第0話
この回は若干のシリアス要素があります。
苦手な方は読み飛ばしてもらっても問題ないですし後から読んでもらえれば、より物語に深く入れます。
どこにでも居る普通の家族。
そんなものに私は憧れていた。
お金持ちとか。
イケメンとか。
背が高いとか。
そう言ったスペックは別に求めてない。
もちろん能力が高い事に越した事はないけど。
普通に笑って。
普通に食事して。
普通に愛し合って。
だって普通って幸せでしょ?
でもそうね……ひとつだけ私欲を言うなら。
子供は多いほうが嬉しい。
育児は大変だけどそれはどこの家庭だって一緒。
普通に大変なんだから。
そんな私はとある男性と結婚することになった。
はじめは特に興味も惹かれなかったし意識することもなかったけど彼の努力している姿が人間味溢れていて好きになっていった。
彼は臆病で他の人より劣っている事を誰よりも分かっていたけどいつも笑顔と頑張りでそんなもの吹き飛ばしていた。
私はこれくらいの人を求めていたんだ。
特別じゃなくていいのよ。
彼の仕事はなかなか続かなかったけど私たちに子供が出来た。
それはもう可愛い男の子で私たちは凄く喜んだ。
私は何よりも子供を育てる事に憧れてた。
可愛くて仕方がなかった。
ちょっと異常って思われるくらいには愛してたわ。
だってこんなに可愛いんですもの。
この子が将来どんな人間になるのか。
そんな大きい事は考えてない。
初めて言葉を話せるようになる瞬間。
初めて一人で立てるようなる瞬間。
そんな他人にとっては大した事のない出来事でも自分の子供ならそれは凄く特別な瞬間に変わる。
それを想像している今ですら嬉しくてたまらない。
そんな私の想いが伝わったのか二人目もその2年後に産まれた。
その子も男の子であまり泣かない子だった。
更にその一年後に今度は女の子を産んだ。
私は幸せ一杯だった。
憧れていた暖かい家庭。
世間から見れば普通の家族。
何処にでもいる。
けど私は確信した。
ほらね?
普通が一番でしょ?
3人とも凄く可愛いの。
無邪気な笑顔。
嫉妬しちゃう長男。
物静かで賢い次男。
大泣きする長女。
みんな何をしても可愛い。
お金持ちとかじゃないけど私は凄く満足していた。
……私は。
それが間違いだった。
彼が苦労している事に気がついてあげれなかったのだ。
いつも笑顔を絶やさず寡黙だけど不思議と安心させるそんな笑顔。
その笑顔は気がつけば消えていた。
私はその事にすら気が付かない。
彼はもともと無口だったから。
一日会話しなくてもなんとも思っていなかった。
ただ子供達の小さな瞬間に感動していた。
一番上の子が5歳になった頃だ。
私は貧乏な事も気にせず工夫してボロい格安アパートを飾り付けし内装を明るくした。
こうしてちょっと工夫すればボロいのも気にならなくなるのだ。
「一番下の娘が5歳になったら私も働くから、あなたも頑張って」
私は帰ってきた彼にそう言った。
玄関に座り込む彼。
いつもより背中が丸まっているような気がした。
……きっと気のせい。
いつも見たいに笑顔で返事をしてくると思っていた。
何も言わない。
いつもより重い空気。
流れる沈黙。
そこから放たれる彼の言葉。
「咲……もう無理だ」
彼は硬い声でそう言った。
額に手を当て歯を食いしばる。
咲とは一体……。
誰かの名前?
あれ?彼ってこんなに老けてたっけ?
なんだか顔を見るのも久々な気がする。
それから彼はお酒を飲むようになった。
子供を産んでからは飲まなくなったのに。
でも彼のあの声が頭から離れない。
お金は厳しくなるけど……。
少しくらい逃げ道を通ってもいいはず。
それに私は長男が凄く優秀な事を保育園の先生に伝えられてそっちに気がいっていた。
私の子供が優秀。
なんでもない普通の私が産んだ子。
そんな子が何者かになれる。
膨らむ期待。
私立の小学校を勧められたがもちろんそんなお金もなく私的にも子供には自由に生きてほしい。
彼の事は頭の片隅にしか入っていなかった。
娘が5歳になった。
真ん中の子も凄く優秀だと先生に言われた。
もしかしたら私の遺伝子は優秀なのかも知れないと思い始めた。
この調子ならきっと長女も優秀に違いない。
私の子供は特別なんだ。
それが嬉しかった。
母親になって考え方が変わったのか。
それともただ自分に言い聞かせて普通が一番だと思わせていたのか。
分からない。
けどこの子達が特別な事には違いない。
きっと私が愛情込めて育てたからに違いない。
せめてもう少しお金があれば……。
そんなある日。
夫が壊れた。
少しずつ壊れていったのは気づいていたが私は見て見ぬ振りをしていた。
もう彼は子供ではないのだから。
三児の父親なのだから。
私は自分の子供で手一杯だったし。
相手にしている余裕もない。
だがそれももう限界だった。
彼にあの時の笑顔はない。
その代わりに独り言が凄く増えた。
何を言ってるのか私には聞き取れない。
一日に一言も話さない関係。
それが随分長い事続いてる気がする。
そんなの家族と言っていいのだろうか。
彼はまた仕事を辞めた。
呆れて何か言う気にもなれない。
はぁ……せめてもうちょっと普通の人だったら。
そう考えることが増えた。
普通ってなんなんだろう。
帰ってきて私には目もくれず子供達を睨んでいた。
目を細めて睨んでるんじゃない。
瞳孔は大きく開いてる。
歯はギリギリと音が鳴るほど食いしばっている。
瞳の奥は真っ黒で。
ぐるぐると黒いものが渦巻いている。
その光景を見て気づいた。
きっと彼が壊れた原因は私だ。
なら私を恨むべき。
だけど彼は子供達を憎んでいる。
もういい歳になっているが彼はまだ子供なのだ。
身体だけが大人になり自分より歳下と比較されるのを嫌っている。
出来の悪い父とは違い優秀な子供。
そしてそんな子供に私を取られたと。
そう思っていたのかもしれない。
私は彼に何も言えなかった。
彼もただ一言、大丈夫とだけでも言って欲しかったのかも。
そんなある日、彼の独り言が聞こえてきた。
「……せめて自殺する勇気さえあれば」
嗄れた声で彼が言う。
この時の私はどうかしていたのだ。
そんな事を聞いて私はため息を吐いてしまった。
優秀な子供達に囲まれすぎたせいだろうか……。
いや、そんな言い訳聞きたくもない。
特に二人目の子は優秀だった。
なんでもそつなくこなしこの歳で相手の気持ちが読めるのだ。
何をしたら喜ぶのか、相手の目線や表情も良く見ている。
この子供達を育てるのが私の仕事。
彼とは違って特別な子供達。
彼を相手にしている余裕なんてないのよ。
「ママ〜抱っこして〜」
長男なのに凄く甘えてくる。
それを指咥え羨ましそうに見る長女。
そしてそれをあやしてあげるよく出来た次男。
もう普通とは呼べない。
世界で一番幸せなの。
どんな家庭より。
どんなに金持ちな家族より。
特別なんだ。
この子達を育ててる私も。
そして事件当日。
二人目の子が熱を出してしまった。
私は急遽仕事をお休みして看病する事にした。
小学校なりたてで新しい環境に緊張でもしてしまったのだろう。
この子は特に敏感だし。
その日は彼も家に居た。
とりあえず仕事探しをしているみたいだがどうせ続かないと私も半ば諦めている。
もう正直言ってどうでも良かった。
でも離婚をしようとは思わなかった。
また前の彼に戻ってくれるんじゃないかと。
あの時みたいに必死で足掻いて普通になろうと頑張るんじゃないかと。
「お母さんお仕事は?」
「お母さんお休みしたから大丈夫よ」
二人目の子が鼻声でそう言った。
ボロボロの布団の中からちょこんと顔を出している。
この子はいつも眠たそうな目をしている。
そこも凄く可愛い。
掛け布団越しに優しく撫でる。
「お父さんもお休み?」
私の手が止まる。
その声は狭いアパートには良く響いた。
聞こえていたかは分からないけど。
もし聞こえていたなら自分より歳下にこんな事言われて恥ずかしいと少しは思って欲しい。
それに比べてこの子は本当に優秀。
自分の心配より私の心配をしてくれるんだから。
さすが特別な私の子。
頭を撫でようとすると身体が大きく揺れた。
息が止まる。
突き飛ばされたのだ。
何が起きたのか理解できなかった。
視界が大きく揺れる。
身体が熱くなっていくのを感じた。
「黙れ!黙れ!お前みたいになんでも出来るやつが一番嫌いなんだ!結局は産まれてすぐに分かるんだよ……俺は昔から駄目だった……笑っていれば良いことがある……そう信じてた!!何をやっても上手くいかない……社内では歳下より使えないと笑われてもううんざりなんだよ!無能な自分が嫌でただ一人信じていた人にも呆れられた!ただ歳をとって俺だけがどんどん置いていかれる……あぁ……あぁ!!」
嗄れた声で捲し立てるように彼はそう言う。
彼は髪の毛を強くむしり瞳孔が大きく開く。
まだ耳がキンキンする。
そんな目まぐるしい中でも行動はただひとつ。
私は咄嗟に息子に抱きついた。
その身体はすごく震えていた。
その震えは子供だけのものじゃない。
私も凄く動揺していたのだ。
この子は人の気持ちを良く理解する子だったしきっと彼が言った事も理解したのだろう。
寡黙な彼が出会って初めて自分の気持ちを話した。
不安や悩みに焦燥感。
全部一人で抱えていたのだろうか。
その後はよく覚えてない。
ガンガンと物がぶつかる音や叫び声の様なものが聞こえてた気もする。
ただ自分の子供を必死に守ろうとしてた。
震えた身体を強く抱きしめていた。
そして彼は居なくなった。
二人目の子は強いトラウマを植え付けられ目立つのを嫌がるようになった。
だが元が優秀なせいか根はまっすぐしている。
それでももう周りからは期待されなくなってしまった。
心を開く事はなく燃え尽きてしまった蝋燭のように灯を灯す事はない。
学校には行っていたが特に友達と遊ぶ様子もなくアニメを観ていることが殆どだった。
けどこの子はどんな状態になっても。
私にとっては特別だった。
何も知らない長男と長女は変わってしまった次男に心配と呆れが混ざっているようだった。
突然次男が変わり父親もいなくなった。
「「お母さん……」」
心配そうに私を見る子供達。
私はもう同じ事は繰り返さない。
一人でこの子達を育てるんだ!
「大丈夫……大丈夫だからね」
子供達の頭を撫でながらそう言った。
次男が見ていたテレビの音声が微かに聞こえて来る。




