第76話 海湖沢滴⑤ ~異世界奇譚~
帰還したアタシを待っていたのは、仲間たちの歓声だった。
奴らはアタシが殺した敵の首領が前女王であることは知っていても、アタシの母であることは知らない。
だから仕方ない。
そう考えて、適当な愛想笑いを浮かべて賞賛を受け入れた。
そんなアタシの異変に、唯一気づいてくれたのが、生まれたときから共に育ってきた気の置けない友人だった。
歓声に湧く仲間たちの元から離れ、外に連れ出してくれた彼女に全部話したよ。
元女王であり、ヒトアガリの首領。そして、生まれて初めて殺した相手が自分の母親だったってな。
たぶんアタシは、慰めて欲しかったんだろうな。
でも、返ってきたのはアタシの予想とは全く違う言葉だった。
おめでとう。
嫌みでも何でもない、心からの賞賛。
意味が分からず、なにも答えられないアタシに彼女は続けた。
アタシはよく知らなかったけど。というより、これは人魚としての本能であって、記憶は無かったにしろ転生者だったアタシには分からないものだったんだが。
人魚にとって親子の繋がりは大した意味はないが、ただ一つだけ、親子だからこそできることもある。
ヒトアガリが現れる前の人魚は、大人になったら海中で溺死するって話はしたよな?
だけど、親のエラが塞がるのと子供が成長して魔法を使いこなせるようになる。このタイミングがあった場合に限り、人魚は自分の親が溺死する前に殺しにかかるんだそうだ。
それは、とても名誉なことだ。
彼女はそう語った。
親を殺す。つまりは超えることで、自分こそがその血筋の最先端にして、頂点に立ったと自覚できるから。
馬鹿げた話だろ?
子は親を超えるものってのは、こっちの世界でもたまに聞くが、それは親が乗り越えるべき壁として立ちはだかるからこそ、意味がある。
エラが塞がり、まともに泳げなくなって、ほとんど無抵抗の奴を殺すのとは、まるで意味合いが違う。
だが、連中にとってはそうじゃない。
乗り越えるべき相手が弱っているのは、チャンスでしかないんだと。
本当に嬉しそうに笑って、アタシの手を握った。
世界蛇が動き出したおかげで、堂々と攻め込んでヒトアガリを、そして運が良ければ自分の親を殺すこともできる。
元女王、ううん。こんな制度を作ったあの女も、現女王である貴女が殺してくれたから、邪魔する者は誰もいない。
仲間たちがアタシを賞賛するのは、それが嬉しかったからなんだとさ。
爛々と輝く瞳は曇りなく、後ろめたさなど全く感じさせない本心からの言葉だった。
そのとき気づいたよ。
人魚の本性って奴にな。
確かに奴らは知恵があり、魔法って強力な力も使える。
星の支配者であり、人間であるのは間違いない。
でも、それと同じくらい魚でもあったんだ。
弱肉強食の理を絶対のものとして、次代の子孫さえ残せれば、それで良い。
きっと今こうして親殺しを羨む彼女も、自分の番がくれば、同じように子に殺されることを良しとする。
そういう生き物なんだと気づかされた。
なによりビビったのは、そんな馬鹿げた主張をアタシ自身、そこまでおかしいとは思わなかったことだ。
そのときになってアタシは、母親が最後に残した言葉の意味に気がついた。
そう。この世界で生まれ育ったアタシならできるってやつ。
同じ転生者って境遇だけど、アタシの母親はそうした人魚の価値観を受け入れることができなかったんだろうな。
だからこそ、知恵を授けて人魚たちの価値感を変えようとした。
実際、ヒトアガリとして着いていった連中が居たんだから、それはある意味成功していたんだろうな。
そのまま長いときが経てば、あるいはその本能も消え去り、本当の意味で世界は変わったかもしれない。
でも、その計画も世界蛇が動き出したことでご破算になった。
世界蛇の上で生きていたんだから、やろうと思えばそのまま討伐することもできた。
それをしなかったのは世界蛇が死ねば、自分の仲間たちが全滅することになるからだ。
対して世界蛇にマナを独占されたとしても人魚は魔法が使えなくなるだけで、死ぬわけじゃない。
犠牲のことだけ考えれば、このまま世界蛇は放置する方が良い。
魔法は使えなくても身体能力だけでも人魚に敵う生き物はいないし、国ができあがったことで一致団結していたから、道具を使った漁もできて、食料確保も問題はないからな。
だが、人魚の価値観と本能が、それを受け入れるはずがないこともあの人にはわかっていたんだ。
こっちの世界の価値観を押し付けることがどれほど傲慢なことであるかってこともな。
だから。
自分を殺させて、全てをアタシに託すことにした。
いや、押し付けた。
人魚として生まれたアタシなら、その価値観を受け入れた上で、人魚を導いていけると信じて。
ただあの人の誤算は、直前でアタシが前世の記憶とともに、こっちの世界の価値観も取り戻したことだ。
人として当たり前に持っている倫理観と、人魚の持つ弱肉強食の本能。
アタシの中には二つの価値観が共有していた。
その上で、母親を殺したことも、世界蛇の上に住む者たちを犠牲にすることも、仕方ないと考える自分に、恐怖した。
今はまだ現代の価値観が勝っているが、このままここで生きていけば必ず、魚の価値観に染まってしまう。
多分このときだな。
初めて現代に帰りたいと思ったのは。
アタシがまだ人間であるうちに、この世界から逃げ出さなくては、きっと自分が自分でなくなってしまう。
そう思ったのさ。
こっから先は、簡単だ。
元々ヒトアガリは強烈なカリスマを持った女に誑かされておかしくなっていただけで、本質的にはさっき言ったように魚と変わらない。
今までのトラップによる遅滞戦術が嘘だったみたいに、武器を持って正面から挑んで来た。
殺されることも省みず突っ込んでくる顔見知りのおばさんや、世話になったおっさん。
少し前にアガリを迎えたばかりの、アタシに狩りのいろはを教えてくれた先輩。
そうした連中を返り討ちにし続けて、そのうち、ヒトアガリは全滅した。
そのまま本命の世界蛇退治に入ったわけだが……まあこの話も関係ないな。
その後あの世界がどうなったのかは、アタシには分からない。
自分がまだ人間であるうちに、逃げ出したからな。
ただ一つ言えるのは。
あの世界からはヒトアガリという存在が消えてなくなったってことだけだ。
世界蛇が死に、陸地がなくなったからってだけじゃない。
ヒトアガリが存在したのは、あくまで転生者によって異なる価値観が流入してしまったせいだ。
もう一人の転生者であるアタシも消えてしまった以上、あの世界は元に戻っていく定めなんだよ。
人魚としての生を謳歌し、エラが塞がった後は海中で溺れるか、運が悪ければ自分の子供に殺される。
そんなイカレた価値観の世界に戻ることになる。
そんな世界で生きていくのが嫌でアタシは、討伐報酬としてあっちの上位存在に頼んで、この世界に逃げてきた。
そう。アタシは逃げ出したんだ。
こっちの世界に未練があったわけじゃなく、ただ。あの世界でこれからも暮らしていくことがイヤで、辛くて、恐ろしくて。
アタシは──逃げた。
さて。
アタシがどうしてこんな話をしたのか、分かるか?
……なんだよその顔。
伝わんなかったのか。
ハァ。
ようするにだ。
人を殺すってことは、その後の人生に大きく影響を及ぼすって話だ。
当たり前だろって顔するなよ。
それを当たり前だと感じているのは、お前が現代日本の価値観を持っているからだ。
他の価値観が混ざった場所で生活していたらその考えは変わっていくさ。
特に、うちの職員はアタシ以外その辺りを気にしない奴らしかいないからな。
まあ小子の奴はちょっと違うけど。
どっちにしろ、異世界送りで殺す場合は、対象の存在そのものが消えるから殺人罪で捕まることもない。
だから、決断自体は以外とあっさりとできる場合があるんだよ。
ただ、問題なのはその後だ。
適当な決断を覚悟だと勘違いすると、後々辛くなる。
アタシはそれで後悔した。
いや、多分今でも後悔はしている。
殺したことを、じゃない。
今になって考えてみても、あのときは他に方法がなかったとは思っている。
アタシの後悔は何も考えずに決断したことだ。
これに気付いたのは、お前のせいでもあるんだからな。
なんでって。
ほら、半年前、最初の異世界転移をしたとき。
お前人殺しをしたくないからって、アタシに思考強化魔法使わせてまで必死こいて考えただろ?
結果、転生じゃなくて転移させる方法を思いついた。
アタシはそんなの考えつきもしかなった。というか考える気がなかった。
でもそのとき思ったんだよ。
あの時、もっとちゃんと考え抜いていたら、今の後悔はなかったかも知れないってな。
最終的に他に方法がなかったにしろ、きちんと考えた上で選んだ決断ならアタシは後悔はしなかった。もしかしたらそのままあっちの世界に残っていたかもしれない。
今回の件も同じだよ。
別に前みたいに他の方法を見つけろって言っているわけじゃない。
転生後のことを考えるなら、他に方法がないと思う。
でも、そうだったとしても、お前はちゃんと考えたか?
前みたいに考えて考えて考え抜いた上で、他に方法が見つからないっていうんなら、胸を張って決断しろ。
そんときは、アタシが手伝ってやる。
なあ秤。もう一度聞くぞ?
お前に、人を殺す覚悟はあるか?




