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異世界転生応援室トラック係・釣合秤の業務報告書  作者: 日ノ日
第三部 第二章
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第93話 第二回全国異世界関連部署交流会①

 黒い粒子が自分と朝日を包み込んだ次の瞬間、景色が変わった。

 ほんの一瞬だけ足下から地面が消えて体が沈み込むが、三センチにも満たない程度だったらしく、落下の衝撃は殆どない。


「どうだいこの精度。普通なら誤差のせいで地面にめり込む危険を考えて、障害物のない空中に現れるように設定するところだが、僕ならこの通り。次は一センチを狙ってみようかな」


 朝日は機嫌良さそうに自慢するが、失敗すれば足が地面にめり込むと聞き、秤は冗談じゃないと顔を歪めた。

 彼女は冗談だとばかりにカラカラ笑う。


「……ここで合っているんですか? なんか、倉庫みたいですけど」


「転移用に用意された場所だよ。人に見られないよう常に施錠されてる。窓もないから安全だろ?」


 朝日の言うように、窓のない部屋は室内にはなにも置かれておらず、薄暗い電灯だけが周囲を照らしている。

 転移の邪魔になる可能性を考慮したのか、エアコンを取り外したばかりらしく、薄汚れた壁の中でその部分だけ真白い跡が壁に残されていた。

 お盆明けではあるが、まだまだ夏の日差しは残っているため蒸し暑い。


「さて。時間は伝えているはずだが、迎えは来ていないようだ。仕方ない、勝手に入らせてもらおう」


「いいんですか?」


「他の異世界係も来るんだ。僕らがここにいたら邪魔になる。それこそ、転移事故が起こったら困るだろ?」


 人同士がぶつかり合うようなことがあれば、困るどころか大惨事だ。


「早く出ましょう」


 早歩きでドアに近づき、閉まっている鍵を解除しようとした瞬間、自動的に鍵が回った。

 ドアの向こう側に誰かがいる。

 そう自覚する前に、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。


「ちゃんと待っていましたよ。転移に巻き込まれたくなかっただけです」


 ドアが開き、向こう側に立っていたのは若い女性だった。

 滴の物と似た黒いパンツスーツを着た年齢は二十代半ば、灰色がかった長めの髪を低い位置で纏め、それを肩口から前に流している。

 彫りの深い整った顔立ちで、右の眼窩に直接、色の付いた片眼鏡を填めて、そこから延びた金色のチェーンはピアスに繋げていた。

 いまどきコスプレでもないのに、片眼鏡を付けている時点で、異世界係の関係者なのだろう。


「貴方とは初めてですね、黒田優香です。よろしく」


 秤の視線に気づいた黒田と名乗る女性は、秤に手を差し出してくる。


「え? あ、はい。釣合秤です。よろしくお願いします」


 名前を聞いて驚いていた秤が慌てて名乗り返すと、黒田は片眼鏡側の瞳を大きく見開いた後、じっと秤を観察し始めた。


「あの?」


「いや、失礼」


「何か見えた?」


 後ろから追いついてきた朝日が、秤の肩に手を乗せて黒田に問いかける。


「いえ。今は見るのを禁止されてますから。これもそのためのものですし」


「なら結構。それで、僕らはこれからどうしたらいいのかな?」


「先ずはこちらを」


 黒田が差し出したのは、役所の入館証だ。


「見える位置に掛けておいて下さい。それと、うちの部署はこの市役所では鼻つまみものですので、問題は起こさないように願います」


「なにそれ。僕らが問題児だって言っているの?」


 入館証を受け取りがてら意地悪く朝日が告げるが、黒田はサラリと受け流す。


「いえ。どなたにも言っています。みな個性が強い方ばかりですので」


「君もなかなかだと思うけどね。はい、秤くん」


「あ、どうも」


 朝日から渡された入館証を首に掛ける際、記された市役所の地名を確認すると、そこには秤たちが住んでいる地域から遥か離れた土地の県庁所在地名が記載されていた。


「本当に、飛んだんですね」


 今更になって自分が転移したのだという実感が沸いてきた。

 初転移に驚く秤に、黒田は眉を持ち上げる。


「……異世界の記憶がないというのは、本当なんですね」


「まぁね。異世界だっていいことばかりじゃない、忘れたいこともあるだろうさ」


「ええ。それには同意します。ああ、まだ来ていない方もいるので私はここに待機していますので、お二人は交流会の会場に移動して下さい。場所は分かりますよね?」


「前にも来たことがあるから大丈夫。第三会議室だろ?」


「ええ。うちの係長がお待ちです」


 係長と聞き、嫌そうに顔を歪ませる。

 朝日にしては珍しい顔だ。


「あの人、リズムが独特で話しづらいんだよなぁ」


「慣れればそうでもありませんよ」


「そういうものかな」


 そうです。と自信ありげに言う黒田に、小さなため息で返事をした朝日は、それ以上なにも言わずに廊下を歩きだした。

 黙って様子を窺っていた秤も、黒田に一つ頭を下げて後ろに続く。


「はい。また後で」


 涼やかな声で送られ、朝日と秤は見知らぬ廊下を進み始めた。




「あの人も異世界帰還者なんですよね?」


 一目見た段階で間違いないとは思ったものの、気になる点を見つけたため聞いてみる。


「そうだけど……なんで?」


「いや。名前が普通だったので」


 振り返った朝日が秤の顔をまじまじと見つめて、ニヤリと笑った。


「目ざといね。滴くん辺りは気にしたこともないだろうに」


 朝日月夜に始まり、木林森羅、海湖沢滴、大中小子、そして釣合秤。

 全員名字と名前に関連があるのが、異世界転生応援室の職員の特徴だ。

 もっとも、秤は元から本名であり、ほかの職員も朝日が自分に準えて付けたと聞いていたので、そういうものかと納得していた。

 しかし、例のカガヤを送り出した地域を管理している異世界係課長の名前を聞いて考えを改めた。

 課長の名は天地人理。

 明らかに名字と呼応した名前を、余所の異世界係で付けられているのは偶然とは思えない。


「前にも説明したと思うが、異世界帰還者の戸籍は偽造ではなく正規の物だ。実際、僕らでなくても新しい戸籍を発行されることはあるからね」


「無国籍児って奴ですか?」


 親が出生届けを出されなかった子供が偶然見つかり、戸籍を手に入れたという話を聞いたことがある。


「そういうのはたいてい子供だろう? それこそ君みたいに記憶喪失で自分がどこの誰かも分からない大人にも、例外的に戸籍が発行されることがあるんだよ」


「俺たちは、みんなそういう手続きを踏んでるってことですか?」


「ああ。けど正規のやり方で手続きするのは面倒だし時間も掛かる。それを短期間で発行させているのは、異世界係全体を管理しているフィクサーの力だ」


 一番最初に戻ってきた異世界帰還者のことだ。今よりずっと昔に戻り、魔法の力を駆使して権力を手中に収めたと聞いている。

 その力は無所属の新人だった現在の市長を、あっさりと当選させたところからも疑いはない。


「そう。今の彼は魔法の力を使わずとも、国内であらゆる無理を突き通す権力を有している」


「それと名付けに、なにか関係あるんですか?」


「彼の名前も、名字と名前が関連しているものだったんだよ」


「つまり、異世界帰還者は皆、その人に則って名前を付けていると?」


「んー。というより、派閥問題みたいなものかな。名前を付けるのは基本的に異世界係の長、つまり僕らの仕事なんだけど、様々な場所に顔が利くフィクサーとしては、管理しやすいように名前付けを統一してもらいたいと考えている。その考えに賛同した者は自分は当然として、部下にもそれらしい名前を付けさせる」


「じゃあ逆に賛同しない人は」


「せっかく帰ってきたんだから縛られるのは嫌だってタイプだね。といっても今の日本じゃ、いくら魔法が使えても戸籍がなければ色々面倒になるのは目に見えているから戸籍は欲しい。だけど首輪をはめられるのはごめんだといって形だけでも反抗してみせる。部下にも好きな名前を付けさせてね」


「それって、ここの異世界係はフィクサーには従わない人たちってことですか?」


 元から薄笑いを浮かべていた唇がより大きく、歪む。


「そう。形だけとはいえフィクサーに非協力的な立ち位置。うちとは逆だね」


「俺たちはみんな、忠実な駒ってわけですか」


 他はともかく、これも滴辺りが聞けば怒りそうだ。


「ははは。僕は長い物には巻かれる主義でね。それに、他の者たちはともかく僕と君は不都合はないだろう? 何せお互い本名なんだから」


 僕と君。に強いアクセントを置かれて、言葉に詰まる。

 確かに、本名をそのまま使わせてもらっている秤が文句を言う筋合いはない。


「そういうわけで、今から会う人たちも、名前を聞けばそれぞれの立場は分かるだろうから、対応には注意してね」


 笑みを浮かべたまま視線を戻した朝日が顎で指した先には、交流会の会場である第三会議室と記されたプレートが突き出ていた。


「覚悟はいいかい?」


「はい」


 良い返事だ。と言うように片目を伏せた朝日に誘われ、秤は会場に足を踏み入れた。

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