22. デュッケル領都マンデルブルク
翌日の朝すぐに四人はクライスベルクを出発した。
向かうは、シモンの父が治めるデュッケル領の領都マンデルブルクだ。馬車で四日ほどの道のりとなる。
クライスベルクを出発する前に、シモンはアンジーの父宛てに手紙を書いた。
家出中とは知らなかったため、今まで連絡しなかったことを最初に詫び、次にアンジーとミリーの二人と行動を共にするようになったいきさつを簡単に説明する。シュラウプナーで知り合い、その後ずっと同行しており、安全は保証すること。アンジーに求婚して本人の承諾を得たので、自分の両親に紹介した後、王都へ挨拶に向かいたいこと。
アンジーもシモンにうながされて、無事でいることを知らせる一文をしたためてシモンの手紙に同封した。
季節も天気もよく、一行は予定どおりにマンデルブルクにあるシモンの家に到着した。
馬車を降りて玄関からホールに入ると、伯爵夫人が出迎えた。見るからにおっとりと優しそうなこの夫人は、以前アンジーが胸のうちに描いていた「百戦錬磨の女傑」とはあまりにも違った。
夫人はミリーのほうへ視線を向けると、歓迎の気持ちがよく伝わるやわらかな笑みを浮かべた。
「まあ。こちらがあなたの言っていたヒルデ嬢かしら。かわいらしいお嬢さんだこと」
「いえ、ヒルデは私の母です」
思わずアンジーは、反射的に夫人の言葉を訂正してしまった。この言葉を耳にした夫人は、笑顔を凍り付かせて少しの間固まった。ややあってからぎこちなくシモンのほうを振り向き、固い声で息子をいさめた。
「シモン、あなた年上好きにしても限度があるでしょう」
「誤解です! 名前を間違っていたんです。本当に私が探していたのは、この人ですよ」
シモンがアンジーの肩に手を置くと、ついに夫人の表情から笑みが消えて真顔になった。
「まあ、なんてこと。男の子じゃないの……」
「だから誤解ですって……。まず話を聞いてくださいよ」
それからシモンは、疲れたような表情でアンジーとミリーを夫人に紹介した。
夫人は小さく苦笑して、アンジーに向かって謝罪の言葉を口にした。
「あらまあ、わたくしったら本当に男の子だと思ってしまって……。失礼なことを言って、ごめんなさいね」
「いいえ、とんでもない。こちらこそせっかくご招待くださったのに、このような服しか手持ちがなくて、お目汚し失礼します」
夫人は目を細めると、シモンに向かって小言を言う。
「もう。それならそうと最初から言ってちょうだいよ」
「…………」
シモンは賢明にも「いや、言う暇ありませんでしたよね?」という言葉は口にせず飲み込んだ。これはもう、先に早馬を出して手紙で事情説明をしておくことを怠った自分の落ち度だと、反省するしかない。
こんなふうに最初の顔合わせこそ少々波乱があったものの、その後は終始なごやかだった。
長男が連れてきた花嫁候補に、伯爵も夫人ももろ手を挙げて歓迎する雰囲気だ。
夕食はシモンが約束したとおり、地元特産品の多種多様なチーズをふんだんに使った料理が供された。食事の席では、四人が一緒に旅をすることになったいきさつや、道中の出来事などをシモンが伯爵夫妻に話して聞かせる。
その途中で、シモンはふと思い出したようにアンジーとミリーに質問した。
「ところで、アンジーとミリーは本当に姉妹なの?」
「そうです」
「違います」
アンジーとミリーの口からは同時に違う言葉がつむがれた。二人は互いに顔を見合わせる。
「私がまだ子どもの頃、商会で働いていた両親が亡くなったのですが、そのとき旦那さまが引き取ってくださっただけです。だから本当は姉妹ではありません」
「養子と実子だって、姉妹は姉妹でしょう? なのにミリーは小間使いをやるって言って聞かないんだもの」
伯爵家の面々は「なるほど」とうなずきながら、微笑ましいものを見る目を二人に向けた。
シモンはこの家のひとり息子だと言う。姉は三人いるが、いずれもすでに他家に嫁いでいて、家にはいない。
そのまま今度は、話題がシモンの子ども時代の出来事に移っていった。そうした話を聞きながら、アンジーにはひとつ気づいたことがあった。夫人は確かにシモンの継母ではあるが、決して継子いじめをするような人ではない。むしろ親ばかが極まっちゃってる感じの人だった。息子の服の趣味に問題点を見いだせないくらいには、親ばかで目が曇ってしまっていた。
シモンを国外の寄宿学校に入れたのは、その当時、国内の寄宿学校で組織だったいじめが明るみに出て大問題になったからだった。骨折するほどの大けがを負う者まで出たと聞いた夫人は、大事な跡取りをそんな学校には入れられない、と青ざめた。それで教育の質だけでなく、学生間の人間関係まで調べ上げて留学先を選定したのだとか。
夫人がシモンにひげを勧めたのも、実年齢よりも若く見られがちなので、少しでもあなどられにくくなるように、との親心からだったそうだ。シモンの勘違いに「いやだわ、顔が地味だなんて思ったことは一度もありませんよ」と苦笑する。
夫人はやわらかく微笑みながら、感慨深そうにこう言った。
「それにしても、あんなにおっとりしてたシモンが自分でお嫁さんをつかまえて来るなんてねえ」
「求婚は早い者勝ちだと教わりましたからね。機会を逃さないよう頑張りました」
「本当にね、それは至言だわ。どなたに教わったの?」
答える代わりに、シモンの視線がアンジーのほうを向いた。
そんな話をしたことなどすっかり記憶から消えているアンジーは、きょとんとしている。その表情を見てシモンは笑みを浮かべた。
「あわてて求婚したものの、実のところ、すぐに返事がもらえるとは思ってなかったんですけどね」
「あ、そうだったんですか?」
「うん。だから、ちょっと驚きました」
アンジーは意外そうな顔で、首をかしげる。
「だってシモンさんならいいと思って。初対面のときから感じよかったし、リンダを助けてくれたときなんか、すごくかっこよかったし!」
「あら、そのお話はもっと詳しく聞きたいわ」
夫人が興味を示したので、ヘルトニッヒ滞在時にリンダを男爵の魔の手から救い出したシモンの活躍を、アンジーは我がことのように得意げな顔で、身振り手振りを交えて詳しく語って聞かせた。伯爵夫妻は楽しそうにそれに耳を傾けていたが、話が終わると伯爵は息子に誇らしげな目を向けた。
「よくやったな、シモン」
「はい、ちょうどよく居合わせたおかげで役に立てました」
その後もアンジーは夫妻に請われるまま、踊り比べで優勝したことなど、シモンのさらなる武勇伝を話して聞かせることになった。




