第72話 四度目の再会は本屋で②
「いや、俺が聞きたいのはそういうことじゃ──」
重苦しい空気を誤魔化すように空笑いを浮かべて言うと、ただでさえ鋭い沙月の瞳が更に細まった。
「分かってる。ただ普通の人が当たり前に持っている物を失った人は、何でもできる力が手に入ると言われたら、なにより先にそれを取り戻したいって思うってこと。安定した生活が約束されている公務員様には、分からないかも知れないけどね」
突き放すような言葉と共に向けられた瞳は、自分とは違う恵まれた他人を拒絶するもので、思わず言葉を詰まらせる。
それは違う。と言いたかった。
自分も少し前までは沙月や、他の施設入居者と同じ境遇だったのだと。
その記憶を失っている沙月に言っても仕方ないが、言われてみれば納得できる理屈だ。
だが、なぜ自分はそれを思いつかなかったのだろうか。
今の恵まれた生活に慣れすぎてしまったのか。
市役所勤めとはいえ、準職員では給料はさほど良くないが、社宅として用意された住居の家賃が安いこともあって、一人暮らしであれば十分に生活できる。
なにより施設の時と異なり、自分の自由に使える部屋がある。
ずっと相部屋でプライベートなどあってないようなものだった秤にとって、それだけで十分贅沢な生活だ。
とはいえ、この生活を初めてまだ四ヶ月ほどしか経っていない。
今の生活が、当たり前のものになっている自覚はない。
自由な部屋があっても持て余し気味であり、夜間や早朝は同室相手を気遣って、できる限り音を立てないようにする癖も直っていないほどだ。
ならばなぜ、自分は今の沙月が考えるような結論に至らなかったのか。
答えは簡単だ。
(施設の時から、俺には沙月がいた)
血は繋がっていなくとも、間違いなく家族と呼べるほど強い絆で結ばれた彼女の存在があったからこそ、その結論にたどり着かなかった。
それはきっと沙月も同じだったはずだ。
一年前、秤がこの世界から消えるまでは──
「はあ」
「なにそのため息。やっぱり公務員には──」
「俺は」
少し強めに沙月の言葉を遮る。
「なに?」
「市役所職員っていっても公務員じゃない。準職員だからな」
「なにそれ」
「契約社員みたいなものだよ。公務員試験通った正規職員とは違うから、場合によっては六か月でおさらば」
「へぇ。そんなのあるんだ。具体的には何が違うの?」
途端に沙月の態度が変わり、質問してくる。
彼女目線では、何度か偶然会っただけの、殆ど関わりのない相手に関心を寄せるのは珍しいが、その理由はなんとなく想像が付く。
沙月が持っていた書籍が、就職活動関連のハウツー本だったことだ。
秤の一つ年下である沙月は、現在高校三年生。
早い者ならも既に就職先が決まっていても不思議はない時期だ。
彼女は性格上、施設の職員や卒園者などの近しい相手にこそ意地を張って相談はしない。
だからこそ、顔見知りではあっても今後特に会うこともない、いわば後腐れのない情報収集相手として秤を利用しようと考えたのだろう。
(でも、前は確か進学希望じゃなかったか?)
基本的に、高校卒業と共に施設を出ることになるため、施設育ちの多くは就職を選ぶ。
しかし、最近では状況が変わり、卒園後のサポートや施設入居できる期間の延長が可能になったことで、大して勉強しているわけでもないのに、テストの成績が良かった沙月は、施設側からも大学進学を進められていた。
本人も集められた大学のパンフレットに目を通していたため、てっきり進学する気なのだと思っていたが気が変わったのか。
それともこれも秤が居なくなったことと関係があるのか。
どちらにしても話を変えるにはちょうどいい。
「仕事内容は大きく変わらない。契約期間が基本六か月で普通の契約社員より短いのは難点だけど。まあ、うちの課はできたばっかりだから、早々切られはしないだろうけどな。それに働く時間もきっちり定時上がりだし、正直ここで働けたのは運が良かった」
「市役所ならみんなそうでしょ?」
滴もそうだが、公務員は仕事が楽で定時上がり。というのは未だ一般では当然のこととして認識されているのだろうか。
「まさか。今時の市役所はよほど暇な部署じゃない限り、残業してるのが当たり前だよ」
実際市役所に入って周りを観察してみると仕事として安定はしているだろうが、仕事量に関しては少ない部署の方が珍しい。
もっとも秤たちはその珍しい部署の一つなのだが。
「──ふぅん。公務員って楽な仕事だと思っていたけれど、以外と大変なのね」
沙月が質問を繰り返し、秤がそれに答えるというやり取りを何度か行った後、しみじみと言った。
「それこそ、実際に働いていない奴にはわからないからな」
先ほど沙月が言った、生活が安定している人間には自分たちの気持ちは分からない。との言葉への意趣返しを込めて言うと、沙月もそのことに気づいたらしく眉を顰め、こちらを睨む。
「ははは、冗談だよ、冗──」
笑って言いながら、ふと頭にひらめくものがあった。
働いていない者には仕事のことは分からない。
家族のいない施設に住む者の気持ちは、同じ境遇の者にしかわからない。
ならば──
病人の気持ちは、病人にしかわからない。とも言えるのではないか。
ひらめきと同時に頭の中が高速で回転していく。
気持ちはわからなくても、予想することはできるはずだ。
(病人が欲しがるものといえば、健康な体だよな。でも)
家族のいない施設の子供が、普通の家族を欲しがるように、病人もまた自分にはない健康体を望む。
(それなら異世界に行ったときに治るはず)
そのはずだ。
何しろ、転生者を送り出すのは、異世界を救うためなのだから、病気のままでは意味がない。
それぐらいサービスして当然だ。
(待てよ──)
普通に考えればそうでも、カガヤカオルと他の転生者たちには、違う点が一つある。
異世界に移動する方法だ。
一度死んでから、異世界で生まれ変わる異世界転生の場合、当然体は別物になる。
赤ん坊からやり直すのではなく、元と同じ状態で生き返る場合もあるそうだが、そちらでも身体は異世界で一から構築することになるのだから、その際に怪我や病気を取り除いて新しい身体を作ることは可能だろう。
だが、異世界転移によって体ごと異世界に送り出した場合はどうなるのか。
正解は異世界に行ってからでないとわからないが、こちらも推測することはできる。
世界改変によって秤たちの記憶が操作されないのは、異世界帰還者の体は異世界側で作られたものであり、この世界の上位存在では自由に操ることができないからだ。と朝日は推理していた。
彼女はそれを管轄が違うと表したが、それが事実なら、異世界の上位存在ではこちらの世界で生まれた体に手を加えることはできない可能性がある。
それをどうにかするには、それこそ反則的な力が必要なのではないか。
(あいつ、そこまで気づいていたのか?)
異世界サポートのときの雑談で、そうした朝日の推察も含めて話してある。
聡明なカガヤはそれを聞いて、自分の願いを鑑みれば、貰えるチート能力など考える必要はない。との結論に至った。
だから、秤の言葉に曖昧な返事しかできなかったのではないか。
もちろん現時点では、単なる想像、いや妄想に過ぎない。
こちらの世界の怪我や病気でも、魔法や護符の力で回復できる以上、上位存在なら案外あっさり回復してくれる可能性も大いにあるだろう。
だが、これはゲームではない。
そうでなかった場合、やり直すことなどできないのだ。
「ちょっと。聞いてる?」
「え?」
不機嫌そうな声によって、思考の海から浮上した秤の目前にジトリと睨む沙月の顔があった。
先ほどまでは思考と会話を両立できていたが、いつの間にか思考側に全脳力を費やしてしまっていたようだ。
思考強化魔法を掛けて貰っていない秤の頭脳では、二つのことを同時に行うことすら難しい。ということだ。
「悪い。ちょっと急用を思い出した」
「え?」
「ほかにも相談事があるなら、後でここに連絡してくれ」
表向きの業務用に作られた名刺を、テーブルの上に置く。
「ちょ、ちょっと!」
突然のことに慌てて、引き留めようとする声を無視して秤はテーブルを離れた。
「あ! 悪いけど本も返しといて!」
「ふざけないでよ!」
罵声を浴びながらも、秤の足は止まらない。
もし秤の推論通りだったとしても、それを気付いた時に言えばいいだけの話だ。
それがわざとだとすれば──
(変な気を使いやがって)
思わず舌を叩き、事実を確かめるべく、カガヤカオルの下に向かって走り出した。




