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初彼、できました

 二人は公園のベンチに並んで座っていた。


 そして、ぽつりぽつりと、雪乃が自分の事を話し始めた。

 

 雪乃の実家である“紫星家”というのは古くから続く名家で、雪乃はそこの一人娘として生まれた。

 

 父は雪乃が産まれてすぐに亡くなっており、母が女手一つで育ててくれた。

 とはいえ、母は常に多忙で家を空けることが多く、基本的に雪乃の世話は使用人に委ねられていた。


 母は、全てにおいて厳しい人だった。

 

 それは雪乃に対しても例外ではなかった。

 礼儀作法は当然として、いくつもの習い事、交友関係、進路、その全てを母が決めていた。


 雪乃にとって、自由という概念は存在しなかった。

 それが当たり前であり、疑問すら持たずに育っていった。

 ただ黙々と与えられた役割をこなす日々だった。


 小学校に通いながら、膨大な課題をこなしていくのは、子供の体力では無理をするしかなかった。


 当然、友人と遊ぶ余裕など無く、短い休み時間すら課題をこなすことに当てていた。

 そのような学校生活では、仲を深める友人など出来ようも無かった。


 屋敷に勤める大勢の使用人たちは、雪乃に笑顔を見せなかった。

 その顔は、まるで雪乃の努力が足りていないとでも言いたげで、自分から近づくことも躊躇(ためら)われた。

 

 寂しさや辛さを感じる時はあった。

 ただ、たまに顔を見せる母は、その度に雪乃へ何度も言い聞かせた。


貴方(あなた)は特別なのだ』と。


 それを言う時だけは、母親は自分に笑みを見せ抱きしめてくれた。

 その笑顔は美しく、伝わる体温はあたたかかった。

 

 雪乃はそれを励みに母の期待に応え続けた。

 雪乃の世界において、光といえるものはそれだけだったからだ。


 変化が起きたのは、中学に進学した時。

 

 雪乃が初潮を迎えてそれを母に報告すると、母は雪乃を抱きしめた。

 

 そして、告げられる。


『貴方は今後、男性と話をすることも、近寄ることも許しません』

『もしそれを破ったら、恐ろしいことが起きます』

『結婚相手は私が見つけます、それまで男性と一切の接触をしないことを誓いなさい』


 そう強く言い聞かせる母は、笑みではなく、涙を流していた。

 雪乃は初めて見る母の涙を前に、頷くしかなかった。


 その日を境に、雪乃は常に誰かの視線を感じるようになった。

 外にいても、学校でも、自分の部屋に一人でいても。


 何者かに常に視られている。

 その感覚が拭い去れない。

 それは雪乃にとって少なからず心身の負担になっていた。


 入学した中学は名門私立の付属女子中学校で、男性は教職員しかいなかった。

 屋敷の中も、女性の使用人しか雇っていなかったので、男性に係わることは無かった。


 ——はずだった。

 

 中学生活も、今までと同じように淡々と母から与えられた事をこなす生活を送った。

 勉強や習い事、そして紫星を継ぐための準備で、常に時間に追われる日々。


 そして、常に感じる誰かの視線のストレスも重なって、雪乃は気を張り続けていた。

 それにより人を寄せ付けず、相変わらず友人もまともに作ることは出来なかった。

 

 雪乃の人生は閉じていたのだ。


 同級生が自由に生きているのを見ると、その眩しさに目を背けてしまうほどに。

 

 そして事件は、中学卒業を間近に控えていた三学期に起きた。

 

 ある日の放課後、雪乃が担任ではない男性教師に呼び出された。

 母の言いつけが頭をよぎったが、教師との話し合いならば仕方がないだろうと思った。


 しかし、生徒指導室という個室で二人きりになると、その教師は雪乃に襲い掛かった。


 雪乃の美貌は、年を重ねる毎に際立っていった。

 その美しさと大人びた体に反して、教師であっても男性に一切近づかない潔癖さ。

 それは、その男性教師にとって、(けが)したい対象として映っていたのだ。


 男に全く免疫のない雪乃は、悲鳴すら上げられず体を強張らせた。

 ブラウスのボタンを無理やり引きちぎられた瞬間——それは起こった。


 突然、指導室にあった黒板消し用のクリーナーが、教師の頭に飛んできたのだ。


 雪乃の体に夢中だった教師は、それをまともに喰らい昏倒した。

 頭から血を流し、床に倒れたその姿を見て、雪乃はようやく悲鳴を上げた。


 それからのことは、よく覚えていない。


 気付いた時には、自宅の部屋で呆然としていた。


 扉にノックがされ、母が入ってきた。

 恐る恐る母を見ると、その顔には何の感情も見えなかった。


 ただ一言。


「だから言っただろう」


 それだけを告げて、母は部屋を出ていった。


 残された雪乃は、意識を取り戻したように恐怖で体を震わせた。

 男性に襲われたこと、床に広がっていく血、そして、クリーナーを投げつけた見たことも無い『生き物』を思い出して。


 そして気付く、今までの視線の正体を——。


 その事件は、箝口令(かんこうれい)が敷かれたように、学校関係者の誰もが口を閉ざした。

 男性教師は、一命は取り留めたが、脳を損傷し半身不随となり教職を辞したらしい。


 そして、雪乃は学校には出席せず、そのまま卒業することとなった。

 

 だが、付属の高校は雪乃が入るのを拒否した。

 雪乃は被害者であったが、鈍器で教師を再起不能にしたという事実が、名門校から(うと)まれたのだ。


 母が尽力した結果、一時的に近くの高校に入り、後に他の女子高へ編入させる事となったらしい。


 しかし、一時的とはいえ、入った高校は男女共学であった。

 生徒の半分が男子であり、雪乃にとっては苦痛以外の何物でもなかった。


 出来る事と言ったら、人に近寄らず、近寄らせず、興味も好意も、一切見せないことぐらいだった。


 だが、雪乃の美貌は隠しきれない。


 入学早々、声を掛けて来る男子は大勢いた。

 それらを徹底的に無視し、それでも話しかけるようならその鋭い目で睨みつけ、キツイ言葉を吐きかけた。


 大抵の男子はこの時点で諦めてくれたが、中にはしつこい輩もいた。

 ある時、無視を続ける雪乃の手を掴んだ男子に、どこからか飛んできた石がぶつかり大怪我をした。


 その後も一人、雪乃をしつこく追い回した男子が骨折するということがあった。

 それにより悪い噂が流れ、中学での出来事を知る者もいて、その噂に尾ひれを付けていった。


 それらの事件は人前で起きたにも関わらず、その『生き物』は誰にも目視されなかった。

 そして不幸な事件として片づけられたのだ。


 その結果、雪乃はますます孤立した。


 そのことで、雪乃自身は安堵していた。

 自分のせいで、これ以上の被害者を出したくなかったからだ。


 雪乃にはわかっていた、相手が怪我をする理由が。

 自分に触れる男には、得体のしれない『生き物』が現れて危害を加えるということを。


 それは、先ほど目の前でも起こった。


 ——そして、今まさに起こっている。


「本当に大丈夫なのだな……」


 二人が座っているベンチの周りには、色々な物が散乱していた。

 石、レンガ、木片、鉢植えなどが不自然に散らばっている。


 その原因は、二人の視界にいる『生き物』。

 

 ぱっと見は人間の幼児に見える。

 しかし、肌の色はくすんだ緑色で、目は大きく白目の無い黒一色。

 口元には鮫のようなギザギザの歯が並んでいる。

 腰には何かの皮のような物を履いており、多少の知性がみえた。

 そして何より額には、二本の角が生えていた。


 小さいながらも、それはまさしく鬼であった。


 その小鬼が、先程からアキラに向かい、執拗に物を投げつけているのだ。

 

 彼はそれを全く意に介さず、微笑みながら雪乃の話を聞き続けていた。

 当たっているように見えるのに、投げ飛ばされた物は決して彼を傷つけない。

 

 それどころか、当たった音さえ立てずに地面へと転がっていく。


 彼のその姿は、あまりにも自然体だった。

 まるで、そこにいる小鬼が空気であるかのように。


 雪乃は、最初こそ驚いた。

 彼が無傷なことも、何も気にしないことも、目の前に居続ける小鬼の存在も。


 だが、彼の揺らがないその姿につられて、そのまま話を続けていた。

 そして、一度話し始めてしまえば止まらなかった。

 

 自分の閉じた人生の話。


 膨大な課題によって、押しつぶされそうになりながらも頑張り続けたこと。

 心許せる存在がおらず、誰にも話すことのできなかった寂しさと不安。

 万が一にも母に嫌われる事が怖くて、言えなかった小鬼の存在。

 

 友人といったものをまともに作れなかった人生で、これほど人と深く話をする。

 それは、雪乃にとって初めての経験だった。


 自分のそばに男がいるのに怪我をしない。

 小鬼という異質な存在が目の前に現れているのに気にしない。

 そして、自分の暗くつまらない人生の話を、何時間も静かに微笑みながら聞いてくれる。


 そんな男性が隣に座っていた。

 

 長い話を終えた後、その事に気付いた雪乃は、初めてアキラを異性として見つめる。

 その笑顔はあたたかく、深く澄んだ瞳は、全てを包み込んでくれるような安心感があった。


 雪乃は急に胸の辺りが苦しくなり、思わず手を当てる。

 

 そこに自身の心臓の鼓動を強く感じた。

 そのことにより、顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。

 

 彼を見ているのがなぜか恥ずかしくなり、視線を正面に戻す。


 そこには先ほどと変わらず小鬼がいて、牙を剥き怒りの表情を浮かべていた。

 

 ——そして理解する。

 

 この小鬼はきっと、自分を男から守るために生まれた“呪い”なのだ。

 母が自分を抱きしめる度に言っていた『特別』の意味。

 それは、自分が『呪われた子供』だということなのだろう。

 

 母の流した涙の理由も、今ならわかる気がした。

 

 きっと母には視えていたのだ、この存在が。

 結婚どころか男性と付き合うことも出来ず、子供も望めない、永遠に一人で生きていく娘の未来が。

 

 けれど、アキラにはその呪いが効かない。


 それは、雪乃にとって決して手放してはならない希望に思えた。

 それに気付いた時、先ほど彼が言っていた言葉が脳裏に蘇る。

 

 今の自分にとっては、思い返すと鼓動が早くなるような言葉。

 それを確認しなければならない。

 

 だが、あの時の言葉を(ひるがえ)されても仕方がないと思った。


 常識で考えたら、こんな自分を知っても、同じ言葉をかけてくれるとは思えなかった。

 それに気付いてしまうと、先ほどまでの熱は急激に下がり、指先が冷たくなる。


 それでも確認せずにはいられないほどに、彼の存在は自分の中で掛け替えの無いものになっていた。

 これが恋なのか、それとも打算なのかもわからない。

 

 ただ、彼が横にいてくれるのが嬉しく、その瞳をずっと見続けていたいという気持ちは本物だった。

 

 これが人生の分岐点になるだろうという確信がある。

 誰のためでもなく、ただ自分のために勇気を振り絞る必要があった。

 

 そして人生を賭ける覚悟を持って、言葉を口にする。

 

「……先ほど貴様が言っていたアレは……本心か?」


 声が震えた。

 

 視界に小鬼がうつっている。

 だが、あれほど恐れたその存在よりも、今は彼の答えの方が怖かった。

 

「アレって?」


 アキラはどれの事かわからないように、髪を掻き上げ思案した。


「私と……こ、子供を作りたいと言ったことだ!」


 先ほどは戯言(ざれごと)としか捉えてなかった言葉が、今は雪乃の心を揺さぶっている。

 その言葉が本物であって欲しいと、心の底から強く願った。


 アキラが、そのことかと理解して、雪乃の横顔を見つめ真剣に告げる。


「もちろん、本気でそう思ってるよ」


 その瞬間、雪乃の閉じた人生に光が差すのを感じた。

 

 体が震える、それ以上に心が跳ねた。

 大げさではなく、今までの辛い人生は、このためにあったのだろうと思えた。


 雪乃はアキラに向き直り、いつの間にか流れていた涙も気にせず、告げた。


「ならばその言葉——(つつし)んで受けよう」


 静かな涙、そして熱を孕んだ吐息と共に告げられた受諾(じゅだく)

 その答えにアキラは笑顔で頷いた。


 そしてベンチから立ち上がって、雪乃へ手を差し出す。


「これからよろしく、僕のことはアキラって呼んでね」


 その手は、雪乃にとって暗闇から引き揚げてくれる救いの手に見えた。

 夕日を浴びて、輝きを放っているように見えるその手を、雪乃はゆっくりと大切に掴む。


「私も、雪乃と呼んでもらえたら……嬉しい」


 こうして二人は(ちぎ)りを交わす。

 

 その先に、どのような不幸が待っているとも知らずに——。

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