第90話 大中小子②
彼、釣合秤が真剣な顔で小子を見ているのは、目を瞑っていても感じ取れた。
彼女が口を閉ざしてから、それなりに時間が経っていることもあってか、向けられる感情には不安の色も混ざっている。
そのことを理解しつつも、小子は急ぐことなく思案を続けた。
神託について詳しく話してほしいという彼の願いは、正直気が進まない。
小子にとっては自分の力は神同然、いや神そのものから授かった特別な力だ。
そんな尊き存在を、彼らは(特に森羅)憎しみを込めて上位存在と呼んでいる。
そのことに対しては別段思うところはない。
それどころか、森羅たち異世界帰還者は、小子と同じく神の存在を感じ取れる。
つまり彼女たちは本気で神の存在を信じているからこそ、本気で神を恨んでしまっているのだ。
神の存在を信じる者が少なくなった現代に於いて、本気で神の存在を受け入れられるものは貴重だ。
故に、彼らに神の力の詳細を聞かせたくないのは、それが理由ではない。
これは、もっと別の、自分自身の過去に由来するものだ。
(もし、私の話を、信じてくれなかったら──)
この場にいたのが、滴であれば、ここまで悩まなかっただろう。
彼女ならばきっと真剣に聞いて、その上で受け入れてくれる。
二人のことも信じていないわけではないが、どうしても過去の記憶がよぎってしまう。
現在から見れば遙か昔、小子にとってはもっとも馴染み深い時代の話だ。
まだ幼かった小子は、近所に住む友人や知人に、神の声が聞こえると話したことがあった。
今よりも神の存在が身近にあった頃でさえ、信じてくれる者はいなかった。
そのときのことを思い出してしまい、小子の意志とは関係なく、背筋が冷たくなり声が詰まった。
『小子ちゃん』
「……ん?」
完全に硬直していた小子の頭の中に森羅の声が届く。
互いに読心魔法を掛ける念話ではなく、それより一段上の一方的に思考を送り届ける魔法のようだ。
この距離でわざわざ使うということは、秤に聞かせたくないと考えてのことだろう。
『私は信じるよ』
念話ではないため、返答できずに黙っていると彼女は続けた。
『だって私は、小子ちゃんとは逆の意味で、アレを信じているもの』
歪んだ感情が直接頭の中に入り込んでくる気持ち悪さに、さらに体に力が入り、指先まで冷たくなっていく。
だが。それで逆に覚悟が決まった。
「……分かった。話す」
自分に利益など、必要ない。
たとえ信じてもらえずとも、たとえ自分の話を聞いて、神を嫌っている二人に罵倒されようとも構わない。
目を開けた小子は、二人をまっすぐ見据えて話し出した。
「神託の時、聞こえるのは声じゃない」
「それは上位存在が話しかけてくるんじゃなくて、情報が頭の中に突然入ってくるってこと?」
「……それも、少し違う。」
不思議そうに首を捻る秤と森羅をそれぞれ見てから、小子は静かに息を吸う。
「神託を受け取るとき、私は少しだけ神様の意識と同化する」
「同、化?」
「そう。神様が考えていることを自分で考えているような気持ちになる」
「アレが何を考えているか分かるってこと?」
アレと言いながら森羅が上を指さす。
「……そう。神様は私で、私は神様になる」
小子の言葉を聞いた森羅の瞳がスッと細くなった。
とかく神様を憎んでいる森羅にとって、神様と同化していると言えば、こうなるのは分かっていた。
やはり何か言われるかと身構えかけた瞬間。
「それは、異世界送りの時だけなのか? 普段から同化する訳ではないんだよな」
森羅が口を開く前に、秤が割って入ってきた。
質問ではなく、確定した情報の裏取りをしているかのような言い方をされて気が付いた。
これは森羅に聞かせるための質問だ。
「そう。あくまで神様が下界に意識を向けたときだけ。それが異世界送りで誰を選ぶか、いつ送るかを決めるとき。それ以外では神降ろし儀とか、こちらから繋がりを持とうとしない限り問題はない」
これを話しておかなくては、常日頃から小子が神様と意識を同化させていると思われてしまう。
そう思ったからこそ、秤は先に確認してきたのだろう。
同時に、これは小子が彼女か負の感情を向けられないようにするためでもあると気づく。
いつぞや滴が言っていた、秤は細かなところに配慮できるという人物評を思い出した。
「……私からも一つ聞きたいんだけど」
秤の気遣いを感じ取ってか、小子に向けていた剣呑な気配を消して森羅が口を開く。
「何?」
「意識が同化するとき、悪意は伝わらないの?」
「悪意?」
なぜ神が自分たちにそんな感情を向ける必要があるのか。
疑問に思って首を傾げると森羅は不満気に唇を尖らせ、吐き捨てるように言う。
「私たちは毎回異世界送りでアレの邪魔をしている訳でしょ? ムカつくとかそういう負の感情は持たれてないのかってこと」
そういえば今朝も同じようなことを言っていた。
改めて確認しておきたかったのだろう。
「……負の感情はない。と思う。そもそも神様なら、私たちのしている妨害くらい簡単になかったことにできる」
「だったらなんで──」
そうしないのか。という言葉を呑んだであろう秤を見やる。
こちらの妨害工作後、何の天罰も与えずに放置している以上、答えは一つしかない。
「すべては、神様が私たちの成長のために与えた試練だから」
そう。
これこそが神の御意志。
「試練?」
如何にも納得いかないというように眉を顰める森羅に、これだけは譲れないとばかりに強く頷いた。
「困難を乗り越えてこそ、人は成長する」
そもそもとして、神とはそうした存在だ。
ただ無条件に人を救うのではなく、時に人を試し、試練を与え、成長を促す。
干ばつや洪水、飢饉など、以前は当たり前のように存在した避けきれぬ災害に対し、人々は神に対して許しを請い、生け贄を捧げ、あるいは怒りをぶつけた。
だが、そうした災害もほとんど消え去ってしまった、あるいはすぐに対処できるようになったこの国では、神の存在も意味がなくなりつつある。
そんな現代に於いても、神に選ばれ、試練を与えられた自分たちは幸運な存在だと感謝すべきなのだ。
小子の強い言葉を受けた二人は、同時に顔を見合わせた。
その後、秤はどこかひきつった笑みを浮かべて頷く。
「あー、はい。うん。よし。とりあえず話は分かった。話してくれてありがとう小子」
その視線は信じていないというより、困惑しているようだ。
「分からないならもう少し──」
困惑される意味が分からず、更に詳しい説明をしようとしたところで、森羅が手を叩く。
「よーし! じゃあ次のところに行こう。小子ちゃん、やってみた感じどうかな? アスファルト越しでも龍脈に干渉できそう?」
「……ん。大丈夫。だけど多分流れる範囲は狭くなる」
突然話が変わったことに、小子の方も困惑しつつも、とりあえず聞かれた内容に返答すると、今度は秤が有無を言わさぬ速さで前に出る。
「なら、なおさら数をこなさないとな!」
「よーし。頑張ろー。おー」
「お、おー?」
先ほどから明らかに無理やり空気を換えようとしている二人に対して疑問を抱きつつも、とりあえず彼女にしては珍しく場の空気を読んで森羅に合わせて手を持ち上げた。




