラ派の対立が起き、アバードは混乱の中で分裂していたかもしれない。
シーラの母親が、セリス王妃が、シーラの死を望んでいるのだ。
どうあがいたところで、シーラは追いつめられたのかもしれない。
「王妃様は、王宮にいるんだよな?」
「おそらくな……。まさか騎士団とアバード軍が突破されるなんて思ってもいないだろうから、王宮から避難しているとも思えない」
「会いに、いくんだろ?」
「うん……逢いたい。逢って、話を聞くんだ。なんで義母上が俺を殺したがっているのか、その真実を知りたいんだ」
シーラが言葉を絞り出すように、いった。それが彼女がここにいる理由だ。それだけが彼女をここまで連れてきた。それがなければ、シーラはここまでこなかっただろう。ガンディアの御旗に利用されることを嫌い、消えていたかもしれないし、自ら命を絶っていた可能性だってある。実際、彼女は死にたがっていた。
ずっと。
(ずっと……)
シーラ派と王宮の対立が深刻化してからというもの、彼女はずっと死にたがっていた。命を絶てば、少なくとも苦しまずに済む。思い悩み、苦しみ抜く必要がなくなる。望みもしない状況に追い込まれた彼女には、死こそが救いだったのだ。それでも生きてきたのは、彼女の生を望んでくれるひとたちがいたからだ。自分たちの命を投げ打ってでも、シーラを生き延びさせたひとたちがいたからだ。
シーラは、彼らのためにも死ぬわけにはいかなかった。ラーンハイル・ラーズ=タウラル、レナ=タウラル、セレネ=シドール、数多の侍女たち。彼らは、シーラが生きて幸せを掴むことだけを望んだ。だから、シーラは生きてこられたのだ。
それが今回の騒動で台無しになった。
台無しにならざるを得ない。
彼女の覚悟も、決意も、想いも、すべて無に帰した。
シーラの心情を想うと、やりきれなくなる。この状況を作った一因が自分だということがセツナにはわかっているから、余計、やるせない。
せめて、シーラの望みを叶えてやるほかない。
「城門、壊すぞ」
「ああ……」
シーラがうなずくのを聞くまでもなかったが。
セツナは、彼女の反応を見てから、黒き矛を両手で握りしめ、城門に近づいた。
周囲に兵士の姿はない。ほとんどがアバード軍として出払っているからかもしれないし、王都の防衛戦力など必要ないと割り切っているからかもしれない。もっとも、兵がいないのは城門を閉鎖していたからかもしれず、王都内には普通にいたとしても、おかしくはないのだが。
セツナは、矛を振りかぶった。