23. 王都
伯爵邸にのんびり三泊ほどした後、王都に戻ることになった。
ただしこの旅は、これまでと違って伯爵夫妻も一緒だ。二台の馬車に分かれて乗り、騎馬の護衛も二名つく。伯爵夫妻が同行する理由はもちろん、アンジーの両親に正式に婚約を申し込むためだ。夫妻の乗る馬車が別に一台追加される形なので、アンジーたちの馬車はそれまでの旅と顔ぶれが変わらない。
伯爵夫妻は王都との間を行き来する際にいつも利用する馴染みの宿屋があるようで、宿探しをすることもなく、どの町でもまっすぐ目的の宿屋に向かう。それまでの旅に比べると、宿の部屋も上質だった。
王都へ向かう旅路ではもう、アンジーは食べ歩きにはこだわらない。彼女の食べ歩きの旅は、マンデルブルクを終点として終わったのだ。約束どおりチーズづくしの料理を振る舞われて、十分以上に満足した。
王都に到着すると、シモンはまずアンジーとミリーを両親のもとに送り届けた。
アンジーの父はシモンに深々と頭を下げて、礼を言った。
「もう何とお礼を申し上げてよいかわかりません。娘たちを保護してくださり、本当にありがとうございました」
「いえ。こちらこそ家出とは知らず、ご連絡が遅くなり申し訳ありませんでした」
「とんでもない! 謝っていただくようなことは何もございません」
シモンが礼に対して謝罪を口にすると、アンジーの父はあわてて首を横に振った。
次いでシモンは居住まいを正すと、忘れてはならない本日一番大事な挨拶を口にした。
「手紙でも触れましたが、近々両親と一緒にご挨拶にまいりたいと思います。その節はどうぞよろしくお願いします」
「ありがたいお話です。こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます」
シモンはアンジーの父と挨拶を交わすと、王都内にある伯爵邸に引き上げて行った。
アンジー────改めアンジェリカにとっては、ひと月ぶりくらいの我が家だ。
まずは旅行用の男装を解き、久しぶりに女性用の衣服を身にまとった。しかし、そこでのんびり休むことは許されない。この後に待っていたのは、両親と兄による説教だった。実を言うとミリーがこっそり手紙で定期連絡をしていたため、アンジェリカの行動はほぼ両親には筒抜けだったのだが、それはそれ、これはこれである。
勝手に家を出て連絡もしなかったことについては、アンジェリカもまあ、叱られても仕方のないことと思うのでおとなしく説教を聞いた。
しかし彼女にだって言い分がある。
両親と兄たちの小言をひとしきり受け止めた後、静かに口を開いた。
「ところで父さま、婚約はどうなりましたか?」
「あ、ああ、あれな。あそこまで言われたら解消しないわけにいかないだろう」
「無事に解消できたようで、安心しました」
アンジェリカがそのまま黙っていると、父は小さくため息をついてから頭を下げた。
「つらい思いをさせて、すまなかった。彼があんな男と見抜けなかった私の責任だ」
「わかってくださったなら、それで結構です」
父の謝罪を受け入れたアンジェリカはしかし、父の言葉にくすっと笑ってしまった。父は肝心なところがわかっていない。
「ただね、ローマンには腹が立ちましたけど、別につらい思いはしてません」
「そうなのか?」
「そうですよ。もともと好きでも何でもないし、この機会に婚約解消できたなら万々歳です」
そう、アンジェリカは別に婚約解消に傷ついたりはしていない。ただ単に、婚約者だったはずの男が彼女の陰口を叩いていたことが腹に据えかねただけだ。
アンジェリカの言葉に、父はあっけに取られたような顔になった。
「お前は彼が好きだったわけじゃないのか」
「え、何だってそんな勘違いしたんですか」
「いや、だって。いつも元気なお前が、彼の前ではやたらはにかんでうつむいてたじゃないか」
アンジェリカの目が据わる。
「はにかんだ記憶がありません。一応それなりに取り繕う努力はしましたが、苦手な相手なのでどうしたって会話は弾みようがありませんでしたね」
「苦手だったのか⁉」
「はい」
父はアンジェリカの返事を聞いてがっくりと肩を落としてうなだれ、母と兄は呆れたような視線を父に向けた。どうやらローマンとの婚約は、父の勘違いによる暴走が原因だったらしい。
シモンはこの数日後、本当に両親とともにシュニッツ家を訪れた。そして正式にアンジェリカとの婚姻を申し込み、その場でそれは受け入れられた。
婚約者となったアンジェリカとシモンは、互いの屋敷に招き招かれ、交流した。
貴族に嫁ぐことになるアンジェリカは、花嫁修業として伯爵夫人から貴族のしきたりを学ぶため、近いうちに伯爵邸で暮らす予定になっている。もちろんそのときはミリーも一緒だ。
そんな中で、ある日アンジェリカに思いがけない来客があった。ローマンだ。
風のうわさで、あのとき一緒にいた女は結婚詐欺師だったと聞いている。
商人が詐欺師に引っかるなんてとんだ笑いぐさだが、ローマンにはよい薬になるだろう。何にしても、もうアンジェリカには関係のない話だ。興味もない。
だがアンジェリカに謝罪したいと言うので、会うことにした。たまたまシモンが家を訪れていた日だったので、シモンも同席した。シモンは、クライスベルクでアンジェリカが選んだ布を使って仕立てた服に身を包んでいて、以前とは見違えるようにあか抜けている。
応接室に通されたローマンは、憔悴した顔をしていた。アンジェリカがシモンとともに部屋に入るとソファーから立ち上がり、深々と頭を下げて謝罪した。
「失礼なことをして、本当に申し訳なかった」
「もういいですよ。終わったことだし」
アンジェリカは苦笑して謝罪を受け入れる。
彼女のほうも、せっかくの機会なので気に掛かっていたことを謝っておくことにした。
「私も、あのときは叩いたりしてごめんなさい。いくら失礼なことを言われたからって、暴力はいけませんよね」
「いや……」
立場上、同意するわけにもいかず、ローマンは居心地悪そうに目を伏せた。
「それに、私があなたに気があるみたいに父が勘違いしたのが、婚約の原因だったようですから。もうお互いさまということで、終わりにしましょう」
邪気のない笑顔でそう告げたアンジェリカは、無邪気に「そもそも私が好きなのは、清潔感のある人なのにねえ」とつぶやいた。それを聞いてますます顔色を悪くしたローマンを見て、シモンは小声で「アンジー」と名前を呼んでたしなめる。
「あ、ごめんなさい。別にあなたが不潔だなんて思ってるわけじゃなくて、性格の話です。シモンさんみたいな、さわやかな人柄に惹かれるっていう意味でした」
「アンジー。もうそれくらいにしてあげて……」
失言の埋め合わせをしようとして逆に傷口を押し広げた上にぐいぐい塩をなすり込んでいるアンジェリカを、シモンは苦笑いしながらとめた。ローマンは死人のような顔色をして、もう一度深々と頭を下げて謝罪してから帰って行った。苦労知らずだった彼も、ご自慢の容姿だけでは世の中を渡って行けないことを学びつつあるのだろう。
窓の外に見えるその後ろ姿に、シモンは感想を口にした。
「話には聞いていたけど、すごい美青年だね、彼」
「そうですか? 私はああいう、自己愛が表情ににじみ出ちゃう人はちょっと……」
アンジェリカが心底いやそうに顔をしかめるのを見て、シモンは声を上げて笑った。
シモンの笑い声につられるように、アンジェリカも笑みを浮かべる。
「でも彼には、ひとつだけ感謝していることがありますよ」
「何ですか?」
「おかげでシモンさんとひと月もの間、一緒に旅ができました。楽しかったな」
シモンは笑みを深くして、アンジェリカの腰を抱き寄せた。
「結婚したら、新婚旅行としてまた食べ歩きの旅に出ましょう」
「いいですね! そのときはミリーとユリスさんも一緒に?」
「うん。ミリーとユリスも一緒に」
二人は微笑みを交わしてゆっくりと顔を寄せ合い、やがて二つの影が重なった。
これで完結です。
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