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10. 花の女王候補の少女

 宿を引き払うと、四人はすぐにヒンメル商会の本部に向かった。


 事務所内は、重苦しい雰囲気に包まれている。

 片隅の椅子に行儀よく腰掛けている可憐な美少女が、何とも場違いだ。彼女はその血の気の引いた顔に、覚悟を決めた硬い表情を浮かべていた。少女のかたわらには、彼女の母親と見られる年頃の女性が悲痛な面もちで寄り添っている。


 シモンが先頭に立って事務所に入ると、すでに顔見知りなのか事務員がシモンに声をかけて挨拶をしてから奥へ商会長を呼びに行った。

 奥から商会長が出てくると、シモンは軽く挨拶してから用件を切り出した。


「これから隣町へ向かうところだと伺っています。何かお役に立てることもあるかもしれないので、ご一緒させてくださいませんか」

「今から出るので日帰りはできませんが、それでもよろしいのですか?」

「もちろんそれは承知の上です。宿は自分たちで勝手にどうにかしますから、どうかお気遣いなく」

「それでは、お言葉に甘えます。ぜひ一緒にいらしてください。よろしくお願いします」


 商会長は疲れ切った顔をしていたが、シモンの言葉にわずかであれ希望を持てたのか少しだけ眉を開き、深々と頭を下げた。


 一方アンジーは、隅で椅子に座っている少女に声をかけていた。


「リンダ!」

「あれ。アンジ────」


 リンダがアンジーの本名を呼びかけたところで、あわててアンジーはリンダの口を押さえ、小声で「しー!」と言いながら自分の口の前に人差し指を立ててみせた。


「ちょっといろいろあって、今はこの姿で旅をしてるの。アンジーって呼んでちょうだい」

「わかったわ、アンジー」

「隣町へは一緒に行くことにしたから、安心して。絶対に手なんか出させない」

「うん……。ありがとう」


 リンダは血の気の引いた顔を泣きそうに歪めながらも、かろうじて口もとに笑みを浮かべた。

 彼女は王都の春祭りでアンジーと顔見知りになっていたけれども、午前中の娘たちの踊りには参加しなかったので、アンジーがヘルトニッヒを訪れていることに気づいていなかったようだ。この状況から見るに、もう祭りどころではなかったのだろう。


 その間にシモンは商会長と話をまとめ、二台の馬車に分乗して隣町に向かうこととなった。そのうち一台はもちろん、シモンの馬車である。


 リンダは、シモンの馬車に同乗した。

 道中も、いろいろな意味で守りの固い馬車のほうがよいだろうという判断からだ。

 車中ではアンジーがリンダの隣に座り、ときどき手を握っては安心させるように微笑みかけていた。


 到着した先は、隣町の中心部にある家だった。

 そう、ただの「家」だった。屋敷とは呼べない大きさの、普通の家だったのだ。

 もちろん平民の家にしては、それなりに大きいほうだろう。しかし、貴族の住むような屋敷ではない。身分を振りかざして相手に無体を強いるような貴族が、本当にこんな家に住んでいるものだろうか。そんな疑問に首をかしげつつ、アンジーは真っ先に馬車を降りてリンダに手を貸した。


 商会長が先頭に立ち、家の入り口で扉を叩くと、中から男が顔を出した。商会長の反応から察するに、これは男爵ではなく使用人のようだ。


「言い付かったとおり、娘を連れてまいりました」

「では、娘だけ中に入りなさい」


 使用人が横柄な態度で指示をすると、商会長は玄関扉を大きく開いて脇に寄り、通り道を開けた。

 そこを何食わぬ顔をして、シモンがユリスを伴ってすたすたと家の中へ入って行こうとする。使用人はその様子を見て慌てて両手を広げ、シモンたちの前に立ちはだかった。


「娘だけと言ったはずだ!」

「ああ、失礼。自己紹介がまだでしたね。私はシモン・フォン・デュッケルと申します。昨日からリンダ嬢の後見をしておりましてね。お招きにあずかり、光栄です」


 声を荒らげる使用人に対して、シモンは涼しい態度を崩すことなく、にこやかに自己紹介をした。その際、嫌みにしか聞こえないほど自分の名前をゆっくり、はっきり告げる。


 シモンの家名を聞くと、使用人の顔色が変わった。

 その様子に苦笑しながら、目の前に広げられた腕をシモンが軽く叩くと、使用人はうろたえたようにだらりと腕を下ろした。その横をシモンとユリスが通り過ぎて、家の奥へずんずん進んで行く。


 アンジーはリンダと顔を見合わせてから、いたずらっぽい微笑みを浮かべて腕を差し出した。リンダはその腕に手をからめて、アンジーと一緒にシモンとユリスの背中を追う。

 呆然としている使用人を尻目に、ミリーと商会長もすました顔で後ろに続いた。


 玄関から入って左手奥の扉を抜けると、そこは居間のような部屋になっていて、男が二人ソファーに腰を下ろしていた。ひとりはよく言えば恰幅のよい、はっきり言うと少々腹の出た男で、ふんぞり返って座っている。もうひとりは手足を縛られ、うつむいていた。太ったほうが男爵、縛られているほうが副会長だろう。

 副会長は人が部屋に入ってくる物音に顔を上げ、自分の娘の姿を見つけると絶望したように目を見開いた。


 ぞろぞろと部屋に入ってくる人々を見て、男爵は不機嫌そうに声を張り上げた。


「おい、何だこいつらは! 娘だけ連れて来いと言っただろう!」

「玄関口でもご挨拶したんですがね。私はシモン・フォン・デュッケルと申します。昨日からリンダ嬢の後見をしておりまして、ご招待いただいたと伺ってまいりました」

「はあ⁉」


 今度もまたシモンは、ことさらにゆっくりと自分の名前を告げて自己紹介した。

 男爵は思いどおりにことが運んでいないことに、激高したような声を上げた。カッとなるあまり、シモンが名乗った家名が頭に入っていないようだ。


 ユリスはあるじと男爵のやり取りなど耳にも入っていない様子で、その横を悠然と大股に歩いて通り過ぎて、ポケットから小型のナイフを取り出すと副会長の手足を縛る縄を断ち切った。

 シモンに怒りを募らせていた男爵は、ユリスの行動を見とがめて振り向いた。


「おい、何をしている」

「縄を切っています」

「そういうことを聞いてるんじゃない!」


 男爵に怒鳴りつけられたユリスは、動じることなく生真面目に返答していたが、さらに重ねて怒鳴られると、ムッとした顔で迷惑そうに「えええ。何をしてるのかって聞いたじゃないか……」と小声でぼやいた。

 ユリスのそのふてぶてしい態度に、男爵はいよいよ頭に血をのぼらせる。


「どうしてそんなことをしたのかと聞いてるんだ!」

「手と足が縄で縛られていたからです」


 なぜそんな当たり前のことを質問されるのか不思議でたまらないと言わんばかりの顔で、ユリスは軽く首をかしげつつ答えた。


「だから、そういうことを聞いてるんじゃなくて、そんな勝手なことをしていいと思ってるのかと聞いてるんだ‼」

「はい、思ってます。良識と常識に従うのに、いちいち誰かに許可をとる必要ありませんよね?」

「なんだと……‼」


 またしても怒鳴りつけられたユリスは、うんざりした顔で「なんか、どんどん後出しで質問内容が変わってくんだけど……」と小声でぼやく。


 今この瞬間ばかりは、ユリスの空気の読めなさがうまい具合に働いていた。実のところ男爵の言葉は質問の形をとってはいるものの、実際にはユリスの行いをとがめているだけだ。だから男爵が求めているのは謝罪であって、質問への回答ではないのだ。

 二人のやりとりに吹き出しそうになったミリーは、商会長の背中に隠れて笑いをかみ殺した。

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