第二十話
俺たちは更衣室で体操着に着替えた。もちろん男女別ね。
この体操着はその人の体にフィットするよう調整されていて伸縮性も高く、吸収した汗はすぐさま濾過され、自分の設定した香りがすると言う優れものだ。
誰にも不快感を与えない素晴らしい発明だね。
身体も動かしやすいし、汗の匂いも気にする必要がない。
着替え終わったあと女子更衣室の前で山口を待っていると生徒たちの話し声が聞こえてくる。
「この後の試合楽しみだな!東西南北の二人組が出るんだぜ!相手のチームはよく分からない男女二人組みたいだけど……まぁ、ついてないよな」
「だな!しかもあの南ちゃんのあれが大きく揺れる訳だろ?最高じゃん!ちゃんと写真撮らねぇとな!」
「「うひょぉい!!」」
それには同感だね。俺も楽しみ。
うひょぉい!!
俺が喜びの舞を心の中でしていると奥から物音が聞こえてきた。
すると女子更衣室がガチャリと開き恥ずかしそうに山口が出てくる。
扉開けるの遅くないですかね?
「どしたの?」
「あ、あまり見ないで……」
両腕で胸元を隠すような仕草をする。
ふむふむなるほど、やはり比較されるのが嫌みたいですね。
俺は親指を立てておいた。
するとジッと俺を見上げてくる。
そのまま数十秒見つめてくると諦めたようにため息を吐き出す。
何か思い当たることでもあるんですか?
「ご飯抜きです」
「山口様素敵です胸も大きく器も大きい」
俺の露骨なゴマスリに呆れて物も言えないと言った感じだった。
「一週間抜きです」
「あの……山口さん?」
おかしい……俺は本心を話しただけなのに。
するとしばらく考え込むような仕草をして再び口を開く。
「……この後の試合頑張ってくれたら新庄くんの好きな物作ってあげます」
「……まじすか?」
「マジです」
「和食は?寿司とかは……」
「出来ます」
やれやれ仕方ない。
少し本気を出すとしますか。
俺は両手をポキポキと鳴らす仕草をする。
ついに練習してきた波動拳と百裂拳をお見舞いする時がきたみたいだね。
「ふざけたらもちろん抜きです」
「……あ、はい」
張り胸をやめいつもの猫背になる。
ーーーー
体育館に着くとすぐさま試合が始まる。
体操着越しにも伝わってくる南ちゃんのおっぱい。
最高です。
白い体操着に大きい山が出来てしっかりと影が付いている。
対する山口さん。
真っ平ですね〜。
影なんて出来ようがない。
うんうん、仕方ないよね。
あれ?
山口さん?
なんでラケットを振り上げてるんですかね?
そこにシャトルはありませんよ?
今にも投げてきそうな感じがした。
「……とりあえず謝っとくね」
「……ご飯抜きです」
あ、これ許してくれないやつですね。
でもまぁ試合頑張れば許してくれるはず。
ホイッスルが体育館内に響いた。
周りの野次馬達も謎の連携プレイを発動しある程度のざわつき以外はなくなった。
試合が始まり俺たちはすぐに相手の弱点を見抜いた。
それは西がめちゃくちゃ運動音痴だって事。
何それ聞いてない。
見抜くもクソもないほどまでに下手くそだった。
おいメガネ、さっきまでの自信はどこにいったんですかね?
これじゃあなんか嫌でも目立っちゃうだろうが。もう手遅れな気もするけど。
まぁ強いて事前に知っていた情報と言えばデータベースの乾より順位が低いことくらい。
完全にいらない情報だ。
しかも必然的に西を狙うことによって、観客が西の動いてる所なんて興味ねぇんだよ!とか、南ちゃんのあれが揺れるのを楽しみにしてんだよ眠たそうな試合するんじゃあねぇ!とか、ふざけんな!俺が揺れるからそこで見とけ!とか最後に関しては全く意味がわからないことを言っていた。
そのせいで何故か俺にヘイトが溜まっている。おい、ふざけんな。
俺はそんなのを無視して西を狙い続ける。
けどまぁ後で南ちゃんに関しては個人的な理由で狙うとしよう。特に意味はないけど。
ファンサは必要だからね。
俺はラケットのグリップに力を込めてシャトルを撃ち返す。もちろん標的は西。
西を狙えば簡単に一点取れる楽な試合だね。
「……ほいっと」
南ちゃんの立ち位置的にも西をカバーしきるには遠い距離だ。
南ちゃんの顔が歪む。
すんません。でも勝負は非情なんでね。
読み通り南ちゃんは動かない。たぶん西がリターンするのに賭けたのだろう。
「……くそ!」
けどその願いは届かずあっさりと空振りをして一点取る。
ふふっ、悔しそうにしてる西の顔は実に愉快だね。
とりあえず1ポイント取るたびに山口と控えめなハイタッチをしておく。
なんかちょっとだけいい気味だ。
あの二人はどうせ学校でもチヤホヤされてポイントも沢山持ってるんだろうから少しくらい辱めを受けるべきなのだ。もちろん嫉妬とかではないよ?
だが……こちらの山口も運動音痴では西に負けていない。
2人とも羽根の軌道が全く読めておらずまだ一度も打ち返せていない。
現状は2対3でこちらが押されている。
なんか割といい試合になってるね。
サーブ権は俺にきた。
したから掬い上げるようにシャトルを相手コート南の方へ飛ばす。
ネットスレスレのいい位置だ。
西とは違って運動神経の良い南ちゃんは手前に落ちるシャトルを高め深めにこちらのコートへ返してくる。
こうする事によってこちらの選択肢は増えイーブンにまで持ってこれる。
チラッと山口の位置を確認して俺は一言任せてと言うとラケットを構え高い打点から早めのストレートをかます。
正面にいるのはもちろんメガネ。いい気味だね。
南ちゃんは俺が西狙いなのに気がついているからややセンター寄りのポジションになっており、しっかりとシャトルをこちらへ打ち返してくる。
ただコースはあまい。
完全なチャンスボールだ。
俺はラケットを構えスマッシュの体勢になる。
それを瞬時に察した南は後ろのセンターに下がる。
俺はもちろんそれを見逃す事なくコツンと軽くシャトルに触れ相手コート手前に落とす。
「っく!……やられたんですけど」
南は諦めるようにそのシャトルが落ちる様を見ていた。うんうん気持ちは分かる。
ほぼ南と俺のシングルスになってるね。どちらが相方のカバーを出来るかにかかっている。
「……ありがとうございます、新庄くん」
「ん、もーまんたい」
だが南は機敏に動き、俺が山口のカバーをすることを読みその裏をかいてくる。
と、同時に俺は無理してシャトルを取る気はない。
必要最低限プラスメガネに嫌がらせくらいの行為をしてるだけだ。
だから決して南ちゃんの胸を揺らすためにシャトルを高めに飛ばしている訳ではないのだ。
そして再びポイントが取られる。
歓声が一気に上がる。
俺たちがポイント取った時はシンとしてるのに。
これがモブキャラと主人公の差ですか。
「南ちゃんカッコいい!!そのまま勝っちゃえ!」
「スポーツ女子……さいこうですなぁ〜」
「あの影薄い二人組ちゃんと空気読んで負けてくれよ〜?お前らが勝つとこなんて誰も望んでないからな?」
うんうん、俺もそう思う。
よ〜し、その調子でいい感じに勝ってくれ〜。
俺たちが勝てば変に目立つだろうし。
飯抜きになるのは嫌だけど。目立つ方がもっと嫌だしね。
さらば俺のお寿司達。サーモンに海老に蟹……食べたかった。
そしてサーブは山口……。
もちろん相手のコートに届くことはなく二連続でポイントを失い1ゲーム取られてしまった。
よしよしこの調子で早めに退散しますか。
俺は結構頑張ってる感出てるしご飯抜きだけは勘弁してもらえるでしょう。
まぁ順位上げるチャンスではあるけど仕方ないね。
山口を見ると手前に落ちているシャトルを睨みつけるように数秒ただ見つめていた。
そして諦めるようにシャトルを拾い上げこちらに近づいてくる。
「ご、ごめんなさい……私……本当に運動苦手で」
うん知ってる。
「別にいいよ、気にしてない」
逆に山口がスポーツ得意だったら驚きだね。
いつも通り茶化そうかなとも思ったけど。
横目に山口の手に力がはいってるのが見えた。
ラケットのグリップを強く握りしめている。
きっと彼女は本気で勝ちに行っているのだろう。
だが俺はそうじゃない。
一応ギャラリーもいる為そこそこ勝負にはなってる感を出しつつ負ける。
だから現状はいい感じだ。
俺にとっては、だが。
想定外なのはメガネ(西)がサーブもレシーブも出来ないことかな。主人公ポジションなんだからもっと頑張れ。
あれがいなければもうとっくに負けてただろうし。
だから山口が負い目を感じる必要はない。
そもそも最悪のパターンを既に回避出来てるんだからこの試合は消化するだけ。
山口は結構真面目なとこあるからなぁ〜。
「大丈夫、俺はさっさと負けてここから逃げたいから、それに……」
俺はいつものおふざけで山口が納得してくれるかと思ったのだが。
隙間風が彼女の前髪を揺らす。
綺麗な髪の毛が靡く。
その奥に見えた瞳が勝ちをねらっているのが伝わってきた。
強く光っている。
勝ちたい。
負けたくない。
足を引っ張りたくない。
そう思っているのが伝わってきた。
疑問だったのは何でそこまでして勝とうとしているのか。
別に勝てなくたって問題はない。
俺はそこまで勝ちにこだわってはいない。
むしろ早く負けたいとすら思っている。
やっぱ他人の気持ちなんて理解出来ないなぁ。
根本的な考え方の違いは遺伝子レベルで植え付けられている。
だから俺が山口と同じ考えになっても同じ気持ちになる事はない。
何本も枝分かれした感情が全く同じになる事は無いのだから。
……どうするかなぁ。
ラケットをクルクルと手の中で回す。
俺は心の中で問いかける。
自分の中にある深い闇の部分に。
一歩間違えば俺は戻れなくなるくらい深い闇の部分。
誰しもが持っている負の感情。
マイナスなイメージ。
死への恐怖や生き甲斐。
それらを深く考える感覚に近い。
奥底に眠った自分の心。
暗闇の中、ドロドロに溶けた蝋がゆっくりと元の形に戻ろうとしている。
あれ?この感覚……前にも。
この蝋燭が元々どれほどの長さだったのかは分からない。
何故こんなにも暗いのか。
何故蝋が戻ろうとしているのか。
この感覚がなんなのかも分からない。
ただ昔の事を思い出しそうになる。
嫌な感覚だ。
ギャラリーの中から視線を感じた。
ほとんどの人が相手チームを見ている中で何故か俺見て笑っているような。
気持ち悪い。
キュッと心臓が締め付けられる。
全身から汗が噴き出る。
視界が揺れる。
ややふわっとした感覚にも似ている。
なんなんだろうこれ……。
「キャー!!北さんが見学しに来たわよ!!」
「まじかよ!東君もいるぞ!2人とも試験無事二勝したみたいだしこれで東西南北揃った、やっぱこの4人が最強だな!」
「北さん美人すぎないか?この間テイッターで写真見たけどリアルの方が綺麗とかヤバくね!?加工してる女とは違うな!」
その声で俺は正気に戻った。
呼吸はまだ乱れている。
回していたラケットをパシッと止め膝に手を当てる。
「だ、大丈夫?わ、私が新庄くんに負担を……」
隣にいる山口の声がやたら遠くから聞こえる気がした。
「大丈夫……やっぱ普段運動してないから堪えるね」
「ほ、本当にそうですか?汗もかなり出てます」
確かに額の汗が頬を伝ってポタリと落ちる。
俺は俯いていた首を上げる。
なんか奥で女子複数人にボコられてる男子いるけど女性のヘイトを買うような発言でもしたのかな?
それを無視して山口の顔を見る。
首を傾げ不安そうにしている。
確かに危うく意識が持ってかれそうになった。
けど少しずつ視界が広がっていく。
よし、これなら問題ない。
「うん、多汗症なんだよね」
「そんなレベルじゃないと思う……新庄くんが大丈夫って言うならならいいですけど、顔寄せてください」
言われた通り近くに寄せるとハンカチで汗を拭いてくれた。
柔らかい布の感触。
擦り取るんじゃなく優しくポンポンと何度も当てて額の汗を拭き取ってくれる。
背伸びをして一生懸命丁寧にやってくれているのが伝わる。
それほど酷い顔をしていたのかも。
スマホとか置いて来てるからうちカメで自分の顔が見れないけど山口以外は相手チームに夢中だしバレてなきゃいいや。
「ど、どうですか?少しは落ち着きました?」
「うん、ありがと」
その優しい人肌に触れ俺もなんだか暖かい気持ちになる。
けどやっぱ山口って。
「結構身長低いね?」
「……あとは自分で拭いて下さい」
ラケットを持っていない手に山口がハンカチを雑に渡して来た。
身長低いの気にしてるんだね。
そんなやりとりをしていると。
ギャラリー達が道を開け群れのボスが西と南の前に立った。
殆どの生徒があの四人組に釘付けになっている。
そんな中にも妙な視線が幾つかある。
まぁ俺には関係ないけど。
「北姉さん、お疲れ様です、東君も」
西がそう言う。ちょっと焦ってるの面白いね。
「北姉〜お疲れ〜、もう西くん運動出来なさすぎてちょー疲れたー」
東が南にポカリを渡すと勢いよくそれを飲んだ。いい飲みっぷりだね。
「し、新庄くん」
山口も俺に家から持って来た水筒を渡してくれた。
「飲んでください、なんだか小休憩みたいな雰囲気になってるので」
「いや……両手塞がってるから飲めない……山口飲ませて」
無言で水筒置いて距離置かれてしまった。
俺はそれを拾い上げ乾いた喉を潤す。
そして再び視線を周りと同じ方向へ向ける。
「2人とも頑張っているのね、試合は……ちょうどワンゲーム取ったところみたいね、いいじゃない」
北さんの声はとても綺麗だった。
だけど同時に少し怖くもあった。
余裕のある声。
自分に絶対の自信がある。
そして何よりサディスティクな瞳。
「ええ、北姉さんに恥をかかせるような無様な結果は見せられませんからね」
「頑張ってるのはあたしだけどね〜」
おちゃらけた感じで南がそう言うと北さんは口元に手を当て小さく笑った。
「南はいい子ね、東……このまま2人の試合を見ていくわ」
「……分かりました」
なんだこのよくある展開は。
この先の展開なんて小学校の道徳問題レベルだよね。
俺はそんな様子を見ながら大きく深呼吸した。
山口の方をチラッと見る。
落ち着け……余計なことは考えるな。
ただ山口の瞳が脳裏から離れない。
まだこの状況でも諦めていないのだろうか。
もう誰もが向こうチームを応援している。
ここで勝って山口に徳はないはず。
そうして2ゲーム目に突入した。




