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井袋さんは食い倒れない  作者: 大和煮の甘辛炒め
二章 全国ラーメンフェス
16/18

「井袋さん、トッピングを迷う」

 全国ラーメンフェスタ四日目。土曜の昼。

今日の会場はいつもより賑やかだった。子供連れの家族、大学生らしきグループ、食べ歩きを楽しむカップル。笑い声とラーメンの湯気が、春先の陽気の中に満ちていた。


「今日は混んでますね」

「この時間は“選ぶ楽しさ”が最大化されてるんです。ラーメンじゃなくて、空気を食べに来てる人も多い」


井袋はそう言いながら、会場の中央にある屋台村の中でもひときわ人の集まるブースの前に立ち止まった。

そこは“選べるトッピング20種”が売りの創作ラーメンの店だった。チャーシューに味玉はもちろん、パクチー、焼きチーズ、レモンピール、ポルチーニのオイルまで選べる。


「この手の店、意外です。井袋さんが来るとは」

「僕も意外です。でも今日は、少しだけ“選び疲れた人の気持ち”を知ってみようと思って」


葵は笑いそうになった。

「つまり、普段なら絶対来ないけど、今日は気まぐれってことですね」


店の前には小さな用紙と鉛筆が置かれていた。ベースのスープと麺を選び、そこに最大5つまでトッピングを記入できる仕組み。


葵は即決だった。

「私は醤油+細麺で、味玉、青菜、焦がしねぎ、柚子皮、焼き海苔。間違いない王道」


井袋はというと、黙って用紙を見つめている。鉛筆を手に持ったまま、まだ一文字も書いていない。


「……迷ってます?」

「ええ。“自分が何を欲してるか”って、意外とわからないものですね」


彼は鉛筆を置いて、ふとポケットから小さなメモ帳を取り出した。そこには過去のメニューや食べたものの記録が、びっしりと書き込まれている。


「記録しても、いまの気分には追いつけないのが難点です」


葵は吹き出しそうになった。

「それはもう、考えるのやめたほうがいいんじゃないですか」


それでも井袋は、ひとつひとつ丁寧に考え、ようやく紙に書き込んだ。

塩ベース、平打ち麺。トッピングは梅干し、わかめ、白髪ねぎ、柚子皮、そして最後に「なし」と記入された。


「“なし”って……?」

「五つの枠、全部埋めなくてもいいと思って」


ラーメンが届いた。

色とりどりのトッピングが賑やかに乗った葵の一杯と比べて、井袋のラーメンはずっと静かだった。

梅干しの赤が控えめなアクセントになっていて、スープの澄んだ塩気が、わかめとともに穏やかに香る。


「これはこれで、なんか…落ち着きますね」

「僕は今日、“選ばなかったもの”のことを、忘れたくなかっただけかもしれません」


スープを啜りながら井袋が言ったその言葉に、葵は少し黙った。


人は何かを選ぶたびに、選ばなかったものを置いていく。

でも井袋は今日、ひとつ分の余白に、選ばなかったものすべての気配を留めたのかもしれない。


「……贅沢しなくても、贅沢できる方法、なんとなくわかってきた気がします」

「それはつまり、“ラーメンの引き算”ですね」


その日の帰り道、葵は手帳にこんなふうに記した。


「選びきれない日には、空白を置いておくのもいい」

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