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12. 舌先三寸の制裁措置

 男爵の印象は最低だったのに、男爵夫人はとても感じがよいことをアンジーは意外に思った。てっきり似た者夫婦だろうと思っていたのだ。

 これは案外、気持ちよく過ごせるかもしれない。


 声を落として男爵が夫人に状況を説明しているが、「デュッケル伯」とか「シュニッツ商会」という単語がもれ聞こえてくる。

 夫人は一瞬だけ男爵に向かって呆れたように眉を上げてみせたが、その後は一切そうした感情を見せることなく、にこやかに客人に対応した。


「まあ、まあ。ようこそいらっしゃいました。お恥ずかしながら、お部屋の準備が間に合いませんでしたの。お疲れのところ申し訳ありませんけれども、まずこちらへどうぞ」


 夫人の言葉から判断するに、泊まる場所の心配はしなくてよさそうだ。準備が間に合わなかったなどと言っているが、夫人が来客の話を聞いたのは今が初めてであろう。にもかかわらず、それをおくびにも出すことなく、あたかも本当に準備して待っていたかのように和やかに一行を迎え入れてみせた夫人に、アンジーは感心した。

 案内された先は、立派な暖炉のある応接室だった。

 シモンが代表して夫人に挨拶する。


「なにぶん旅の途中のため、お見苦しい旅装で恐縮ですが、お招きありがとうございます」

「見苦しいなど、とんでもない! せっかくのご旅行中にわざわざ足を運んでくださったこと、大変光栄に思います」


 夫人も笑顔でそつなく挨拶を返す。

 続いてヒンメル商会の面々と、アンジーたちの紹介が続く。アンジーは意図的にリンダのすぐそばに寄り添って立ち、そっと彼女の背中に手を回した。リンダは恥じらうように上目使いにアンジーを見やり、照れたような笑みを浮かべる。

 そんな初々しい二人の様子に、夫人は笑みを深くした。


「あらまあ、なんとかわいらしい美男美女のカップルかしら。お若いのにしっかりしてらっしゃるし、親御さんもこんなかたと縁づいたなら、さぞかし将来が楽しみでいらっしゃることでしょうね」


 ひととおり挨拶が終わったところで、シモンがさりげないふうを装ってにこやかに爆弾を投下した。


「ところで、最初に案内してくださった町中のあの小ぢんまりとした家は、いったいどういった目的の場所なんですか?」

「はい?」


 夫人はシモンの質問内容が理解できなかったかのように、笑顔のまま少し固まってしまった。

 焦った顔の男爵が勢いよくシモンに歩み寄り、腕をつかもうとするかのように手を伸ばしたが、シモンにその手が届く前に夫人がするりと間に割って入った。


「ねえ、あなた。わたくし、シモンさまからゆっくりお話を伺いたいわ。あなたもほら、そちらにお座りになったらいかが?」


 夫人は口もとには上品な微笑みをたたえたまま、わずかに目を細めて剣呑な視線を夫に向けるという、器用な芸当をしてみせた。男爵は、夫人の視線の圧力に耐えかねたように後ずさり、彼女が手で指し示したソファーに腰を下ろした。


 こうしたやりとりの中に、アンジーは夫人と男爵の力関係を正確に読み取った。それと同時に、シモンの言っていた「お仕置き」がどのようなものであるのかを、漠然と理解した。


 夫人に勧められるがまま全員が着席し、そこからはシモンの独擅場だった。

 彼は控えめで遠慮がちな態度を崩すことはなかったが、前日からこの日にかけての、商会長がリンダを連れて来ざるを得なくなったいきさつを余すことなく夫人に語って聞かせたのだ。


 しかし話を夫人に聞かせたくない男爵は、たびたび口をはさんで邪魔をする。

 その都度、夫人が「まずはお話を伺いたいから、あなたは少し黙っていらして」とたしなめるのだが、一向に男爵は大人しくしていない。やがてしびれを切らしたらしい夫人は、にこやかながら有無を言わせない声音で夫に告げた。


「あなた、この大事なお客さまがたにお出しするりんご酒を、今のうちに選んでおいてくださらないかしら。とっておきのものをお願いしますね」


 いかにもとってつけたような、この場から追い払うための口実でしかないのだが、男爵は妻の威圧に屈して不承不承ながらも部屋を出て行った。

 邪魔が入らなくなれば、話が進むのは早い。


 最終的に、シモンは夫人に洗いざらいすべて暴露した。

 身分を笠に着て理不尽な要求をされたために、自分も身分を持ち出し、相手の言葉尻を捉えて無理やり屋敷に招待させてしまったことまで、一部始終をすべて語って聞かせたのだ。シモンは夫人に対して、大人数で強引に押し掛けた無礼を謝罪した。


 シモンがすべて話し終わると、夫人は沈痛な面もちで目を閉じ、少しの間沈黙した。そしてゆっくりと目を開けると、夫人は副会長とリンダに向かって深々と頭を下げた。


「そちらのお嬢さんにおそろしい思いをさせてしまったこと、本当に申し訳なく思います。もう何と言ってよいのか、言葉にできないほど情けないわ……」


 あの男爵とは違い、この夫人はとても良識的で話のわかる人物だった。

 彼女の倫理観に従えば、本人の意思に反して未来ある若い女性を無理やり召し上げるようなことは、あってはならない恥ずべき行為だ。

 夫人は、このようなことが二度とないよう、夫婦で十分な話し合いを持つことを約束した。


「お詫びにもならないけれど、せめて今日はゆっくりと楽しんで滞在していただけるよう心を尽くします」


 この後、十四歳を頭に四人の男爵家の子どもたちを紹介され、夕食まで賑やかに過ごした。

 下の子どもたちは、珍しく年若い客人のあることに大興奮だ。夫人に「このかたがたは、あなたたちと遊ぶためにいらしたのではなくってよ」とたしなめられてもなかなか離れようとせず、最終的に夕食前に乳母に連れて行かれるまでアンジーやミリーにまとわりついていた。


 夕食の席は、終始なごやかだった。ただし男爵だけは、ひとり静かだったが。

 ひとりずつ立派な客室に通されて、夜はゆっくり休み、翌日は朝食をとってから男爵邸を後にした。


 帰りの馬車の中で、アンジーはシモンを絶賛した。


「シモンさん、すごい。かっこよかった!」

「え、あんなことで?」

「だって、シモンさんのお陰でリンダは助かったんだもの。その上、今後はもうこんなことが起きないようにもしてくれたでしょう? 最高!」


 アンジーからの賞賛の言葉に、シモンもまんざらではなさそうだ。

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[一言] 〉あの小ぢんまりとした家は〜 ○り部屋です(こんなこと言ったらミリーとシモンに突かれちゃうw
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