表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1023/3726

第千二十二話 想像の世界

 戦いは激化の一途を辿っていることだろう。

 中央ではセツナがシーラや《獅子の尾》とともに激戦を繰り広げ、数多の敵兵を死体に変えているに違いない。注意するべき三騎士の猛攻に曝され、上手くいっていない可能性も少なくはないが、セツナと《獅子の尾》がひたすらに圧倒されるとは、思いがたい。《獅子の尾》はガンディア最強の部隊だ。《獅子の尾》が敵わなければ、ガンディアが全力を上げても敵わないのではないかと思ってしまうほど、《獅子の尾》隊の戦力比は大きい。もちろん、《獅子の尾》だけで数万の軍勢に比肩するとはいわないし、思えないが、それくらい強い部隊であるといっても構いはしない。

 北西に展開した部隊は、上手く敵軍の横腹を突くことができただろうか。気になるのは、それだ。横腹を突くことさえできれば、敵陣は乱れに乱れ、ガンディア軍が優勢になること間違いない。たとえ騎士団兵士が強かろうとも、陣形が乱れれば、途端に戦線は崩壊するものだ。しかし、陣形を崩すことに失敗すれば、今度はこちらが危うくなる。貴重な戦力の一部を陣形破壊に投じているのだ。陣形を破壊できなければ、無駄な投資になり、中央が押される可能性が高くなる。

 他方、北東に展開した部隊は、どうか。

 エインのことだ。

 抜け目なくシドニア傭兵団を北東軍に配置していることだろう。

 そして、シドニア傭兵団は、彼やナーレスの思惑通り、シャルルム軍に攻撃を仕掛けたに違いない。もし、シドニア傭兵団がシャルルム軍に攻撃をしかけなかったのならば、それはそれで構わない。戦後、シャルルムとの関係が多少こじれるだけのことだ。そうなった場合は、王宮に丸投げしてしまえばいいのだ。レオンガンドが頭を悩ませ、彼の四友が雁首揃えて眉根を寄せるだろうが、それこそ彼らの役割なのだ。もちろん、彼らの負担が重くならないよう、最大限の配慮をするのが軍師の勤めでではあるが、なにもかもすべてを軍師任せにするのは、間違いではある。

 そして、ナーレスはエインとアレグリアにもそのように教えている。

 軍事だけが軍師の役割ではない、ということだ。政治にも積極的に関与しなければならない。政策もまた、戦略に密接に関わることになるからだ。軍事力だけが高くとも、政治力が酷烈と極めれば、国としては成り立たないのだ。軍事と政治の両輪があってはじめて、小国家群統一の夢が形になる。もちろん、軍師ひとりにすべてができるわけではないし、軍師の才能は軍事にこそ適しているのだが、その才能を発揮するためには政治力も必要だということだ。

 今後のガンディアの戦略を考えれば、シャルルムとの関係は友好的なものに越したことはないが、それは、ガンディア軍が上に立った友好関係でなければならない。シャルルムがわずかでも上をいくような関係であるべきではないのだ。国力を考えればどうとでもなることではあるが、戦場で、軍師がどうにかできるのならばそれに越したことはない。

 先にいったように、政治家たちの負担を軽くすることも、軍師の役割だ。

 シャルルムとの予期せぬ敵対が、それを成す。

 シドニア傭兵団がシャルルムを攻撃する様が目に浮かぶ。

 シャルルムは驚くだろうし、即座に応戦するだろう。シドニア傭兵団が属したガンディア軍北東方面部隊も、寝耳に水といった状態に陥っただろうし、シャルルムに攻撃された以上、反撃せざるを得まい。

 ガンディア対アバード・ベノアガルド対シャルルムの三つ巴の戦いが生まれるのだ。

 戦力としては、ガンディア・シャルルム対アバード・ベノアガルドのままのほうが良かったし、そのほうがガンディア軍の被害も少なくて済んだだろう。

 しかし、シャルルムを大いに巻き込み、戦場に混乱を起こすことは、ガンディアに有利に働くのだ。

 混乱が、付け入る隙を生む。

 戦場に大いなる混乱を呼ぶことで、勝利を呼び寄せることができる。

 今回の場合、勝利とは、アバード・ベノアガルドの軍勢を倒すことではない。それだけでは不完全といっていい。

 王都バンドールの制圧。

 そして、リセルグ王の退位とシーラの王位継承こそが、勝利条件となる。

 シーラの救援を掲げ、女王シーラの誕生によるアバードの混乱の終息を謳っているのだから、当然そうなる。そのあとのことはともかく、いまはそれが最善だ。それを目指さなければならず、敵もそれを阻止しようとするだろう。阻止するための最善は、シーラの殺害だ。ベノアガルドの騎士団のうち、セツナによって要注意人物と名指しされたシド・ザン=ルーファウス、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァスの三人がシーラの命を狙うのはわかりきっている。セツナをして危険といわしめた力量の持ち主だ。まともにやり合えば、シーラを失う可能性だってありうる。いくらセツナが最強の戦士であっても、ひとひとりを守りながら戦うというのは簡単なことではない。敵に集中すれば、守りが疎かになる。守りに徹すれば、全力で戦うことが困難になる。そうなれば、敵を倒すことはおろか、撃退することも困難になる。全力をぶつけなければ倒せないかもしれない敵が相手となれば、なおさらだ。

 もちろん、こちらの戦力はセツナひとりではない。シーラ自身、強力な駒だ。おのずから前線に飛び出すであろう彼女は、一般兵とは比べ物にならない力を秘めている。そして《獅子の尾》がいて、死神がいる。そしてドラゴン。それらの戦力をすべて三騎士にぶつけることができれば、倒すことも不可能ではあるまい。

 しかし、先程もいったように騎士団との戦いに全力を注ぐ必要はない。

 目的は、王都の制圧なのだ。

 エインもそれは百も承知だろうし、そのための策を練ったに違いない。

 それは、セツナとシーラに敵陣を突破させるというものになるだろう。

 要注意人物たる三騎士の狙いがシーラならば、彼女を本陣に置いておくという手もあるが、そうなると、今度は本陣が敵の攻撃の的となる。強力無比な攻撃が本陣に集中すれば、いかに本陣の防御を固めたところで、意味を成さないかもしれない。それならばいっそのこと、シーラを前線に出すべきだった。自陣よりも敵陣深くまで先行させれば、三騎士も無闇矢鱈に全力で戦えなくなるだろう。騎士団騎士が味方に被害が及ぶことを厭わないというのなら話は別だが、そうは思えない。

 そして、敵中を突破させるというのなら、シーラひとりでいかせるわけにはいかない。いかにシーラが召喚武装の使い手で、獣姫と呼ばれるほどに獰猛な戦士であったとしても、何千もの敵兵の中を突っ切れば攻撃を喰らい、負傷するだろう。多少の手傷ならばまだしも、致命傷を終えば、目も当てられない。

 彼女を失うわけにはいかないのだ。

 少なくとも、この戦に勝利するまでは、シーラには生きていてもらわなければならない。シーラの生存こそ、勝利の絶対条件だった。

 だから、エインはシーラにセツナをつけるだろう。セツナはシーラにラグナをつけ、さらに自身でシーラを守ろうとする。最強の矛が絶対の盾となる。

 ふたりが敵陣中央を突破し、アバード・ベノアガルド軍に混乱を巻き起こす様が想像できる。その混乱の真っ直中、ログナー方面軍第四軍団をはじめとするガンディア軍が総攻撃を仕掛け、さらにシャルルム軍が戦場に雪崩れ込んでくる。シャルルム軍は、アバード・ベノアガルド軍のみならず、ガンディア軍にも攻撃を加える事だろう。ガンディア軍もシャルルムに応戦し、戦場は混乱を極めることになる――。

 そこまで想像して、彼は瞼を上げた。瞼の妙な重さには、もはやなれた。なれたところで疲れることに変わりはなく、わずかな疲労が蓄積されて体中のみならず精神まで蝕んでいくのは、いかんともしようがない。

 ナーレス=ラグナホルンは、想像を止めない。たったひとりの部屋の中。想像することしかできないといえばそれまでだが、空想と妄想が入り混じった戦場の風景を脳裏に浮かべてしまうのは、性分といってしまっても構わないほどに染み付いた行動だった。行動、ではない。想像は、無意識のうちにはじまっている。無意識に考え、無意識に作り出し、無意識に勝敗を決定づける。そういったことをいつもやっている。王宮での大切な会議の最中でも、妻とのふたりきりの時間を過ごしている間でも、それこそ、戦いの真っ直中であっても。

 想像が、ナーレス=ラグナホルンという人間をこの世に存在せしめているのではないか。

 そんなことを、想う。

 想い、苦笑する。

 ならば、想像し続ける限り、死ぬことなどありえないのではないか。

 想像し続ける限り自分はここにいて、ガンディアのために立ち続けることができるのではないか。

 だが、現実には、そんなことはありえない。

 この得体のしれない猛毒に侵された体は、日に日に、刻一刻と死に向かっている。

 死の足音が聞こえ始めたのは、いつだろう。

 ずっと前のようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。

 ごく最近。

 龍府を離れたときから、止まっていたときが動き出したかのように毒が猛威を振るい始めた。痛みはなかった。ただ、急速に死に近づいているということだけを理解した。絶望はしない。死は怖くない。ずっと前から覚悟していたことだ。そして、覚悟が彼を突き動かした。

 覚悟が、いまの自分を作り上げた。

 なにも恐ろしい物などはない。

(いえ……)

 彼は、胸中で頭を振る。

 恐ろしい物があるとすれば、それは――。

 不意に、部屋の扉が軽く叩かれた。

「局長、いらっしゃいますでしょうか?」

 オーギュスト=サンシアンの声だった。彼は、ナーレスからの返答を待ち、返答ができるほどの体力さえ残っていないことを理解すると、失礼します、といって扉を開けた。ナーレスの位置からは間仕切りが邪魔になって扉が見えなかった。間仕切りを置くように指示したのはナーレスだが、こういうとき、不便だな、と彼は思った。かといって、間仕切りを取り除く気にはなれない。この部屋に足を踏み入れたものにいきなり自分の姿を見せるのは忍びなかった。

 骨と皮だけになったかのような体は、ナーレス本人が見て不気味だった。他人が見ればさぞおそろしいだろう。だから、彼は寝台のすぐ側に間仕切りを置かせた。そのせいで室内が見渡せないのはわかりきっていたし、しかたがないものと諦めている。

 オーギュストが、間仕切りの向こうから顔を覗かせた。いつ見ても秀麗な顔立ちの若者だ。サンシアン家の血筋が形になったのが彼という人間だろう。彼の妹アヴリル=サンシアンも彼によく似ている。サンシアン家の顔立ち、ということだ。その彼の涼やかな目は、ナーレスの惨状見ても動揺ひとつ表さない。見慣れようのない姿であるはずだったが、彼は、ナーレスが痩せ衰え始めるのを目の当たりにしていたときから、動揺はおろか、嫌悪や恐怖を感じている様子はなかった。彼はいつだって沈着冷静で、だからこそ、ナーレスは彼を参謀局の副局長に任命したのだ。

 オーギュストは最初、驚いたことだろう。なぜ、自分のような軍事となんら関わりのない人間が参謀局などという新設の組織に、それも組織に二番手に配置されるのか、理解できなかったに違いない。実際、彼にはしつこく問い詰められた。彼は、自分という人間がよくわかっている。オーギュスト=サンシアンとは、サンシアン家の栄光によって王宮での立ち位置を得ているに過ぎないのだ、ということを臆面もなくいってのけるだけの理解力があった。そして、だからこそ、国のために心血を注ぐ意思があり、国をよくするためならば、どのようなこともする覚悟があるのだ。彼が一時反レオンガンド派に属したのもその一環であり、反レオンガンド派を見限ったのも、セツナの暗殺がガンディアにとって不利益をもたらすと結論づけたからにほかならない。

 彼は、感情ではなく、理性で動いている。

 なればこそ、ナーレスは彼を参謀局の副局長に任命した。

 彼のような理性の塊こそ、参謀局に相応しい。

 軍事だけが軍師の仕事ではない。政治に関わることもある。とくに、戦略を押し通そうとすれば、政治家たちとの喧々諤々のやり取りをしなければならないことだってあるだろうし、腹芸ができなければ軍師失格といっていい。

 ナーレスは、いい。

 政治家としての顔もあり、国政に口を出したところで、だれもが当然と思ってくれている。ナーレス=ラグナホルンの名が、彼の行動を約束する。

 しかし、ナーレスの後継者は、どうか。

 エイン=ラジャールにせよ、アレグリア=シーンにせよ、どちらも政治家などではない。どちらも純粋な軍人であり、とくにエインはログナー人だ。たとえ軍師の役を引き継いだところで、国政に入り込むことは簡単なことではあるまい。政治家たちは、ナーレスの後継者の力量を試そうとするかもしれない。足を引っ張り、罠にかけようとするかもしれない。エインもアレグリアも、軍師の後継者としては申し分のない才能と実力を持っている。しかし、政治家としての力量は未知数だ。

 そこで、オーギュストの出番だ。彼が間を取り持つ。軍師の後継者たちと、軍事のことなどなにも知らない政治家たちの橋渡しとして、機能する。

 そのことは、オーギュストも理解している。

 彼は、自分の立ち位置を理解しているのだ。

「眠っておられましたか」

「いや、起きていたよ」

 ナーレスは、オーギュストのいつものような気の使い方に、微笑みを浮かべた。彼は、副局長になって以来、サンシアン家の人間であるということを忘れてしまったかのようだった。以前は、無自覚にサンシアン家の人間だということを誇っていたところがある。いや、それが当然なのだ。サンシアン家の家格は、ガンディア王家よりも上であると認識しているものが多い。

 ガンディアがサンシアン王家の最盛期以上の国土を得たいまとなっては、そのようなものを誇ったところで滑稽以外のないんものでもないのだが、以前は、それが当たり前だった。サンシアン家という亡国の王家は、その血筋だけで価値があった。ガンディア国民も王宮のひとびと、ただそれだけで彼らを遇し、丁重に扱った。

 サンシアン家の人間が笠を着るのは、当然の道理といってよかった。

「まともに眠れないんだ」

「しっかり寝てください。寝ることも軍師様の仕事でございましょう」

「それはそうなんだがね」

 眠れば、もう二度と目覚めないのではないか。

 眠りの中で意識が途切れ、闇に溶けるように消えていけるのならば、それはそれで幸福なのかもしれない。

 しかし、それでは駄目だ。

 やり残してはならない。

 遺言を、伝えなくてはならない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ