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第九話 燃えて尽きるは汝か我か

「驚いたぞ、少年」

 そういいながらも表情を変えない男に、セツナは油断しなかった。火球の威力を見れば、わずかな油断が命取りだとわかる。隙を見せてはいけない。

 相手は、こちらの隙を見逃すほど甘くはないだろう。最初からセツナを殺すつもりだったのだ。手を抜いてくれるような相手ではない。

火竜娘かりゅうじょう桃色接吻ブレイズ・キッスを避けたのはおまえが初めてだ」

 男が、杖を軽く掲げてきた。こちらに見せつけているかのようだったし、事実その通りなのかもしれない。彼は、狂っている。

 火竜娘。先端に竜の頭部を模した装飾のある、手頃な大きさの杖だ。全体的に赤く見えるのだが、それも街を焼く炎のせいかもしれない。なにもかもが赤く照らされ、色彩感覚が狂っている。

 その杖の威力は先ほど拝見したばかりだ。そして、街の現状を作り上げたのもその杖なのだろう。そう考えれば、恐ろしい兵器だと考えざるを得ない。小さな町ひとつを焼き尽くすだけの力を持っている。

 だが、恐怖はなかった。

 セツナには、必殺の武器が有る。

「くくくくく」

 不意に聞こえてきたのは、男の笑い声だった。心底愉快そうではあったが、セツナにとっては耳障りに聞こえた。ひとの神経を逆撫でにするような旋律。不愉快極まりないが、かといって対抗策があるわけでもない。睨んだところで意に介さないだろう。

「狂っているのは俺だけではなかったか。君も、随分と狂っている」

「そうかもな」

 冷ややかに認める。狂っていなければ炎の中に突っ込んだりはしないし、放火犯を倒そうなどとは考えたりはしないだろう。だが、思考は明瞭だ。意識が朦朧としかけたものの、いまは立ち直っている。目の前に敵がいる。そう思うと、力が湧いた。

「君は、なんだ?」

 問われて、セツナは目を細めた。考える。自分は一体何者なのだろう。そんなどうでもいいことを考えている場合ではない。熱は、体力を奪い続けている。いずれ立ってもいられなくなる。死ぬだろう。そんなことはわかりきっている。だが、考えずにはいられない。

「俺か……?」

 神矢刹那。それが自分だ。母ひとり子ひとりで育ってきた。たったひとりの肉親の愛だけを頼りに、今日まで生きてきた。苦しみも哀しみも、母のおかげで乗り越えられた。そう実感する。

 しかし、もう母の愛に頼ってはいけない。ここは異世界。別天地。地続きの世界ではなく、異なる空の下、異なる大地の上だ。そんなところに召喚され、わけもわからぬままここに立っている。

 夢ではない。悪夢などではないのだ。

「俺は……」

 自分は何者なのか。明確な答えはない。ただひとつ言えることは、理不尽な暴力が許せないということだけだ。だから、男の前に立っている。死ぬかもしれない。そんなことは考えなかった。

 あの少女の涙は――泣きじゃくる少女の姿は、命を賭けるに値した。セツナは、そう想った。それがすべてだったし、それだけでいいように思える。

「ただの通りすがりの正義の味方さ」

 セツナが告げると、男が片方の眉を上げた。想像もしなかった返答に鼻白んでいる、というわけでもあるまい。どう反応しているのか困っている様子だった。

「正義の味方……か」

 男が、やっと反応した。表情が歪んだ。からくも人間めいていたものが、化け物じみたそれへと変わる。杖の先端をこちらに向けてきた。哄笑してくる。

「ならば、悪を滅ぼしてみるがいい」

「いわれなくてもやってやるさ」

 セツナは、地を蹴るようにして駆け出した。前方に腕を掲げ、告げる。

「武装召喚!」

 セツナの全身に複雑で不可解な紋様が浮かび上がり、強烈な光を発散する。周囲を覆う獰猛な熱気を吹き飛ばすような閃光の中に、なにかが染み出すように具現した。手の中に重量が生まれる。黒き矛。セツナの召喚武装にして、必殺の武器。

「なるほど。君も武装召喚師か」

 男は、本当に驚いたようだった。だが、嬉しそうに笑っている。やはり男の中には狂気がある。セツナが寒気を覚えるほどの狂気。

「しかし、術式もなしに召喚するなど、人間の所業ではないな」

「術式? 知らんな」

 矛を握りしめたセツナは、男の言葉を一蹴した。力が沸き上がっている。黒き矛を手にした瞬間からだ。爆発的な力が、セツナの肉体を躍動させた。男に向かって猛然と突っ込む。間合いはあっという間に無くなるかに思えた。

 が、男の長身が左へ跳ぶ。目標を見失ったセツナは、勢いあまって噴水に飛びこんでいた。幸い、受け身は間に合っている。怪我はなかった。

「術式を知らないだと?」

 噴水の中で起き上がりながら、セツナは生き返るような思いがした。噴水の水は、この熱気の中にあっても一定の冷たさを保っていたのだ。

 全身を濡らす冷水が、焼けかけた全身に優しく染みこんでいくようだ。口を開け、噴水の水で喉を潤す。だが、それも一瞬のことだ。殺気が背中に刺さった。

 セツナが振り返ると、男が杖の先端――竜の口をこちらに向けていた。竜の口腔に、火の粉が集まっていく。また火球を発射してくるつもりだろう。目測にしておよそ十メートル。さっきの火球の軌道は直線的だったが、速度は早い。さっきは運良く避けられたが、今度も同じようにいくものかどうか。

(それなら)

 セツナは、柄を握る手に力を込めた。噴水から飛び出す。濡れた制服が全身に張り付いて思うように動けない。が、構わない。左へ飛ぶ。

 敵の杖はこちらを捕捉し続けている。左へ行こうと右へ行こうと、口先はセツナに向けられる。どこにも逃げ場はない。木もベンチも燃えている。セツナの防壁になってはくれない。

 舌打ちして、覚悟を決める。避けられないのなら突っ切るしかない。

桃色接吻ブレイズ・キッス!」

 杖の竜が咆哮し、巨大な火球が解き放たれた。セツナの視界が紅蓮の炎で包まれる。膨大な熱量が圧倒的な速度で迫ってくる。直線。セツナは、避けなかった。矛を振りかぶり、吼えている。

「おおおおおお!」

 火球が目前に迫ったとき、彼は矛を振り下ろしていた。黒き矛は、彼の意志の赴くままに漆黒の軌跡を描く。網膜を塗り潰した紅蓮の炎が真っ二つに割れる。視界が開けた。男が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。楽しんでいる。

 ふたつに切り裂かれた火球は、セツナの左右に別れ、後方に流れていった。爆発する。衝撃がセツナの背中を襲ったが、大したことはなかった。

 無論、無傷で済むはずがない。炎の塊が放つ熱気は、制服や皮膚、頭髪さえも焼いていった。強烈な痛みが、全身を苛んでいる。

 だが、それだけだ。

(行ける!)

 セツナは、口の端に笑みを刻むと、一瞬の躊躇もなく地を蹴った。笑みを浮かべたままの男へと殺到する。彼は、苦笑していた。

「ただの力技ではないか」

「だったらなんだよ!」

 セツナは叫ぶのと同時に、脚に力を込めた。思い切り地面を蹴りつけ、その反動によって肉体を加速させる。間合いはもはや三メートルもなかった。一足飛びに、敵との距離を縮める。ゼロにする必要はない。矛の切っ先は、セツナが思った以上に遠くまで届くのだ。

「くくく。確かにどうでもいいことだ」

 眼前、男の双眸に狂気がきらめいた。男が竜の杖を、豪快に振り回す。竜の口からは、無数の火の粉が飛び散っていった。紅く輝く無数の粒子が、男の周囲をきらびやかに彩る。それはセツナの視界も同じだ。火の粉の乱舞。

 セツナは、嫌な予感を覚えたものの、もう止められなかった。跳躍中なのだ。瞬時に方向転換することなど不可能だった。火の粉の中を突っ切るしかない。たとえそれが罠だとしても、だ。

 矛が届く距離まで。

 男が、杖を頭上で回転させ、さらに火の粉を撒いた。そして、杖を足元の地面に叩きつける。

紅蓮抱擁バーニング・ハグ!」

 瞬間だった。

 周囲に浮遊していたすべての火の粉が、一斉に爆発したのだ。音のない連鎖爆発が、男の全周囲の空隙を埋め尽くす。莫大な熱量がなにもかもを焼き尽くす。火の粉の中に飛び込んでいたセツナは、膨れ上がる爆炎に飲まれた。全身が悲鳴を上げる。いや、叫んでいるのはセツナ自身だ。

「ああああああああああああ!」

 全身を掻き乱したくなるような激痛の中で、それでもセツナの視界は男の顔を捉えて離さない。一挙手一投足を見逃さまいとしている。目が乾く。眼球が潰れそうだ。だが、止まらない。全身が焼かれ、意識が飛びそうだった。しかし、前へ進む。一歩でも前へ。矛の射程へ。

 男が、こちらを見て狂気の笑みを浮かべた。眼の焦点が合わなくなる。視界がぼやけた。痩せ細った男の顔が、まるで幽鬼のそれのように見えた。

「燃え尽きろ」

 男が、杖の先端をこちらに向けた。獰猛な竜の飾りが見えたが、それもぼやけて判然としなかった。しかし、竜の口腔に赤い光が収束していくのはわかる。桃色接吻ブレイズ・キッス。放たれたとき、セツナは今度こそ死ぬ。

 だが、つぎの瞬間、セツナは男を黒き矛の射程に捉えていた。

 セツナは、双眸を見開いた。両腕を振り下ろす。漆黒の矛が、いともたやすく火竜娘を叩き壊す。竜の頭部が壊れ、溜まりつつあった火気が発散していった。爆発力を持たないただの熱となって飛散する。魔法の杖がただの棒きれになった瞬間だった・

 男の顔が、ようやく驚きに歪んだ。

 その瞬間だけ、セツナは、全身の痛みをも忘れた。踏み込み、告げる。

「あんたがな」

 セツナは、矛の石突きを男の腹に叩きつけていた。

「なぜだ……」

 男は、愕然とした表情のまま、地面に崩れていった。腹に深々と打ち込んだ一撃は、男を気絶させるには十分だったはずだ。数日は起き上がれまい。それくらいの力を込めたつもりだ。だが、殺しはしなかった。

 殺せなかったのだ。

 どんな悪人であれ、人殺しなどできるはずがなかった。

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