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謎解きどき、晴れ  作者: 薩摩吾妻
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第一話 会議資料のすり替わり

 東京。煌びやかなビル群と、夜になっても途切れない街の明かり。その華やかさに圧倒されながらも、私はあまり街を歩かない。地方から就職のために上京してきてもう数年になるが、私の生活は狭い賃貸の部屋と職場を往復するだけだ。友人と飲みに行ったり、休日にショッピングに出かけたりすることはほとんどない。理由は単純で、私は非社交的だからだ。東京という舞台がきらめいていることは理解しているのに、それを自分の生活に取り込むことができないでいる。


 その日も、私は会社のビルに着くとまっすぐにオフィスへ向かった。窓から見える街の景色は、地方にいたころには想像もしなかったほど華やかだ。青空に映える高層ビル、光沢を放つガラスの壁、整然と並ぶオフィス街。雑誌の中に入り込んだかのような世界だ。それでも私の日常は変わらない。無言でパソコンに向かい、必要最低限の会話しかしない。


 金曜の午前、会議の準備中に課長が顔をしかめた。

「この資料、違うページが混ざってるな」


 ざっとめくると、去年の古いデータが一枚だけ差し込まれていた。


「印刷のときに混ざったんじゃ?」

「いや、昨日の夜に確認したときは問題なかった」

「じゃあ誰かが間違えて差し込んだのかも」


 いくつか意見が出た後、課長が言った。

「コピー機の紙詰まりで別の原稿が混ざったんだろう。前にもあったしな」


 周囲は頷き、それで納得したように準備を再開する。オフィスの窓の外には、陽光を浴びた街が広がっていた。光り輝くガラスの外壁に反射する空の色が眩しい。華やかな都会の風景に比べて、資料の一枚が混ざったかどうかという議論は、あまりに些細に思えるかもしれない。けれど私の胸には、どうしても引っかかるものがあった。


 もしコピー機で混ざったなら、数枚まとめて入り込むはずだ。けれど混ざったのは一枚きり。しかも紙質が違う。去年の資料の紙だ。声を上げたい衝動を抑えて、私は黙り込んだ。人前で反論するのは苦手だ。


 会議が終わり、席に戻ろうとしたとき。

「相原さん」


 背後から名前を呼ばれて、思わず振り返った。一瞬、自分のことだとわからなかった。苗字で呼ばれるのに慣れていないからだ。


 私の名前は――相原由衣。地方から東京に出てきて、今はこのオフィスで働いている。だが社交的ではないため、同僚と積極的に交流することはなく、名前を呼ばれること自体が少ない。


 声をかけてきたのは、隣の席の同僚・成瀬翔真だった。落ち着いた雰囲気で、仕事もきっちりこなす人。男性社員からは「成瀬」と苗字で呼ばれているのに、女性社員からは「翔真さん」と下の名前で呼ばれているのをよく耳にする。私はどちらでも呼んだことがなかった。


「会議中、ずっと資料を見てましたよね。気になってることがあるんじゃないですか?」


「……どうしてそう思うんですか」


「表情。納得してないように見えたから」


 私はためらった末、小声で矛盾を説明した。紙詰まり説では不自然だ、と。


「なるほど。じゃあ、相原さんがみんなに言えばいい」

「……それは困ります」

「どうして?」

「人前で反論なんて……」


 私が難色を示すと、成瀬翔真は少し考えてから言った。

「じゃあ代わりに、俺が気づいたことにする。それならいい?」


 思いがけない提案に、私は驚いた。けれど、それなら波風も立たない。

「……はい。それなら」


 昼休み、成瀬翔真は人を集めて言った。

「この資料の件、コピー機のせいじゃないと思うんだ」


 しかし課長は即座に反論した。

「いや、前にも同じことがあった。コピー機で説明がつく」


 成瀬翔真は言葉に詰まり、私に視線を送ってきた。助けを求める目だ。


 ……仕方ない。私はゆっくり立ち上がった。

「課長、それは違います」


 皆の視線が集まる。心臓が早鐘のように打つ。

「コピー機なら同じ紙質で混ざるはずです。でも、この一枚だけ厚みが違います。去年のロットの紙でした。つまり、誰かが机に残っていた去年の資料を無意識に挟んだんです」


 課長は資料を触り、確かめる。

「……確かに、紙が違うな」


 周囲がざわめいた。私はすぐに席に戻り、パソコンを開く。窓の外には、陽射しに輝く東京の街並みが広がっている。ビル群のきらめきが目に飛び込み、胸の奥が少しだけざわめいた。


 成瀬翔真が小さく笑って言った。

「助かった。ありがとう、相原さん」


 私は答えなかった。ただ胸のざわめきだけが残った。――これが、彼との最初のやりとりになった。


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