高校時代・部活の先輩のMさんが、ボクの腕を掴んで
今回の話は、高校一年の――おそらく、夏休みでしょうか?
部活をしていて、かなり長い自由練習の時間が出来たのですが、実質的に何もやれないような状態。
ボクも暇をもて余していたところ、女子の輪の中で、Mさんがわざとらしく嘆いていました。
「なんで誰も来てくれないのー? みんな薄情だよー」
どうしたのだろう?
そう思ってボクがM先輩の方を見ていると、M先輩はボクの方に愚痴りにきました。
「ねえねえ。私、今日帰りに親戚のおばさんに荷物を届けなくちゃいけなくてさ。
部活が暇だから今のうちに行こうと思ったんだけど、誰も付き合ってくれないの!
バス代も出すって言ってるのに」
「え? バス代を?」
珍しいことをするな、とボクは思いました。
当時、駅前に飲み物の安いスーパーがあったのですが、男子はほぼ全員がコンビニか自動販売機でペットボトルを購入。女子でも、スーパーで買う人は少なかったのです。
ボクが先輩に付き合ってスーパーに行ったとき、同じ制服の男子に会ったことは一度もなく、女子も数回。
その、節約するべきところは節約する先輩が、バス代を出すと言ったわけで。
「先輩、よっぽど一人で行きたくないんですね」
「だって、一人でバスに乗るの暇なんだもん」
M先輩のこの言葉、今の若い人にはあまりピンとこないかもしれませんね。
しかし、その頃はスマートフォンなんてありません。まだPHSと携帯電話で、OB・OGの人は稀にポケベルを解約せずに持っているという、まあそういう感じです。
液晶がまだカラーじゃなかったりするし、ゲームもほとんど出来ないのです。しかも、画像付きのミニゲームや占いをちょっとやった程度でパケット料金が数百円かかりました。
じゃあメールをすれば良いと思った人がいるかもしれませんが、初期のPHSのメールは、一通十円で二十文字しか書けません。携帯電話のメールもまだまだ文字数制限が厳しく、普通に文章を送り合うと高くつきます。みんな、半角カタカナや略称を多用し、パズルのようにメールを添削していました。
また、バスや電車の中だとメールの受信に失敗することが増えて、そうなるとセンターに問い合わせしなくては受け取れません。返事がないなと思ったら、実はもうとっくに返信されていて、焦ったり気まずかったり……。
そういった理由があって、暇だからといって、バスの中で気軽にメールやゲームをするわけにはいかない時代だったのです。
だから、バスに一人で乗るというのは、相当に退屈なものでした。
「じゃあさじゃあさ、たい焼き付けるから来てよ。それでもダメ?」
M先輩は諦めきれないようで、女子に再び呼び掛けました。
しかし、部員のみんなは基本的にインドア派。歩くことがあまり好きじゃないのです。部活が終われば大半はそのまま帰宅。
仲は悪くないのに、部活のメンバーで近くの名所の花見にすら行ったことがありませんでした。
M先輩は待遇をさらにアップして、最終的にたこ焼きを半分付けると言いましたが、誰も同行しようとはしません。
「ボク、いっしょに行きましょうか?」
なんだか放っておけず、先輩に聞いてみました。
すると、M先輩はビックリした顔を見せました。
「キミ、バスはダメじゃん」
先輩は、ボクがバス酔いするのを既に知っているので、ボクを誘わなかったのです。
「でも、ここにいても暇なんで」
これは半分は本心ですが、半分はウソでした。M先輩に日頃の恩返しがしたかったのです。
「それにボク、数時間とかじゃなければ、酔わない方が多いですよ」
「あ、全然すぐ。三十分とかだと思う」
「じゃあ大丈夫ですよ」
「本当?」
M先輩はボクのウソに気付いていたのか、なんだか納得いかないような顔をしていました。
しかし、他に候補がいるわけでもなく。
「まあ良いや、私が酔うわけじゃないし」
と、結局ボクを連れていくことにしました。
校門を出て、少し経った頃。
「あ、みんな見送りしてくれてる!」
校舎の窓を見て、M先輩がそちらに向かって手を振りました。
どうやら、ボクらを見送りながら、女子部員が手を振っていたようで。
ボクは気恥ずかしくて、どう反応したら良いのか分からずモジモジしていました。
すると、M先輩がボクの腕を掴んで、勝手にボクの手も振ってくれたのです。
M先輩はずいぶん嬉しかったみたいで、みんなが見えなくなるまで頻繁に窓を見ていて。
先輩が窓の方を見るたびに、ボクは先輩の横顔を盗み見て微笑みました。
・次回に続きます