第千二十四話 悪意と救い
シド・ザン=ルーファウスは、戦況の変化を目の当たりにして、目を細めていた。
状況が大きく変わったのは、ガンディア軍によるシャルルム軍への攻撃からだ。
当初、シャルルム軍は、アバード・ベノアガルド軍のみを攻撃対象としているように思われた。シャルルム軍の進軍路を見れば、ガンディア軍に向かって攻撃する意図がないのは明白であり、シドひとりに対して全力で攻撃を行う素振りを見せていたこともある。また、ガンディア軍も、同じくアバード・ベノアガルド軍のみを敵として認識し、戦闘を行っているように思えた。部隊を三方向に展開するというガンディア軍の布陣は、アバード・ベノアガルド軍がどのような戦術をとったとしても即座に対応できるようにしたものであり、シャルルム軍との戦闘は考慮に入れていないものだと、シドたちは認識していた。
アバード・ベノアガルド軍対ガンディア・シャルルム軍の戦いになるものだとばかり思っていた。実際、開戦当初はそのように推移しており、シドがシャルルム軍を受け持つという判断は間違いなどではなかったのだ。
だが、突如としてガンディア軍がシャルルム軍への攻撃を開始した。ガンディア軍から攻撃を受けたシャルルム軍は、即座に応戦を開始、といって、アバード・ベノアガルド軍が無視されたわけでもなく、一部戦力をシドに宛てがったシャルルム軍は、軍勢の半数ほどをガンディア軍に差し向け、残る半数を騎士団の側面に向けて突撃させた。
アバード・ベノアガルド対ガンディア対シャルルムという三つ巴の戦いが形成され、戦場は混沌とした。
シドは、ガンディア軍によるシャルルム軍への攻撃から、シャルルム軍が大きく方針転換するまで、なにもしなかったわけではない。シャルルムの兵士を斬り殺しながら、ガンディア軍の行動に首をひねらせたりした。まったく理解のできない行動だった。ガンディアがシャルルムに攻撃する理由は、ない。ガンディアが戦いを有利に運びたいのなら、シャルルムには好きにさせるのが一番だった。少なくとも、シャルルムにガンディアへの攻撃の意図が見受けられないのだ。アバード・ベノアガルドへの攻撃に参加させておけばいい。そうすることで、ガンディアはこの戦いを有利に進めることができるはずだった。
しかし、ガンディアは、利点を平然と捨てるようにシャルルムを攻撃した。その結果、シャルルムはガンディアに攻撃を開始するとともに、騎士団への攻撃も加熱させた。シドのみに戦力を集中させるのではなく、シドには捨て駒をあてがい、残りの戦力をガンディアと騎士団にぶつけたのだ。
(なるほど……それが狙いか?)
シドは、ガンディア軍の狙いが、シャルルムの攻勢の激化にあるのではないか、と考えた。シャルルムは、戦いが始まって以来、シドひとりに手間取っている。主戦場への到達が遅れており、それはすなわち、ガンディア軍が戦いを有利に運べないということにほかならない。だから、ガンディア軍はシャルルム軍を刺激したのではないか。
ガンディアに攻撃されたシャルルムは、混乱の中、応戦した。応戦しながら、騎士団との戦いも考えなくてはならなかった。ガンディアに応戦したからといって、アバード・ベノアガルドがシャルルムと協調するはずもない。なにより、ベノアガルドの騎士がひとり、既にシャルルムの軍勢に攻撃をしかけ、百人以上の兵士が死んでいる。ガンディアに攻撃されたからといって、ベノアガルドに歩み寄るという線は、ない。
シャルルムは考えた。ガンディアのみに戦力を集中させれば、騎士団からの攻撃に対応できなくなる。といって、シドひとりを放置することもできない。シドが厄介な戦力であることは、武装召喚師三人が一蹴されたことからもわかりきっているはずだ。そこでシャルルムは考えに考え抜いた。その結果がこの状況だ。
シドは、自分を包囲する百名程度の戦力を一瞥した。その中には武装召喚師がふたりいて、そのふたりは、先の三人と同じ轍を踏まぬよう、シドと距離を取っていた。遠距離からの絶え間ない連続攻撃が、シドをその場に拘束することに成功している。彼は、ふたりの武装召喚師による間断のない攻撃を凌ぎながら、戦況の変化を見ていたのだ。
ガンディア軍の一部隊によるシャルルム軍への攻撃が、最初だった。そこから劇的に状況が変化した。
シャルルム軍の半数がガンディア軍に応戦し、残る半数は、シドを黙殺するかのように騎士団の側面へと雪崩れ込んでいる。
騎士団は、南方からガンディア軍本隊、西方からガンディア軍別働隊、東方からシャルルム軍に殺到され、それぞれの軍勢に対応する内、混沌とした戦況を生んでいた。苛烈を極める戦いの中、ロウファ・ザン=セイヴァスとベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートの生存を認識する。だが、ふたりはまだ目的を果たせてはいないようだ。
ガンディア軍が戦場に残り、攻撃を続けていることがその証左だ。
シーラ姫はまだ生きている。
「どけどけどけえいっ!」
吠え猛る獣を思わせる叫声は、包囲陣の外から聞こえた。包囲陣の外側、南手からガンディア軍の部隊が殺到してきている。獰猛な獣の群れが砂煙を上げながら突っ込んでくるかのような猛烈さ。シドを包囲していたシャルルム兵が、咄嗟に対応するが。
「そして、死にさらせえっ!」
叫び声とともに、対応した兵士が肉塊と化した。一瞬にして無数の剣閃が走り、三人のシャルルム兵だほとんど同時に絶命し、血と肉と骨を撒き散らしたのだ。そして、最初に死んだ三人の後を追うように、その周囲の兵士たちがつぎつぎとガンディア軍の毒牙にかかっていく。棍棒で撲殺されるものもいれば、剣で刺し貫かれるものもいた。大量の矢を浴びせられて絶命するものもいた。その中をガンディア軍の部隊が突っ切ってくる。
「つぎにガンディア軍にひれ伏すのは、どこのどいつだあ!」
叫んだのは、先頭の男だ。長身。返り血を浴びて全身が真っ赤に染まっている。風に揺れる長い黒髪が特徴といえば特徴かもしれない。鋭い目つきと血まみれの長剣は、彼が凄腕の剣士であることを明確に示している。そして、先ほどの斬撃を見る限り、男の剣の腕は、十三騎士にも比肩しうるほどのもののようだ。つまり、常人ならばおそろしく強いということになる。
(まるで超人だな)
シドは、武装召喚師が放つ光弾を切り落としながら、男を見ていた。男が不意に動きを止める。シドの視線を訝しんだわけではなく、
「なんだあ?」
男は、周囲を見回して、怪訝な顔になった。包囲陣の真っ直中へと足を踏み入れたことを認識したのだ。もっとも、シドを包囲するための陣形は、男とその部隊によって破壊されてしまい、包囲陣に参加していたシャルルム兵も、この新事態にどうやって対応するべきか、困惑の中にいた。
「団長代理、場違いな空気ですな」
「なにが場違いなもんかよ。なあ?」
「……ああ。場違いでもない。君らはガンディア軍なのだろう?」
シドは、武装召喚師のひとりが新事態に対応するべく、こちらへの攻撃をやめたことに気づいた。攻撃の手が緩む。それはすなわち、シドの拘束が解かれるということだ。飛ぶ。光弾がシドの立っていた地面を打ち抜き、炸裂して光の柱が立ち上る。直撃すればひとたまりもないのが召喚武装の能力だ。直撃を食らわないように対処する必要がある。
「ああ、そうさ。ガンディア軍の一部隊だぜ……って、あんたは、見たことがあるな」
男の言葉を聞きながら、光弾の射手たる武装召喚師に飛びかかり、武装召喚師が飛び退くよりも早く、剣を走らせる。雷光を帯びた斬撃は、武装召喚師の肉体を千々に切り裂き、血肉を焼いた。周囲のシャルルム兵が動揺の中で突っ込んでくるが、それらも一刀のもとに切り捨て、雷光でもって焼き尽くす。電熱が肉を焼くにおいが立ち込め、彼は眉を顰めた。それから、ガンディアの男に目を向ける。
確かに、どこかでみた記憶がある。脳裏に過るのは、センティアの闘技場での出来事。シーラ姫の窮地に現れた集団の記憶。獣戦団の軍服を着込んだ集団。その中のひとりに、彼と同じ顔立ちの男がいた。
「……君は、セツナ伯、シーラ姫とともにいた戦士か。どうやら獣戦団兵士ではなかったようだが」
獣戦団の裏切り行為などではなかったことは、闘技場での事態が収束するとともに判明した。獣戦団兵士たちから軍服が剥ぎ取られたり、控室などから軍服が拝借されていたらしい。獣戦団兵士になりすましたということだ。潜入工作の常套手段といえばそれまでだが。
「ああ、俺は、ガンディアの英雄、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド様の配下だよ」
男は、名こそ告げなかったものの、そういってきた。男の周囲では戦闘が起こっている。彼の部下らしい屈強な戦士たちがシャルルム兵と激しい戦いを繰り広げていたのだ。しかし、黒髪の男は、どこ吹く風だ。涼しい顔で、こちらを見ている。
シドの包囲陣は完全に崩壊していた。黒髪の男の部隊が突撃してきたことによって開けられた風穴が、瞬く間に拡大し、包囲を続けることがかなわなくなった。それを受けて、シャルルムの兵士たちは方針を転換した。ガンディア軍部隊に当たる部隊とシドに当たる部隊にわかれたのだた。それが正しい判断かどうかは、彼らがガンディア軍の部隊を制圧できるかどうかにかかっている。
「ふむ」
「つまりよ、これは、セツナ伯様直々の命令ってこった!」
これ、というのは、ガンディア軍によるシャルルムへの攻撃が、だろうが。
「わざわざそんなことを公言する道理がどこにある」
「いわなきゃ伝わんねえだろうが!」
男が、地を蹴った。常人の身体能力とは思えないほどの速度でシドとの距離を詰め、シドの剣の間合いぎりぎりのところで方向転換した。シドは斬撃を放ってもいない。男の殺気の向かう先を見ている。男は、もうひとりの武装召喚師に殺到していた。殺到し、凄まじい惨劇で武装召喚師の胴体を真っ二つに断ち切った。若い武装召喚師は唖然とした表情のまま、絶命した。男が武装召喚師の死体から召喚武装を奪い取ったことで、その目的を理解する。
男が奪い取ったのが遠距離攻撃型の召喚武装だということは、これまでのシドへの攻撃から判明している。形状としては、杖に近い。長い杖で、派手に装飾された杖の先端に水晶球がある。水晶球から放たれる攻撃には注意が必要だった。単調な光弾を放つ短杖とは違い、男の体にした長杖の攻撃は複数種類あり、その使い分け方次第では、シドを出し抜くことも不可能ではない。
「召喚武装の扱いは難しいっていうが……あんたを相手にするなら、必要だろ」
「わたしを相手に?」
シドは、小首を傾げた。おかしなことをいう。もちろん、いっていることが理解できないわけではない。彼は、シドたち十三騎士の実力の一端を垣間見ている。普通に戦えば一蹴されるのは目に見えている、とでもいいたいのだろう。
が、シドは、別の意味で、おかしなことだと認識した。
「わたしは君を相手にしている暇もないのだよ」
男の存在は、シドの眼中にはない。
シドは、地を蹴って、飛んだ。雷光の如き速度でその戦場を離れ、騎士団の側面への攻撃を開始したシャルルム軍の後背を突くつもりだった。
「あ、待て! 待てよ!」
声だけが聞こえたが、彼は相手にはしなかった。戦況が大きく変化している。男に構っている場合ではないことは、ガンディア軍が活発に動いていることからもわかる。ロウファもベインも、まだ、シーラ姫を殺すことができていないのだ。シーラ姫さえ死ねば、ガンディアは大義を失い、軍を引かざるを得なくなる。そうなれば、シャルルム軍のみに戦力を集中させることができる。タウラルをアバードの手に取り戻すことも容易だろうし、シーゼルからガンディア軍を退かせることも不可能ではない。
そして――これがなにより肝要なのだが――、王妃の願いも叶う。
ともかく、シーラ姫を殺すことだ。
それが、ふたつの救いとなる。