19. ケスマン商会
生地選びをした翌日、シモンたちとアンジーたちは別行動をとることにした。
アンジーとミリーは、町中にある店をめぐって歩く観光に出かけた。
一方、シモンはユリスを伴ってヒルデ嬢の情報を求めてケスマン商会を訪れた。
突然の訪問ではあったが、対応したのは商会長だった。互いに名乗り合って、挨拶を交わす。
「個人的な用で恐縮ですが、お時間を割いてくださってありがとうございます」
「このようなところまで、ようこそおいでくださいました」
シモンはさっそく用件を告げる。
「実は、王都の春祭りで見かけたかたを探しておりまして」
「なるほど。どのようなかたでしょう?」
シモンは商会長に、ヒルデという若い女性を探しているのだと説明し、これまでどのように彼女を探してきたのか、その経緯を話した。彼女は王都の春祭りにおける「花の女王選び」で運営側の人員として働いていたこと、そのため運営に関わった四大商会を訪ねて歩いたこと、ヒンメル商会にはいなかったこと。
話を聞いて、商会長はあごに手をあてながらゆっくりうなずいた。
「そういうことですか。残念ながら、うちにはヒルデという若い女性はおりませんなあ」
「そうですか……」
「一応、念のため確認させましょう」
「お手数をおかけします」
商会長は職員を呼び出すと、王都の春祭りに派遣した職員の中にヒルデという名前の若い女性がいたかどうか確認するよう指示をした。
そしてシモンを見るともなく、ひとりごとのようにつぶやいた。
「四大商会の関係者でヒルデというと、私はひとりしか思い浮かばないんですよねえ」
「え。どなたかご存じなんですか?」
「あ、いや。おっしゃる条件には当てはまらないかたです」
シモンが思わず食いつくと、商会長は苦笑して首を横に振った。
しかし、どんな情報でも手掛かりになるかもしれないと考えたシモンは、念のため質問した。
「どんなかたなんですか?」
「シュニッツ商会の商会長の奥方が、ブリュンヒルデという名なんです。身内ではヒルデと呼ばれてますね」
シモンは商会長の言葉を頼りに記憶をたどった。
「シュニッツ商会の商会長夫人────と言うと、アンジーの母上か」
「おや。アンジェリカ嬢とお知り合いですかな」
「え」
「え?」
シモンの反応に怪訝そうな表情を見せる商会長に対し、シモンはシモンで「アンジェリカ嬢」という明らかな女性名に戸惑いを隠せない。思わずオウム返しに名前を口にしていた。
「アンジェリカ嬢?」
「はい、末のお嬢さんです。夫人によく似たきれいなお嬢さんですよ。────今アンジーとおっしゃいましたよね?」
「はい。でも私の知っているアンジーは男の子なので、何か記憶違いをしてたかもしれません」
「そうですか」
シモンの言い訳に、商会長は愛想よく相づちを打った。
シモンは商会長の言葉の中に少し気になったことがあり、確認のため質問した。
「アンジェリカ嬢はそんなにお母さまと似てるんですか?」
「似てますねえ。二人ともすらりと背が高くて、背格好がほぼ一緒だから、後ろ姿だとよく見間違えてしまうくらいです」
「そんなにですか」
「はい」
商会長は懐かしそうに目を細めた。どうやらケスマン商会は、シュニッツ商会と交流が深そうだ。
「娘さんもきれいなだけでなく、ヒルデ夫人と同じく快活でかわいらしい人なんですよ。まったくドナート商会がうらやましい」
「ドナート商会が?」
「ああ、アンジェリカ嬢はあそこの坊っちゃんと婚約したんです。美男美女でお似合いのカップルですよ。うちにあのお嬢さんと年回りの合う息子がいれば、絶対に先を越したんですがね。実に残念です」
商会長が嘘いつわりなく残念そうな顔をしてみせたところへ、さきほど用事を言い付かった職員が入り口の扉を叩き、戻ってきた。商会長はシモンに目顔で謝罪し、職員に声をかける。
「どうだった?」
「やはり、おりませんでした」
「そうかそうか、ありがとう」
職員がシモンに一礼してから部屋を出ていくと、商会長はシモンに向き直って口を開いた。
「脱線して申し訳ありませんでしたね。今お聞きのとおり、やはりうちにはお探しのかたはいないようです。お力になれず、申し訳ない」
「とんでもない。突然の訪問にもかかわらず丁寧に対応してくださって、感謝します」
シモンはソファーから腰を上げ、商会長と挨拶を交わした。
その後も少しばかり社交辞令を交わした後、ケスマン商会を後にした。
シモンは考え込んだ様子のまま、寄り道せずにまっすぐ宿に戻った。
シモンはそのまま宿で、ケスマン商会の商会長から聞いた話と、これまでにアンジーと会話した内容をひとつひとつ思い起こしてみた。
シュニッツ商会の商会長夫人の名は、ヒルデだと言う。そしてそのヒルデ夫人は、娘のアンジェリカと容姿がよく似ていて、特に後ろ姿だと見間違うほどらしい。
シモンが思い人の名を知ったのは、彼女が呼びかけられている場に居合わせたからだ。彼女は後ろから「ヒルデ!」と何度か呼びかけられてから振り向いた。そのとき呼びかけたほうは確か小さく「あ」と声をもらさなかっただろうか。少しだけ不思議に思った記憶が、シモンにはある。
けれども呼ばれて振り返った彼女は、呼びかけた中年女性に笑顔で歩み寄り、一緒に何か話しながらどこかへ歩いて行った。だからシモンは、彼女の名がヒルデだと思ったのだ。
でも、もしあの中年女性がヒルデ夫人と見間違えて呼んだのだとしたら────。シモンの思い人はその娘のアンジェリカだということになる。
そしてアンジーは間違いなく「自分の父はシュニッツ商会の商会長だ」と言っていた。姉のミリーの他に兄弟は兄二人だけだ、とも。つまりアンジーは末っ子というわけだ。ケスマン商会の商会長は、アンジェリカ嬢のことを「末のお嬢さん」と言っていた。ということは、アンジーがアンジェリカと同一人物なのではないか。
初めて会ったときに雰囲気がよく似ていると感じたのも、当然だ。同じ人物なのだから。
やっと思い人を捜し当てたのに、それと同時に自分は失恋したことをシモンは悟った。
アンジェリカ嬢には婚約者がいる、とケスマン商会の商会長は言っていた。
シモンはがっくりと肩を落としてうなだれた。




