4. 一歩の差
出発が早朝だったおかげで、港町シュラウプナーにはまだ日が高いうちに到着した。
到着して最初にするのが、宿探しだ。
宿探しは、思ったより難航した。どこも満室なのだ。
王都の春祭りが終わった翌日のため、どうやら王都から地元へ戻ろうとする人々で埋まっているらしい。そうした人々は、王都へ向かう道すがら宿泊したときに、帰りの分を予約しておくことが多い。
だから予約なしに訪れた場合、この日に限っては空きが非常に少ないのだった。
数件の宿屋を回った末、やっと部屋に空きのある宿屋が見つかった。
二つ部屋をとり、前金を支払って部屋の鍵を受け取っていると、宿屋の入り口のほうから「えええ……」と悲鳴にも似た悲痛な声が聞こえてきた。
アンジーが振り返って見ると、それは男の二人連れだった。
二人とも長身だが、片方はひょろっとしていて、もう片方はがっしりした体格だ。面白いことに二人そろってヒゲづらだった。
ひょろっとしたほうが懇願するように宿屋の亭主に話しかけている。
「どんな部屋でもかまいませんから、空きはありませんか」
「最後の空き部屋が、さっき埋まっちゃったところなんですよ。申し訳ないが、ほかを当たってください」
男はがっくりとうなだれてしまった。
「ここが最後の宿だったんです。もう野宿するしかないのか……」
話の流れから察するに、アンジーたちのとった部屋が最後の二部屋だったようだ。
アンジーは男たちが気の毒になった。ほんの数分の差で、もしかしたら彼らと逆の立場になっていたかもしれないと考えると、とても他人事のようには思えなかった。
アンジーがミリーに「一緒のベッドでもいい?」と耳打ちすると、彼女は意図を察して即座にうなずいた。
とぼとぼと宿屋を出て行こうとする男たちの背中に、アンジーは声をかけた。
「ちょっと待ってください」
ひょろっとしたほうの男が怪訝そうな表情で「何ですか?」と振り返った。
「ひと部屋だけでよければお譲りできますけど、どうでしょう?」
「でも、そんなことをしたらきみの寝る場所がなくなってしまうんじゃないの?」
「そのときは、僕は姉さまと一緒に寝るから大丈夫です」
そこへ、二人のやりとりを聞いていた宿屋の亭主が横から声をかけた。
「ああ、坊ちゃんたちは姉弟でしたか。部屋にベッドは二つあるから、ひとつの部屋でも別々のベッドでちゃんと休めますよ」
アンジーが男に向かって問いかけるように首をかしげてみせると、彼は肩から力を抜いて礼を言った。
「本当に助かります。ありがとう。お言葉に甘えるよ」
宿屋の手続きをやり直し、あらためて鍵を受け取ったところで、ひょろっとした男がアンジーに右手を差し出しながら声をかけてきた。
「私はシモン、連れはユリスと言います。本当に助かりました。どうもありがとう」
「どういたしまして。僕はアンジー、こちらは姉のミリーです」
アンジーはシモンと握手を交わし、自己紹介を返した。ひょろっとしたほうがシモン、がっしりしたほうがユリスらしい。アンジーと握手したシモンの手はすべらかで、労働者階級の者ではないことが見てとれた。
二人とも旅装だが、なかなか仕立てのよい服を着ている。ただし仕立てはよいものの、何と言うか、どうにも野暮ったい。
シモンはミリーに目礼してから、アンジーに尋ねた。
「せめてものお礼に夕食をご馳走したいんだけど、都合はどうかな?」
アンジーはミリーを振り返って、目顔で問いかける。ミリーは微笑んでうなずいてみせた。
「では、お言葉に甘えます」
「時間は六時くらいでどう?」
「はい」
男たちといったん別れ、自分たちの部屋へ向かう。アンジーとミリーの部屋は、屋根裏だ。
男たちに譲ったほうが二階奥の部屋で、そちらのほうが一般的にはよい部屋と言われるのだが、広さは屋根裏の部屋のほうがある。ただし屋根裏の部屋は広いかわりに天井が一部低くなっていて、長身の男たちには不都合がありそうだと思い、二階の部屋を譲ったのだった。
部屋は簡素だが清潔で、居心地は悪くなさそうだ。
大きな張り出し窓があるため、屋根裏といっても室内は明るい。アンジーは張り出し窓から身を乗り出して、歓声を上げた。
「わあ、いい眺め。ほら見て、ミリー!」
「海がきれいですね」
「ね」
部屋の窓はちょうど海側に面していて、港の風景が見渡せた。
ミリーは、はしゃぐアンジーを見て口もとをほころばせた。
アンジーは王都育ちで、地方に出たことがない。王都にも港はあるが、あちらは基本的に大型の交易船ばかりが停泊している。ここシュラウプナーの港は王都の港とは違って、半ば漁港となっているため趣きがだいぶ違っていた。
そうこうするうちに時間になり、二人は階段を降りて待ち合わせ場所である宿屋の入り口に向かった。入り口には、すでに二人の男が立っている。
「お待たせしました」
「こちらも今来たところですよ。さあ、行きましょうか」
シモンは宿屋を出ると、先に立って歩き始めた。アンジーとミリーをはさんで、その後ろからユリスが歩く。アンジーが腕を差し出すと、ミリーは面白がっているような視線をちらりと向けたものの、何も言わずにエスコートに応じた。
町の中心部に向かって少し歩き、あまり庶民向けには見えない高級そうなレストランに案内された。
「さっき宿屋の主人に教えてもらったんだけど、このあたりで一番、郷土料理のおいしい店だそうです」
郷土料理と聞いて、アンジーは目を輝かせる。
事前に予約してあったようで、すぐに奥の個室に通された。
席に着くと、アンジーはわくわくと期待を隠しきれない顔でメニューを眺める。
どうやらアンジーには、お目当ての料理があるようだ。
「『船乗りの雑炊』って呼ばれる料理が有名だと聞きました」
「ああ。それは下町の居酒屋みたいな店で出す料理だから、ここではちょっと難しいと思います」
「そうなんですか。それは残念」
「あれはひと皿でお腹がいっぱいになっちゃうからね。それより今日は、せっかくだから少しずつたくさん種類を食べてみたらどうでしょう?」
「はい、そうします!」
メニューの相談をしている間に、お互い少し打ち解けてきたようだ。
食欲に忠実なアンジーを、ほかの三人は微笑ましく見守っていた。