第千十四話 対陣(四)
「南にはガンディア軍。東にはシャルルム軍。敵は多勢。こちらは無勢。勝てる気がしねえなあ」
ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートが大袈裟なまでにため息を浮かべたのは、アバード軍獣戦団、ベノアガルド騎士団が王都付近に展開してからのことだった。
六月二十六日。
ベインの発言通り、アバード王都バンドールを取り巻く情勢は、最悪といっても過言ではない。
王都の戦力は多く見積もっても五千ほどであり、ガンディア軍と拮抗するかどうかといったところだ。そこへシャルルムの三千が加わっている。シャルルムの布陣を見る限りでは、ガンディアなど眼中にはないことが窺い知れる。シャルルムの目的は王都への攻撃、アバード軍への攻撃であり、ガンディア軍との戦闘は一切考慮に入れていないのだ。
それは、ガンディアも同じだろう。
共同作戦かもしれないし、暗黙の了解なのかもしれない。
いずれにせよ、アバード側は追い詰められているといってもよかった。事実、追い詰められているのだ。あれだけの戦力差だ。まともぶつかりあえば、負けるのが目に見えている。そして、負ければどうなるのか。ガンディアが掲げる正義が実行に移されるだろう。アバードは、シーラ女王の下に統治されることになる。それは、アバードとしては避けたいところだった。
そんな状況にありながら、アバード軍はともかく、ベノアガルドの騎士団に悲壮感はなかった。
「冗談は存在だけにしておけ」
ベインに対して辛辣な言葉を吐き捨てるのは、いつだってロウファ・ザン=セイヴァスの役割だった。ふたりの関係は、ふたりが最初にあったときからほとんど変化がない。いつも口論ばかりしている印象しかなかった。そして、そんなふたりの口論に対して右往左往するのが、彼らの部下のいつものことであり、そんな様子を見て肩を竦めるのがシドの役回りだった。
「ああん!? だれが冗談だって!?」
「おまえの存在そのものが冗談だといったのが、わからなかったか?」
「俺様のどこが冗談だってんだよ!?」
「なにもかもだ」
「てめえ……!」
「戯れるのもそこまでにしたまえ」
ロウファに馬を寄せ、いまにも掴みかかろうとするベインを見かねて、シドは口を開いた。シド・ザン=ルーファウスが、アバードに派遣されたベノアガルド騎士団の指揮官を務めている。
「だから!」
「ガンディア軍はおよそ五千。シャルルム軍はおよそ三千。報告通りだ」
シドは、確認するまでのないことを告げて、ベインの反論を封殺した。ロウファが、簡単なことのようにいってくる。
「シャルルムは敵ではありませんね」
「そのシャルルムにはわたしが当たる」
「おひとりで?」
さすがのロウファも少しばかり驚いたようだったが、すぐに納得顔になったのは、彼がシドの実力を微塵も疑っていないからだ。
「ああ。それから、王都の守備はアバード軍に任せる。双牙将軍閣下が奮起してくださるだろう」
「あんたがいうと皮肉にしか聞こえねえ」
「そして、ガンディア軍にはわたし以外の騎士団であたってもらう」
「ま、俺とロウファだけで十分だがな」
ベインが獰猛な笑みを浮かべると、隣のロウファがやれやれと首を振った。
「そんなことをいうから失敗するのさ」
「てめえ、俺たちだけじゃ無理だってのか?」
「無理とは言わないが、不確定要素が多い。黒き矛ひとりにさえ出し抜かれたんだ」
「……忘れちゃあいねえがな。今回はこっちも本気だ」
ベインは、馬の上で両拳を重ねあわせた。彼がこちらを見る。荒々しい風貌の中に輝く冷徹な眼光が、彼の本質を表しているのかもしれない。
「いいんだよな?」
「ああ。幻装の使用を許可する」
シドがうなずくと、ベインが喜悦満面の表情になった。彼が喜ぶのもわからないではない。センティアでの失態は、黒き矛の存在もあったが、こちらが全力を出し切れなかったところにも起因する。最初から全力で臨むことができていたのならば、なにもかも、あのときに終わっていたことだ。
「センティアでは目標以外への被害を考慮しなければならなかったが、今回その必要はない。リセルグ陛下直々の御命令だ。存分に暴れてもらって構わん」
「ひゃっほう!」
彼が大手を振って喜ぶと、馬が竿立ちになって彼を振り落とさんとした。ベインは危うく落馬するところだったが、なんとか落とされずに済んでいる。そんな彼の様子に、シドは目を細めた。久々に暴れまわることができることが、ベインには嬉しいのだろう。彼は、戦闘狂だ。強者と戦うことだけがすべてであり、そのためにシドに付き従ったのだ。その結果がこのざまだといえば、彼は大口を開けて笑うのだが。
「だが、浮かれて目的を忘れるな」
「おうよ。シーラの姫さんを弑したてまつりゃあいいんだろ」
「そういうことだ。そしてガンディア軍とシャルルム軍を殲滅し、アバードの地から外敵を排除する。それが我らの目的」
シドは、王都の東と南に展開する外敵の軍勢を睨みながら、告げた。告げながら、考えるのだ。なにも、目的の達成だけがすべてではないのだ、と。
そもそも、ベノアガルドの騎士団は、依頼のためだけに動くのではない。
救いを求める声に応えることこそ、騎士団の行動理念であり、すべてといっても過言ではない。
たとえば、依頼者に別の救いの道があるのならば、それでも構わないという考えがある。
救いとはなんなのか。
シドは、常に考えている。
救いとは。
最善の道とは。
彼は、それを知るために生きているといっても言い過ぎではなかった。
「案の定、ガンディア軍は我々を黙殺してくれていますね」
「ふむ……卿の狙い通りか」
ルヴ=シーズエルからの報告に、ザンルード・ラーズ=ディンウッドは、鷹揚にうなずいてみせた。ルヴは彼が見出した軍師だ。期待には応えてもらわなければならないし、応えるのが当然の義務といってよかった。そして、ルヴがザンルードの期待に応えなかったことは、彼を重用するようになって以来、一度たりともなかったのだ。
それは、ザンルードが彼を重用しつづけるかぎり、これからも変わらないだろう。ルヴ=シーズエルとはそういう男だと、ザンルードは見ている。
「我々は軍師殿の戦術通り、王都の東側に展開する軍勢に当たる。アバード軍は主力をガンディア軍にぶつけるはずだ。そうしなければならぬ」
「ガンディア軍にはあの黒き矛がいるようですからね」
「うむ。セツナ伯のセンティア襲撃の真実がなんであれ、彼がガンディアの最高戦力であり、ガンディアの原動力であるという事実に変わりはない。彼がシーラ姫とともにガンディア軍に合流し、総大将となったというのなら、アバードはガンディアに全力を注がねばなるまい」
ザンルードは、みずからの分析を語りながら、シャルルム軍三千名がルヴの指示したとおりに部隊を展開する様を見ていた。ルヴ=シーズエルが取った陣形は、扇型攻陣。攻撃力を先端に集中した陣形であり、先頭の部隊が敵陣を突破することを前提とした布陣である。そして、先頭部隊が開けた穴を後続の部隊が広げていくというのが扇型攻陣の基本的な戦い方であるが、ルヴは独自の方法でこの陣形を用いるつもりのようだった。
「とはいえ、アバードが我々を無視するはずもない。戦力の幾ばくかを我々に宛てがい、ガンディア軍を撃破するまで時間を稼ぐ――とするつもりであろう」
「ガンディア軍を撃破できるだけの戦力があれば、の話ではありますが」
「しかし、アバードに勝算がないとも思えん」
「はい。わたくしも、それが気になっていのです」
「我が国ならば、どうしたか?」
「そうですね……」
ザンルードが問うと、ルヴは少しばかり難しい顔をした。ザンルードは、仮にシャルルムがガンディアに攻めこまれた場合のことを問うている。アバードのように、突如としてガンディア軍がシャルルムに押し寄せてきた場合、アバードのように戦うかどうか。
シャルルムは、ガンディアに比べれば小国といわざるを得ない。小国家群のひとつの国にすぎないのだ。ガンディアがこの一年余りで大国化したことのほうが異常であり、シャルルムが小国として存在し続けていることは正常であるといっていい。シャルルムも国土の拡大を望んでいる。シャルルムの政治を積極的外征派が握って以来、ずっと拡大の機会を待っていた。しかし、小国家群の小国のひとつに過ぎないシャルルムには、そのような機会が回ってくることは稀といってよかった。どこかを攻めれば、どこかに攻め込まれる。隙を見せれば終わりだ。だから、どれだけ積極的に外征をしようとしたところで、実を結ばないのだ。そうやって今日まで来た。タウラル要塞の制圧で、ようやく実を結んだといっていい。
しかし、その結んだ実も、ガンディアという大国が押し寄せてきた途端に露と消える。圧倒的な兵力差がある。絶望的なまでの戦力差がある。シャルルムも、ガンディアに習い、武装召喚師を揃え始めてはいる。だが、それだけでは圧倒的に足りないのだ。ガンディアとの兵力差を覆しうるほどの戦力を用いることなど、所詮無理な話なのだともいえる。
小国には小国の、大国には大国の分相応があるということだ。そして、それはどうあがいたところで変えることはできない。絶対的な運命のようなものだ。
それがすべてだ。
なればこそ、シャルルムはいま、ガンディアに協力する姿勢を見せている。ガンディアと戦うのではなく、ガンディアに協力することで、戦後、国交を結ぼうと考えている。
「さっさとガンディアに降伏するのがよろしいでしょう。ベレルの例もあります。無駄に抗わなければ、属国として遇してくれるはずです」
「やはり、そうなるか」
「ある程度は戦えます。戦いようによっては、ガンディアに痛手を負わせることもできるでしょう。ですが、そんなことをしたところで、ガンディアが本腰を入れてくればそれで終わりです。わたくしの戦術も、それを圧倒する兵力の前では無力」
「つまり、アバードの考えはわからぬ、ということか」
なにゆえ、アバードがガンディアに降らず、戦い続ける姿勢を見せているのか。
アバードの戦力は、クルセルク戦争と内乱を経て、大きく減少している。徴兵によってある程度の兵数は確保できたのかもしれないが、それでも、ガンディア軍の五千と張り合えるほどの兵力を用意出来たとは到底考えにくい。
もちろん、アバードの戦力が持ち前の戦力だけを頼んでこの戦いに臨んでいるわけではないということも知っている。ベノアガルドが騎士団員三千名の援軍をアバードに派遣しているという話も掴んでいる。三千人といえば、大軍である。しかし、その三千人の援軍を加えても、ガンディア軍と拮抗できるかどうかというのが、アバードの現状なのだ。
そして、それは兵力の話であり、戦力の話ではない。
ガンディアには、一騎当千の英雄がいて、英雄率いる《獅子の尾》隊がガンディアのアバード侵攻部隊に参加しているという情報もある。それだけでガンディアの戦力は兵力の二倍から三倍はあると考えるべきだろう。いや、もっと多く見積もっても問題ないかもしれない。
それほどまでに圧倒的だった。
戦うべき相手ではない。
ルヴのいったとおり、さっさと降伏するべきなのだ。
「国の誇りをかけて最後まで抗うというのなら、わからなくはありませんが」
「そのようなつまらぬことのために滅びては、兵も民も哀れよな」
「はい……」
「誇りを持つのもいいが、誇りのためにすべてを失うなど、あってはならぬ」
ザンルードは、馬上、遥か前方を見やりながらつぶやいた。
ただの一個人ならば、それもいいだろう。ひとひとりの生き死になど、どのような理由であったとしても構いはしない。しかし、国の頂点に立つものが、そのような感傷に流されて大局を見失うなど、あるべきことではない。許されることではないのだ。国を守り、民を護るのが国の頂点に立つものの務めなのだ。
もちろん、アバードにはアバードの考えがあり、政治があるということもわかっている。
この戦いの発端は、アバードの政情が大きく乱れたことによる。
王女シーラ・レーウェ=アバードの人気の高まりとそれによる国民の熱狂。シーラ派が狂乱の末、武装蜂起し、反乱を起こしたという話は、よく知られている。アバードの公式発表と、シャルルムが掴んだ情報には微妙なずれがあるものの、大筋では同じようなものだ。どちらにせよ、シーラ派とセイル派がアバードの覇権をかけて激突し、エンドウィッジの地に数多の命を散らせた。そして、シーラ王女の処刑があったのだが、処刑されたシーラ王女が偽物だったことが、この事態を招いたといっても過言ではないのではないか。
アバードの混乱の極致といっていい。
シーラの偽物と認識していながら本物として処刑し、公表した。
それは、アバード政府が、本物のシーラを生かすための方便だったはずだ。
しかし、アバードは、センティアに現れたシーラを売国奴と非難し、シーラが身を寄せているガンディアに身柄の引き渡しを要求した。ガンディアはその引き渡しには応じず、むしろ、シーラの窮状を救うべくアバードへの派兵を決定した。
アバードの混乱は加速し、シャルルムはそこへ付け入った。
アバードは国土のいくらかを失い、それでもなお、ガンディアへの態度を改めようとはしていない。
それは、ガンディアに降るということは、ガンディアの大義を認めるということになるからなのかもしれない。
そしてそれが国の滅びと同義と捉えているのならば、最後まで抗うというのも、あながちわからなくはなかった。