21. 月の妖精
アンジーが怒りにまかせて言いたいことをぶちまけている間に、次々と食事が運ばれてきた。
いったんは食事に集中するも、その後もアンジーの話は途切れ途切れに続き、食事が終わる頃にやっと落ち着いた。シモンはすべて聞き終わると、ゆっくりうなずいてから質問した。
「じゃあ、今はもう婚約は解消されているんですね?」
「確認はしてませんが、そのはずです。いきさつは置き手紙に書いて来ましたし、さすがにあそこまでこけにされて、父や兄が黙ってるとは思えませんから」
「それはよかった」
シモンは椅子の上で居住まいを正すと小さく咳払いし、真剣な表情でじっとアンジーの顔を見つめてからこう告げた。
「アンジェリカ嬢、私と結婚を考えてくださいませんか」
「いいですよ」
「え、いいの?」
「うん。シモンさんなら、いいですよ」
次の瞬間、食堂内にどっと歓声がわき、そこかしこで指笛を鳴らす音がした。
「おめでとう!」
「いや、めでたい」
驚いた二人が辺りを見回すと、いつの間にか食堂内の視線がすべて集まっていた。どうやらシモンの求婚の言葉が聞こえた瞬間に、食堂内にいた人々の注目を引いてしまったようだ。
動転したシモンが言葉を失ったのと裏腹に、アンジーは満面の笑顔を周りに向けて手を振った。
「ありがとう!」
その明るい笑顔に、改めて周囲から歓声と拍手が送られた。
その中で、ユリスがミリーに声をかけた。
「ミリーさん」
「何でしょう」
「ついでに俺たちも結婚しませんか」
「え、お断りします」
隣でも求婚が始まったのを聞いて振り向いたアンジーは、ミリーの即答に思わず吹き出した。しかしユリスはまったくめげる様子がない。少しも表情を変えることなく、言葉を続けた。
「まあ、そう言わずに。耳寄りな情報があるんですよ」
「何ですか、そのうさんくさい押し売りみたいなセリフ」
ミリーは露骨に眉根を寄せて、迷惑そうな顔をしている。
シモンが「いや実際、悪質な押し売りそのものだろこれ」とつぶやいたのを聞いて、アンジーはたまらずお腹をかかえて笑い転げた。だがユリスはまったく気にしない。
「俺はシモンさまの専属従者です」
「知ってます」
「アンジェリカ嬢はそのシモンさまからの求婚を今受け入れましたから、いずれ結婚するでしょう」
「そうですね」
「俺と結婚すれば、結婚後もアンジェリカ嬢と一緒に暮らせます。どうですか」
「お受けしましょう」
急に真顔になっておもむろにうなずいたミリーに、シモンは驚きを隠せない。つい「え、本当にいいの?」と尋ねてしまったが、ミリーは事もなげにうなずいた。
「言われてみれば確かに悪くないお話かなと思いまして。初めてお会いした頃は、このかたと一緒になっても文化的な生活が送れるようにはとても思えませんでしたが、今ならまあ、文明人らしく暮らせそうに見えますし。何より結婚後も天使と一緒に暮らせるというのは、大きいですよね」
なかなかな言われようだが、ユリスは意に介することなく得意顔で満足そうにうなずいた。
周囲からは笑い声とともに再び歓声と拍手が送られる。シモンが宿の主人に、食堂にいる客全員にシモンのおごりで麦酒を振る舞うよう頼むと、歓声はさらに大きくなった。
そのまましばらく宴会の様相を呈していたが、やがて四人は食堂から引き上げ、シモンたちの部屋の居間に移動した。シモンたちは続き部屋を取ったので、寝室のほかに居間があるのだ。
ここで今後の相談をする。
シモンの尋ね人が見つかったからには、人捜しの旅はこれで終了だ。
「この後は、デュッケル領の我が家に招待したいんだけど、どうかな。両親にも紹介したいし、郷土料理をご馳走する約束もしてたものね」
「いいですね! チーズ!」
当初から一貫して食欲に忠実なアンジーに、シモンは声を上げて笑った。
ここでふと、アンジーは何かを思いだしたかのように首をかしげた。
「ところで、シモンさんとはどこで会ってたんだろう」
「王都の春祭りですね」
「うん、それは聞きましたけど」
「花の女王選びに、父の代理で審査員として参加したんですよ」
「なるほど」
審査員側の対応は兄たちの担当だったから、顔に見覚えがないのも仕方のない話だった。
シモンの父は、軽い社交の一環として審査員役の代理を息子に務めさせた。そこでシモンは、花の女王候補の少女たちの中にいるアンジェリカを見かけた。
最初シモンは、アンジェリカも候補のひとりだと思った。
シモンには候補の誰よりもアンジェリカがきれいに思えたから、審査で推すことはこの時点ですでに胸のうちでは決まっていた。ところが、彼女は候補者ではなかった。見たところ、世話役のひとりのようだった。
緊張する候補者たちにも、明るい笑顔で話しかける。ときおり何か面白い話でも聞かせているのか、少女たちのこわばった表情がほぐれて笑みが浮かんだ。シモンの視線は、候補者の少女たちよりもその世話役の少女にすっかり釘付けだった。
花の女王が選出された夜、審査員役から解放されたシモンが迎えの馬車に乗ろうとしていると、審査会場となっていた建物からうら若い女性が二人出てきた。ひとりは手に荷物を抱え、もうひとりは花の女王が身につける花冠つきのベールを手にしている。ベールを手にした少女は、あの世話役の少女だった。
彼女はそれを自分の頭に載せて、何か歌いながら軽やかに踊るようなステップを踏んだ。月明かりの下で白いベールは淡く光を放っているように見え、何とも幻想的だった。そこへ建物から出てき中年女性が声をかけた。
「ヒルデ!」
その声に、ベールをかぶっていた少女が振り返った。少女はベールを頭からとると、もうひとりの少女と一緒に中年女性へ歩み寄る。そして三人で話しながら、どこかへ歩いて行ってしまったのだった。
翌日からシモンは、ヒルデと呼ばれたあの少女を探して回った。もう一度会って、かなうことなら話をしたかったのだ。花の女王が登場する催し物にはすべて足を運んでみたが、残念なことにヒルデ嬢はもう現れなかった。ついに祭りの最終日になってしまい、それでも諦めきれずに探して回っていたところ、春祭りの催し物参加者は地方から出てきている人が多いと聞きつけた。
居ても立ってもいられなくなり、地方へと帰っていく人々の波に乗って王都を出たというわけだった。
アンジーは呆れた。しかしまるでアンジーの呆れ顔が目に入らぬかのように、シモンは笑顔を崩さない。
「無策にもほどがあるでしょう」
「でも、結果的にアンジーに会えましたね」
アンジーとミリーは、呆れながらも顔を見合わせて笑ってしまった。




