第74話 覚悟はあるか?
がんセンターに着いた秤は息を整えた後、ナースステーションに出向いた。
午前中、一度見舞いに来ていたためカガヤの病室に忘れ物をしたと用事をでっち上げる。
そうしたことはよくあるのか、看護師も手慣れた様子で、再度見舞客用の必要事項を記入するように指示された。
自分の名前や見舞い相手の名前欄を記入していると、ふと思い出したように看護師の女性が告げた。
「そういえばカガヤさんは今、病室ではなく外庭に居るはずですよ」
「外庭?」
たまに病室外に出ることはあるが、大抵はロの字型になっている病棟の中央に作られた中庭にいることが多かったはずだが。
「ええ。今日は気分が良いからって」
ここで一度言葉を切った看護師はさっと周囲を見回した後、声を潜めた。
「もしまた前みたいなことをしようとしていたら、教えてくださいね」
前みたいなことが何を指すかは言うまでもない。
カガヤと秤が初めて会った際、病院を脱走したことだろう。
「分かりました」
今更カガヤがそんなことをするとは思えないが、それを説明することも出来ないので適当に返事をして、ナースステーションを後にする。
外庭に行くのは初めだったため、案内板を確認してから外庭に向かった。
完全に整備された箱庭のようだった中庭とは異なり、外庭は最低限の整備だけが行われているらしく、芝生が敷き詰められている以外は、いくつかベンチが置かれているだけだ。
ただ、脱走防止のためなのか林との境には背の高い木板が壁のように並べられている。
体力の低下した患者では、ここから抜け出すのは至難の業だ。
だからこそカガヤはここではなく、直接林と隣接している建物の窓から脱出したのだろう。
そんなことを考えながら、カガヤを捜してみるが姿は見えない。
元々ここに入院しているのは、カガヤのようなごく一部の例外を除き、老人が多い。
体力の低下も併せて、散歩している者はおらず、皆ベンチに腰掛けていた。
殆どは会話をしている者はなく、皆ぼうっと視線を宙に飛ばしたまま、秤が降り立ってもこちらに目を向けてくる者もいない。
彼らの表情からは感情すら読み取ることができない。
滴が以前言っていた言葉を思い出す。
彼女は、もはや治療の意味はなく、最期のときを穏やかに過ごす患者たちばかりのこの病棟のことを、辛気くさい場所と言い切った。
随分酷いことを言うものだと思ったものだが、こうして直接見ると何となく共感できる。
そんな中、若くして彼らと同じ境遇に置かれつつも、どうにかあらがい生きようとしていたカガヤを見てきたからなおさらそう思うのかもしれない。
しかし。
少し離れたベンチに一人腰掛け、じっと足下を見ている若く細い少年の姿を見つけた瞬間、その思いは霧散する。
そこにいたのは間違いなくカガヤカオルだが、今までとはまるで違う生気のない思い詰めた表情を見せていた。
それこそ、他の患者たちと同じような。
「仕方ないよ」
ため息のような声が自然と漏れ出た。
その姿を見て、足が止まる。
達観とは違う。
諦めて全てを受け入れるつもりの顔だ。
その顔を見て、カガヤは異世界転移の問題点に気づいていると確信した。
その上で、キチンと秤に説明して異世界転生に変えるのではなく、今のまま隠し通そうと決めている。
他人の死に関わりたくないという(はっきり伝えた覚えはないが)秤の考えを理解して、気を使ったのだろう。
それでも自分は、ただ死を待つだけの他の患者たちよりは恵まれている。とそんなことを考えているのかもしれない。
「変な気を使いやがって」
先ほどと同じセリフを繰り返す。
しかし、その声には自分でも分かるほど覇気がなく、相変わらず足も動かない。
カガヤの考えは分かったのだから、秤がやるべきことは簡単だ。
諦めて妥協しようとしているカガヤの元へ出向き、異世界転生に切り替えようと伝えればいい。
やることに大きな変更はない。
あと数日、病院に来て異世界サポートを行いながら、改めて必要なチート能力を考えてもらう。
転移ほどのエネルギーも不要となるため、場所や時間を考える必要もなくなる。
仕事の面で言えばむしろ楽になるくらいだ。
だが、ここでまた問題になるのは、秤が他人の死に関わることへの覚悟ができるかどうか。
「またこれだ」
グシャグシャと髪を掻きむしりながら、秤はカガヤのことを見ていたが、彼は一向に頭を上げようとしない。
「よし」
気合いを入れて、歩き出す。
直ぐ近くまでいくと、足音で気づいたらしいカガヤが顔を持ち上げる。
同時に、彼の顔には分かりやすい笑顔が浮かんだ。
「あれ。どうしたんです? 釣合さん。何か忘れ物ですか?」
「まあそんなところ……座っても?」
「もちろん」
三人掛けベンチの真ん中あたりに座っていたカガヤが端に移動して、秤は少し距離を置いて反対側に座った。
「……」
「……」
緊張感を伴った沈黙がしばらく続く。
「あー。なんだ。珍しいな外にいるの」
やっとのことで口から出たのは本題ではなく、場つなぎを兼ねた世間話だった。
カガヤの方は肩すかしを食らったように、僅かに苦笑してから一つ頷いた。
「ええ。昔、病気になる前によくキャンプにいったんです。そのときのことを思い出して緑が見たくなって。中庭はなんか嘘くさいから」
「そういえば、サバイバル系の知識は最初からあったもんな」
火の起こし方や、水分の入手法、食べられるキノコの見分け方など、異世界サポートでは必須となる知識の一部を、カガヤは最初から持っていた。
「はい。父親が結構凝る人で、小学生の僕にナイフを買ってきて、日頃から使って手に馴染ませておくようになんて言うくらいで」
「……」
「まぁ、病気になったときに、母親に取り上げられたんですけどね。僕が変な気を起こさないようにって」
いつも以上にペラペラと言葉を重ねるカガヤを、見ているのはいたたまれない。
やはりはっきりと言うべきだ。
そう頭では理解しているのに、やはり口から言葉は出なかった。
「……もしかしたら異世界に持っていけるかも知れないから、今度君の実家からナイフ持ってくるよ」
気まずさも手伝って、思わずそんなことを言っていた。
これも滴に魔法を使って貰えば簡単にできる。
「いいんですか? ありがとうございます!」
カガヤは予想以上に食いつき、屈託のない歳相応の笑顔見せた。
その後のことは余りよく覚えていない。
適当にキャンプやサバイバルの話をした後、面会時間終了前に病棟を後にした。
いつものように駐車場へ向かったところで、今日は歩き(正確にはバス)を使ってここまで来たことを思い出す。
光明ヶ丘の本屋からだと、一度市役所に車を取りに戻るより直接来た方が早かったためだが、ここから市役所まで戻るとなるとそれなりに時間が掛かる。
「まだバスあったかな」
病院とはいえそれゆなりに田舎であるここのバス停は本数が少ない。
最悪、近くの駅までは歩くことになる。
いつもであれば面倒と思うところだが、今日はそちらの方が都合が良い。
考えごとをする時間は、どれだけあっても足りない。
「おい。見た?」
「なにを?」
そんなことを考えながらバス停に向かおうとした秤の方に、どこかで見覚えのある二人組の若者が歩いてきた。
「前にも言っただろ。すっげー美人の女が駐車場に居たんだよ」
「こないだも言ってたな。というか、なんで毎回通り過ぎてから言うんだよ!」
「……あれ? そういえば、何でだろ?」
不思議そうに首を傾げる若者を前に、秤は盛大に息を吐いた。
「確かに。前にもこんなことあったな」
「そうだな」
「ッ!」
突然耳元から声が聞こえ、顔を持ち上げると直ぐ目前、こちらをのぞき込むように滴の顔があった。
「……」
考えごとをしていたとはいえ、ここまで接近されて気づかないはずがない。
先ほどの若者の話していた内容も含め、また魔法を使ったのだろう。
市役所内どころか、こんな公衆の面前で。と思わなくもないが、この後カガヤの実家から、ナイフを取ってきてもらうことも考えると文句は言えない。それ以前に言う気力も残っていなかった。
「なんだよ。もうちょっと驚けよ」
こちらの反応が気に入らないのか、腰を屈めてこちらをのぞき込んでいた滴はつまらなそうに鼻を鳴らし、唇を尖らせる。
「何でここに?」
滴の言葉は無視して問うと、彼女は再度鼻を鳴らした。
「先回りしてあのガキに釘刺しておこうかと思ったんだけど、なんかお前が気づいちまったみたいだからな」
気づいた。という台詞でピンときた。
「ってことは、滴も気づいてたのか」
それも今さっきではない。おそらく応援室で話をしたときから気付いていたのだ。無理矢理本屋に追い立てられた理由もそれだろう。
「まぁな」
「……」
あまりにもあっさりと肯定されて言葉に詰まる。
なぜ言わなかったのか。と聞く気にはなれなかった。
黙りこくった秤を前に、滴は少しの間なにかを考えるように視線を宙に飛ばしていたが、やがて覚悟を決めたように真剣な顔で秤を見つめた。
「ちょっと早いけど、聞かせてやるよ──覚悟はあるか?」
「え?」
覚悟、という言葉に返答できず息を飲む。
そんな秤を無視して、滴は続けた。
「アタシが一番最初に殺した奴の話だ」




