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3. 港町シュラウプナー

 翌朝アンジェリカは小間使いのミリーただひとりを伴って、裏口から静かに屋敷を出た。

 誰にも顔を合わせることなく、首尾よく出発できた。


 大通りで辻馬車を拾い、目指すは北の港町シュラウプナー。

 魚料理で有名な町だ。王都からは馬車で一日ほどの距離にある。


 のんびり馬車に揺られながら、アンジェリカとミリーは打ち合わせをする。


「ねえ、ミリー」

「何でしょうか、お嬢さま」

「このなりで『お嬢さま』と呼ばれたら具合が悪いわ。名前で呼んでちょうだい」

「お名前もそのままだと具合が悪そうですが、いかがいたしましょうか」


 確かに「アンジェリカ」は女の子にしかつけない名前だ。

 アンジェリカは少しだけ首をひねって考えてから答えた。


「アンジーにしましょう」

「そのまんまじゃありませんか」

「だって、名前を呼ばれたときにとっさに反応できなかったら困るじゃない?」

「それはまあ、確かに」


 最初は呆れた顔をしていたミリーも、理由を聞いて納得したようだ。

 それからしばらく二人とも外の景色を眺めていたが、やがてミリーがもうひとつの問題点を指摘した。


「お嬢さま、ひとつ決めておいたほうがいいことが────」

「アンジーよ、ミリー」

「アンジーさま」

「なあに?」

「未婚の男女の二人旅というのも、世間体を考えるとよろしくありません」

「言われてみれば、そのとおりね。じゃあ、夫婦ということにしましょうか」

「無理です」


 出した案を即座にミリーに切って捨てられたアンジェリカ────改めアンジーはちょっといじけた。


「こんな夫じゃ頼りない……?」

「頼りないかどうかの問題ではなく、未成年にしか見えないからです。私を『いたいけな少年を夫にした非道な女』にしないでくださいませ」

「わかった。じゃあ、兄妹ということにしましょうか。『兄さま』って呼んでちょうだい」

「無理です」


 またしても即座に切って捨てられ、アンジーは完全にいじけてしまった。


「どうせ頼りになりませんよう……」

「だから、頼りないかどうかの問題じゃないんですってば。ちゃんとお聞きになってました?」

「聞いてた」


 ふてくされた顔をしてすねているアンジェリカに、ミリーは苦笑した。


「アンジーさまは未成年の少年にしか見えないんです。一方、私は年齢どおりの見た目ですから、私のほうが年長でないと不自然なんですよ」

「むう……。二歳しか違わないし、童顔のくせに……」


 しばらくすねたまま外の景色を眺めていたアンジーだが、ミリーの指摘が妥当なものであることは、頭の中では理解していた。アンジーは小さくため息をつくと、ミリーの指摘を受け入れた。


「わかった。弟でいい」

「はい」


 安堵したように微笑んでうなずいたミリーに向けて、アンジーは少しばかり意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「ただし」

「ただし?」

「こっちが弟なら、『アンジーさま』はおかしいでしょ」

「う……」


 正論の指摘に、今度はミリーが言葉に詰まった。


「ちゃんと『アンジー』って名前を呼んでよ。ほらほら」

「うう……」


 形勢逆転である。すっかり機嫌を直したアンジーは、困って口ごもるミリーに楽しそうに詰め寄る。ミリーはうるんだ瞳でしばらくアンジーを見つめていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「アンジー」

「なあに、姉さま?」

「うっ……。こんな美少年に姉さまと呼んでいただけるとは。このミリー、もう一生ついてまいります」


 妙なところに感激しているミリーに、アンジーは吹き出した。


「うれしいけど、一生なんて言わずにいい人を見つけてちゃんとしあわせになってちょうだい」

「大丈夫です。すでにいつ死んでも思い残すことがないくらい、しあわせです」

「おかしな境地に魂飛ばしてないで、もどってきてー!」


 しばらくそうしてふざけあっていたが、ふとミリーは笑みを消して真剣な顔つきになり、次の町での注意事項をアンジーに話し始めた。


「今向かっているのは、北の港町シュラウプナーです」

「うん。魚料理のおいしい町!」

「そうですね。でも、今お話ししたいのはそこじゃなくて。港町って、王都と比べると治安が悪いんですよ」

「へえ」

「だから絶対に、絶対に、絶っ対にひとりで知らない場所へ行ったりしないでくださいね」

「はい、姉さま」


 アンジーが素直にうなずいたのを見て、ミリーは頬をゆるめた。


「『世界で最も罪深い一区画』なんて言われてる、危険な場所まであるんですよね……」

「なにそれ面白そう」

「アンジー!」

「ごめんなさい」


 つい名称に興味を引かれてよけいなことを口走ったアンジーは、本気で怒った目をしたミリーに叱りつけられ、思わず反射的に首をすくめて謝罪の言葉を口にしていた。


「でも、何がそんなに罪深いの?」


 叱られてもなお興味津々なアンジーに、ミリーは「うーん」と眉根を寄せながら、どう説明したものか思案する。


「たとえばアンジーみたいな美少年が護衛もつけずに迷い込んだら、あっという間にさらわれて奴隷にされちゃうような場所ってことです」

「え、こわっ」


 実のところ「世界で最も罪深い一区画」とは、シュラウプナー市内にある歓楽街のことだ。

 シュラウプナーは港町であり、港町とはすなわち船の出入りする町のことであり、船が出入りすれば当然、乗組員である船乗りたちが町を訪れることになる。そうした船乗りたちに需要が高いのが、歓楽街だ。そして歓楽街につきものなのが、娼館である。しかし娼館などという場所は人身売買で成り立っているようなものだから、治安のよい場所であるわけがない。


 シュラウプナーの歓楽街は、ほかのどの港町に比べても多種多様な娼館が取りそろえられていることで知られている。そこが「世界で最も罪深い」と言われるゆえんなのだ。


 しかしミリーは、箱入り娘のアンジーにそうした詳しい説明をするつもりはなかった。

 とにかく「絶対に近寄ってはいけない、こわい場所がある」ということだけ理解してくれれば、それでよかった。娼館の多様性について具体的な説明を求められても困るし、無垢なアンジーには聞かせたくもない。


 いくらか青ざめて口もとを引きつらせているアンジーの表情を見て、脅しがきちんと効いていることがわかったミリーはほっと安堵のため息をつき、小さく笑みを浮かべた。

※娼館の多様性に関する質疑、感想はご遠慮ください。世界平和のため、それは胸のうちに秘めたままにしておきましょう。

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