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第百一話 南からの使者

 ガンディアがログナーを併呑して、はや一ヶ月が経過していた。

 勝利の余韻に浸る間もなく戦後処理に奔走していたのが、ついこの間のことのように感じられる。

 ガンディアを取り巻く状況も大きく変わった。ログナーを飲み込み、さらなる北進の意図を隠さないガンディアに対し、ザルワーンが強固な防衛線を築き始めていた。いや、侵攻の可能性もある。ザルワーンは属国であったログナーを丸呑みされた当事者であり、その怒りたるや相当なものに違いなく、ログナーを取り戻し、その勢いでガンディアを攻め滅ぼそうと考えていても不思議ではない。実効性の有無は別として、だ。

 少国家群の中でも広い領土と強大な軍事力を誇る竜の国ザルワーンと、ログナーを飲み込み、隆盛の勢いを見せる獅子の国ガンディア。二国が衝突する前触れは、周辺諸国にも波紋となって広がり始めていた、

 ガンディアには、ルシオン、ミオンという同盟国の後ろ盾がある。両国との関係は良好であり、気のおけない間柄と言っても過言ではない。背後を気にしなくていい、というのはガンディアの戦略上とても大きな意味が有った。戦力としても、ルシオンとミオンは有用であるだろう。特にルシオンは、ザルワーン攻略に於いては協力を惜しまないといってきてくれている。ガンディアにとって、これほど心強いものはなかった。

 西の隣国アザークは、静観の構えを見せている。いや、静観せざるをえないというべきか。

 アザークは、ガンディアのログナー攻略の隙を突いて軍勢を繰り出してきたのだが、ガンディアのログナー制圧が思った以上にあっさりと完了したために領土侵犯程度に留まっていた。休戦協定が破られたことでガンディア、アザーク間の関係は悪化したものの、アザークが軍勢を国内に引き上げたことによって一触即発の危機を脱してはいた。いま、アザーク国内は休戦協定の破棄およびガンディア侵攻についての責任を巡る論争で紛糾しているという。

 ガンディアの東方に位置し、ザルワーンとも隣接しているベリルは、内外の情勢の変化もあってか、ガンディアに協力的な態度を見せてきていた。

 これまでザルワーンに対し尻尾を振っていたベレルだったが、外交方針を切り替えたのには大きな理由がある。

 ベレルがもっとも頼りにし、戦略・政略の要においていた傭兵団《白き盾》との契約が終了したというのだ。ベレルとしてはどれだけの大金を積んででも引き止めておきたかったはずだが、《白き盾》としてはベレルに留まっている理由がなくなったのだろう。金額だけでは動かないのが《白き盾》だ。だからこそ、ベレルなどという小国と契約していたともいえる。

 無敗の傭兵団の後ろ盾を失ったベレルは、外交戦略を練り直さなければならなくなった。ガンディアと友好を結ぼうというのもその一環だろう。ザルワーンよりもガンディアを選んだ理由はまだはっきりとはわからないが、ザルワーンに尻尾を振っても属国にされるのが落ちだというのが、ログナーの前例からわかりきっているのもある。ベレルの判断は、必ずしも間違いではない。が、正しいともいいがたい。ガンディアがザルワーンに勝てなければ、その方針転換は痛手となりうる。

 ザルワーンは先述の通り、ガンディアに対し戦争の構えを見せている。属国を奪われたのだ。当然の反応といえる。そして、ザルワーンから次々と入ってくる情報によれば、国主ミレルバス=ライバーンの名の下に、より強固な支配体制へと変わりつつあるという。

「魔龍窟の解体に軍の再配置、防衛線の強化……か」

 レオンガンド・レイ=ガンディアは、キース=レルガがまとめた報告書に目を通していた。軍を強化するとともに、ガンディア軍の侵攻に備えてザルワーン国内の各都市、城砦の整備や補強に重点を置いているようだ。ミレルバス=ライバーンによる全軍の掌握は、内情の悪化を憂えてのものだろうが、だとしても遅すぎるといっていい。それもこれも、ガンディアの先王シウスクラウドの置き土産である毒がザルワーン全土に蔓延し、猛威を振るっているからに違いない。

 みずから毒の成分となり、敵地へと乗り込んでいった男は、いまやザルワーンの軍師として、ミレルバスの片腕として声望を集めている。彼がミレルバスの信任を得ている限り、ザルワーンは脅威ではない。無論、国力は依然ガンディアの上を行くが、ログナーを飲み込んだいま、必ずしも戦えないという相手ではなくなった。互角ではないが、互角に持ち込めるかもしれない。

 そして、もっとも重要なのは、ナーレス=ラグナホルンの手に入る情報がこちらに筒抜けだということだ。ミレルバスがナーレスを重用している限り、ザルワーンの機密のほとんどが手に取るようにわかるのだ。ザルワーンの国内情勢や対外政策についても知ることが出来たし、軍事力の詳細についてもほとんどが明らかになっていた。

 それでも、ザルワーンという国が強大であることに違いはなく、油断すれば一揉みに揉み潰されてしまうのだろうが。

 懸念すべきは、魔龍窟の全貌がナーレスにもわからなかったことくらいか。

「魔龍窟……ザルワーン独自の武装召喚師養成機関ですな」

「彼も、魔龍窟出身だそうだ」

 レオンガンドが腹心に告げたのは、カイン=ヴィーヴルのことだ。かつての名をランカイン=ビューネルといった。彼は、ザルワーンの中でも五竜氏族といわれる血筋の末席に位置する身でありながら、幼い頃、武装召喚師となるために魔龍窟へ投げ入れられたのだという。そこは血で血を洗う、人間的な道徳とは無縁の世界だったらしい。そして、彼曰く、魔龍窟には同様に育成された武装召喚師が数多おり、それらがすべて戦力として投入されれば、黒き矛とて苦戦せざるを得ないだろう、ということだった。

「やはり一筋縄では参りませんな」

「さすがはザルワーンといったところかな」

 戦略会議室の広い空間には、レオンガンドと四人の腹心だけがいた。

 バレット=ワイズムーン、ゼフィル=マルディーン、ケリウス=マグナート、スレイン=ストール。彼らは腹心というよりは、気の置けない四人の友といったほうが近いかもしれない。先王からレオンガンドの補佐を任されたもの、レオンガンド自身が市井の中から見だしたもの、その経緯は四人それぞれ違うが、レオンガンドは四人を同列に扱っている。そのことで不満を持つものがいないではなかったが、それも昔のことだ。いまは、この国のために力を合わせてくれている。

「現状の戦力では対等とは言い難いですね」

 とはいえ、ザルワーンが即座に南下してくるわけではない。

 ログナー侵攻戦において、ヒース=レルガがザルワーンの部隊を帰国させるために打った一手は、ザルワーンの南征を抑制するのに極めて効果的に働いていた。まさに会心の一手。妙手といっていい。

 グレイ=バルゼルグ将軍が、ザルワーンを離反したのだ。旧メリスオール領に閉じこもり、ザルワーンに敵対的な態度を見せている。将軍麾下の三千名もそれに従っており、ザルワーンは国内に脅威を抱くことになってしまった。しかも、ザルワーンにおいて最強と謳われたバルゼルグ将軍の部隊である。全力を上げて戦えば討伐することも難しくはないだろうが、その場合、多大な出血を覚悟しなければならない。

 ガンディアとの戦いを見据えているのであれば、おいそれとは動き出せまい。その上、討伐に血眼になっている隙を、ガンディア含め近隣諸国に突かれる可能性がある。軍を起こすにも慎重にならざるを得ない。故にザルワーンはグレイ=バルゼルグの説得に全力を注いでいるようだが、それも上手くいかないだろうというのがナーレスの報告だった。

 当初の予定では、ザルワーンとの決戦のために用意していた、とっておきの策だ。それくらいの効果があってもらわなくては困るのだが。

 もっとも、ザルワーンの戦力に不明な点がある以上、油断できないのは間違いない。カイン程度の武装召喚師がどれほどいるのか、その数によっても戦術の立て方は変わってくるはずだ。カインにも正確な数は把握できない。彼が魔龍窟を出てからどれだけ育成され、どの程度の人数が戦闘に耐えうるまでになったのか。少なくとも、彼と同程度の武装召喚師が五人はいるということだが。

 カインと同じ術式を学び、同じ武装召喚術を使えるように特別な施術を受けた武装召喚師たち。それらとの戦闘は、想像するだけで頭が痛くなってくる。

「戦力の補強が必要か。しかし、ルシオンにもミオンにもこれ以上の協力は要請できないだろう」

 既に協力の確約は取り付けてある。ルシオンはハルベルク王子と白聖騎士隊を派遣してくれるというし、ミオンからの千名も戦力として十分に数えられる。もちろん、その借りは返さなくてはならないが、戦後のことになる。ザルワーンの打倒さえ実現できれば、どうとでもなるはずだ。

「先の戦争で失った人員の補充も十分ではありません」

「そうだったな……」

 ログナーを併呑し、その保有戦力のほとんどがガンディアのものとはなったものの、ガンディアが迅速な勝利を得るために払った犠牲も少なくはなかった。レオンガンドが率いた先発隊こそ被害は少なかったものの、後発の本隊は、運悪くログナーの武装召喚師と接触、戦闘となり、多数の死傷者を出してしまったのだ。幸い、セツナ=カミヤがそれ以上被害が拡大することを防いではくれたものの、失われた命は戻っては来ない。

 人資源は常に不足しているといってもいい。それこそ、先王の時代からだ。ガンディアの国力を考えれば当然の話で、だからこそルシオンやミオンと同盟を結び、対峙すべき敵国の数を減らすための努力をしてきたのだ。ザルワーンという強力な後ろ盾を持つログナーに対抗するための兵力も、なんとか絞り出していたようなものだった。

 ログナーは倒した。その人資源も手に入れた。特に飛翔将軍アスタル=ラナディースを幕下に組み込むことができたのは大きいだろう。彼女の人望はログナー随一であり、彼女の指示にならばログナーの兵士たちも素直に従ってくれるはずだ。

 ログナーの兵士は精強として知られている。ザルワーンとの戦いではその武勇を大いに役立てたいものだが。

 しかし、それだけでは足りないのだ。圧倒的に足りない。もっと、もっと欲しいと思ってしまうのは、レオンガンドとしては当然だった。

 兵力差を覆しうる策がないわけではない。が、たったひとりの少年に頼りきった戦略など、いつかは破綻するに決まっているのだ。そしてそれは策と呼べるものですらない。ガンディアの将来を考えれば、黒き矛はできるだけ意識の外においておくのが懸命だろう。

(セツナ……)

 彼は強い。彼ひとりいるだけで、負ける気がしないのも事実だ。だが、あの少年の心身への負担を考えると、いままで以上の依存は避けたいところだ。これまでの戦闘は、彼一人で勝ってきたといってもいいくらいなのだから。

「資金力だけなら、ザルワーンにも負けませんが」

「前財務大臣の遺産……か」

「まったく、彼は困ったことをしてくれたものだ」

 レオンガンドは嘆息して頭上を仰いだ。ガンディアの前財務大臣ベンデル=クラインは、先王の時代から国の金の流れを把握していた人物であり、この国の暗部にも深く関わっていた人物でもある。そして、先王が秘密裏に進めていた計画に関与しており、その計画推進のための資金源である鉱脈の存在を秘匿していたのだ。

 レオンガンドたちがこの国の実権を握り、暗部の解明に乗り出したときには彼は財務大臣の職を辞しており、レオンガンドたちの追求を逃れるように国内を転々としていた。ベンデルの所在を突き止めることが出来たのは、つい最近のことだ。彼の口から秘密鉱脈の存在が明らかになった。

「その金で、傭兵を雇うのもいいかもしれません」

 ゼフィル=マルディーンが、静かに口を開いた。

「《白き盾》は現在、マイラムに立ち寄っているとのことです」

「彼らは金では動かないだろう」

 もちろん、雇うことができるならばそれに越したことはない。無敵の盾を召喚する武装召喚師クオン=カミヤを筆頭に、強力な武装召喚師たちが所属する有名な傭兵集団だ。ベレルとの契約が切れたいま、雇い主を探していないこともないのだろうが、マグナートの言う通り、彼らは金銭の多寡でみずからの行動を縛るのをよしとはしないらしいのだ。その点、金額がすべての傭兵らしくはない。実際、《白き盾》はただの傭兵集団ではなく、まるで正義の味方のような側面も持っている。

 皇魔の巣の撲滅。

《白き盾》が掲げる旗は、この大地を生きるものにとって多大な共感を呼ぶものであり、その正義を否定することはできないだろう代物だった。そしてそれを偽善と呼ぶには彼らの行動力は苛烈であった。皇魔の巣を発見すれば消滅させ、皇魔の被害を聞けばすぐにでも駆けつけ、巣を探しだし、焼き払う。彼らは、人類の天敵たる皇魔の天敵たろうとしているのかもしれない。

 だが、この地上から皇魔を根絶することは難しい。皇魔が召喚されて、五百年だ。五百年前から今日に至るまで根絶されなかったことからもわかるが、世界中の国々が力を合わせ皇魔討伐にでも乗り出さない限り、皇魔をこの地上から消し去ることは出来ないだろう。そして、世界中の国々が力を合わせることなどあり得ないのだ。国には様々な思惑がある。野心、野望、夢――なんと呼び変えても構わないが、錯綜する数多の意志が、国々をひとつの目的に向かわせようとはしないだろう。

 聖皇による大陸統一さえ長続きしなかったという事実が、厳然として歴史に刻まれている。

 たとえだれかが皇魔の根絶を世界中に呼びかけたところで、どの国も応じないか、応じたところでいずれ瓦解するに決まっている。

 とはいえ、《白き盾》の掲げる目標は大いに賞賛されるべきものであろうし、それを殊更に否定するつもりもなかった。

「どうでしょうか。クオン=カミヤがセツナ殿に興味を持っているという噂もありますが」

「ふむ……」

 レオンガンドは、あの少年の顔を思い浮かべた。卑屈な微笑を湛えた少年。まだ十七歳という若さでありながら、この国に無くてはならない存在になりつつある。

 強大な力を秘めた黒き矛の武装召喚師である彼を登用したのは、つい一ヶ月ほど前のことだ。彼は即座に戦果を上げた。バルサー要塞奪還戦において最大の戦功を立て、ログナー攻略戦においても敵本隊を制し、ガンディアの勝利を決めた。新たな英雄の出現に国中が沸き立っている。彼の噂が国民の口に上らない日はないというくらい、黒き矛のセツナの人気は高くなっていた。

 彼がここまで活躍するなど、だれが想像しただろうか。

 異世界からの来訪者。皇魔と同じ立場にありながら、人間そのものである少年。セツナ=カミヤ。彼は、同じ家名を持つ《白き盾》団長に対し、思うところがあるようだったが。

 セツナを伴い、クオン=カミヤと会ってみるのも面白いかもしれない。たとえ交渉が失敗に終わっても、セツナに関するなんらかの情報は得られるだろう。彼のことは、もっとよく知っておくべきだ。それがこの国のためにもなるはずだ。

 不意に、扉が外側から叩かれた。スレイン=ストールが立ち上がる。彼は扉に一番近い椅子に腰掛けていた。

「なんでしょう?」

 スレイン=ストールは怪訝な顔でこちらを見てきたが、レオンガンドは頭を振るだけだった。時計を見やる。午後三時。なんの予定も入れていないはずだし、戦略会議室に篭もるときは政務に煩わされないようにいつも配慮している。無論、いつなにが起こるのかわかったものではないし、緊急の知らせが飛び込んでこないこともない。とはいえ、扉を叩いた音は、緊迫感のあるものではなかったが。

「何用だ?」

「お茶の時間にいたしませんか?」

 スレインがわずかに開けた扉の隙間が、外の人間によって強引に開かれるのが見えた。スレインが抵抗する暇さえない。というより、そんな行動に出てくるとは思いもよらなかったに違いない。

「お仕事に精を出すのも結構なことですが、お茶でも飲んで、休憩することも大事ですよ」 

 などといいながら、ティーセットを載せたワゴンを室内に押し込んできたのは、若い女だった。スレインが圧倒されている隙を見逃さず、室内に入り込んでくる。後ろからついてきてい長身の侍女が、扉を閉めた。

「王宮内部なら自由に歩き回っても構いません、とは申し上げましたが、ここは部外者が立ち入っていい場所ではありませんよ」

「まあ、国の運営に携わるような方々が、このような細かいことばを気にしていてはいけませんわ。もっと寛大にいきませんと、息が詰まるもの。それに、お茶が冷めてしまってはもったいないでしょう?」

 女はこちらの言葉を制すると、そそくさとティーカップをテーブルに並べ始めた。紅茶とは異なるお茶の香りが、既に鼻孔をくすぐり始めている。ここら辺りでよく飲まれるお茶とは明らかに違う。南方特産のお茶らしい。

「まったく……あなたには困ったものだ」

(細かいことでもないのだがな)

 レオンガンドは、その南からきた客人たちの奔放な振る舞いには諦観さえ覚え始めていた。それはほかの四人も同様かもしれない。いくら客人とはいえ、我慢の限度もある。だが、彼女を無下にすることが出来ないのも事実だった。

 女は、三日前、セツナたちに護衛されてこの王都ガンディオンに到着した要人だ。

 名をナージュ・ジール=レマニフラ。遥か南方の国レマニフラの姫君である。

 彼女は、レマニフラとガンディアの盟約を結ぶための使者として、この国を訪れていた。


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