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井袋さんは食い倒れない  作者: 大和煮の甘辛炒め
二章 全国ラーメンフェス
14/18

「井袋さん、並ばない」

 全国ラーメンフェスタ二日目。葵はすでに二杯目を手にしていた。

一杯目は魚介豚骨の濃厚スープ、二杯目は焦がし醤油が香る中華そば。どちらも外さない味だったけれど、どこか物足りなさが残った。


「……美味しいのに、記憶に残らないって、不思議ですね」

ふと口にしたその言葉に、井袋は「それ、よくわかります」と笑った。


今日は快晴で、土曜の公園はさらに人で溢れている。各ブースの行列は長く、どの店も20分は待つと案内が出ていた。


「並ぶの苦手でしたっけ?」

「苦手ではありません。ただ、僕が選びたいのは“並ばずに残っている味”なんです」


井袋は目を細めて会場を見回し、ふと立ち止まった。そこには、他の店のような派手な看板も、長い行列もなかった。

「喜多方クラシックラーメン」

素朴な白地ののぼりに、淡い青で店名だけが書かれていた。


「……地味ですね」

「ええ。でも、こういうブースが好きです。誰かに勧められて食べるんじゃなくて、自分の目と足で見つける味には、ちゃんと“自分の責任”が伴います」


並ばずに受け取ったその一杯は、驚くほどシンプルだった。透き通るような醤油スープ、厚めのチャーシュー、手揉みの縮れ麺。

何の“仕掛け”もないのに、一口で心が静かになる。


「……すごいですね。味が、懐かしいとか美味しいを超えて、落ち着くって感じです」

「きっと、“意図のない美味しさ”なんでしょうね。作り手が何かを狙っていない。だから、余白がある」


井袋はその余白に、黙って麺をすする音を重ねる。

葵もそれに倣うように、言葉を閉じてスープを飲んだ。


「並んで得られる“期待された満足感”もいいけど、こういう一杯は、“気づいたら染み込んでる”感じですね」

「そう。心に並ばないラーメン、って言ってもいいかもしれません」


ふたりは静かに笑った。


食べ終わった器を返し、ベンチに腰を下ろしたとき、葵はふと思った。

このフェスで井袋と話している時間は、食べているよりも“選ぶ”ことに意味があるのかもしれないと。


「並ばなかったのに、ちゃんと届きました」

「それは、あなたの足と目が選んだ結果です。ラーメンより、そっちの方がずっと大事だと、僕は思います」


葵は手帳を開き、書き記した。


「列のない味を選ぶ勇気、静かな一杯に、気持ちが並ぶ」


人が押し寄せる味よりも、自分の中に静かに広がる味を。

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