新・私のエッセイ~ 第156弾 ~ 『小林功ちゃん』の思い出 ~ ぼくがいまも敬愛し、なつかしむアニキ的存在♪
・・・これは、拙作、
『しげちゃんの小学生日記』に書く予定でしたが、
独立させてしまったほうがいいかな、と思いましてね。
ぼくには、母方のはとこに、
『小林功』という、1学年年上の親戚がおります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・彼には、可愛い妹さんがいます。
名前を『ゆみ』といいますが・・・
ぼくが功ちゃんと仲良くなるキッカケを作ってくれたのが、このゆみさんです。
ゆみさんは、ぼくよりもいくつか年下でしたが、とてもキュートな方で、ぼくはすぐに好きになりました。
東京の亡くなったおばさんが、彼女を栃木県矢板市のぼくの自宅に連れてきたのが、
1978年春ごろでしたか。
すぐにぼくたちは仲良くなり、
おばさんも、
「ゆみさんとしげお・・・このまま、いっそのこと結婚しちゃったら?」
と、冗談とも本気ともつかないことを、目を細めながら言ってきたものです。
あらためてそう言われてしまうと、なんとも恥ずかしくなり・・・ぼくらはそろって、
「やだ!」と叫んでましたね(笑)。
あたためても孵化しようがない、いわゆる『無精卵』である鶏卵を、
ずっとふたりで仲良くあたためたこともありました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1979年。
・・・そんなゆみさんが、今度はぼくを東京見物に誘ってきたんです。
着いてみると、彼のお兄さんもいっしょにいました。
それが、
お題目の功ちゃん。
ぼくらはすぐに意気投合し、彼の妹のゆみさんと3人で、
靖国神社とか、上野公園なんかで楽しくはしゃぎました。
ぼくが東京に来るのは、
1976年の保育園の遠足以来です。
そのときには、上野動物園のパンダや象さんなんかも見た記憶がありますね。
・・・翌、1980年にも、ぼくは功ちゃんとゆみさんが待つ東京へ行きました。
今回は、ぼくの2人の弟もいっしょでした。
マクドナルドの店舗を見たのも、このときが、生まれてはじめてでした。
東京の「十条」というところにあった、おばさんのご自宅に寝泊りしていましたが・・・
いやぁ、楽しかった!
どこぞのエッセイでも書きましたが・・・なんと!
おしいれのフスマをあけると、そこには『和式トイレ』が・・・!
狭い住宅事情の当時の東京では、けっして珍しい現象じゃない、と、おばさんは話しておりましたね。
しっかし、アレばかりはさすがに、
頭がやわらかくて、想像力豊かな、ここの若い読者の皆様といえども、おもわず、おしっこチビってしまうんじゃないですかね(苦笑)。
帰りには、
おばさんにおねだりして、
ウルトラセブン由来のグッズである、
『ウルトラ警備隊セット』も個人的に買ってもらって、
その中の変身ギア・・・通称『ウルトラアイ』を、後生大事に、帰郷してからもしばらくは・・・
肌身離さず、どこへでも持ち歩いていたものでした♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・ぼくと功ちゃんは、あんまり仲が良くなったので、
翌、1981年の夏休みのお盆には、
今度は、功ちゃんが、単身、電車でぼくの矢板市の自宅に1週間ほど、泊まりにきました。
弟もいましたけど、基本的にぼくは・・・
アニキ分であった彼に甘え、べったりとして、どこへでも彼が行くところについていきました。
・・・弟のようであり、親友であり、また『舎弟』でもありましたね、ぼくは♪
本当に、あの井上陽水さんの名曲、
『少年時代』のような世界でしたよ・・・。
駄菓子屋で、アイスもお菓子も食べたし、
大田原市の市営プールも、真岡の一万人プールへも、家族ともども、功ちゃんを連れて遊びにいきましたし。
夜には、
木幡神社近くの空き地で催された、
小さな花火大会も、仲良く自転車で見に行きました。
自宅では、
縁側でスイカをかじりながら、線香花火やロケット花火なんかもやりましたね♪
キン肉マンのコミックスも、
ぼくのいきつけのショッピングセンター『サンピア』に、ふたり仲良く自転車を並べて、立ち読みにいった。
早朝、近所のクヌギ林に、クワガタ捕りにいったことも。
・・・井頭公園で、一万人プールに入る前に、
裏の野球場のベンチあたりを歩きながら、いろんな楽しい話もしたっけなぁ・・・。
そのときのさわやかな情景が、いまも目に浮かびます。
・・・暑い夏ではありましたが、
いまほど極端に地球温暖化も進んではいなかったから、なかなか心地いい湿気と気温でしたよ。
緑もあざやかで、芝や夏草のにおいも、とっても良くてね・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・そんな、数ある功ちゃんとの思い出の中でも、
とりわけ忘れがたい思い出になっているのが、
『バイ菌軍団消しゴム』の記憶。
今野産業という会社が作ったキャラクターの、ガチャガチャのグッズで、
当時、日本全国の駄菓子屋などの店頭で、1回あたり20円で売られていました。
これを気に入り、目を付けたぼくたちは・・・
なけなしの小遣いをはたいて、功ちゃんがここにいる期間中、
毎日毎日、自転車を走らせては、
ぼくの母校の木造の川崎小学校まえにあった、
『神山文房具店』の店さきに設置してあった、このガチャガチャに食いついて、
ひたすら、20円をつぎこみ、
出てくる『ハズレ』にやきもきし、一喜一憂ながらも、
お目当ての『バイ菌キャラ』が出てくるまで、ハンドルを回し続けておりましたね。
・・・美絵子ちゃんもそうでしたが、
功ちゃんそのものが、
あのさわやかで楽しさいっぱいの、1981年の夏を連想させてくれる、
『時代の象徴』といっても過言ではないと思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・令和のいまも、うちのお袋と、功ちゃんの母ちゃんは、
電話やスマホで連絡を取り合っては、
ときどき海外旅行なんかに出かける仲良し♪
功ちゃん自身、
数年前に、ひょっこりぼくの自宅に遊びに来て、
なつかしさのあまり、ぼくは泣いてしまいましたし、
彼が都会へ帰るときには、
おみやげの『下くちびる菌』と、貴重な『ミニブック』をプレゼントしちゃいましたぜ❤️
・・・功ちゃん、またいつでも遊びにきてください。
次こそは、
あの美絵子ちゃんとの思い出話を披露しますよってに♪
m(_ _)m