不思議@19 人は、考えたとき、葦になる。
自分は、ある程度まで、作品が完成してくると、湧き上がる気持ちがあります。
それは、死への恐怖。
人間はいつ死ぬか分からないので、その作品が完成する前に死んだら、嫌だなと思うようになるのです。
明日、目覚める時に、心臓は動いているのか。
大地震が起きて、 建物の下敷きになってしまうことはないのか。
道を歩いているとき、自動車がこちらへ向かってくるかもしれない。
次の瞬間に、自分は生きて いることが出来るのか。
せめて、完成するまでは、死なないでいて欲しいと、願うのです。
その時しか感じない、生きていると言うことの危うい存在。
生と死のゆるやかな境界のあいまいさに、畏怖するのです。
唯一、生という欲に執着する時期。
自分を一個の生命体としての存在を認めてしまうのです。
でも、その死への恐怖に対するストレスは、結構役に立っています。その恐怖を消化して、ストレスを昇華し、それを打ち払うために、最後まで書き上げようと努力する。ちょっとストレスがあったくらいのほうが、良い作品が書けるような気がするのです。
作品をひとつ完成させれば、生も死も意識から消え去って、自分の存在と言う概念も全て世界に溶け込んで、自分自身と全てという境界も、あやふやにすべてひと括り。あの不安や恐怖は、どこへやら。再び、寝て、食べて、生活するいわゆる日常のサイクルの繰り返し。
ちょっと、哲学的になっちゃうけれど、自分と他のモノとの境界線は、どこにあるんだろうね。自分の意識が認識するときにだけ、思考に現れる……自分の存在する感覚、自我という不思議な認識。
そんな不思議な、普段は存在しないモノ。