第4話
しばらく歩き、蔦江と芹は建物最奥の部屋の前で立ち止まる。すると蔦江が胸に片手を当て、うやうやしく頭を垂れた。
「どうぞ、お嬢さん。扉をお開けください。」
「あは。ありがとう。」
芹はくすくすと笑い、蔦江の手をゆっくりと離す。そして一人、扉の前に立った。
「…。」
鳥籠迷宮の住人が特別だと言う部屋。何が待ち受けているのだろうかとドキドキと胸の鼓動が高鳴る。すう、と一息呼吸してから、芹は鉄製の扉のドアノブに手を掛けた。
「…わ、」
ギイ、と鈍い音を立て扉が開かれると温い風が芹の頬や頭を撫で、そして、花の甘くて少し生臭い香りが鼻腔をくすぐった。
鮮やかなに咲き誇る、花、花、花。美しい色彩に芹は、眩しい思いで目を細めた。可愛らしいポンポン状の小さな黄色の花。午前の白い光を浴びて、それは金色を帯びていた。柱にまとわりつくように。あるいは、窓を縁どって。散った花は絨毯のように床を覆い尽くす。
「アカシアの花だよ。ミモザっていった方が分かりやすいかな。」
蔦江は自慢するかのように胸を張って、言葉の出ない芹に花の正体を明かした。
「ミモザ…。かわいい花だね。」
芹は蔦江に背中をそっと押されて、部屋に入った。サク、と音を立て散って溢れた花を踏む。踏んで足が離れる度に、ふわっと花が宙に舞った。ちらちらと雪のように花びらが散るがミモザの部屋はその色を以て、とても暖かく感じるから不思議だ。
「気に入った?」
「とても。」
長い髪の毛を揺らしながら、両手を広げて踊るように芹は一回転して蔦江に向かって振り返った。
「よかった。ねえ、この部屋にいると芹はより一層輝くようだよ。」
「ええ?」
いきなり何を言うのかと、芹は思った。
「真っ黒で綺麗な髪の毛に、黒いセーラー服が黄色のミモザによく映える。」
蔦江が両手の親指と人差し指で額縁を作る。片目を瞑って、写真に切り取るかのように頷いた。
「もう少し明るい色の服が、芹には似合うんじゃないかな。例えばそう、このミモザみたいな色。」
「そんなこと言われても、これ制服だもん。仕方ないよ。」
「そうかー。ん、そういえば、芹。学校は?」
残念そうに蔦江は頭をかいたかと思うと、今更で、お前がそれを言うかと思うような質問を芹に投げかけた。
「学校、行かないとだめ?」
「行かないよりは行った方がいいだろうね…って、私が言っても説得力は皆無だよね。」
「うん。」
「でも、制服は着るんだね。」
「制服があれば楽だよ。毎日着ていても、平日なら違和感ないし。」
そう言うと、芹はセーラー服の生地を撫でた。そして伝えを見る。
「蔦江は…何か、シンプルなのにおしゃれだね。」
芹にそう言わせる蔦江はというと、トップスに無地の白いTシャツとテーラードジャケット、スラックスのセットアップを着こなしている。上下が黒い素材なので、カラフルなハイテクスニーカーが差し色になっている。全体的に小奇麗で清潔感のあるボーイッシュなファッションだった。
「普通だよ。装飾過多な服の着方がわからないだけ。」
同じような服ばかり着てるよ、と蔦江は笑う。それでも、黒セーラーに同じく黒のハイソックス、靴はローファーの自分には輝いて見えるほど洗練されていた。
「大人っぽくてすごく良いと思う。私の周りにはいなかったタイプ。」
「そんなにおだてても、何も出ないぞ。ていうか、こんなヤツ溢れ返るほどいるよ。芹の世界は狭いな。」
そう言うと、蔦江は芹の額を人差し指で突いた。
「そうかな。」
芹は額を手で押さえながら答える。
「そうだよ。もっと、周囲を見てみ。」
「いいよ。今、見える世界だけで。」
「…まるで、井の中の蛙だな。」
「大海を知らず?」
「そう、それ。」
蔦江の苦言に芹は自虐的な笑みを浮かべた。
「でもね、蛙は空の深さを知るのよ。」
「空の深さ、ね。それって宇宙じゃん。かーっこいい。」
「物理的な意味じゃないと思うけど。」
「冗談だよ。笑って。」
つまらないよ、と言いながらも芹は笑顔を見せた。だが蔦江は、うーん、と首を捻ると芹の両方の頬を左右に引っ張った。
「なあに?」
「初めて見た時から思ったけど、芹って表情硬いよね。笑っていても、ぎこちない感じがする。」
蔦江の指摘に、芹は目を丸くした。
「そう、かな。」
「そうだよ。表情筋、固いぞ。もっと鍛えないと、笑えなくなるよ。」
「別に、困らないよ。」
芹が、きょとん、と首を傾げると、蔦江が外国人のジェスチャーのように両掌を顔の位置に掲げて首を振った。
「バカだな。芹、それは損だぞ。芹は本気で笑えば絶対にかわいいって。」
「大袈裟だよ。それより、蔦江は『かわいい』って言葉をよくそんなに使えるね。」
「私は賛辞の言葉は惜しまないようにしているの。」
「すげーな…。」
蔦江の答えに、思わず言葉づかいが乱れる芹だった。