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8. 醸造町ヘルトニッヒ

 醸造町ヘルトニッヒには、三泊ほど逗留することにした。

 何とも幸運なことに、ちょうど春の収穫祭が始まるところだった。出店も多そうで、アンジーは大喜びだ。宿を定めた後は、さっそく情報収集を始める。


 到着した日の夕食は、宿屋でとった。

 その夕食時にアンジーは、集めた情報を旅の同行者たちに披露した。


「ここのお祭りは、明日から三日間ですって。最終日の午後は、村の中央広場で踊り比べがあるらしいよ。若い人はだいたいみんな参加するって聞いたから、シモンさんも一緒に行ってみない?」

「踊り比べに?」

「うん。もしヒルデさんがここの人なら、お祭りにも出てそうでしょ」

「なるほど。行ってみよう」

「うんうん」


 翌日の午前中、アンジーとミリーはシモンたちとは別行動をとることにした。

 シモンたちはヒンメル商会の本店を訪れ、ヒルデ嬢の情報が得られないか問い合わせる予定だ。それにアンジーたちが付き合う理由はないので、別行動で祭りを楽しむことにする。


「シモンさん、これをどうぞ」


 アンジーは小さな紙片をシモンに手渡した。いぶかしげにシモンが受け取った紙片には、簡単な手書きの地図が描かれている。


「さっき宿の娘さんに、ヒンメル商会の本店の場所を教えてもらったんです。ヒルデ嬢が見つかるといいですね」

「おお、ありがとう」


 食堂で忙しく給仕して回っている娘と視線が合うと、宿の娘は頬を染めてはにかむように微笑み、会釈した。それに対してアンジーは人なつこく笑みを浮かべ、小さく手を振って挨拶を返す。

 その様子を見て、シモンはうらやましそうに嘆息した。


「アンジーは女の子に人気があるよねえ」

「え? 別にそんなことありませんけど」


 なぜ突然そんな感想が出てきたのかわからず、アンジーはきょとんとする。


「今だってほら、娘さんが会釈してったじゃない」

「ああ。それは、さっきおしゃべりしたからですよ」


 単に顔見知りというだけなら頬を染めたりはしないものだが、アンジーにはそこがわかっていない。その全然わかってない様子にシモンは苦笑し、ミリーに向かって眉を上げてみせた。


「きみの弟さんは、罪な男に育ちそうだよ」

「この子は天使なので、心配いりません」


 ミリーは動じることなく笑顔で言い切った。それを見てシモンは笑い声を上げたが、少ししてから大人の顔を見せてアンジーに忠告した。


「そうそう。天使なアンジーは、村はずれにある宿屋つきの酒場には近づいちゃいけないよ」

「はい。でも、どうして?」

「うん、まあ、何と言うか、あまり柄のいい場所じゃなくて危ないからだよ」

「いや、危ないっていうか────うっ……!」


 歯切れ悪く説明するシモンの言葉にかぶせるように、よけいなことを言いかけたユリスは、テーブルの下でミリーからすねを蹴りつけられ、隣のシモンからは痛烈なひじ鉄を見舞われていた。シモンは疲れたような顔でユリスに「頼むからお前、ほんと黙っててくれよ」と耳打ちする。


 アンジーは気の毒そうに眉尻を下げ、ユリスには何も尋ねることなく宿の娘を呼んで、しゃっくり対策用の水を注文した。


 シモンが具体的に説明することを避けた「村はずれにある宿屋つきの酒場」とはすなわち、酌婦のいる酒場という意味である。だが、間違いなくアンジーは酌婦が何だか知らない。だからシモンは説明したくなかった。酌婦とは、その名のとおり酒場で酒をつぐサービスをする女性のことなのだが、往々にして酌をするだけでは終わらないため宿屋がついているわけだ。


 酌婦という職業名に触れずに説明されたアンジーは、聞かされた言葉から独自の解釈を導き出して納得した。


「つまり、家に帰れなくなるほど飲み過ぎる人ばかり集まる酒場ってこと? それは確かに近づきたくないなあ。教えてくれてありがとう、シモンさん」

「どういたしまして」


 シモンは大人の笑顔を浮かべて、愛想よくうなずいた。

 その日は翌日に備え、夕食もそこそに切り上げて早めに休むことになった。


 翌日、アンジーは朝からそわそわしながら元気いっぱいだ。

 屋台で買い食いする気満々で、朝食は抜いている。


 とはいえ、いくら祭り中でもそうそう朝から屋台が営業しているわけがない。早朝から店を開けているパン屋で焼きたてのパンを買い、村の中央広場を歩きながらかじった。パン屋では、酒のつまみになりそうな塩気の強いものの品揃えが多い。そんなところが、いかにもワインの町という感じで面白い、とアンジーは思った。


 アンジーが今かじっているのも、塩味のパンだ。細長い生地を結び目のように形作って焼いたパンで、表面にザラメ状の塩粒が飾り付けられている。


 ヘルトニッヒは醸造町と言っても、シュラウプナーのような賑やかさはなく全体的にのんびりしていて、町というよりは村である。一応、村の中央広場の周辺に店が集まってはいるものの、繁華街というほどの規模ではない。


 アンジーはミリーと一緒にパンをかじりながら村の中を歩いて回り、どんな店があるのか確認した。

 アンジーの家の商会の支店は、ヘルトニッヒにもある。広場から少しはずれたところに、商会の看板を見つけた。外から見た感じでは、店というよりは倉庫つきの事務所といった雰囲気だ。もともと小売りではなく卸問屋が主軸の商会だから、主に買い付け用の店なのだろう。

 うっかり顔見知りと鉢合わせしたら困ったことになるので、足を止めずに通り過ぎた。


 歩き回っているうちには、あちこちで店開きが始まる。

 アンジーとミリーは中央広場へ娘たちの踊りを見に出かけた。祭りの初日に、収穫を祝う踊りを若い娘たちが披露するのだと言う。前日、宿の娘が「自分も参加するから、よかったら見に来てほしい」と、時間と場所を教えてくれたのだ。


 開いた店を覗いては買い食いしたり、店主から祭りの催し物について話を聞き出したりしながら中央広場へ向かうと、すでに踊り手の娘たちが集まっていた。そろいの衣装がかわいらしい。宿の娘を見つけたアンジーが手を振ると、それに気づいた彼女はぱっと顔を輝かせた。


 娘たちだけの踊りは、ゆったりとした音楽に合わせた優雅な動きだ。彼女たちはそれぞれ春らしく明るい色彩の、色とりどりの幅広のリボンを手にして、それを揺らしながら踊る。広場の中央に二重の輪を作り、内側の輪と外側の輪で逆方向に進みながら踊るのだが、輪の大きさがときどき変わり、内側と外側が入れ替わるのが面白い。


 踊りが終わると、大道芸人や吟遊詩人たちが入れ替わりで芸を披露し始めた。

 二、三か所に分散して、同時平行で興行が行われるので、とても賑やかだ。

 吟遊詩人が美声を張り上げてしっとりとした恋の歌を歌っている横で、手に汗握る曲芸を披露する芸人に対して大きな歓声が上がると、少しだけ吟遊詩人が気の毒になったりはする。


 ひとしきり興行を楽しんでから宿に戻ると、シモンとユリスはまだ戻っていなかった。

※酌婦の職務内容に関する質疑、感想はご遠慮ください。世界平和のため、それは胸のうちに秘めたままにしておきましょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 酌婦あるある…!そしてナイス解釈。間違ってはいない。 自分が男装してても女子だと思ってるから、女の子には友達感覚で優しく扱うところ、罪深いけどときめくよなぁ…!!若い娘が花持って踊るだけでも…
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