不思議@21 マトリョーシカもびっくりな夢
自分は、繰り返す系の夢をよく見ます。半分くらいの夢は、何かをきっかけに、繰り返されます。反復は、記憶するのに大切なことと言うので、そういう繰り返される夢は、脳に残っていることが多いのかもしれないと思うのでした。
今日紹介するのは、布団から出たくないある平日の朝に見た夢の話。
布団から起きたと思ったのに、まだ布団の中にいたと言う夢。
皆さんも、経験があるのではないかと思います。
目が覚めて、
「起きなくちゃ!」と思ったけれども、
体が動かない夢でした。
部屋の襖や天井が見えています。
……目が覚めると、まだ布団の中にいて、
「起きなくちゃ」と思ったけれども、
体が動かない夢でした。
やっぱり、襖や天井が見えています。
……目が覚めると、やっぱり布団の中にいて、
「起きたいなぁ」と思ったけれども、
体が重い夢でした。
視界には、襖や天井が映っています。
……目が覚めると、またまた布団の中にいて、
「起きたいのになぁ」と思ったけれども、
かなしばりな夢でした。
目は開いているのか、閉じているのかは、わかりませんが、白い襖と茶色の天井は感じることができました。
目が覚めても、目が覚めても、布団の中。このまま、永遠に夢の中で目覚め続けるのかなぁ、と、思ったのですが、運よく、ふと起きることができました。
布団の中にいる夢を、夢中夢で見ていただけなのか、目は覚めていたけれども、金縛り状態になっていて体が動かないで、また眠りについてしまっただけなのか……
しかし、思い出してみると、たいてい、そういう目が醒めるのを繰り返す夢は、部屋の外に人がいる気配がしたり、透視しない限り見えるはずの無い場所を見たり、周りの気配とか、空気がなんかいつもと違う感じがするから……
……幽体離脱的な何かを、何回もしていたというオチだったら、イヤだなぁ。
なんで、そんなに、死にかけているの?無呼吸症候群なの?と言う感じで。
眠るたびに、死にかける。
人は死ぬとき、走馬灯のように人生の夢を見る。
もしかすると、自分は時々、夢の世界から黄泉の世界の近くまで行っているのではないかと思うことが、たまにある。
見覚えのある場所なのに、向こう岸まで渡ることができない川、車が多くて横断できない道路、入れないトンネル、越えられない空を覆う電線……「家」があると感じている「向こう側」にどうしても行けない夢。
それを渡ろうとすると、時間が巻き戻って夢が走馬灯のように繰り返す。あるいは、目が覚める。
そう何か境界的なモノに触れると、夢はそこで一度終わりを告げる。強制的に弾かれる。つまり、まだ、その時ではないと言うことなのかもしれない。
死へと旅立つとき、夢から黄泉へ向かうのだとしたら、自分は夢の中とは気づかないまま、死んだとは感じないまま、その記憶の扉をかき分けて、意識から消えてしまうのかもしれない。そう思うと、案外、死ぬときは何も疑問に思うことなく、安らかに受け入れそうだと思ってしまう。
眠りにつくことに恐怖は無いけれども、朝になっても目が覚めないかもしれないという恐怖を感じることがたまにあるのは、そういう繰り返す夢を見るせいかもしれない……
ちなみに、自分にとって、一番いやな夢だと思うのは、起きた後、朝ごはんやなにやらの準備をする夢。
起きた後、またしなくちゃいけないのが嫌なのです。しなくちゃいけないことを夢に見て、「あぁ、やりおえた」と思ったら、夢だったと言う絶望にも似た感覚。そういう夢ありますよね。
次は、色々知らされていない夢。主に学校の夢で、忘れ物をする、次の授業の教室がわからない、遅刻する……学生時代の体験したくない恐怖がそこには詰まっています。
こういう現実味あふれる恐怖の体験夢は、夢で体験しておくことによって、実際に起きたときのための耐性をつけておくために見るのか、実際に起きなくてよかったと安心するために見るのか、わかりませんが、夢はココロの不安を、時にあらわすとは、よく言ったものです。