第千話 軍師とは(一)
話は遡る。
いまから約一ヶ月前、五月十七日。
アバードに潜入するため龍府を離れたセツナのことを心配しながらも、ファリアたちは龍府にて、ガンディアの一員としての役割を果たしていた。ファリアは、エイン=ラジャールからの宿題とでもいうべき武装召喚師の運用術について頭を悩ませなければならなくなり、ミリュウは武装召喚術の弟子であるエリナとの再会を心から喜んだものだった。ミリュウは、エリナを一人前の武装召喚師に育て上げることに熱中しているらしい。ファリアが多少なりとも安堵したのは、ミリュウがセツナ以外の人間に心を開いているからだ。無論、これまでもファリアやルウファといった《獅子の尾》の面々に、レムなど、セツナに近しい人間に対してはそれなりに言葉を交わしてはいたのだが。
ミリュウとエリナの仲のいい師弟に安堵を覚える一方、エリナたちを乗せてきた馬車の積み荷の内容を知って妙な胸騒ぎを覚えたりもしている。
ガンディアが技術の粋を集めて作り上げた新式装備の一式だといわれており、そのことが龍府に駐屯するザルワーン方面軍第一軍団の兵士たちをざわつかせたのはいうまでもない。
新式装備について触れられることもなく、日が過ぎた。
その間、天輪宮の一室は、ミリュウ教室とでもいうべき場所になっており、エリナ以外にも武装召喚術を学びたいという人間がミリュウに師事を仰いだりした。ミリュウも満更ではないという顔をしていたものの、エリナ以外には本気で教えるつもりはなさそうではあった。彼女に教えを請うたのは、黒獣隊の隊士たちである。武装召喚術を多少でもかじっておけば、今後の役に立つのではないか、という彼女たちの考えはわからないではなかった。とはいえ、少しばかりかじったからといって武装召喚術が使えるようになるはずもない。召喚武装の使い手になることならば、可能かもしれないが。
ミリュウには、教師としての才能があったのかもしれない。
ミリュウ教室を覗いてみると、彼女の教え方や褒め方は胴に入ったものであり、ファリアは妙な懐かしさを覚えたりもした。十年以上前、アスラリア教室で学んでいたころのことを思い出したのだ。父と母の厳しくも温かい教義は、いまもファリアの中に息づいている。
五月二十日。
龍府に、ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団千二百名が到着する。馬車、騎馬、徒歩による大所帯が龍府の南門をくぐり抜けた時、大騒ぎになったのは当然かも知れない。ファリアたちにさえ知らされていなかったことだ。龍府の住民が驚き、騒ぐのも無理はなかった。
ログナー方面軍第四軍団を率いるのはドルカ=フォームであり、彼は龍府に到着するなり、こういった。
「やっとバッハリアについたと思ったらすぐに龍府に呼び戻されるだなんて、本当、人使いの荒い国ですな」
「セツナ様の誕生日に龍府を訪れたのは、ドルカ軍団長の勝手でしょう? 我々の知るところではありませんよ」
涼しい顔で言い返したのはエイン=ラジャールだ。彼が室長を務める参謀局第一作戦室は現在、龍府天輪宮に居を構えている。
「でもさあ、エインくんは知ってたわけじゃない?」
「まあ、そうですけど」
「だったらさあ……」
「結局、軍団を引き連れて来てもらうために、バッハリアに戻らなければなかったと思いますけどね」
「そこは、ニナちゃんに任せて、だな」
ドルカが真剣な顔で告げると、隣に立っていた副官が彼に詰め寄ったものだ。
「軍団長?」
「じょ、冗談だってば。そんな怖い顔しない。可愛い顔が台無しだよ」
「そんなこといっても、騙されませんよ」
「お、おおう……」
そんなやりとりを横目に眺めていたのが、五月二十日だ。
なぜログナー方面軍第四軍団が龍府に召集されたのかはそのあとで聞かされている。
新式装備のお披露目を目的とした軍事演習が龍府で行われるからだ、というのが、ナーレス=ラグナホルンからの説明であり、エインからの説明も同じことだった。ガンディアの技術の粋を結集して作り上げ、量産に成功した新式装備。そのお披露目を王都ではなく龍府で行うのは不思議だったが、龍府の主であるセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール=ディヴガルドこそ、ガンディア軍の象徴というナーレスの説明には納得するほかなかった。そのセツナが不在なのだが、彼の不在は秘匿されているため、そういう点でも龍府でお披露目する意味があるのかもしれない。セツナが龍府に滞在中であると偽るためには、それくらいのことをする必要はあるだろう。
新式装備のお披露目を兼ねた軍事演習が行われたのは、それから二日後に当たる五月二十二日のことだった。
ドルカ=フォーム率いるログナー方面軍第四軍団とミルディ=ハボック率いるザルワーン方面軍第一軍団による実戦形式の演習であり、龍府南部の征竜野で、人々が見守る中行われた。
旧式装備と新式装備の性能の違いを明確にするため、ミルディ軍には新式装備を、ドルカ軍には旧式装備を支給し、戦わせている。もちろん、怪我人や死人が出ては演習の意味が無いため、本気で激突するようなことはなかったものの、両軍の動きを見る限り、新式装備の性能の高さが明らかだった。新式装備の開発に携わった鍛冶職人などは大手を上げて喜んだものだ。
その後、場所を移して新式装備の性能試験が行われ、《獅子の尾》が満を持して参加した。旧式装備と新式装備に召喚武装の攻撃を叩き込むという試験であり、ファリアたちは、多少不安だったものの、ナーレスにいわれるままそれぞれの召喚武装を呼び出した。
確かに、新式装備は旧式装備に比べて耐久力があり、オーロラストームの雷撃にもある程度は耐えて見せた。しかし、オーロラストームの威力を上げれば、なんの問題もなく破壊出来てしまい、試験会場を白けさせた。
「え……? え……? わたしのせい?」
ファリアは、職人たちの視線が自分に突き刺さっていることに居た堪れなくなったものの、かといって逃げ出すこともできず、茫然としたものだった。
「ファリアさんが悪いわけじゃないよ。武装召喚師を相手にすれば、どれだけ防御を固めたってだめってことです」
といって、ルウファが、シルフィードフェザーの一閃で新式装備の甲冑を両断して見せると、
「まあ、こんなものはラヴァーソウルの相手にもならないわ」
ミリュウが真紅の太刀をしならせて、新式の大盾を鉄くず同然にしてみせた。
「ラヴァーソウル?」
「これの名前。いいでしょー」
自慢気に真紅の太刀を見せつけてきたミリュウに、ファリアは苦笑した。
「そういえば、ずっとなかったわね、無名で通すのかと思ったけど」
「まさか。命名しなきゃ、可哀想でしょ」
ミリュウがラヴァーソウルと名付けた太刀を見つめながら、優しげにいった。
召喚武装に名をつけるのは、武装召喚師にとって重要なことだった。名は命。命は力。無名の召喚武装は、その本来の力を引き出すこともかなわないという。召喚武装は意思を持つ。まるで生きているかのように意思を発し、感情を伝えてくる。名を呼ぼうともしない召喚師と心を通わせるはずもないのだ。召喚武装と心が通い合ってはじめて、その力を発揮できるといっても過言ではない。
故に命名は大事なのだ。
「可哀想なのは、新式装備に心血を注いだ職人の方々では?」
いつものように笑みを湛えたままいってきたのは、レムだ。彼女は、試験には参加していないが、側にいた。
「だったら、こんな試験やらなきゃ良かったのよ。わかっていたことでしょ?」
「まあ、そういうことです」
エインは、ミリュウの発言を否定しなかった。
「今回の試験は、あくまで旧式と比較して新式の性能がどれだけ向上しているのかを調べるためのもの。実際に旧式に比べると、硬くはなっているでしょう?」
「それは認めるわよ」
「ですね」
「それでいいんですよ。召喚武装の攻撃が防げるだけの防具ができるだなんて思ってもいませんし」
「そんなものが量産できれば、それこそ武装召喚師なんてお払い箱ですね」
ルウファが苦笑いすると、ミリュうが手を打って喜んだ。
「あら、それは素敵ね」
「素敵なの?」
「だって、武装召喚師がお払い箱になったら、セツナとずっと一緒にいられるってことでしょ?」
「ははは、黒き矛の攻撃を耐え凌げる防具なんて作れるはずがないでしょー」
エイン=ラジャールが声を上げて笑う中、職人たちも笑っていた。彼らも黒き矛の威力をよく知っているのだ。新式装備の開発には、セツナも多少だが、関わっている。とはいっても、セツナは黒き矛の破壊力を見せつけただけらしく、彼自身、そんなものが参考になるとは思ってもいなかったようだが。記憶の中から消えているかもしれない。
「そりゃあそうだ。じゃあ、お払い箱になるのはルウファだけね」
「なんでですか!」
「そうそう。副長の翼は役に立つから、お払い箱になるなんてこと、ありえないわ」
「じゃあ、雑用として扱き使われるってことね」
「ですから!」
「あーそれはありかも」
「ありじゃない!」
ルウファが悲鳴じみた叫びを上げる中、新式装備のお披露目と試験が終わった。
新式装備は、一先ず、演習に参加したミルディの第一軍団とドルカの第四軍団に支給されたが、いずれガンディア軍の全軍に支給されるということだった。無論、《獅子の尾》にも新式装備と同じ製法で作られた防具が与えられるとのことであり、ファリアたちも期待していいらしい。
軍事力の底上げは、ガンディアがいま力を入れている政策だった。
クルセルク戦争がひとつのきっかけとなっている。
魔王軍との戦いは熾烈を極め、連合軍は辛くも勝利を手にすることができたものの、膨大な数の将兵が血を流し、命を落とした。ジベル、アバード、イシカ、メレド……連合軍参加国はどの国も例外なく多数の犠牲者を出したが、中でもガンディアの損害は比較にならないほど大きい。何千名もの戦死者が出たのだ。そうしなければ魔王軍を出し抜くことなどできなかったとはいえ、あまりに大きすぎる犠牲は戦後、ガンディア国内に厭戦気分を蔓延させるとともに、ガンディア政府に戦力の増強の必要性を説いた。
失った兵力の回復と増員は、クルセルク方面に領土が拡大し、クルセルクやノックスの人々がガンディア軍に参加したことである程度はまかなえたものの、それだけでは圧倒的に足りないという感覚がガンディア政府に生まれていた。魔王ユベルのようなものがどこかに出現しないとも限らないし、たとえ魔王に等しい存在が現れないとしても、大陸小国家群の統一を目標に掲げている以上、戦力を増加しようというのは当然の道理といってもよかった。
戦力の強化とは、無論、兵数を増やすだけに留まることではない。武器や防具の改善、改良――新式装備の導入もそれに当たるだろう。また、《大陸召喚師協会》から武装召喚師を雇い入れ、軍に組み込みはじめている。エイン=ラジャールが武装召喚師の運用術を考え始め、ファリアたち武装召喚師に意見を募ったのもそれが理由だった。武装召喚師の効果的な運用術を考えだすことができれば、戦術の幅ももっと広がると彼は考えているのだ。戦術の幅が広がることがすなわちガンディアの戦力強化に直結するわけではないにせよ、様々な局面に対応することができるようになれば、ガンディアがますます強くなるということにほかならない。
エインら参謀局の人間が考えるのは、いつだってガンディアの強化であり、ガンディアの勝利だった。
龍府での新式装備のお披露目や演習が、ガンディアの勝利のためだったということにファリアが気づいたのは、しばらく後のことだ。