第千五話 軍師とは(六)
シーゼルの戦いは、一方的なものだった。
まず、兵力差があまりにも大きかったことが原因のひとつに上げられる。
シーラ姫救援軍の総戦力はおよそ五千。
それに対し、シーゼルの戦力は千五百程度であり、いくら堅牢な城壁に囲われた都市に籠もったところで、これでは勝ち目がない。シーゼルの駐屯軍が勝つためには、籠城し、援軍が来るまで持ちこたえるしかなかった。幸い、アバード最大の兵力を保有している王都バンドールは、シーゼルから目と鼻の先といってもいい。二、三日でも持ち堪えることができれば、援軍が差し向けられること請け合いだ。なんといっても、バンドールには精強で知られるベノアガルドの騎士団がいる。騎士団さえシーゼルに到達すれば、ガンディア軍など追い払ってくれるに違いない。そういった想いが、シーゼルの兵士たちの士気を高揚させていた、戦意を繋ぎ止めていたのは、戦後の証言からわかっている。
だが、王都からシーゼルに援軍が差し向けられることはなかった。
理由はふたつある。
ひとつは――これが決定的なのだが――、戦いが一日足らずで終わってしまったからだ。もちろん、ガンディア側の勝利で終わっている。
もうひとつの理由は、アバード領北東タウラル要塞がシャルルム軍の攻撃を受けており、王都がその対応でもめていたからだ。それがわかったのは戦後であり、ナーレスは幸運にも恵まれた、などと嘯いていた。が、ファリアはそれもこれもナーレスの仕組んだことなのではないか、と思わずにはいられなかった。
これまで沈黙を保っていたシャルルムが、突如としてアバード領に侵攻するなど、あまりにも時機が良すぎるのではないか。まるでガンディアの派兵に合わせたかのような侵攻。ナーレスがシーゼルをたやすく落とせるよう、シャルルムにアバードへの攻撃を仕掛けるよう誘導したのではないか。
(考え過ぎかしらね)
シーゼルの夜、ファリアは、不穏な空気に満ちた町中とは違って、清々しいほどに晴れ渡った夜空を見上げたものだった。
ここまで用意周到に物事が運んでいたことを考えれば、疑り深くもなる。よくないことだとは思うし、すべてがガンディアのためならば、なにもいうことはない。そして、ナーレスがガンディアを裏切るということは考えられない。ガンディアを裏切るのなら、ザルワーンに潜伏中の五年間に裏切っているだろう。
話を戻す。
シーゼルの戦いが一日足らずで終わってしまった原因のひとつは、ガンディア側の戦力がシーゼルの攻略には過剰だったということが上げられる。約五千の将兵に、四人の武装召喚師と、ひとりの死神。千五百の敵兵が籠もる都市を攻略するには、五千人でも十分といっていい。数日かければ、それだけでも落とすことが可能だろう。
「まあ、そんな悠長なことをしていると、王都から騎士団が出てきかねませんからね。《獅子の尾》の皆様方には最初から全力を上げて戦っていただきたく」
「ということらしい」
エインとルウファの言葉に、ファリアはミリュウと顔を見合わせてうなずいたものだ。
シーゼルを攻略するということはつまり、シーゼルの駐屯軍を下すということだ。しかし、敵戦力がシーゼルの外部に展開していないところを見ると、彼らは野戦を端から捨てており、籠城し、王都からの援軍を待つことだけに命を懸けていた。つまり、シーゼルの軍勢を下すには、市内に突入しなければならなくなったわけだ。
市内に突入する上で問題となるのは、堅牢な城壁であり、門であろう。城壁にせよ門にせよ、破壊するのは困難だ。まず、城壁や門を破壊するということは、敵の射程範囲に入るということであり、
「こんなとき、セツナがいれば一撃なんだけどねー」
シーゼルの城門を見遣りながら、ミリュウがつぶやいた言葉は、ファリアにも実感だった。セツナなら、どれだけ強固な城門だろうが一撃で破壊してくれるだろうという安心感がある。彼と黒き矛で破壊できなかったものは、これまで存在しなかったはずだ。また、彼がいれば、ほかの方法を取ることもできる。
バハンダールでは、セツナを高高度から投下し、都市内部から制圧するという方法を取った。そのためにはセツナを上空に運ぶ手段が必要だが、それにはルウファという適役がいる。
もっとも、セツナが不在であるいま、そんなことを考えてもしかたがないのだが。
「つまり、こういうときこそ隊長代理の出番ってわけね」
ファリアがルウファを横目に見ると、彼はあからさまに困惑した。
「え? 俺?」
「がんばってください、ルウファさん!」
「え、あ……うん、俺、やるよ」
エミルの無邪気な応援には、ルウファも覚悟を決めざるを得なかったようだった。彼は、表情を引き締めると、ファリアたちに作戦を伝えた。作戦といっても、簡単なものだ。ルウファの行動に合わせて戦えばいいというただそれだけのものであり、面倒な戦術も手順もなかった。感覚で戦っているミリュウやファリアにはそのほうがよかった。
もうひとりの武装召喚師カイン=ヴィーヴルは軍師の側に控えており、戦力として期待はできない。もちろん、彼が軍師を護ってくれているから、ファリアたちが自由に暴れまわることができるという側面もある。
シーゼルへの攻撃は、十五日午前に開始された。
シーゼルに篭もり、城壁から矢を射ることしかできないアバード軍に対し、ガンディア側からの攻撃の初手となったのは、ルウファによるものだった。彼は、ガンディア側の全軍が行動を開始するとともに召喚武装シルフィードフェザーを呼び出すと、だれよりも早くシーゼルの城壁に取り付いた。
シルフィードフェザーの純白の翼が膨大な光を発したかと思うと、三対六枚の翼となった。シルフィードフェザー・オーバードライブと命名されたシルフィードフェザーの最大能力顕現。その効果時間は一分間という極短時間ではあるが、その間、シルフィードフェザーの能力は、通常時とは比較にならないほどに引き出されるのだ。
彼は、シルフィードフェザーの最大能力を用いて、シーゼルの城壁に巨大な穴を開けた。まさに風穴であり、シーゼルのアバード軍は無論のこと、ガンディア軍も愕然とするほどの衝撃が戦場を駆け抜けた。ルウファは大穴を開けたままその場を動かなかったが、どうやらそれは、破壊によって生じた瓦礫を処理するためのようだった。破壊の衝撃で飛び散る瓦礫をそのままにしていれば、無関係な市民にまで被害が及ぶ。罪なき民に手を出すことなどあってはならないというのがガンディアの考えであり、ルウファにはそういった考え方が染み付いているのかもしれなかった。
城壁の破片が粉々になっていくのも、シルフィードフェザー・オーバードライブの凄まじい力が逢ってこそのことだが。
「ひゅー、やるう」
「さすがはルウファ隊長代理ね」
「御主人様ならあれくらい簡単ですよ」
「なんで対抗意識燃やしてるのよ」
ファリアはレムの発言にあきれながら、城壁に開けられた風穴に向かって馬を走らせた。風穴に向かって急いでいるのは、ファリアたちだけではない。ガンディア側の全軍が、ルウファの開けた大穴に向かって進軍していた。だれもが興奮の中にいる。勝利は目前だという確信があるからだ。市街戦となればこちらも被害を覚悟しなければならないものの、それは野戦であっても同じことだ。戦いに犠牲は付きものであり、その犠牲を最小限に抑えることこそ、軍師や将の務めといって差し支えない。
ファリアたちが城壁の大穴付近に到達しようとしたとき、城門が開いた。シーゼルの南門である。門が開くとともに、シーゼルの軍勢が雪崩を打って飛び出してきた。ファリアは、透かさず馬上でオーロラストームを構えた。結晶体が発電をはじめ、電光が怪鳥の嘴に集束する。発射。巨大な雷光の帯が放物線を描いて敵軍の横腹に突き刺さる。悲鳴と爆発光。
「ファリアちゃんに続くぜ、野郎ども!」
ドルカの号令にドルカ軍の兵士たちが雄叫びを上げた。すぐ近く。ドルカ軍はどうやらファリアのすぐ後ろをついてきていたらしい。そのまま、南門から突出してきた敵軍へと進路を曲げ、突撃していく。敵の陣形はファリアの雷撃によって崩れている。そこへ勇猛果敢なログナー兵が殺到したのだ。激戦になった。
ファリアは、つぎの射撃のための電力が集まるのを待ちながら、全体の動きを確認していた。ルウファが開けた風穴にはザルワーン方面軍第一、第三軍団が当たった。風穴を塞ぎ、市内への突入を阻止しようと突出してきた部隊と交戦し始めていた。ザルワーン方面軍第七軍団はドルカ軍とともに南門の軍勢に対応した。
なぜ、南門を開き、軍勢を繰り出してきたのかは、少し考えればわかることだ。
城壁に大穴が穿たれたことで、シーゼルは丸裸も同然となってしまった。城壁はもはや防壁としての意味をなさず、籠城の意味もない。だから門を開け、突出してきたのだが、無謀だった。風穴に殺到するガンディア軍の横腹を突き、陣形を崩すつもりが、逆に即座に対応され、自軍の陣形を崩されてしまっては目も当てられない。しかも、オーロラストームの雷撃による出迎えを受けたのだ。恐慌状態に陥ったとしても不思議ではなかったし、そこへドルカ軍が襲いかかれば陣形が乱れに乱れるのもわからないではなかった。
さらにその後方に向かって、ファリアは雷の矢を撃ち込み、矢が敵陣に降り注いで爆発するのを見届けた。
「これだから射程武器って気楽よね」
「そうでもないわよ」
ファリアはミリュウのなにげない一言に反論したが、彼女は聞いてもいなかった。ミリュウは、なにを思ったのか馬から飛び降り、そしてラヴァーソウルと名付けたらしい真紅の太刀を振るった。刀身がばらばらに分裂したかと思うと、ミリュウの周囲を取り巻き、青白い光を発した。つぎの瞬間、ミリュウの姿がファリアの視界から掻き消える。しかし、磁力刀の破片は虚空に浮いたままであり、ファリアには、なにが起こったのかわからなかった。が、南門付近の敵勢から悲鳴が上がったこととミリュウの勝ち気な声が聞こえてきたことで、彼女がそこまで移動したのだということが判明する。ラヴァーソウルの能力のひとつなのだろう。
(磁力で自身を射出したのかしら……?)
ファリアは、オーロラストームを構え直しながら、ラヴァーソウルの能力に興味を持った。ラヴァーソウルと命名された真紅の太刀が、磁力を帯びた刀身を持つことは知っていた。刀身が無数の破片となりながら磁力によって繋がれており、その刀身を振り回すことでまるで鞭のように扱うことができる。現に今、ミリュウは敵陣のまっただ中で真紅の鞭を振り回し、敵兵をでたらめに打ち倒している。
また、破片となった刀身をある程度自由に遠隔操作できることも知っている。無数の破片を展開し、磁力の壁を発生させることもできた。
一見するとただの赤い太刀も、やはり召喚武装だったということだ。召喚武装は、必ず特異な能力を持っている。ファリアのオーロラストームしかり、ルウファのシルフィードフェザーしかり、セツナのカオスブリンガーしかり。能力を持たない召喚武装はないといっていい。使えない能力の召喚武装はあるとしても、だ。
(隊長代理は?)
ファリアは、オーロラストームの射線とともに視線を移動させた。馬首を巡らせ、ルウファが開けた大穴に目を向ける、彼が城壁に大穴を開けた最大能力顕現の制限時間はとっくに経過している。見ると、風穴から打って出てきた敵軍がザルワーン方面軍の兵士たちの勢いに押し返され、戦場が城壁外から市内に移行しているのがわかる。ルウファは戦場から少し離れた位置におり、休んでいるようだった。シルフィードフェザー・オーバードライブは極短時間ながらも絶大な力を引き出すため、ルウファの心身にかかる負担が大きいのだ。シルフィードフェザーを維持していることさえままならないらしく、見るからに疲労困憊といった様子だった。ファリアはそんな彼に微笑みかけたが、もちろん、この距離では届くはずもない。
レムは、ザルワーン方面軍とともに風穴から市内に突入したようだった。敵陣深くで大釜を振り回す“死神”の姿が、見え隠れした。
ファリアは、しばらくその場から援護に徹した。敵軍の後方に矢を撃ちこむことで敵軍を脅かし、戦意を奪っていく。前方からのみならず、後方にも攻撃されれば、士気を維持し続けることも難しいだろう。
やがて、シーゼル駐屯軍が降伏したことで、シーゼルを巡る戦いはガンディア軍の勝利に終わった。
都市攻略に一日もかからなかったのは、こちらに武装召喚師がいて、相手にいなかったからにほかならない。敵に武装召喚師がひとりでもいれば、多少は苦戦したのだろうが。ガンディア軍は、まるで苦戦することもなく勝利を得、むしろ拍子抜けするほどだった。
もっとも、損害が皆無ということはない。
少ないながらも死傷者は出ているし、そればかりは仕方のないことだ。どれだけ策を練り、万全を期したところで、実際に兵と兵がぶつかり合えば、負傷者が出るのは当たり前のことだ。敵に一切攻撃させないまま勝利を掴みとることができるような策ならばまだしも、ただの攻城戦にそのような策があろうはずもなかった。
とはいえ、ガンディア側の損害は軽微であり、死者の数はきわめて少なかった。対してシーゼル側の死者は多く、百名を超えている。それだけの死者を出しながらも降伏という結論を下したシーゼル駐屯軍は、ガンディア軍がシーゼルに入った後、ガンディア軍の監視下に置かれた。
ガンディア軍は、シーゼルのアバード軍駐屯地を真っ先に接収すると、その周辺の施設や建物も接収した。五千人近い軍勢。アバード軍駐屯地だけでは兵が入りきらないという問題が生じたからだ。
シーゼルの制圧が完了したといえるのは、翌十六日のことだ。
ガンディアによる電撃的な制圧に、市民は当然、不安な顔を見せたし、反発もした。シーゼルが不穏な空気に包まれたのは、シーゼルの市民が暴動を起こすのではないかという噂が流れたからだ。しかし、暴動は起きなかった。噂は所詮噂、ということだろう。
シーゼル市民が大人しかったのにはひとつ、大きな理由がある。
ガンディア軍の掲げる大義が、シーゼル市民の半数ほどには受け入れられたからだ。
つまり、国を追われ、すべてを失った悲劇の王女シーラ・レーウェ=アバードの窮地を救うための派兵というガンディアの言い分を支持したのだ。
「まさか、こんなにあっさり受け入れられるなんてねー」
ミリュウがそんな風につぶやいたのは、十六日の午後、駐屯地でのことだった。シーゼルは、ガンディア軍がなにをするまでもなく、ガンディア色に染まりつつあった。シーゼル市民が率先してガンディア軍に協力し、アバードの旗を下ろし、ガンディアの旗を掲げているという。中には、ガンディアに反発するものもいるようだが、そのほとんどは、ガンディアを支持する市民たちに説得され、渋々従った。シーゼルは、期せずしてガンディアのものとなっていく。
「シーラ姫は、アバードを二分するほどに国民に支持されていたんだもの。彼女に対する政府の仕打ちに憤りを覚えていたひとたちがいたとしても、不思議じゃないわ」
そういったひとびとの筆頭が、以前、シーラ派と呼ばれ、アバード政府と対立したひとびとなのだろう。シーラの話によれば、アバード軍の将軍やアバードの有力貴族が参加していたというのだから、どれだけ彼女が尊崇され、どれだけ彼女に人望があったのかがわかろうというものだ。
シーラがその気になれば、アバードの中にもうひとつの国を作ることだって可能だったかもしれない。
「だからといって、侵略者の言い分を信じるのもどうかと思うけど」
「信じているんじゃないわ。信じたいのよ」
「信じたい?」
「そう。ガンディアがシーラ姫を救ってくれて、アバードを正しく導いてくれるって、信じたいのよ」
「……なんていうか、なにもかも他人任せで、あんまり好きになれないな」
「でも、それが市民というものでしょう?」
「そうかもしれないけどさ」
「結果、自分たちの思った通りにいかなかったら、そのときは手のひらを返したようにガンディアに抗議するでしょうし」
ファリアの言葉に、ミリュウがうんざりとしたような表情をした。彼女には、市民の気持ちなどわからないだろうし、わかりたくもないとでも思っているかもしれない。
「でも、そのときには遅いのよ。なにもかもね」
ファリアは、アバード軍駐屯地に翻るガンディア軍旗を見遣りながら、小さく告げた。
燃えるような夕日が銀獅子の軍旗を照らしていた。